第47話 文房具とクレープ

 うららかな春の日。

 ポカポカ陽気が気持ちいい。

 先生の黒板へ板書するカッカカカッカっという音が、まるで催眠術のように俺の精神へ攻撃してくる。

 しかし俺は負けない。

 『セーブ&ロード』という、チート能力があるからだ。

 他の記録をロードしてひと眠り、そうして戻るとあら不思議、スッキリしているじゃあ~りませんか!

 そうして午前中の授業を乗り切る。

 分からない所、聞き逃したことろは無い。

 『セーブ&ロード』で繰り返し授業を受けれるからだ。

 俺の好成績の秘密、それは単純に人より多く授業を受けているからにすぎないのだ。


 昼休みのチャイムが鳴り響くと、教室内が賑やかにざわめき始めた。俺も教科書を片付け、いつもの空き教室に移動しようとした時、真奈美が静かに俺のそばにやってきた。


「宏樹、放課後少し付き合ってくれない?」


 真奈美の声は、少し緊張が混ざっているように感じた。彼女の瞳がまっすぐに俺を見つめていて、その煌めく瞳にドキッとしてしまう。


「もちろん。どうした?」


 俺がそう尋ねると、真奈美は一瞬ためらった後、少しだけ照れくさそうに視線を逸らして答えた。


「久しぶりに面白い本があったのよ。だから、お勧めしたいなって……放課後、図書室へ一緒にどう?」


 その言葉に俺は少し驚いたが、真奈美が見せたいと思う本なら興味が湧いてくる。


「へぇ、真奈美がそんなに言うなんて珍しいな。いいよ。じゃあ放課後、図書室へ行こうか」


 俺が笑顔で応じると、真奈美の顔がほっとしたように柔らかく微笑んだ。その瞬間、教室のざわめきがまるで背景の一部になったかのように感じた。



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 放課後のチャイムが鳴り響くと、俺は教室を出る前に真紀に声をかけた。真紀は明るい表情で机の片づけをしていたが、俺が話しかけると期待に満ちた瞳でこちらを見つめてきた。


「ヒロ、今日は部活が無いんだけど、一緒に帰れる?」


 その言葉に一瞬ためらったが、真奈美との約束を思い出して、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。


「ごめん、今日は真奈美と図書室でちょっと用事があって……」


 その言葉に、真紀の顔に一瞬寂しげな表情が浮かんだが、すぐに笑顔に戻った。


「そっか。うん、気にしないで。また今度一緒に帰ろうね」


 真紀の少し寂しそうな笑顔に、俺は胸の中にチクっとする感覚を覚えたが、真奈美との約束を果たすために教室を出た。



 真奈美は教室の前で待っていてくれた。


「お待たせ」


「それじゃ、行きましょうか」


「ああ、行こうか」


 真奈美の横に並んで歩くと、彼女の香りがふんわりと漂ってきた。その瞬間、俺の心臓が少し早くなったのを感じた。


 図書室に到着すると、そこはいつものように静かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。真奈美は迷わず奥の方へと俺を導き、本棚の一角で足を止めた。


「ここに見せたい本があるの」


 真奈美が指差した先には、さまざまな小説が並んでいた。俺は少し興味を惹かれながらも、真奈美がどんな本を見せてくれるのか楽しみにしていた。


「これ……でも、少し上にあるから……」


 真奈美が手を伸ばして取ろうとするが、背が届かない。俺はすかさず彼女の手元に近づき、手を伸ばして本を取ろうとした。しかし、その瞬間に真奈美も再び手を伸ばし、二人の手が軽く触れ合った。


「あ……」


 思わず息を飲む俺。触れた手の温もりが、まるで電流が走ったかのように心臓に響いた。真奈美も驚いた表情で俺を見つめていて、その目に少しだけ赤みが差しているのがわかる。


