第52話 GW2日目 動物園
待ち合わせ場所は上山駅の公園口。朝の10時に約束していた。
俺は改札を抜け、少し肌寒さが残る春の風を感じながら歩く。今日はゴールデンウィークの二日目。真奈美と一緒に上山動物園に行くことになっている。昨日のクロエとのデートが思わぬ展開になったせいか、少し気が引き締まるような、そんな感覚があった。
「お待たせ、宏樹」
その声に振り返ると、そこには真奈美が立っていた。春らしい淡いライトブルーのカーディガンに、白いフリルのついたブラウス、淡いピンクのひざ丈の柔らかいシフォン素材のスカートが風に揺らめく。そして、シンプルなブレスレットが彼女の手首を飾っている。とても落ち着いた、大人っぽいコーディネートだが、真奈美らしい清潔感があふれていた。
「いや、俺も今来たところだよ」
俺は少し照れくさそうに答える。今日の真奈美は少しだけ違って見える。高校で再会した時から少しずつ大人びてきた彼女だが、今日はさらにその雰囲気が強く感じられた。
「今日を楽しみにしてたの。なんだか久しぶりに宏樹と二人で過ごせるから、昨日からずっとそわそわしてたわ」
真奈美は微笑みながら、少し頬を赤らめて言った。いつもの落ち着いた彼女とは違う、ちょっとした緊張感が見え隠れしている。
「俺も楽しみだったよ。動物園なんて久しぶりだし、真奈美と一緒ならきっと楽しいだろうしさ」
そう言って俺は笑った。実際、動物園に行くなんて前の人生の大学生の時以来だし、しかも真奈美とならどう過ごしても楽しいだろう。そんな確信が心の中にあった。
「じゃあ、行きましょうか」
真奈美はにこやかに言い、俺達は動物園へと向かって歩き始めた。
道中、並んで歩く二人の足音がリズムよく響き、上山の町のざわめきと重なって耳に入る。周囲にはゴールデンウィークの賑やかさが広がり、家族連れや観光客が集まる。
「今日は、思ったより暖かいね」
真奈美がふと口にした。風が彼女の髪をそっと揺らしている。動物園へ向かう道のりには、新緑の季節を迎えた木々がさわやかな風に揺れていた。
「そうだな、でもちょっと風が気持ちいいし、絶好のデート日和だな」
俺がそう返すと、真奈美は少し驚いたようにこちらを見た。
「デ、デートって……宏樹、はっきりそんな風に言うなんて珍しいわね」
彼女は頬を赤らめながら、そっぽを向いて歩調を少し早める。俺もそれに合わせて歩くが、心の中で少し照れくさい気持ちが膨らんでいた。
上山動物園の入り口に立つと、真奈美はしばらくその光景をじっと見つめていた。大きなパンダの看板に、子どもたちのはしゃぐ声が響き渡る。家族連れやカップルが行き交う中で、彼女は少し緊張した表情を浮かべた。
「真奈美、動物園って初めてだっけ?」
俺が尋ねると、彼女は少し照れたように頷く。
「うん、来たことなくて。ほら、父も母も忙しいでしょう? 小さな頃からずっと行く機会がなくて、そのままずっと来られなかったの」
真奈美はそう言うと、少し恥ずかしそうに笑った。
「そっか。それなら今日は特別な日だな。俺と初めての動物園、しっかり楽しもう!」
そう言って俺は、自然な流れで真奈美の手を軽く取った。真奈美は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに俺の手を握り返してきた。そして、俺達は手を繋いだまま、動物園の入り口をくぐった。
「ふふ……なんだか宏樹の方が子供みたい」
真奈美が微笑みながら言う。
「そうか? でも、俺も久しぶりだからな。全力で楽しむぜ!」
俺は軽く笑いながらそう返す。真奈美は微かに頬を赤らめながら、ゆっくりと握った手の力を強めた。
動物園に入ると、まずはパンダを見に行くことにした。真奈美は目を輝かせながら、あちこちを見渡している。
「わぁ、パンダってこんなに大きいんだね!テレビで見るよりずっと迫力がある……」
真奈美は、まるで子どものように目をキラキラさせて言った。その姿がとても可愛く、俺はつい見惚れてしまう。
「パンダ、見れてよかったな。俺もこんなに近くで見たのは初めてだよ」
