第49話 カラオケ

 4月も終わりが近づいた昼休み、いつもの空き教室で宏樹は真奈美、美玖、真紀、クロエの4人と昼食を取っていた。毎日この4人に囲まれるのが日常になっているが、今日は少し空気が違った。


 理由は明白だ。もうすぐゴールデンウィーク。宏樹を巡るデート争奪戦が密かに繰り広げられようとしていた。


 最初に動いたのは、やはり美玖だった。彼女は弁当の一口を頬張り、何気ない風を装って話を切り出す。


「ねえ、ヒロっち。ゴールデンウィーク、一緒に出かけない? ショッピングとかどう?」


「ん? ショッピング?」


 宏樹が驚くと、美玖は笑顔を見せて続けた。


「そうそう。夏服とか買いたいし。あと、ヒロっちに似合う服も私が選んであげる! 絶対似合うの見つける自信あるし、一緒に服選びするの、楽しそうじゃん?」


 彼女の明るい声に、宏樹は少し照れながら「夏服ねぇ…」とぼそっと呟いた。


 そこへすかさず真奈美が割り込むように言った。


「私、宏樹と動物園に行きたいな」


「動物園?」


 宏樹が驚いて聞き返すと、真奈美は恥ずかしそうに視線を逸らしつつ、少し微笑んで答える。


「私、動物園に行ったことが無いのよ。色々な動物に興味はあるのだけれど。それで一度行ってみたくて。どうかしら?」


 その意外な提案に、宏樹は少し驚きつつも


 「そうなんだ。動物園もいいかもな」


 と考え込む。すると、美玖が焦ったように再び声を上げた。


「ちょ、ちょっと待って! 動物園は落ち着きすぎじゃない? せっかくのゴールデンウィークだよ? もっとおしゃれな場所に行こうよ!」


 真奈美は負けじと


「でも、動物と一緒にのんびり過ごすのも良いでしょ?」


 と反論する。


 その横で、真紀が静かに、しかし少し勇気を振り絞った様子で話し出した。


「わ…私は特に行きたい場所とか決めてないんだけど、ただ……ヒロとデート、したいなって……」


 その控えめな誘いに、宏樹は「デートか…」と考え込みつつも、真紀の真っ直ぐな視線に心が揺れた。


「うん、じゃあどこか適当に街歩きにでも行こうか?」


 と応じると、真紀はほっとしたように微笑んだ。


 最後に、クロエが少しおっとりとした口調で話し出す。


「ヒロキ、私と…その、一緒にお茶とか、どうでしょうか? どこか静かなカフェで、ゆっくりとお話がしたいです」


 クロエの言葉は落ち着いているが、彼女なりに必死でデートをアピールしていることが感じられた。


「お話、たくさんしたいんです。フランスでのことも話したいし、ヒロキのことも……もっと知りたいんです」


 クロエの大きな青い瞳が真っ直ぐ宏樹を見つめる。その視線に宏樹は少し困惑しながらも


「うん、いいよ。ゆっくり話そうか」


 と頷いた。



 こうして、宏樹を巡る4人のヒロインたちのアプローチ合戦が激化していく。


「でもさ、ゴールデンウィークって長いよね?」


 宏樹が何気なく言うと、美玖が


「それってどういう意味?」


 と鋭く問い返す。


「いや、だから、一日ずつ……順番に会うのもありかなって」


 その言葉に、一瞬の沈黙が教室に広がった。


 美玖が最初に口を開き、「それも悪くないかもね」と笑顔を見せると、真奈美も「いいんじゃないかしら」と微笑み、真紀とクロエもそれに続いて頷いた。


「順番、どうやって決める?」


 美玖が悪戯っぽく言うと、全員の視線が宏樹に集まる。


「……じゃんけん?」


 全員が無言で拳を握りしめた。


「負けないからね!」


 と、4人は真剣な表情で拳を構える。宏樹はその光景に思わず苦笑いしながら、4人のヒロインたちとのゴールデンウィークがどうなるかを想像して、心の中でため息をついた。



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 水曜日の午後は通常より早めに授業が終わり、学校全体が少し浮足立っている。放課後の自由時間に、みんな何をするか期待に胸を膨らませている中、宏樹も自分の荷物をまとめ始める。