「ごめん……ありがとう」


「ん……ああ………」


 真奈美が少し恥ずかしそうに謝りながら、本を手に取った。俺は頷き、その場の雰囲気に飲み込まれそうになった。


「これが見せたかった本。『それから』ってタイトルなんだけど……読んだことある?」


 彼女はその本を丁寧に開き、俺に見せてくれた。

 見たことはあった。たしか、数年前にニュースで話題になっているような話をしていたのを思い出す。


「タイトルだけ知ってるけど、ちゃんと読んだことはないな」


「そう。3年前に話題になったのだけれど、私も今更読んでみて、すごく感銘を受けたの。特に、主人公の葛藤が描かれたこのシーンが……」


 真奈美はページをめくり、特に好きな部分を指差した。その一節には、彼女自身の気持ちが重ねられているように感じた。


「迷っている主人公が、今の私に少し似ていると思うの。その姿に自分を重ね合わせて物語を読み進めたら、自分自身が成長できた気がして」


 彼女の言葉には、ほんの少しの不安が滲んでいた。

 自分の気に入ったものを相手も好きになってくれるかな、とでも思っているのだろうか。


「うん、面白そうだね、読んでみるよ。せっかくだし、今読んでいこうかな」


 俺が笑顔でそう言うと真奈美の顔が一気に明るくなる。


 それから真奈美も本を選び、二人で読んでいくことにした。

 俺たちは近くの机に座って本を開いた。ページをめくる音だけが静かな図書室に響き渡り、二人の間に流れる空気が少しだけ静謐せいひつになった気がした。


 本を読み進めるうちに、真奈美がふとページをめくる手を止めて、髪を耳にかける仕草を見せた。その瞬間、俺の心臓が再びドキンと跳ねた。


「どうしたの、宏樹?」


 真奈美が気づいてこちらを見るが、俺は動揺を隠そうと必死に笑顔を作った。


「いや、なんでもないよ……ただ、真奈美が綺麗だなって」


 思わず口をついて出た言葉に、俺自身が驚いた。真奈美も驚いたように目を見開き、顔を赤らめた。


「そんなこと真顔で言わないでよ……恥ずかしいから」


 真奈美が少し照れたように視線を逸らすその仕草に、俺の心がさらに高鳴る。静かな図書室の中で、二人の距離がほんの少しだけ縮まった気がした。


 日が傾き始め、俺たちは読書を中断した。


「面白かった。読み進める手が止まらなくなったよ。続きは借りていって家で読もうかな」


「でしょ!? 私もこの本を借りていくわ」


 俺が気にったのがよほどうれしかったのか、真奈美の顔は花が咲いたような笑顔になった。


 本を借りた後、俺たちはゆっくりと図書室を後にした。夕方の光が校舎に差し込み、二人の影を長く伸ばしていた。




 真奈美と二人で校門を出た。夕方の柔らかな光が二人の間に影を作り、静かな帰り道が続いていた。


「今日は楽しかったな」


 俺が言うと、真奈美は少し照れたように微笑んだ。


「私も……楽しかった。ありがとう、宏樹」


 その言葉に、俺は心が温かくなるのを感じた。静かな街並みを歩く二人の足音だけが響いていて、その時間がとても心地よく感じた。


「また今度、一緒に図書室に行こうか。 他にも見たい本があるし」


 俺が提案すると、真奈美は嬉しそうに頷いた。


「うん、ぜひ。また一緒に行きたいわ」


 真奈美の笑顔が夕陽に染まっていて、その姿がとても愛おしく感じた。


「そうだ、今度文房具を買いに行こうと思ってるんだ。よかったら一緒に来ない?」


 俺がそう提案すると、真奈美は少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んだ。


「ええ、もちろん。じゃあ、次の週末にでも……」


 二人で次のデートの約束をしながら、帰り道を歩いていく。その時、真奈美がふと立ち止まり、俺を見つめた。


「宏樹、今日は本当にありがとう」


 その言葉に、俺は少し照れたように笑い返した。


「こちらこそ、ありがとう。今日は楽しかったよ」


 そして二人で再び歩き始め、静かに家路に着いた。



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 週末の朝、俺は約束の時間より少し早く家を出た。


 駅前に着くと、約束の20分前にもかかわらず、真奈美の姿を見つけることができた。彼女はベンチに腰掛けていて、いつもより少しおしゃれをしているのが目に留まる。淡いピンクのニットカーディガンが彼女の柔らかさを引き立てていて、チェック柄のプリーツスカートは春の風に揺れ、彼女の清楚さを際立たせていた。


