第10話

 バイトが終わり、ぐったりと背中を丸めた美咲とそんな彼女を見て小さな笑みを浮かべた志穂が夜の道を歩いていた。


「疲れた〜……」

「そうだね~……今日はちょっといつもより忙しかったね……なんか変に団体客が続いてさ、こんな時期に珍しい……なんか近くでイベントでもあったのかな?」


 そう言って頬に手を当て、考え込む志穂。夕飯時に押し寄せた複数の団体客、その対応に追われ、2人の身体にはいつも以上に疲労が溜まっていた。

 

「お腹空いたー……。料理はずっと見てるけど口には一個も入ってこないままこの時間だもんなー……」


 美咲のぼやきに志穂は優しげに目を細める。


「ねえ、稲田さんはおにぎりの具で何好き?」

「え、ツナマヨですかねやっぱり」

「わかった」


 そう言って志穂が美咲から離れ、道の端へと歩いていく。彼女の向かう先には、コンビニがあった。


「え……? 畑野さんもしかして……」


 美咲の問いかけに志穂は振り返ると、ニカッと笑った。


「ごめんね。これくらいしかできないけど……」

「いえいえいえ! そんなことないですよありがとうございます〜!」


 申し訳なさそうな志穂に美咲は激しく手を横に振る。彼女達の手には先程志穂が購入したおにぎりが握られていた。


「でもいいんですか……? 奢ってもらっちゃって」

「いいのいいの。今諸事情でほんのちょろっとだけお金に余裕あるから!」


 志穂がそう言って歯を見せて笑う。その行動に安心したのか、美咲の表情がふっと軽くなる。


「……それじゃあお言葉に甘えて……いただきます!」


 そう言って美咲がフィルムを剥がしておにぎりにかじりつく、海苔の割れる心地よい音が聞こえると程よい塩気が口の中に広がっていく。


「あ〜……美味し〜……。コンビニおにぎりってこんなに美味しかったっけ〜……」


 空腹がスパイスとなり幸せそうに笑う美咲を見て志穂がクスリと笑い、彼女と同様にフィルムを剥がし、おにぎりを食べ始める。鼻腔をくすぐる海苔の香ばしい匂いと米の食感に舌づつみを打つ。