「ヒロっち、今日は久々にバイト無いんだ! どっか行かない?」


 真っ先に美玖が近づいてきた。彼女はいつもの元気いっぱいの笑顔だ。


「そうだな……」


 宏樹が返事をする前に、真奈美がスッと割り込んできた。


「宏樹、今日は一緒に図書室に行かない? ゆっくり二人で読書でも……」


 真奈美は、いつもの落ち着いたトーンで、冷静に誘いをかける。その微笑みは上品で知的、彼女らしいアプローチだった。


「えーと……」


 答えようとしたところに、今度は真紀が登場する。


「ヒロ、一緒に帰ろう? 時間があるからどこかに寄って行かない?」


 真紀は少し恥ずかしそうに、それでも優しい笑顔で宏樹を見つめながら誘う。幼馴染らしい無邪気さが感じられるが、その奥には微妙な焦りも見え隠れしていた。


「真紀もか…」


 宏樹が頭をかきながら苦笑いを浮かべたその時、最後にクロエも現れた。


「ヒロキ、私と一緒にカフェに行きませんか? 先日美味しいスイーツのお店を見つけたんです。きっと気に入ると思いますよ」


 クロエは流暢な日本語で丁寧に話しかけるが、少し緊張感が滲んでいる。それがまた可愛らしく見える。


「ふふっ、何だか今日はみんなで宏樹を取り合いみたいね。どうするの、宏樹?」


 真奈美が微笑みながらも、内心は焦りを感じていた。


「仕方ない、みんなでどこかに行くしかないな」


 と宏樹が提案する。


「だったら…カラオケはどう?」


 美玖が突然閃いたかのように提案する。


「みんなで一緒に歌えば楽しいじゃん!」


「そうね、それなら私も異論はないわ」


 と真奈美が答える。


「私も…」


 と、真紀が恥ずかしそうに続け、クロエも


「楽しそうです。ぜひ行きましょう!」


 と同意した。




 連れ立ってカラオケに行くために学校の門をくぐると、偶然にも薫が目の前に現れた。彼女は現役のアイドル、つまりプロの歌手だ。


「西森先輩、皆さんこんにちは!」


 薫が笑顔で駆け寄ってくると、他の4人は一瞬緊張感を漂わせる。


「ど、どうしたのかしら?」


 真奈美が恐る恐るといった感じで聞く。


「はい。今日はお仕事も無く、高校も早く終わると聞いていたので、先輩を誘いに行こうとしていました!」


「私たちは今からカラオケに行くんだよ」


 と美玖が告げる。


「おお!? そうなんですか! 私も行きたいです!!」


「え? 薫ちゃんも来るの?……って、プロにカラオケで勝てるわけないでしょ!」


 美玖が冗談めかして笑うが、その目には本気の焦りが見える。


「でも楽しそうね。プロの歌声を間近で聞けるなんて、いい機会かも」


 真奈美は余裕を装いながらも、内心では競争心が燃え上がっていた。


「現役のアイドルとカラオケに……!」


 真紀は小声で、けれども決意を込めてつぶやく。


「薫さんはプロの歌手ですが、カラオケに行くのは問題ないのですか?」


 クロエが控えめにそう尋ねると、薫は「もちろん大丈夫です!」と笑顔で答える。



 彼女たち全員が、カラオケという場で宏樹にアピールしようと、無言のバチバチした競争が始まろうとしていたのだった。



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 カラオケボックスに入ると、みんながワクワクした表情でソファに座った。広めの部屋には、プロ用の音響設備が並んでおり、思わず期待感が高まる。


「やっぱり、カラオケっていいよね~。学校や家じゃ歌えないし、ここなら思いっきり楽しめる!」


 美玖がニヤリと笑いながらリモコンを手に取り、真っ先に曲をセットする。


「えっと……最初に歌わせてもらうね! ヒロっち、練習してきたんだから、ちゃんと見ててよ!」


 彼女は自信満々にマイクを手に取り、軽快なポップソングを選んだ。曲名は有名な歌で、俺も聞いたことがある曲だ。元気でキャッチーなメロディーがカラオケルームに響き渡る。


 美玖は歌いながら、「キミ」という言葉が出てくるたびに俺の方を指を指してウインクを送る。さすがに恥ずかしさがこみ上げてくるが、彼女の真剣な表情に思わず見入ってしまう。