 足元のベージュのローファーも、普段の真奈美とは少し違う、落ち着いた雰囲気を感じさせる。彼女の手首には、シンプルなシルバーブレスレットが光り、その小さなアクセントが彼女の品の良さを一層引き立てていた。


「お待たせ、真奈美」


 俺は声をかけながら、彼女に近づく。彼女は軽く微笑み、立ち上がって俺に向き直る。


「ううん、私が少し早く来ちゃっただけ。宏樹も早かったわね」


 真奈美の声は柔らかく、少し照れたように見えるのは気のせいだろうか。


「ああ、楽しみだったからな。つい早く来ちまった」


「もう、そんな事ばっかり言って。どうせ他の子にも言ってるんでしょ?」


「お、そのカーディガン、よく似合ってるよ。今日のコーディネートもいい感じだな」


 俺がそう言うと、真奈美の頬がほんのり赤くなった。彼女は目を少し逸らしながら、小さく頷く。


「そんな事で誤魔化されないわよ。でもありがとう、これお気に入りなの」


 その仕草が、なんとも愛らしく、ドキッとさせられる。


「それじゃあ、行こうか」


 俺は自然と彼女の隣に立ち、一緒に歩き始める。春の風が心地よく、真奈美のカーディガンの柔らかさが、ふと横を歩く俺にも伝わってくるような気がした。


 真奈美と一緒に歩く時間は、いつもよりもゆっくりと流れているように感じた。彼女が俺の隣で微笑んでいると、それだけで心が落ち着く。


「今日はどこから行こうか?」


 俺がそう尋ねると、真奈美は少し考えてから、ふわりと笑顔を浮かべた。


「まずは、文房具を見に行きたいの。宏樹も何か必要なものがあったら、一緒に選びましょう?」


 俺はその提案に頷き、二人でショッピングモールへと向かった。




 最初に向かったのは文房具屋だ。俺はノートとペンを買い替える予定だったし、真奈美も新しい文房具が欲しいと言っていた。


「これ、どう思う?」


 真奈美が可愛いデザインのノートを手に取って俺に見せてくれた。そのデザインはシンプルでありながらも、彼女のセンスが感じられるようなものだった。


「いいね。真奈美に似合いそうだ」


 俺がそう言うと、真奈美は少し照れたように笑って、ノートをカゴに入れた。


「宏樹も何か買うの?」


「ああ、普段使いのボールペンをな」


 俺は少し考えて、シンプルなデザインのペンを選んだ。


「これかな。書きやすそうだし」


「それ、いいわね。きっと使いやすいわ」


「それじゃ、これにしようかな」


「そうえいば、宏樹はシャーペンは使わないの?」


「ああ、ポリシー……っていうのかな。シャーペンや鉛筆だと、消せるから小さなミスも平気になっちまう気がしてさ。ボールペンだと小さなミスだってしないように気を付ける癖がつくだろ?」


「す、すごいわね、ボールペンを使うのにそんな理由があったのね」


 ま、いざとなったら全部やり直せるんだが。

 気を付ける癖は大事だ。


 二人で文房具を選びながら、自然と会話が弾んでいく。その時間がとても楽しくて、つい時間を忘れてしまうほどだった。




 文房具を買い終えた後、小腹が空いた俺たちは近くのクレープ屋に向かった。小さな店だが、いつもお客さんで賑わっている人気の店だ。


「どれにしようかな……」


 メニューを見ながら迷っていると、真奈美が隣で可愛らしいクレープを指差した。


「このトリプルベリークリームのクレープ、美味しそうじゃない?」


「それ、俺も気になってたんだ。真奈美がそれなら……じゃあ、俺はアイスチョコバナナにしようかな」


 二人でクレープを注文し、店の前でそれぞれのクレープを楽しむことにした。真奈美は嬉しそうにクレープを手に取り、早速一口食べた。


「うん、やっぱり美味しい!」


 その笑顔を見て、俺もクレープを一口食べた。冷たいバニラアイスと甘いチョコとバナナの風味が口いっぱいに広がって、とても美味しい。


「はい、宏樹」


 真奈美が俺の方にクレープを差し出してくれた。その仕草がとても可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。


