第53話 GW3日目(1)サイコーにカッコイイ

 真奈美とのデートを終え、風呂に入った俺は、部屋でくつろぎながら、テレビのリモコンをいじってチャンネルを適当に回していた。しばらく眺めていたものの特に興味を引く番組もなく、再びリモコンを手にしたその瞬間、携帯が鳴り出した。


 画面を見れば「美玖」の名前が浮かび上がっている。明日のデートの件だろう。彼女とのデートは久しぶりだ。最近はモデルの仕事が忙しく、なかなか会えない日が続いていたのだ。俺は少し緊張しながらも、期待に胸を膨らませつつ電話に出た。


「もしもし?」


 俺が応じると、すぐに美玖の元気いっぱいな声が耳に届いた。その声は、まるで春の陽射しのように温かく、俺の心を一瞬にして明るくした。


「ヒロっち! やっほー、元気してる? 明日さ、デートするじゃん? どこ行くか決めてないでしょ?」


 美玖の声は、いつものように活気に満ちている。彼女がどれだけ楽しみにしているかが声から伝わってきた。俺も思わず微笑んでしまう。その笑顔が部屋の空気をさらに明るくするようだった。


「うん、まだ決めてないけど……どこか行きたい場所とかある?」


 俺は軽く提案を促してみる。美玖と行けるならばどこでも良いと思っていたが、彼女のリクエストがあればそれに応じたかった。美玖の喜ぶ顔を想像すると、胸が暖かくなる。


「どこでもいいけど……ヒロっちは何かアイデアある? 最近、あんまり遊べてないし、ちょっとリフレッシュしたいんだよね」


 美玖の言葉に一瞬考えたが、俺がふと思いついたのは、お台場だった。海と都会の景色が融合する場所、様々なアトラクションやショッピングスポットがある場所。美玖の好みにぴったりだと直感的に感じた。


「お台場とか、どうかな? 海もあるし、遊べる場所もいっぱいあるし、ショッピングだってできるぞ」


「お台場か……いいね! 仕事以外で行ったことないし、楽しそう!」


 美玖はすぐに乗り気になった様子だった。彼女は仕事で忙しく、最近は一緒に出かける時間が少なかった分、明日のデートは彼女にとって特別なリフレッシュタイムになるんだろう。その思いが伝わってくるようで、俺も嬉しくなった。


「じゃあ、明日お台場で決まりだな。待ち合わせはどうする?」


 俺は具体的な場所を提案しながら、デートプランを固めようとした。美玖の方もノリノリで答えてくれる。その声から、彼女の表情が目に浮かぶようだった。


「じゃあ、駅前の広場でいい? 早く会いたいし、10時くらいにしよう!」


 美玖の声は相変わらずテンションが高い。俺もついその調子に合わせてしまう。彼女の明るさは本当に伝染性があるな、と思いながら微笑んだ。


「10時ね、了解。楽しみにしてるよ、美玖」


「私も楽しみにしてるよ! 明日は思いっきり遊ぶんだから、覚悟してよ、ヒロっち!」


 彼女の明るい声が耳に響く。彼女の底抜けに明るい性格は、今や俺にとっては当たり前のことだ。ちょっと押され気味ではあるが、それが美玖の魅力でもある。

 初めて会った時はおしとやかさを出そうと猫を被っていたのを思い出し、くすっと笑ってしまった。

 あの頃と比べて、今の美玖はずっと自然で、本来の彼女らしさに溢れている。その変化を見守ってこられたことに、俺は密かな喜びを感じた。


「じゃあ、明日ね。おやすみ」


「おやすみ! 絶対寝坊しないでよ!」


 そう言って美玖は電話を切った。その声には、まだ興奮が残っているようだった。


 俺は携帯をベッドの隣に置きながら、自然と笑みを浮かべていた。久々の美玖とのデートだ。彼女の笑顔を思い浮かべると、胸が高鳴る。


「明日は、どうなるかな……」


 自分自身に問いかけるように呟きながら、ベッドに横たわると、今度は部屋がノックされた。柔らかな音が静かな部屋に響く。


「おにい、入ってもいい?」


「どうぞ」


「おっじゃまっしまーす」


 入ってきたのはあかね。俺の実の妹だ。最近では俺の事を「おにい」と呼ぶようになった。前の人生の時には無かったことだ。この違いは一体どこから来るのだろうか。そんな疑問が頭をよぎるが、すぐに打ち消した。