「すごいね、ほんとにライブステージに立ってるみたいだ」


 俺が思わず感心すると、真奈美が小さな声で


「確かに、元気があって彼女らしいわね」


 と呟く。

 ふと横を見ると、薫が真剣な眼差しで美玖を見ていた。


「これは使えますね……先輩をライブに呼んで……」


 などと不穏な事をぼそぼそと言っている。




「どうだった!? ヒロっち!」


 曲が終わると、美玖が息を切らしながらも笑顔を向けてくる。


「すごいよ、美玖。なんだかライブみたいだったな。それに、トレーニングの成果も出てるみたいだね」


 宏樹が正直に感想を伝えると、美玖は満足げに頷く。


「でしょでしょ!! ふふん、あれからずっと練習してるんだから。これくらいで驚いてちゃダメだよ、ヒロっち。まだまだ続くからね!」


「さてと、次は私の番ね」


 真奈美がスッと立ち上がり、しっとりとしたバラード曲をセットする。その落ち着いた選曲は、彼女らしい選択だ。彼女はゆっくりとマイクを握り、静かに前奏が始まる。


「この曲、宏樹も知ってるかしら?」


「この曲は知ってるよ。なんか懐かしいな」


「懐かしいって、先月までやってたドラマの主題歌よ?」


「あ、あれ、勘違いしたかなー……」


 やってしまった。発言には気を付けねば。


「もう、宏樹ったら」


 真奈美があきれたようにクスリと笑った。


 曲が始まった。

 真奈美の歌声はしっとりと落ち着いていて、彼女の知的で上品な一面が際立つ。歌いながら、彼女は一瞬だけ宏樹をチラリと見つめた。彼女の優雅な表情に、宏樹の心は少しドキリとする。


 真奈美は静かに微笑みながら歌い続ける。その姿にはどこか儚さがあり、宏樹の胸が、ほんの少しチクチクと痛んだ。


 歌い終わると、真奈美はそっとマイクを下ろし、少し照れた表情で「どうだったかしら?」と尋ねる。


「すごく良かったよ、真奈美。本当に聴き入っちゃった」


 俺の言葉に、真奈美は頬をほんのり染めて「ありがとう」と小さな声で答える。


「次は私……カラオケとか久しぶりで緊張するなあ……」


 今度は真紀がマイクを握りしめ、青春ソングを選ぶ。曲が始まると、彼女は少し緊張した様子で歌い出すが、彼女の優しい声と歌詞がリンクし、部屋全体がほんわかした雰囲気に包まれる。


「どう? ヒロ、下手じゃなかった?」


 歌い終わると、真紀は恥ずかしそうに微笑みながら宏樹に視線を向ける。その表情には、幼馴染だからこそ伝わる柔らかい温かさがあった。


「上手かったよ、真紀。それに、今の俺たちにピッタリの青春ソングだね」


 宏樹の言葉に、真紀は少し照れながら「ありがとう…」とつぶやく。心の中では、もっと積極的にアピールしたいと思いながらも、彼女の控えめな性格がそれをためらわせていた。


「次は……私の番ですね」


「そういやクロエって日本の曲知ってるの?」


「ふふふ、聞いて驚け、です!」


 クロエが少し緊張した表情でマイクを持ち上げる。彼女が選んだのはアニメソング、「残忍な悪魔のテーゼ」だ。


「フランスでも日本のアニメソングはとても人気なんです。特にこの曲は、とても有名で……」


 クロエが恥ずかしそうに言いながらも、曲が始まると彼女は全力でパフォーマンスを始めた。


「すごい…!」


 宏樹は彼女の流暢な日本語と力強い歌声に驚きながらも、思わず拍手を送る。




「ヒロキ、どうでしたか?」


 クロエが歌い終わると、少し不安そうに宏樹の感想を待っている。


「本当にすごかった、クロエ。日本語も完璧だし、歌もめちゃくちゃ上手かったよ」


 宏樹が褒めると、クロエは頬を赤く染めながら、「嬉しいです…」と小さな声で答えた。




 そして、最後に薫が登場する。


「いよいよプロのアイドルだね」


 美玖が少し煽るように言うが、薫はニッコリと笑いながら「全力でいきます!」と答える。彼女が選んだのは自分の持ち歌。流れるようなメロディーと完璧な歌唱力が、部屋中に響き渡る。