「ありがとう、じゃあ一口もらうよ」


 食べさせ合うのも当たり前になっていた。

 今では恥ずかしさより、色々な味を楽しめるのが楽しくて仕方がない。

 俺は彼女のクレープを一口もらうと、口の中に甘酸っぱい3種のベリーの味が広がった。


「美味しいな。それじゃ真奈美、俺のもどうぞ。あーん」


「うん、じゃあ……」


 真奈美は少し照れながら俺のクレープを一口食べた。


「うん、これも美味しいわね」


 二人でクレープを食べさせ合いながら、楽しい時間が過ぎていった。その時、ふと後ろから声が聞こえた。


「お、お前ら……何やってんだ?」


 振り向くと、そこには驚いた表情のカツミが立っていた。


「カツミ? おお、偶然だな」


 俺が声をかけると、カツミは困惑したように俺たちを見つめていた。


「いや、たまたま部活が休みでさ……ってか、お前らそんなに仲良かったんだな。クレープ食べさせ合ってるとか、普通にカップルにしか見えねーぞ」


 その言葉に、真奈美は顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「べ、別に……そういうんじゃないから! ただ、味見したいって言うからさせてただけよ!」


 真奈美が少しツンとした声で言い訳をすると、カツミはニヤニヤしながら俺を見た。


「へぇ、そういうことか。でも、俺にはそうは見えなかったけどな」


「本当にそういうのじゃないってば!」


 真奈美の顔はますます赤くなり、俺もなんだか妙に照れくさくなってしまった。


「まぁ、仲良くやってるならいいけどさ。俺、邪魔みたいだからこれで失礼するわ」


 カツミはそう言い残して去っていったが、俺と真奈美の間にはなんとも言えない気まずい雰囲気が残った。


「あはは……なんか、人に見られると恥ずかしいな」


 俺が照れくさそうに言うと、真奈美も少し笑って頷いた。


「そうね……でも、クレープ美味しかったわ。ありがとう、宏樹」


 その言葉に、俺の胸が少しだけキュンとした。真奈美の笑顔がとても可愛らしくて、その瞬間がとても大切なものに感じられた。




 クレープを食べ終えた後、俺たちはさらにショッピングモールをぶらつくことにした。


 俺はくたびれていたトレーニング用のシューズを新調して、ついでに新しいトレーニングウェアも買った。

 真奈美は、特に目を引いたアクセサリーや服を手に取りながら、楽しそうに話している。その姿を見るたびに、普段の落ち着いた真奈美とは少し違う、一面が垣間見えた気がして、心が弾む。


「このカチューシャ、どうかな?」


 真奈美が、シンプルだけど上品なデザインのカチューシャを頭に当てて見せてくる。その顔は少し照れくさそうで、それがまた可愛らしかった。


「似合ってるよ、真奈美」


 俺がそう言うと、真奈美は照れ隠しに小さく微笑んでカチューシャを手に取った。


「ありがとう。じゃあ、これにしようかな。本を読むときに良いのよね」


「あー、なるほど」


 カチューシャを付けて本を読んでいる真奈美を想像してニヤニヤしてしまった。


「ちょっと、なにニヤニヤしてるのよ」


 彼女はカチューシャをカゴに入れた。

 次に視線を向けたのは、店の片隅に置かれたアクセサリーコーナーだった。彼女が手に取ったのは、小さなシンプルなブレスレット。金属のチェーンが細く、手首にそっと馴染むようなデザインだ。