「おにい、明日は美玖さんとデートなんだって?」


「ああ」


「昨日は真奈美さんでー、一昨日がクロエさん?」


「ああ」


「美玖さんの次の日が、真紀ちゃんでー」


「ああ」


「一日空いて、最終日があのアイドルの『KAORU』とお忍びデート!」


「そうだよ」


 あかねは「はぁ」とため息を一つついて続ける。


「おにい、私は心配だよ」


「何がだよ」


「いつか刺されるんじゃないかって」


 ニヒルな笑みを浮かべるあかね。


「馬鹿なこと言ってんじゃねーよ。そういやお前は知らなかったのか?」


「何を?」


「山下薫が女の子だったってこと」


「普通に知ってたよ? 薫ちゃん、小3までは普通に女の子のカッコしてたし」


「なっ!? 知ってたなら教えろよ!?」


「それこそ、なんでおにいに言わなきゃなんないのさ!? 私、おにいたちが何をしてたのかとかも知らされてないんだからね!? 気づいたら薫ちゃん転校しちゃってるし、おにいが関わってるのとかも知らなかったよ!?」


 たしかに、俺があの時相談したのは大人であって、あかねには何一つ話していなかった。


「……まぁ、それもそうか」


「それにしてもおにい、モテモテだね」


「そうだな」


「そ、そうだなって言った! 言っちゃった!!」


「俺自身、信じられないが、こんな俺の事をハッキリ好きだと言ってくれてるからな」


 俺の言葉に、あかねは驚いた表情を浮かべた。その反応に、俺も少し照れくさくなる。


「私も好きだよ、おにい」


「お前はまた別だろうが」


「別って何さ! こんなにも愛しているのに~」


「やめれ。で、何しに来たんだ?」


 話題を変えようと、俺は本題に戻す。あかねの目が少し真剣な表情に変わる。


「あのさ、おにいがやってる株? なんかオススメの本があったら貸して欲しいなーって」


「なんだ、お前も株に興味持ったのか?」


「私なりにちょっと調べてみたんだけどさ、やっぱり将来的には必要な知識かなって。それに、うちにはすごい先輩が二人もいるから、勉強しない手はないなって思ってさ」


 あかねの言葉に、俺は少し驚いた。妹の成長を感じると同時に、誇らしさも込み上げてきた。


「ああ、いいぜ。ちょっと待ってろ」


 俺は本棚をあさると、初心者が絶対に知っておくべき基礎が分かりやすく学べる本と、分かりやすく実践的な事が書かれた本を取り出した。これらの本は、俺自身が株を始めた頃に大変お世話になったものだ。


