第9話
志穂がトレイから机に食器を並べていく。白い湯気の立ち上るご飯と香り立つ味噌汁に、焼きたての鮭とほうれん草のおひたしがそれぞれ2つずつ、並べ終わるとエプロンを外して座る。
「いただきます」
手を合わせて箸と茶碗を持ち、食事を開始する志穂。白米のほのかな甘味が口内を満たす感覚に浸る志穂をベムは腕を組んで眺めている。
「さっきの今でよく食事ができるな」
「食べられるときに食べるのがあたしの信条だから!」
ベムの言葉に力強く答える志穂の姿は堂々としており、先程の怯えは感じられない。
「ほら、ベムの分も用意してるんだから食べな。ブロッコリーも」
そう言って志穂が今だほんのりと熱を持つ、茹でられたブロッコリーの入ったボウルとマヨネーズをベムの眼前に置く。
それをじっと見つめたかと思うと、100均で揃えられた自分の食器の中から箸を手に取り、ボウルのブロッコリーを無言で口に運んでいく。その姿に志穂が考え始める。
(こいつ、いかにも肉食ってそうな見た目なのに1番気に入ってるのはブロッコリーなのなんか不思議な気分になる……マヨもドレッシングも無しでモリモリ食べるし)
ブロッコリーを食べる手を一旦止め、米や焼き鮭に手を伸ばすベムを眺めながらそんなことを考えつつ、味噌汁を飲む志穂。
(でも肉とかも普通に食べるんだよね。特に鳥肉とか、ささみとかは大分感触良かったな……)
そして、ここ数日間の食事事情を思い返し、宇宙人の食の好みを探り始めながら焼き鮭をほぐす。
(あと卵料理とかも結構気に入ってた。それに豆腐とか納豆とかの大豆食品系も。う〜ん……イマイチ好みの法則がわからな……)
ほぐした鮭と、ほうれん草のおひたしを口に運びながら、そこまで考えたところでハッと目を見開き志穂の箸が止まる。
(筋肉に良いものを好んでる……!?)
下を向いていた目線がパッと上がる。志穂の視線に気づいたベムが手を止め口を開く。
「なんだ」
「あ、いや……なんでも……」
「……まあなんだろうと構わん。ほら、今日の分の金だ」
曖昧な態度ではぐらかす志穂だがベムはこれといった詮索はせず、紙幣を志穂に渡す。
「……どーも」
「しかし何故私に預け直すのだ? 貴様の手元にあった方が楽じゃないか?」
「いや〜……いきなり大金なんてなんか試されてるみたいだし……もし好き勝手に使ったら『チキュウジン ヤハリ オロカ ホロボス』ってなる可能性も……」
「考えすぎじゃないか?」
ベムが志穂に渡した100万は話し合いの結果、普段はベムが管理し、いつまでいるかわからない上第三者が関わる家賃ではなく、本人も恩恵を受ける食事、基本はベムと志穂、2人分の食費だけを出すという形で落ち着いた。
「ごちそうさま。それじゃああたし、バイト行ってくるから、悪いけど食器とか洗っといてくれる?」
そう言って手を合わせると志穂は立ち上がり、食器をまとめてシンクに纏めて置くと、支度を始める。彼女のその行動に、今だ食事を続けるベムの手が止まる。
「おい志穂。家の外に出るのか?」
「バイトで生活費賄ってるからね」
ベムの言葉に振り返りもせずに支度を終わらせた志穂は家を出る。閉じたドアに目線を向けながらベムはふうと息を吐いた。
バイト先である個人経営の定食屋で、エプロンと三角巾姿の志穂は汗を薄く滲ませ、手際よく料理を運び、テーブルの片づけに追われていた。忙しさの中でも笑みを浮かべ、老若男女様々な客で賑わう店内を抜けていく。
「しょうが焼き定食上がったよー!」
「はーい!」
厨房から聞こえてきた声に志穂は返事をすると、早足で向かっていく。時計の針は正午を回っていた。
「ふう……」
繁忙時間を超えて店内が落ち着き始めた頃に志穂は息を吐く。
「疲れた……」
その隣でぐったりと頭を垂れる少女を見て志穂がクスリと笑う。
「稲田さんお疲れ~」
志穂の声に反応し、黒髪を2つ結びにした少女が顔を上げる。彼女の名前は稲田美咲。志穂のバイト仲間である高校生である。
「あ、ありがとうございます畑野さん……」
手を小さく上げて力なく笑う美咲に志穂が苦笑する。
「やっぱりまだ慣れない?」
「はい……やっぱり陰キャのコミュ障には難しいのかな……注文聞くだけでも緊張で気力と体力が……」
