第51話 GW1日目 クロエと祖母
いよいよゴールデンウィークが始まった。
初日はクロエとのデートだ。
俺はいつもの日課をこなし、シャワーを浴びる。
部活に入っていない分、少しキツめのトレーニングにしている。
待ち合わせまでは時間があるため、庭でバスケのシュート練習をする。
しばらく続けていると、斜め向かいの家の窓が開いた。
「ヒロ、おはよう!」
真紀だ。
「おはよう」
「そっち、行っていい?」
「ああ、いいぞ」
ちょっとすると真紀が降りてきて、近くに置いてあった椅子に腰を下ろした。
「ねえ、ヒロ」
パサっとシュートが決まる音がする。
「なんだ?」
「高校じゃバスケやらないの?」
「…………」
パサっと再び音がして、ボールがバウンドする。
「迷ってる」
「……私たちのせいだよね」
「お前らは誰も悪くない。決められないのは俺が優柔不断だからだ」
ゆっくりとボールが俺の手と地面の間を往復する。
その度にダムダムと音が響く。
「ヒロは優しいから……」
「違う。臆病なだけだ。1人だけ選ぶということは、他の4人は選ばない、つまり傷つけるってことだ。俺はそれが怖い」
「やっぱり優しいんだよ、ヒロは。でも見くびらないで」
キッと真剣な眼差しで見つめる真紀に、思わずボールの動きが止まる。
「私だけじゃない。みんな振られる覚悟はできてるから」
「真紀……」
「そりゃ選んで貰えたら嬉しいけどさ、ヒロは1人、私たちは5人いるから。告白した時から、覚悟は決まってるよ」
「ああ…………」
一度天を仰ぎ、ボールをリリースする。
大きな弧を描き、ゴールに吸い込まれた。
「それじゃ、私は行くね。今日は楽しんできて! もちろん、私と行くときはもっと楽しんでもらうつもりだけど」
笑顔のまま、真紀は自宅へと帰って行った。
その笑顔にどんな決意が込められているのだろうか。
そのことを考えると、俺の胸はズキリと痛むのだった。
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時間が来ると、俺は待ち合わせの場所に向かった。
歩きながら考える。出会った当初はものすごいアプローチだったが、クロエと過ごす時間も増え、自然と適正な距離間になってきた気がする。彼女が俺を思っているのはわかるが、少なくとも「結婚」という言葉は聞かなくなった。まずは5人の中から選んでもらう、その現実が見えてきたのだろう。
「さて、とりあえず難しいことは考えないで、楽しむか」
そうつぶやきながら、俺は待ち合わせ場所に向かって歩いていた。天気も良く、デート日和だ。けれども、そんな気分を打ち砕くように、携帯電話が鳴った。
「……クロエから?」
クロエは携帯電話を持っていないが、自宅の番号は教えられていた。画面に表示された名前を確認して、俺はすぐに通話ボタンを押す。
「ヒロキ、大変です!おばあちゃんが……転んで、足が……折れたかも知れないです……!」
クロエの声はパニック状態だ。何か深刻なことが起きたのはすぐにわかった。
「わかった、今すぐ行くから、落ち着いて」
「はい。でも、おばあさんが……痛そうで……どうしたらいいか……わからないの……」
彼女の焦りに、俺は拳をぎゅっと握りしめる。予定していたデートはもちろんキャンセルだが、それどころじゃない。
「すぐ向かう。待ってて!」
俺は急ぎタクシーに乗り込むと、クロエのマンションに向かった。
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クロエのマンションに着くと、クロエはマンションの入り口で俺を待っていた。
俺の姿を見つけると、クロエは泣きそうな顔で飛び出してきた。
「ヒロキ……!おばあちゃんが……!」
クロエの焦った表情はいつもの彼女らしくない。普段は冷静でしっかりしている彼女が、ここまで取り乱すのはおばあさんが相当な状態だからだろう。
「すぐに部屋に行こう」
二人でエレベーターに乗り込む。
部屋の中に入ると、リビングのソファに横たわっているおばあさんが見えた。痛みで顔をしかめているが、意識はしっかりしているようだ。
「救急車は呼んだ?」
「いえ、まだ……どうすればいいかわからなくて……」
「大丈夫、俺が呼ぶから。住所だけ教えてくれるかな」
俺は携帯電話を取り出して救急車を手配し、手際よく必要な情報を伝えた。
「すぐに救急車が来るから。おばあさんも大丈夫だよ。クロエも安心して」
俺の言葉に、クロエは少しだけ表情を和らげたが、まだ不安は残っている様子だった。
「おばあさん、はじめまして。俺はクロエさんの同級生で西森と言います」
「あなたがヒロキ君ね。悪いわね、こんな姿で。それに、デートも台無しにしてしまって」
「僕たちの事は良いですから。今救急車を呼んだので、保険証とか必要なものを用意しないといけません。どこにあるか教えてもらっていいですか?」
こうしてクロエと一緒に必要なものを揃え、救急車の到着を待った。
救急車が到着すると、俺たちは一緒に病院へ付き添った。診断結果はやはり骨折。医師によると、おばあさんは少なくとも約2週間の入院が必要だということだった。
「おばあちゃんがいないと……私、どうすればいいの……」
病院の待合室で、クロエは呟いた。日本での生活にまだ慣れていないクロエにとって、おばあさんの存在は精神的な支えでもあったはずだ。
「心配しないで、クロエ。おばあさんがいない間、俺が力になるから。何か困ったことがあったら、何でも言ってくれ」
俺はクロエの肩に手を置き、できるだけ力強く言った。彼女は驚いたように俺を見上げ、しばらく沈黙した後、静かに頷いた。
「ありがとう、ヒロキ……」
病院を後にした俺たちは、クロエの家に戻る途中で食材の買い出しに行くことにした。今日はおばあさんが買い物に行く予定で、このままだと、家にある食べ物が足りないというクロエの言葉に、俺が夕食を作ることを提案したのだ。
「今日の夕飯は、俺が作るよ。何が食べたい?」
「ヒロキが作ってくれるなら、なんでも……でも、日本の料理がいいな」
「
「Je compte sur toi, mon prince !」(頼りにしてます、王子様!)