「うわ……やっぱりプロは違うわね………」


 真奈美がポツリと呟き、真紀やクロエもその実力に圧倒されていた。


「どうでしたか?」


 歌い終わった薫が、満面の笑みで宏樹に問いかける。


「さすがだよ、薫。本当にすごい。まるでここがライブ会場になったみたいだった」


 俺が素直に感想を伝えると、薫は嬉しそうに頷いた。



 そして次の瞬間、流れたのは俺が入れた曲だった。


「お、次は俺の番だな! ……ちょっと燃えてきたな」


 俺はマイクを手に取り、気合を入れて歌い始めた。その歌声が響くと、全員の表情が一変する。


「あはは……ヒロっち……前の時よりさらに上手くなってない?」


 美玖が驚いた顔で言い、真奈美も


「嘘でしょ……」


 と呆然とする。真紀やクロエも、プロで現役アイドルの薫すらも言葉を失ってしまう。



 俺の歌が終わると、カラオケルームは静まり返った。全員が歌声に圧倒され、特にプロである薫ですら、唖然としていた。


「ヒロっち、すっごいじゃん! まさか、さらに歌が上手くなってるなんて、ビックリしたよ!」


 美玖が驚きの表情を浮かべつつ、冗談交じりに声をかける。


「宏樹は何でもできるのね。こんなに上手いなんて……正直、驚いたわ」


 真奈美も、冷静な様子ながら、内心では大きな驚きを隠せない。


「ヒロ、やっぱり凄いね。昔から何でもこなすけど、こんなに歌も上手だったなんて……」


 真紀が感心しながら笑顔で話しかける。


「ヒロキ……すごかったです。まるでプロの歌手みたいでした」


 クロエは、うっとりした様子で、俺を見つめている。


「……本当に驚きました。宏樹先輩、歌手を目指してみませんか?」


 薫が目をキラキラさせながら本気で誘ってくる。


「いやいや、目指さないから」


 俺はみんなの視線を受けながら、照れ笑いを浮かべていた。


「みんながすごかったからさ。俺もつい本気で歌っちゃったんだよ」




 こうして楽しい時間はどんどんと過ぎていく。

 みんなが笑顔で和やかな雰囲気に包まれる中、薫が思い出したように言った。


「そうだ、宏樹先輩、ゴールデンウィークの予定ってどうなってますか?」


 その瞬間、部屋の空気が再び活気づいた。


「ヒロっち、実はもう予定は決まってるんだよね~」


 美玖が得意げな表情で、からかうように宏樹を見つめる。


「そうなのよ。私たちはそれぞれ一日、宏樹と過ごすことになっているの。ね、宏樹?」


 真奈美が涼しい顔で続ける。その表情には、他の誰にも譲らないという決意が見えた。


「ヒロ、もうしっかり準備してる? デートのプラン、いろいろ考えておかないとね!」


 真紀は笑顔で話し、まるで子どもの頃に戻ったかのように無邪気な様子だった。


「ヒロキ……私も一日、一緒に過ごすのを楽しみにしています」


 クロエがはにかみながら、微笑んで言った。


 その時、薫が急に真剣な表情で声を出す。


「えっと…ボクも、宏樹先輩と一日過ごしたいです!」


 部屋の空気が一瞬、張り詰めた。薫の真剣な訴えに、他の少女たちも驚きの表情を浮かべる。


「え、薫ちゃんも?」


 美玖が驚いて、真奈美に目をやる。真奈美も困惑した表情で薫を見つめている。


「ボクも一日、宏樹先輩と過ごすことはできませんか? せっかくゴールデンウィークですし…」


 薫の瞳が真剣だった。プロのアイドルである彼女が、こんなにも強く何かを求める姿は珍しかった。


 美玖は一瞬考え込むが、すぐにニヤリと笑って、


「まあ、薫ちゃんも頑張ってるし、いいんじゃない? ゴールデンウィークは長いんだしね!」


 と軽く言い放った。


「私も構わないわ。けど、宏樹の予定次第だと思うのだけれど」


 真奈美が冷静に答える。


「もちろんヒロがいいなら、私は全然構わないよ」


 真紀も笑顔で同意する。


「私もいいですよ。ヒロキ、どうですか?」


 クロエが少し控えめに、しかし期待に満ちた表情で尋ねる。


 宏樹はみんなの期待に満ちた瞳を見回し、少し照れくさそうに答えた。


「じゃあ、みんなと一日ずつ過ごすってことで……よろしく!」




 カラオケが終わり、全員が笑顔で部屋を出る。夕方の心地よい風がビル街を抜けて、彼らの頬を優しく撫でた。みんなで割り勘で会計を済ませ、駅へ向かう途中、学校の話やゴールデンウィークの予定を話し合いながら賑やかに歩いていた。