俺は真奈美の手を握り直し、彼女の嬉しそうな顔を見ながら言う。真奈美は頷きながら、もう一度パンダをじっと見つめた。
「宏樹と一緒に来れて本当に良かった……」
真奈美はそう言いながら、ほんの少し体を俺に寄せた。俺達は手を繋いだまま、動物園の中をゆっくりと歩き始めた。
動物たちがのんびりと過ごす様子や、子どもたちの笑い声が心地よく響く中、二人の間には自然な安心感が広がっていた。
「次はどの動物を見に行こうか?」
俺が尋ねると、真奈美は少し考えてから言った。
「うーん、キリンとか見たいかも。あとは、可愛い動物も見たいな……小さな動物とか」
「じゃあ、次はキリンだな。小さい動物と触れ合えるコーナーも探してみようぜ」
俺がそう言って歩き出すと、真奈美は微笑んでその手をしっかり握り直した。まるで、これがずっと続いてほしいかのように。
動物園をひと通り歩き回った後、俺達はベンチに腰を下ろした。俺は真奈美の手作り弁当を心待ちにしていたが、真奈美が少し緊張しているのが分かる。
「そろそろお昼かな」
俺がそう言うと、真奈美は頷き、リュックからお弁当を取り出した。見た目も彩り豊かで、どれも丁寧に作られていることが一目で分かる。
「今日はちゃんと自分で全部作ったんだ。前は料理番に教えてもらいながらだったけど、今回は全部一人でやってみたの」
真奈美は少し照れくさそうに言いながら、お弁当を広げる。
「すごいな! めちゃくちゃ美味しそうだ!」
俺は心から感心しながら、ひとつひとつの料理を見ていく。卵焼き、照り焼きチキン、彩り豊かな野菜が入ったおかずなど、真奈美の優しさが感じられる内容だ。
「ありがとう。でも、まだ上手くできてるかどうか分からないから、食べてみてから判断してね」
真奈美は少し不安そうにしながらも、箸を渡してくれた。俺はまず卵焼きを一口食べる。
「うまい! これ、本当に真奈美が一人で作ったの?」
真奈美は頬を赤くしながらも嬉しそうに頷く。
「うん、本当だよ。前に宏樹が真紀ちゃんのお弁当で卵焼きが美味しいって言ってたから、負けてられないって思って練習したんだ」
その言葉に、俺はじんわりと胸が温かくなった。真奈美が俺のために一生懸命準備してくれたことが、素直に嬉しかった。
「本当にありがとう、真奈美。すごく嬉しいよ」
俺の言葉に、真奈美は少し目を伏せながら微笑んだ。二人でゆっくりとお弁当を食べ進める中、彼女はふと顔を上げた。
「ねえ、宏樹。こうやって外で二人でお弁当を食べるのって、なんだか特別な感じがするね」
真奈美の言葉に、俺は頷きながら答えた。
「そうだな。高校で食べる弁当とはなんか違うんだよな。真奈美の手作り弁当っていうのもあるのかもだけど」
真奈美は、そんな俺の言葉にさらに頬を赤らめながら、少し緊張して続けた。
「私ね、ずっとこういう時間を大切にしたいなって思ってた。宏樹と一緒にいると、すごく安心するし……」
真奈美の言葉に、俺は少し驚きながらも微笑む。普段はクールで落ち着いている彼女が、こうして素直に気持ちを伝えてくるのは珍しいことだった。
「俺も真奈美といると安心するよ。だから、これからもこうやって一緒にいられたらいいなって思う」
その言葉に、真奈美は嬉しそうに目を輝かせた。二人の間に流れる穏やかな空気が、なんとも心地よい。
「よし、俺もお返ししなくちゃな。今度は俺が真奈美に何か作ってあげるよ。何がいい?」
「え? 本当? それなら……オムライスとか、作ってもらいたいな。作れる?」
真奈美は少し照れくさそうにリクエストする。その様子が可愛くて、思わず笑みがこぼれる。
「任せろ。絶対に美味しいオムライス作ってやるから、楽しみにしててくれよ」
そんな軽い冗談のやり取りをしながら、二人はお弁当を食べ終え、動物園を後にすることにした。
動物園を出た二人は、まだ時間もある事だし、と近くの忍の池へと向かう。桜の季節は過ぎたものの、木々の新緑が眩しい。池の周りを散策しながら、ゆったりとした時間を過ごしていた。
「ここ、すごく静かで落ち着くね。」
真奈美が周りを見渡しながら、そう呟く。俺も頷きながら、池の水面に反射する光を見つめていた。