「これを読んでみろよ。だいたい分かったら俺が取引しながら教えてやるから」


 とはいえ学生が学校へ行っている間に相場は閉まってしまう。

 時間外に注文を出すくらいしかできないのだが、その制限を伝えながらも、俺は妹の熱心さに応えようと思った。


「うん、わかった。読んでみるね! おにい、ありがと!」


「おう、じゃあな」


 にっこりと笑って株の本を持って行く妹、あかね。

 これが、『資産30億の凄腕JDトレーダーあかね』の第一歩だとは、この時知る由もなかった。その瞬間の彼女の目の輝きを、俺は後々まで鮮明に覚えていることだろう。


「あ、そうだ」


「まだ何かあるのか?」


「おにい、一日空いてる日があるでしょ?」


「ああ、まぁそうだな」


「その日は私に付き合ってよ」


「いいけど、行きたいところでもあるのか」


「うん!」


「わかった。そのまま予定は空けとくよ」


「ありがと、おにい! それじゃーねー」


 嵐のように去っていく妹の背中を見送る。

 前回の人生ではここまで仲良くなかった。

 あかねが中学に入ったころからあまり会話をしなくなり、高校ではほとんど会話をしなかった。

 引きこもりに近かった自分のせいなのだが。



 その後、ゴロゴロしながら本を読んでいると、時計の表示が22:00になり、小さくアラームが鳴った。その音は、俺の日課を思い出させる。


 俺は携帯を手にすると、とある人に電話を掛ける。


 プルルルルルル……


「宏樹?」


「ああ、ちゃんと布団に入ってるか?」


「うん、入ってるよ」


 真奈美だ。

 以前の約束の通り、毎日「おやすみ」を言っている。


「明日は美玖ちゃんとデートだよね?」


「ああ」


「どこ行くの?」


「お台場だ」


「そ。楽しんできてね」


 真奈美の声には、少しだけ寂しさが混じっているように感じた。俺はきゅっと胸が締め付けられるような感覚を覚えながらも、明るく答えようとする。


「ああ。真奈美は何をするんだ?」


「私は英会話のレッスンと塾の講習に行くよ」


「真面目だなぁ。がんばれよ」


「ねえ、宏樹はなんで塾とか行かないのにそんなに成績が良いの?」


 真奈美の質問に、俺は一瞬言葉に詰まった。しかし、すぐに落ち着いて答える。


「うーん、普通に勉強ばかりしているからじゃないかな。やりたい事はたくさんあるんだが、この年じゃ出来ない事ばかりでな。それをするために、今は勉強しているってところだ。いわゆる自己投資ってやつだな」


 そう、やりたい事はたくさんあるのだが、大抵は大人になってからじゃないとできない事ばかりなのだ。それに『セーブ&ロード』もある。塾に行かずとも、自分のペースで無限に勉強できるのだ。


「なんていうか、すごいわね……とても高校生とは思えない考え方だわ」


「そうか?」


 真奈美の鋭い指摘に、俺は少し焦りを覚える。自分の言動が年相応でないことは自覚していたが、それを他人に指摘されるのは少し心地悪かった。しかし、真奈美の声には純粋な感心の色が混じっているようにも感じられた。


「今はできないっていう、あなたがやりたい事も気になるわね。今度会ったらゆっくり話しましょう?」


「ああ」


「ふあぁぁ……」


 眠気が来たのか、あくびの音がする。その柔らかな音に、俺は思わず微笑んでしまう。


「そろそろ寝るか?」


「ええ、お願い」


「真奈美」


「はい」


「おやすみ」


「おやすみなさい。いつもありがとう。これ、本当に幸せよ」


 真奈美の声から、俺に対する深い愛情を判じる。その言葉に、俺は胸が熱くなるのと同時に複雑な思いも込み上げてきた。


「大げさだな。それじゃ」


「うん……」


 名残惜しそうな真奈美の声を聴きながらも通話を終える。

 この「おやすみ」も日課になってしまったが……


 いつまで続けるんだろうな。


 そう思いながら、俺は天井を見つめた。複数の女の子との関係を維持することの難しさを、改めて実感する。それぞれに対する思いは本物だ。しかし、一学期中に選択をしなければならない。選択をした後は、一人との関係以外をすべて断ち切らなければならないだろう。そう思うと、ズキンと胸が痛んだ。



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 翌朝、俺はいつもより早く目が覚めた。久々の美玖とのデートということで、どこか心が浮ついている。窓から差し込む朝日が、新しい一日の始まりを告げているようだった。それでもいつも通りのルーチンワークは忘れない。ジョギングと筋トレを終えると、シャワーを浴びて身支度を整えた。


 鏡の前に立ち、自分の姿を確認する。髪を整え、服装を整える。美玖と会うことを考えると、少し緊張が走る。彼女はモデルだ。きっと今日も素敵な姿で現れるだろう。それに負けないよう、俺も気合を入れる。