「さて、私はこっちだから。また明日ね、ヒロっち!」


 美玖が軽快に手を振り、別方向の道へと進んでいく。


「また明日ね、宏樹。楽しみにしてるわ」


 真奈美もクールに微笑みながら、俺の目をじっと見つめて別れを告げる。


「うん、またな。気をつけて帰れよ」


 俺はみんなに手を振り返し、見送った。


「それじゃ、ヒロキ。私も帰ります。また一日楽しみにしてますね!」


 クロエが少し照れくさそうに微笑み、フランス語で「À bientôt(またね)」と優しく言いながら去っていった。


 駅で別方向に向かう薫も見送り、いつも通り真紀だけが残った。


「ふふ、今日は楽しかったね、ヒロ」


 真紀が少しはにかみながら微笑んだ。夕暮れのオレンジ色の光が彼女の髪に反射し、ほんのりと輝いている。


「そうだな、こんなにカラオケで盛り上がったのは初めてだよ。だからかな。真紀と一緒に帰るこの落ち着いた感じが、なんかホッとするよ」


 笑顔を返しながら、彼女の横を歩く。


 真紀と言葉を交わしながら、いつもの道をゆっくりと歩いた。風に乗って、どこか懐かしい香りが漂ってくる。夕方の静かな街並みは、いつもと変わらない景色だが、俺たち二人にとっては特別な空間に感じられる。


「私、カラオケはあまり行ったことが無いんだけど、変じゃなかった? なんだかみんな真剣で、少しバチバチした雰囲気だったけど」


 真紀はそう言って少し笑う。


「まあ、あんな感じになるのはわかってたけど、みんな楽しんでたみたいだし、俺も楽しめたよ。真紀も上手かったぞ?」


「うん。でもね……やっぱ薫ちゃん、上手だったなぁ。あれがプロなんだって、少しわかった気がするよ」


 真紀の声が少し小さくなった。夕暮れの影が二人を包む中、彼女の不安と自信のなさが微かに滲み出ていた。


「薫はなぁ。比べちゃダメだぞ、真紀。真紀だって違う方向でいつも頑張ってるじゃないか。俺の弁当を毎日作ってくれたり、何かと気を遣ってくれて。俺にとっては、そういう日常がすごく大切だって思うよ?」


 俺は、真紀の気持ちを汲み取るように、優しい言葉をかけた。


 真紀は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにホッとしたように微笑む。そして、彼女の瞳には、どこか切なさが浮かんでいる。


「ありがとう、ヒロ。私、少しだけ不安だったんだ。他のみんなと比べて、私は特別じゃないかもしれないって。でも、こうやって一緒に歩いてると、私にも特別な何かがあるかもって思えてきたよ」


 真紀の言葉には、彼女が抱えてきた心の葛藤が静かに滲んでいた。

 俺は少し照れくさそうに笑いながら、真紀の方を向く。


「俺にとって、真紀との時間は昔から特別だよ。俺が陰キャボッチでも、ずっと一緒にいてくれたからさ。だから、そんなこと気にしなくていいよ」


 しばらく無言で歩き続け、やがていつもの公園の前にたどり着いた。夕焼けが空を染め、静かな風が草木を揺らしている。俺は一瞬立ち止まり、真紀を見つめる。


「真紀、今日も楽しかったな。明日からも、時間が合う時はこうやって一緒に帰ろうぜ」


 真紀の顔がぱぁぁと明るくなる。


「うん!」


 真紀はその場に立ち止まり、静かに俺の顔を見つめている。だが、その瞳には何かを伝えたいという切実な感情が滲んでいるように見えた。




 やがて二人は家の前に到着し、しばし沈黙が続いた。真紀の中には、まだ伝えたいことがありそうだったが、言葉にできず、ただ俺を見つめるだけだった。


「それじゃ、また明日な、真紀。今日もありがとう」


 俺が軽く手を振ると、真紀も微笑んで応じる。


「うん、また明日ね、ヒロ」


 彼女の声には、少し切なさが混じっていたが、同時に安心感もあった。


 俺は手を振りながら真紀の背中を見送る。

 そうして、彼女の姿が家の中に消えていくまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。


 こんな日常がいつまでも続くと良いな。

 そう思いながら。

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