「うん、動物園の賑やかさとはまた違って、癒される感じがするな。」
二人が歩いていると、少し離れたところでお婆さんが困った様子で座り込んでいるのが目に入った。俺はすぐに気づき、真奈美に声をかける。
「ちょっと待ってて、お婆さんが困ってるみたいだから、ちょっと手伝ってくる。」
そう言って、お婆さんの元へ駆け寄る。
「どうかされましたか?」
俺が優しく声をかけると、お婆さんは少しほっとした表情を見せた。
「実は、荷物が重たくて立てなくなってしまって……」
「俺が運びますよ」
「あら、それはありがたいのだけれど……デートの邪魔をしたら悪いわ」
俺たちの事を気遣ってくれるお婆さんに俺は言う。
「大丈夫ですよ、彼女はそんな事で腹を立てたりしませんから」
そう言って俺は荷物を持つ。確かに重い。お婆さんが持って歩くのは大変だろう。
「どこまで運びますか?」
「それじゃ、バス停までお願いしてもいいかしら?」
「わかりました。行こう、真奈美」
「ええ」
こうして俺がバス停まで荷物を運ぶと、お婆さんは目を細めて感謝の言葉を口にした。
「ありがとう、助かったわ。こんな感心な若者がまだいたんだねぇ。お嬢さん、こんないい男、手放すんじゃないよ」
その言葉に、真奈美は少し照れたように微笑んだ。
「はい、分かってます」
「それじゃ、俺たちは失礼しますね」
二人でその場を立ち去り公園に戻る。道中、真奈美は少し笑みを浮かべて言った。
「宏樹って、本当に優しいんだね。困っている人を放っておけないなんて、やっぱり素敵」
「そんな大げさなことじゃないって。誰でもやることだよ」
俺は照れくさそうに頭を掻きながら言ったが、真奈美はその言葉に満足したように微笑んでいた。
「ううん、誰でも、じゃないよ」
忍の池の周りを散策していると、ボート乗り場にたどり着いた。
「まだまだ時間もあるし、乗ってみる?」
俺が尋ねると、彼女は即答した。
「ええ、乗ってみたいわ」
忍の池に浮かぶボートは、静かな水面にゆったりと揺れている。周囲の木々が風にそよぎ、鳥のさえずりが耳に心地よい。
俺と真奈美は向かい合って座り、ボートを漕ぎながら、ふとした会話を交わしていた。
「今日は、いろいろな動物が見れて楽しかったな。真奈美が初めて来たっていうのが意外だったけど」
俺が穏やかに笑いながら言うと、真奈美は少し照れくさそうに頷いた。
「うん……今まであんまり動物園って行く機会がなくて。なんだか新鮮だったわ」
真奈美は池の水面を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。風が彼女の髪を優しく揺らし、ボートは静かに進んでいく。
「動物園って、小さい頃に行くイメージが強いけど、大人になってからも楽しめるんだよな。俺も久しぶりだったし、真奈美と一緒に行けてよかったよ」
俺はオールを漕ぎながら、ふと真奈美に目をやる。彼女は楽しそうに笑顔を浮かべ、景色を見ていたが、俺の視線に気づいたらしく、少し照れたように目をそらした。
「……そうね、一緒に行けてよかった」
彼女の表情には、ほんのりと赤みがさしている。しばらく沈黙が続いたが、真奈美は再び顔を上げ、柔らかく微笑んだ。
「宏樹があのお婆さんを助けてる姿、なんかすごく素敵だった。普段から困っている人を助けるんだろうなって、改めて思った」
真奈美は、あの時の出来事を思い返すように言った。
「そんな大したことじゃないよ。お婆さん、荷物が重そうだったし、近くにいた俺がやるのが普通だろう?」
俺は少し照れくさそうに肩をすくめるが、その様子がますます真奈美の心を動かした。
「でも……それでも、誰にでもできることじゃないと思うわ。気づいても、見て見ぬふりをする人もいる。宏樹は、そういうところが本当に優しいのよね」
真奈美はまっすぐに俺を見つめ、静かに言葉を続けた。その言葉に、俺は思わず顔を赤らめ、目を逸らす。
「そ、そうかな。でも、真奈美だって困ってる人がいたら、助けてあげるだろ?」
真奈美は少し考え込んだ後、微笑んで首を横に振った。