クロエは少しずつ笑顔を取り戻しながら、俺と一緒にスーパーで買い物を楽しむようになってきた。俺たちは野菜や肉、調味料を選びながら、互いに好きな食べ物について話した。クロエはフランスの料理についても少し教えてくれた。
「フランスでは、バターをたくさん使う料理が多いの。ヒロキもバターを使った料理、好き?」
「バター料理か……そうだな、バター醤油でホタテを焼いたのとか好きだな。知ってるか? バターと醤油ってめちゃくちゃ相性がいいんだぜ」
「バターと醤油……フランスと日本ですね。まるで私たちみたい」
顔を赤らめて言うクロエに、俺の心臓がドキリと跳ねる。
「ああ、そ、そうかもな」
「えへへ、良いですね、こういうの」
「ん? 何がだ?」
「特別なデートもしたかったですが、こういった日常を二人で過ごせるの、憧れだったんです」
花が咲いたような満面の笑顔のクロエに、俺の心臓は高鳴りっぱなしだった。
買い物を終えクロエのマンションに戻ると、俺はキッチンで夕食を作り始めた。クロエは隣で手伝ってくれるが、どこか心配そうな顔をしている。おばあさんが入院している間、一人で家事をこなす自信がないのだろう。
「ヒロキ、本当に私……これから一人でやってけますかね?」
クロエがポツリとつぶやく。いつもは強気な彼女の弱い一面を見て、俺は胸がきゅっと締め付けられた。
「大丈夫だよ。俺が手伝うし、なんなら毎日でも来るから。何かあったら、すぐに連絡して」
俺はそう言って、クロエに笑顔を向けた。彼女はその言葉に少し安心したのか、微笑みを返してくれる。
「ありがとう、ヒロキ。でもそれはヒロキの負担になり過ぎてしまうからダメです」
「そうか?」
「だってこんなにも家が遠いんですよ? なんとか頑張ってみますから、分からない事は教えてください」
「ああ、気軽に電話してこい」
そんなこんなで夕食が出来上がった。
夕食は肉じゃが、豆腐サラダ、それと玉ねぎの味噌汁だ。
肉じゃがは以前亜里沙に作った時とは違い、今度は上手く作れる自信があったし、食材的にフランス料理でも使われるものを多めにチョイスして、クロエでも食べやすい日本食を目指した。
「「いただきます」」
「肉じゃがですね!」
「ああ、たぶんちゃんとできてると思うんだけど」
「本当にすごいです! おばあちゃんの肉じゃがも好きだけど、ヒロキの作った肉じゃがはもっと好きです!」
「へえ……何か違いを感じた?」
「えと、うまく言えないのですが、日本食なのになんだかちょっとだけ懐かしい感じがします」
「うん、正解かもな。隠し味に、ほんのちょっとだけバターを使ったんだ。言っただろ? バターと醤油は相性がいいって」
「はいっ! とっても相性がいいですね!」
ニコニコと笑顔で食べ進めるクロエを見ていると、こちらも自然と笑顔になる。
「このお味噌汁も美味しいです!」
「ああ、玉ねぎにじっくり火を通して甘みを引き出してるからな。 フランスじゃ野菜の甘みを生かすだろ?」
「そうですね。日本食では砂糖をよく使いますけど、フランスでは料理にはあまり使わないですね」
「口に合ったみたいで良かった」
「はい! とても美味しいです! 毎日作って欲しい位です!」
「ばか。クロエ、それ、日本じゃプロポーズのセリフだよ」
「OKしてくれてもいいんですよ」
ニヤリとした笑みを浮かべるクロエ。さては知ってやがったな……
夕食を終えた後は二人で片づけをする。
俺は、片づけをしながら、時折見せるクロエの横顔が気になっていた。
何となくだが、おばあさんが入院している間、クロエが一人で過ごすことを不安に思っているのが伝わってくる。
片づけを終えるころには、いい時間になっていたので、俺は帰る事にした。
「今日は本当にありがとう、ヒロキ」
マンションの入り口で、クロエは俺に深くお礼を言った。彼女の瞳にはまだ不安が残っているが、少しは落ち着いた様子だ。
「明日も何かあったら呼んでくれよ。俺がすぐに来るから」
「うん、ありがとう……でも大丈夫。明日は真奈美さんの番でしょう? 楽しんできて」
そういったクロエの表情は寂しそうだった。それがひどく胸に刺さる。
「ああ、でも、電話で相談位は受けれるからな。遠慮しないでくれ」
「わかったわ。それじゃ、おやすみなさい、ヒロキ」
クロエは少しだけ安心した表情を見せ、マンションの中に消えていった。俺はそんな彼女の後ろ姿を見送りながら、彼女が本当に一人で大丈夫なのか心配になり始めた。
クロエを見送った後、俺は家に向かいながら考え込んでいた。おばあさんがいない間、クロエは本当に一人でやっていけるのだろうか?
普段は強気な彼女だが、今日はその強がりの裏に隠れた弱さを見た気がする。
そもそもクロエは救急車の呼び方すら知らないほど、日本の常識が無い。
「支えてやらなきゃな……」
そのつぶやきは、賑やかな繁華街の喧騒に溶けて消えた。
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