「う〜ん……でも稲田さん苦手って言ってるけど経験の割にはミスも少ないし細かい仕事もテキパキやれてるから、まあメンタル的なところはともかく実務の方はむしろ向いてるんじゃない? 少なくともあたしはそう思うけど」
「そうですか……? でも畑野さんと比べると全然で……」
「いや~慣れだよ慣れ。あたしは高校3年間やってたから割と慣れてるってだけ。稲田さんも慣れればこれくらいできると思うよ?」
「……そう見えますか?」
「見えるよ。あたしは」
そう言って朗らかに笑う志穂。それと同時に来店を告げるベルが店内に響く。
「……ありがとうございます畑野さん……もうちょっと頑張ってみます……注文取ってきますね」
「うん、頑張って」
微笑して立ち上がり、その場を後にした美咲を志穂は笑顔で見送った。
「畑野さ〜ん……」
そして、1分も経たないうちに縋るような声を漏らして戻ってきた。
「なに!? どうしたの!?」
「いや……注文取りに行ったらその……『必要ない、失せろ』って言われまして……」
「なにそれ? 頭おかしいんじゃないのそいつ? あたしが言ってこようか?」
「や、やめた方が良いですよ……その人凄い筋肉ムキムキで顔も反社会勢力の人みたいだし……男の人……店長とかに対応してもらった方が……」
「筋肉ムキムキ……顔が反社会勢力……」
述べられた特徴を復唱する志穂。ある直感が彼女の脳裏を通り過ぎる。
「……やっぱりあたし行ってくる」
「え!? 駄目ですよ畑野さんやめた方が……!」
美咲の静止を振り切り、志穂は客席へと向かっていった。
「ご注文は?」
その声に美咲の目と脳が『人間』と認識していたそれ、宇宙人ベムがゆっくりと視線を動かし志穂を一瞥する。
「いらん。戻れ」
「じゃあなんでここに来てんのよ……冷やかしなら帰ってくれる?」
伝票を机の上に放り投げ、志穂がそう言い放つ。しかし、ベムは全く動じずに口を開く。
「そういうわけにはいかん。また今朝のような奴らが志穂のところにくるかもしれんからな。監視しておく必要がある」
「……じゃあせめてなんか頼んでよ」
「いらん。邪魔だ」
「邪魔って……なにも頼まず居座ってる方が邪魔なんだけど? なんかその……別のやり方とかないの?」
「贅沢な……」
そこまで言ったところでベムが何かに気づいたのか窓の外を見やり、無言になってしまう。
「……どうしたの?」
「……少し状況が変わった」
「状況が変わったってどういう……」
「しばらく席を外す」
「あ、ちょっと待って……!」
引き留めようとする志穂を意に介さずベムは立ち上がり、早々に店を出る。彼の姿が遠くなり視界から消えると、志穂が呆れたように息を吐く。
「なんなのあいつ……結局ただの冷やかしで終わったし……」
終始勝手な行動を取って消えていった宇宙人にポツリと文句を漏らす。
「畑野さんすごぉい……あれ追い返せるんですか……」
背後から聞こえてきた声に志穂が振り返ると、尊敬の念を込めた眼差しで自分を見つめる美咲の姿があった。詳細はわからないが、自分が忽然とした態度で迷惑な客を追い払ったと勘違いしているのだろうと推測した志穂は誤解を解こうと話を始める。
「あ……いや……あれは……なんというか……知り合いだから……」
「え! 知り合いなんですか!?」
「うん。知り合いなの。それであいつ宇宙人だから。地球のこととかなんもわかんないのよ。宇宙人だから」
「そこまで言います?」
互いの認識は違うのに妙な噛み合いを見せる会話を繰り広げる志穂と美咲。
「でも確かに変な人なことは間違い無かったですし……。普段からあれなら宇宙人って言われてもしょうがないのかも……?」
「そう、普段からあれなの。宇宙人だから変なの。地球の文化とかマナーとか多分よくわかってないの」
腕を組み、考えながら展開される美咲の話に力強い肯定と念押しを重ねる志穂。そんな2人のやり取りは、来店を告げるベルによって中断される。
「いらっしゃいませ〜」
「あ……い、いらっしゃいませ……!」
瞬時に切り替え、入店したお客様に挨拶をして接客対応をしようとする志穂に一歩遅れて美咲も頭を下げ、追従する。異物である宇宙人が消え、通常の業務へ戻っていく志穂。その日、ベムが店に戻ってくることはなかった。
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