「どうかしら……私、ああいう場面だと、少し迷ってしまうかもしれない。勇気を出すのって、簡単じゃないから……」
彼女の瞳は、どこか自分を見つめ直しているようで、少し切なさが感じられた。
「真奈美は、そういうところもあるのかもしれないけど……でも、迷いながらでも、きっと誰かのために動けると思うよ。いつも冷静だし、誰かを守りたいって気持ちが強いからさ」
俺の言葉は、真奈美の心に優しく響いたみたいだ。俺が信じているって気持ちが、彼女にとって大きな支えになっているんだろう。
「……ありがとう。宏樹にそう言ってもらえると、なんだか自信が持てるわ」
真奈美は少しうつむきながらも、俺に向けて微笑んだ。その笑顔が、俺の心に温かい何かを感じさせた。
そこからしばらく俺たちは無言だった。
鳥のさえずり、風で木の葉の擦れる音、遠くかすかに聞こえる人々の声。
そんな中、真奈美が俺に問いかける。
「ねぇ宏樹、今日は楽しんでくれているのかしら?」
「ああ。真奈美と一緒に過ごして、すごく楽しかったよ。それに、すごくリラックスできた。真奈美は?」
俺が素直な気持ちを言うと、真奈美はさらに顔を赤らめ、軽く目を伏せる。
「……私も、宏樹と一緒にいると、なんだか安心するの。今日は本当にいい時間だったわ」
二人の間には再び静けさが訪れ、穏やかな時間が流れる。ボートがゆっくりと池の中央へと進んでいく中、二人の心は少しずつ近づいていた。
ボートはゆっくりと進み、二人の会話はさらに続く。心地よい風が流れる中、俺と真奈美はゆったりとした時間を楽しんでいた。だが、そんな静かな時間の中、真奈美はふと思い出したように話を切り出す。
「そういえば、昨日はどうだったの? その……クロエちゃんとのデートは」
真奈美は少し気まずそうに、しかし興味が抑えきれない様子で尋ねた。
「クロエとのデート? うん、まぁ……デートって感じじゃなかったかな」
俺は少し困ったように笑いながら答える。昨日の出来事は、クロエの祖母が骨折してしまったという予想外の展開だった。
「え?」
「クロエのおばあさんが骨折しちゃってさ、急きょ病院に連れて行って、入院の準備を手伝ったり、そのあと買い出しして夕食を作るって流れになったんだ」
「そうだったの……。クロエちゃん、大変だったんだね」
真奈美は少し驚いた表情を浮かべながらも、安心したように頷く。
「でも、それでも……宏樹が一緒にいてくれて、きっとクロエちゃんも心強かったと思うわ」
真奈美の言葉には、少し嫉妬が混じっていたけど、それと同時に俺への感謝も感じられた。彼女も自分が選ばれたいと思ってるんだろうけど、誰か他の奴が俺に助けを求めたとき、俺がその人を無下にしないことをちゃんと理解してるんだ。
「そうだな……クロエも、かなり心配してたけど、最後は少し落ち着いてたと思う」
俺はあの時のクロエの様子を思い返しながら、ゆっくりと話し始めた。真奈美は、そんな俺の優しさを感じ取っていたみたいだけど、少しだけ話題を変えようと考えているようだった。
「……でも、クロエちゃんも含めて、私たちみんなが一日ずつ宏樹と過ごすことになってるわけだし……一学期中には、宏樹が誰かを選ぶんだよね」
その言葉は、真奈美にとって重く、でも避けて通れない現実だった。彼女も俺に選ばれたいと思っているのだろう。だが、それが実現するかどうかはまだわからない。
「そうだな……」
俺は少し戸惑いながらも、その言葉の重みを感じていた。俺の気持ちはまだ完全に固まっていないし、どの子とも過ごす時間が楽しいと思っている。だが、その楽しい時間の先には、必ず誰かを選ばなくてはならないという現実が待っている。
「……ごめん。この話はやめておきましょう」
真奈美は苦笑いしながら、少しだけ視線を落とした。この話題を続けるのは、今の穏やかな時間を壊してしまいそうだったからだ。
「うん、そうだな。楽しい時間を過ごすのが一番だよ」
俺は優しく微笑みかけ、真奈美に同意する。二人はしばらく沈黙の中、ボートの揺れに身を委ねる。