「これも、いいな……」


 真奈美が呟くように言う。その表情は、何かを考え込むような、少し迷いがあるようにも見えた。


「どうしたんだ?」


 俺が尋ねると、真奈美は少しだけ視線を下げて答えた。


「いや、何でもないの。ただ…...ちょっと考えてただけ」


 俺はそれ以上深く聞くことはせずに、真奈美がそのブレスレットを手に取っている様子を見守っていた。彼女は結局、そのブレスレットを買わなかった。


 ショッピングを終えて外に出ると、夕方の風が心地よく、街の喧騒が少し落ち着いてきていた。俺たちは、自然と家路につくために歩き出した。真奈美が寄り添ってくる感触が心地いい。


「今日はありがとう、宏樹。すごく楽しかったわ」


 真奈美が俺に感謝の言葉を伝える。その声には、心からの満足感が感じられた。


「こちらこそ。真奈美と一緒に過ごせて、俺も楽しかったよ」


 俺がそう返すと、真奈美は少し照れたように笑って、そのまま少し歩を進める。




 彼女の家の門が見えてきた頃、真奈美が少し立ち止まって俺を見上げる。その瞳には、いつもの冷静さではなく、何かを期待するような光が宿っていた。


「ねえ、宏樹…...」


 真奈美がゆっくりと俺に歩み寄ってくる。その顔がほんの少し赤く染まっていて、普段は見せない表情がそこにあった。


「どうした?」


 俺が問いかけると、真奈美は少しだけ唇を噛んでから、ぽつりと言った。


「回数……残ってたわよね?」


「ん? 何の?」


「……キス、してくれる?」


 彼女が控えめに尋ねたその瞬間、俺の心臓は一気に高鳴った。彼女がこんなにも素直に気持ちを伝えてくるのは、いつもの彼女からは想像もできないことだった。


「ああ……もちろん」


 俺は少し緊張しながらも、ゆっくりと顔を彼女に近づけた。真奈美も目を閉じて、俺の動きを静かに待っている。彼女の瞼が微かに震えているのが見えた瞬間、その可愛らしさに、さらに鼓動が大きくなるのを感じる。


 最初に触れたのは、真奈美の柔らかい唇。温かく、少し甘い感触が、俺の心を一瞬で包み込んだ。彼女の唇の柔らかさは驚くほどで、俺はその感覚に酔いしれた。


「………ん」


 真奈美が微かに声を漏らす。その声が俺の心をさらに熱くする。彼女が少しだけ背伸びをして、首に手を回す。俺にもっと深く触れようとするのが伝わってきた。


 その時、真奈美が自らの意志で俺に少し強く触れ、唇を開いた。彼女の息遣いが俺の唇に感じられ、その甘さに俺は完全に捕らわれてしまった。彼女から大胆にも舌を絡めてきたことに、俺は一瞬驚いたが、すぐにその流れに身を任せた。


 彼女の舌が俺の舌にそっと触れる瞬間、全身に電流が走るような感覚がした。真奈美の呼吸が少し荒くなり、俺も自然とそれに合わせて呼吸が乱れる。何度も絡み合う舌。彼女の手が俺の肩にそっと触れ、さらに強く引き寄せられるように感じた。


 唇が離れる瞬間、俺たちはお互いに息を整えようとした。真奈美の顔はほんのりと赤く染まり、瞳が潤んでいる。その表情は、今まで見たことのないほど愛おしいもので、俺の胸に強く刻まれた。


「……ありがとう、宏樹。やっぱりあなたが好き。大好き」


 真奈美は恥じらいながらも、心からの気持ちを伝えてきた。その言葉に、俺の心はさらに温かくなった。


「うん、ありがとう」


 俺は彼女の手を優しく握りしめた。真奈美の手が震えているのがわかるが、その震えは決して不安からくるものではなく、喜びと感動が混ざり合ったものだと感じた。


「それじゃ行くわね。また学校で」


「うん、また」


 最後にもう一度、真奈美が俺を見上げて微笑んだ。その笑顔は、今日の特別な時間を象徴するものだった。彼女が家に入るのを見届けた後、俺は自分の胸の鼓動がまだ落ち着かないまま、夜道を一人で歩き始めた。


 彼女の温かさと甘い感触が、まだ俺の唇に残っている。その感覚が消えないように、俺は何度もその瞬間を思い出しながら、家への道を歩いていた。

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