「……うん、美味しい」


 噛み締めるように静かに呟く志穂。


「畑野さんはどのコンビニのおにぎりが好きとかありますか?」

「いや〜、あたしはコンビニあんまり使わないから……」

「え、そうなんですか?」

「うん。コンビニって基本的に高いし、あたしあんまり懐事情もよくないから、少なくとも大学生の間はそんなに入ることはないかも……」

「そうなんですか……」


 志穂の言葉に美咲はトーンダウンし、顔を俯かせてしまう。


「あ、ごめんね。変な空気にしちゃって……。気にしなくていい――」

「畑野さん」


 自分の言葉を遮るように言い放たれた美咲の言葉は、普段の弱々しい彼女とは明らかに違う、力強さがあった。


「私がバイト始めたのって、大した理由は無くて、両親に『部活もやらないならバイトの1つでもしたら?』ってしつこく言われたから渋々って感じなんです……」


 そう語り始める美咲の横顔を見つめながら、志穂は無言で彼女の話に耳を傾ける。


「だから、今のバイトもちょっとでも辛くなったら直ぐ辞めちゃおって思ってて、実際大変で辛いと思うこともあるんですけど……」


 美優の次の言葉を待つ志穂。


「でも……畑野さんがいるなら……もう少し頑張れる気がしてきました」


 美咲のその言葉に志穂が目を見開くとフッと笑う。


「……そっか。まあ稲田さん自分では自信ないみたいだけど結構ちゃんとできてたし多分――あぁ!?」


 志穂が言い切る前に蹴つまずき、体勢を崩して手に持っていたおにぎりを地面に落としてしまう。


「あ、落っこっちゃっ――」


 美咲が言うより早く、志穂が素早く地面のそれを拾い上げ、サッと手で払うと一息で全て口の中に放り込む。


「た……」


 モゴモゴと口を動かして拾ったおにぎりを咀嚼する志穂の姿にひきつった笑顔を浮かべる美咲。


「……何?」

「ああ……いや……その……あまりにも拾い食いの動きに迷いが無かったので……」

「3秒ルール3秒ルール! それにお米の部分は地面に触れてなかったからまだセーフ!」

「ははは……誰かに見られたりしてませんよね……?」


 志穂の主張に乾いた笑いで返して周囲を見回す美咲。人の気配は無く、ただ夜の闇だけがある周りの状況に、美咲は胸を撫で下ろす。


「えーと……なんの話してたっけ……あ、そうだそうだ」


 咀嚼を終え、話し始めた志穂の声に美咲の目線が再び彼女の方へ向き直る。


「ま、バイト中も言ったけどさ、稲田さん結構ミスも少ないし大変かもだけど慣れればやっていけるってあたしは思うよ」

「……はい、頑張ります……。できる範囲で……」


 その答えに志穂がクスリと笑い、つられて美咲も笑顔を浮かべる。静かな夜道に2人の少女の笑い声が響く、穏やかな時間が流れていた。


「ははは! 確かに! 僕も初めてバイトしたときは慣れないことばかりで大変でしたよ!」


 すると、暗闇から突如会話に割って入るような声が聞こえてくる。2人が視線を向けると、そこには人畜無害そうな柔和な笑みを浮かべた、澄んだ瞳をした体格の良い1人の男が立っていた。


「でも慣れれば意外とやっていけるものですよ」

「誰?」


 まるで旧知の仲であるかのように会話を進める男に、美咲は思わずそう声を漏らしてしまう。その表情には恐怖の色が滲んでいた。


「さ、畑野さん。そろそろ時間なので行きましょう」

「え……畑野さんの知り合いなんです……むぐぅ!?」


 言い切る前に志穂が手で彼女の口を塞ぐと男と美咲の間に割って入る。


「そうそう! 慣れ慣れ! 人間大体のことは慣れればなんとかなる!」


 そのまま男と会話を開始する志穂。口を塞いでいた腕を伸ばし、少しでも男から美咲を離そうとすると同時に、自分も男から離れていく。


「ええ、そうですね。車を用意しているので行きましょう畑野さん」

「え、そうなんですか? お心遣いありがとうございます! でもあたし最近運動不足なんで走っていきますね! それじゃ!」


 美咲の肩を掴み、早足で男から離れ距離を取る。


「走って!!!」


 そして、志穂の叫びを合図に2人は全速力で夜道を駆ける。


「畑野さん! あの人誰なんですか!? 知ってる人なんですか!?」

「知らない知らない! 全然知らない!」


 美咲質問にそう答え志穂は走り続ける。


「あの! とりあえず逃げてるけどどうするんですか!?」

「さっきのコンビニ行こう! とにかく人のいるところに行かないと!」

「でも車を用意してるって言ってたし……追いかけてくるなら多分それで来ますよね……」


 美咲の一言で心臓が跳ね、志穂は不安気に顔を俯かせる。


「……とにかく! 今はコンビニ行くことだけ考え……!」


 そこまで言った瞬間、衝撃と共に痛みが走り、宙に浮かぶ感覚が志穂を襲った。

 『何かがぶつかって来た』その思考が頭を過った瞬間には、彼女の身体は地面に叩きつけられていた。


「畑野さーん!?」


 美咲の叫びが木霊する。彼女の視界には飛び出してきた自転車に轢かれ、吹き飛び倒れる志穂の姿をしっかりと捉えていた。


「大丈夫ですか!?」


 自転車に乗っていた、大柄の男が倒れた志穂に駆け寄り抱き起こす。


「手伝います!」


 その声と共に、先程の男が駆け寄ると2人で志穂の身体を持ち上げる。


「さあ、乗せて!」

「はい!」


 車の男が自転車の男に支持すると、熟練の救急隊員のような迷いなく滑らかな動きで志穂を夜の闇に紛れた黒い車へ運び込む。


「ちょ……! 嘘でしょ!? やめ――むぐぅ!?」


 志穂が必死に身を捩らせながら叫ぼうとした瞬間、ゴツゴツした男の手が彼女の口を塞ぐ。屈強な男2人にガッチリとホールドされたまま、抵抗虚しく車へと運び込まれてしまう。


「け……! 警察……! 警察!! 警察!!!」


 美咲は目の前で繰り広げられる誘拐劇に半ばパニックとなりながらも、警察に通報しようと焦りと恐怖でおぼつかない手つきのままなんとかスマホを取り出す。


「けいさ……!」


 取り出した瞬間美咲の背後から手が伸び、スマホを取り上げられてしまう。振り返ると、そこには微笑みを携えた筋肉質な男が立っていた。

 男は取り上げたスマホを手放し、地面に落下したそれを踏み潰す。2つに砕けたスマホを尻目に車へ乗り込み、ドアを閉める。


「出します」


 運転席に座っていた男がそう言うとアクセルを踏み込み、激しい駆動音を立てて急発進する。

 猛スピードでその場から離れていく車を美咲は呆然と立ち尽くしながら見つめている。

 

 「警察ぅ――――――――――!!!!!!!」


 夜の暗闇の中、美咲の叫び声が響いていた。

 

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宇宙超人 荒谷宗治 @Aratanisouji

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