「……ありがとう、宏樹。こうして一緒にいられることが、私にとっては十分に嬉しいから」
真奈美は少し照れた様子で微笑む。その笑顔を見て、俺も自然と笑顔が浮かんだ。
「俺も、真奈美と一緒にいるのは落ち着くよ。動物園も楽しかったし、こうしてゆっくり話せるのもいいよな」
「ふふ……そうね。私も今日は楽しかったわ」
真奈美はそう言って、また池の水面を見つめた。少し前までは動物園の話題で盛り上がっていたが、今は二人とも言葉を交わさずとも、お互いの存在を感じていた。
日も傾き、真奈美を送って行く道中、突然彼女が言った。
「ねぇ、宏樹……私、回数残っていたでしょう?」
キスの事だ、と俺は理解する事ができた。
「でも我慢するって決めたの。宏樹が誰かを選ぶまで、ちゃんと待つわ」
突然の告白に、俺は驚いた。
「真奈美、それは……」
「私も他のみんなも、宏樹に選んでほしいのよ。でも、私は……自分から迫るようなことはしない。宏樹がちゃんと気持ちを決めるまで、待つって決めたの」
真奈美は真剣な表情で、俺の目をまっすぐに見つめていた。その瞳には、強い意志と、少しだけの不安が浮かんでいるのが見て取れた。
「そうか……わかったよ、真奈美」
俺は、真奈美の手をそっと握りしめた。彼女がどれだけ真剣に自分を思ってくれているかが伝わり、胸が少しだけ苦しくなった。
「だから、今はこうして一緒にいるだけでいいの」
真奈美は微笑みながら、そっと俺の手を握り返した。その瞬間、二人の間に穏やかな温かさが流れ、静かな時間が再び戻ってきた。
真奈美の家が近づくにつれ、二人の足取りが徐々にゆっくりとなっていった。夕暮れの光が少しずつ色を失い、街には夜の気配が漂い始める。
「今日は……本当に、楽しかったわね」
真奈美が静かに言葉を紡ぐ。その瞳には、ほんの少し寂しさが滲んでいた。
「俺も楽しかったよ。動物園も楽しかったし、真奈美と一緒に色々見られたのが嬉しかったな」
俺は優しく微笑みながら答えるが、真奈美の視線はどこか遠く、どこか物思いにふけっているようだった。風が二人の間をそっと通り抜ける。
「ねぇ、宏樹……」
真奈美は足を止め、夕焼けが薄れる空を見上げた。
「……?」
「私、ずっと考えてたんだ。みんなと比べて、私はどうなのかなって。クロエちゃんや美玖ちゃんみたいに積極的でもないし、真紀ちゃんみたいに幼馴染ってわけでもない……だけど……」
言葉を選びながら、真奈美はふっとため息をつく。
「でも、私には私のやり方があるって、今日感じたの」
俺は少し驚きながらも、真奈美の目をしっかりと見つめる。
「真奈美のやり方……?」
「うん、焦らないで、ゆっくりと進むこと。宏樹のことをちゃんと見て、一緒に考えて、一歩一歩大切に歩んでいくこと。そんなふうに思えたの」
彼女の声は穏やかで、しかしその奥には揺るぎない決意が感じられた。
「焦らなくていい。私たちには時間がある……一学期の終わりまでに、宏樹が決めるって約束してくれたから、それまで待つわ」
真奈美の言葉は、とても優しいものだった。俺はその言葉に、少しだけホッとした気持ちを覚える。
「真奈美……ありがとう。俺も、真剣に考えたい。焦って答えを出したくないんだ。だから、真奈美がそう言ってくれて嬉しいよ」
真奈美は軽く頷き、再び歩き始めた。俺達は並んで歩きながら、さりげなく手が触れそうになったが、どちらもそのままにしていた。
「ねえ、宏樹」
「ん?」
「一学期が終わって、誰か一人を選ぶときが来たら……私のことも、ちゃんと考えてくれる?」
その言葉は少し震えていた。普段は押し殺しているが、やはり彼女も不安なのだろう。
「もちろん。俺は、真奈美のこともしっかり考えるよ。」
俺のその言葉に、真奈美は少し照れくさそうに微笑みながら、そっと肩を寄せるように歩き始めた。
「ありがとう、宏樹……私も、最後まで焦らずに待ってるから」
そして、二人はまた静かに並んで歩き出す。夕暮れの公園は静かで、木々のざわめきだけが心地よく二人を包んでいた。
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