 そして、電車に乗りお台場へと向かう。

 美玖を待たせるわけにはいかないので、少し早めに着くようにしていた。車窓から見える都会の喧騒が、次第に海の広がりに変わっていく。


 お台場駅に着くと、待ち合わせの場所に向かう。そこには既に美玖が来ていた。


「早めに着いたつもりだったんだがな」


 彼女は、白いクロップドカーディガンにフレアジーンズ、足元はエレガンスさもある軽やかなサンダルという、今年の流行を取り入れたトレンド最先端のコーディネートだった。華やかさに思わず見とれてしまうほど。毛先に向かって青いグラデーションの入った銀色に輝く髪と相まって、その姿は周囲の人々の視線をも集めていた。


 だが、その瞬間、俺の足が止まった。美玖の周りを5人の男が囲み、彼女に話しかけているのが見えた。美玖の顔がこわばり、困惑した表情を浮かべているのが遠目でもはっきり分かった。普段の明るい彼女とは全く違う表情だ。急がないと。


「ねぇ彼女、一緒に遊ぼうよ。今日、時間あるでしょ?」


「お前、一人なんだろ? 俺たちと楽しいとこ行こうぜ」


 男たちはしつこく話しかけ、じりじりと近づいていた。美玖は一歩ずつ後ずさりしながら、怯えた様子で声を絞り出す。その姿を見て、俺の中の怒りがさらに大きくなる。


「……あの、困ります……」


 だが、彼女の小さな声は男たちに届いていないかのようだった。男たちはさらに一歩踏み出し、美玖を取り囲む形になった。俺は、すぐに行動しなければと思いながらも、最適な対処法を瞬時に考えていた。


 一人の男の手が、美玖の肩を掴んだ。


「ヒッ……」


 美玖が恐怖の声を上げる。


「美玖、待たせたな!」


 俺は声を張り上げ、彼女の元へ駆け寄った。美玖の前に立ち、男たちの間に割り込む。

 そして、美玖の肩に触れている男の手を弾いた。


「悪いな。彼女が待っていたのは俺だ。他を当たってくれ」


 冷静に、だがはっきりと伝える。男たちは俺を見て、一瞬戸惑いを見せたが、すぐに薄笑いを浮かべて挑発的な態度を取ってきた。その表情に、俺は内心で冷笑を浮かべた。


「はぁ? 何だよ、邪魔すんなよ。俺たちが先に声をかけてたんだぜ?」


 手を弾かれた男が俺に近づき、ドンと肩を押すような仕草をした。だが俺は動じず、その男を冷静に見返した。俺の態度が、男たちを更に苛立たせているのが分かった。


「悪いが、誘われる理由はない。彼女は困ってるんだ。他を当たってくれ」


「んだとテメェ!」


 俺の態度がさらに男を苛立たせたのか、男はイラついた様子で拳を振り上げ、俺に向かって殴りかかってきた。その瞬間、俺は一歩下がり、軽く身をかわした。男の拳が空を切った次の瞬間、俺は彼の腕を掴み、体の勢いを利用して彼を地面に押し倒す。俺は大人の世界でボクシングや合気道を修めてきた。この鍛え上げた若い身体なら、こんな連中敵ではない。


「なっ……!」


 驚愕の声が漏れる。残りの男たちは驚き、距離を取り始めるが、一人が逆上したように怒鳴りながら俺に向かってきた。俺は冷静さを保ちながら、次の動きを予測していた。


「おい、ふざけんな! やってやるよ!」


 男は再び殴りかかってきたが、俺は冷静に彼の拳を受け流し、逆の手で彼の肩を押し、軽く蹴りを入れた。足をすくわれた男はそのまま地面に崩れ落ちる。


「がはっ!」


 いつでも止めをさせることをわからせるため、倒れた相手の目の前に拳を寸止めで放つ。


「まだやるか?」


 俺は遠慮せずに殺気を出して睨みつける。その眼差しに、男たちの表情が一瞬で変わった。恐怖と敗北感が混じった表情だ。


「……クソッ! 覚えてやがれ!」


 彼は立ち上がると捨て台詞を吐き、仲間たちを促して立ち去っていく。立ち去る間際、彼は俺を恨めしそうに睨みつけていたが、特に気に留めなかった。


「……こんなモブみたいなセリフ、本当に言う奴がいるんだな」


 俺はふと妙に冷静にそう思い、立ち去っていく男たちを見送った。


 そして、俺はすぐに振り返り、美玖の顔を見る。彼女は震えていた。普段の明るく強気な姿はどこにもなく、臆病な少女のようだった。彼女がこんなに怯えているのを見るのはあの事件以来、初めてだった。その姿に、俺の心が痛んだ。


「美玖、大丈夫か?」


 俺が声をかけると、美玖は一瞬震えたが、少しずつ顔を上げて俺を見つめた。その瞳には涙が浮かんでいて、彼女がどれだけ恐怖を感じていたかが伝わってくる。俺は、もう少し早く来るべきだったと、一瞬自己嫌悪を感じた。


「……ヒロっち……怖かった……」


 彼女は小さな声でそう言い、俺の腕にしがみついた。トラウマのせいか、いつも強気な美玖がこんなにも脆く見える。


 俺は彼女の肩に手を置くと、人目も気にせずそっと抱きしめた。彼女の体はまだ震えていたが、俺の腕の中で少しずつ落ち着いていくのが分かった。美玖の香りが鼻をくすぐる。


「もう大丈夫。俺がいるから」


 そう言いながら、美玖の髪をそっと撫でた。美玖はしばらくの間、俺の胸に顔を埋めたまま動かなかった。その間、俺は彼女の背中をさすりながら、周囲の状況を確認していた。幸い、大きな騒ぎにはならなかったようだ。


 数分が経ち、ようやく彼女が顔を上げた。目はまだ赤いが、少しだけ笑顔が戻ってきた。その笑顔を見て、俺は安堵の息をつく。


「ありがとう、ヒロっち……本当に助かった……」


 彼女はそう言って、俺の手をぎゅっと握り返した。その瞬間、俺は彼女の手の温かさを感じると同時に、彼女がこんなにも俺を信頼してくれているんだと実感した。その信頼に応えなければという思いが、俺の中で強くなる。


「よし、気を取り直して行こうか」


 俺は美玖に向かって微笑みながら手を差し出した。美玖は少し照れ臭そうにその手を取る。まださっきの出来事が尾を引いているのか、いつもの明るい笑顔ではないけれど、彼女の手の温かさから、少しずつ元気を取り戻しているのが感じ取れた。


「ごめんな、遅くなって」


「ううん、私が会いたくって早く来すぎただけだから」


「今度からは早く着くなら連絡くれよな。携帯電話、あるだろ」


「そう言えばそうだったね。まだ慣れなくて」


「連絡くれれば急いで向かう。それで俺が美玖のこと、守るからさ」


 その言葉に、美玖はようやく微笑みを浮かべた。その笑顔は、さっきまでの恐怖を忘れさせるほど眩しかった。


「ヒロっち、やっぱサイコーにカッコイイね」


 俺は彼女の手を軽く握り返し、人混みの中を歩き出す。目の前にはお台場の広々とした景色が広がっていた。観覧車が青空に映え、風に乗って潮の香りがかすかに漂ってくる。その爽やかな空気が、さっきまでの緊張感を少しずつ和らげていく。


「それにしても、久しぶりだな、美玖とこうやって出かけるの」


「そうだね……最近、モデルの仕事が忙しかったから」


 美玖は少し気まずそうに視線を逸らす。確かに、最近は彼女と一緒に過ごす時間が少なくなっていた。だけど、今日はその分、思い切り楽しんでもらおう。俺も楽しみたかったし。


「今日はもう、思いっきり楽しもうぜ。仕事のことは忘れてさ」


「うん、そうだね。ヒロっちとなら、今日はいっぱい楽しめそう」


 美玖はようやく明るい笑顔を見せた。やっぱり彼女は笑っている方が似合う。そんな美玖を見て、俺もホッとした。


 また楽しい事で上書きしてやらないとな。

 そう気合を入れ直す。


 一日はまだ、始まったばかりだ。

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