第44話 嫉妬

 新学期が始まってから少し経ったこの頃、俺の中には拭いきれないモヤモヤが積み重なっていた。


 美玖とは、学校では毎日顔を合わせている。だけど、彼女のモデル活動が忙しくなり、放課後に一緒に過ごす時間が減ってきた。以前は放課後に話す事も多かったのだが、最近は「ごめん、撮影があるから」とすぐに帰ってしまうようになった。


「仕事だから仕方ないか……」


 そう自分に言い聞かせるが、どうしても胸の奥に引っかかる感情がある。だけど、それが何なのか分からず、心の中はどこか落ち着かないままだった。


 土曜日の昼下がり。服を買いに街をブラブラ歩いていると、ふと目の前に大掛かりな撮影セットが目に入った。カメラマンやスタッフたちが慌ただしく動き回り、ファッション雑誌だろうか、カップルのデートをテーマにした撮影をしているようだ。


 何気なく目をやると、その中に見覚えのあるシルエット、そして、毛先に向かって青いグラデーションの入った銀髪の彼女が映った。


「……美玖?」


 目を疑った。そこには、俺の知っている美玖が、いつもとは違う大人びた雰囲気で、男性モデルと寄り添って立っていた。


 美玖はヴィンテージ風のローライズジーンズに白いキャミソールを着て、手にはブランド物のミニバッグを持ち、隣の男性と笑顔を交わしている。撮影のテーマは「初夏のデート」。まるで恋人同士が幸せな時間を過ごしているかのように見える。


「なんで、こんなところで……」


 俺は足を止め、自然と隠れるようにしてその様子を見つめてしまった。


 撮影は街中の様々なシチュエーションで進行していた。カフェのテラスで向かい合って笑い合うシーン、公園のベンチで肩を並べて座るシーン、手を繋いで歩くシーン ─── そして、男性モデルが美玖に優しく肩を回すシーンまで。


「もっと自然に、距離を縮めて。そう、美玖ちゃん、いい感じ!」


 カメラマンの指示に、美玖はプロフェッショナルな笑顔で応える。その表情が、どうしようもなく胸に刺さった。


「もっと顔近づけてくれる!?」


「はい」


「違う違う、ただ近づけるんじゃなくて、恋人同士ってのを意識して! そう、いい感じ! うんいいね、表情出てるよ!」


 男性が微笑みながら片手を美玖の後頭部に回し、おでこが付くような距離に近づく。

 美玖は照れたような、驚いたような表情をする。




「うわ、なんだこれ……」


 ただの仕事だと頭では分かっている。でも、その男性モデルと楽しそうに過ごす彼女を見ていると、胸の中がざわざわして、嫌な感情が湧き上がってくる。


 休憩時間になり、美玖と男性モデルは近くのカフェのテラス席で一息ついていた。二人の間に流れる和やかな空気を見て、俺はさらに焦燥感を覚えた。


「なんだよ……仕事だから仕方ないって分かってるのに……」


 だいたい俺の中身はオッサンだぞ?

 それに、美玖は俺の彼女ではない。

 自分に言い聞かせようとするが、その言葉はむなしく響くだけだ。胸の奥に刺さったトゲが抜けないまま、俺はその場から動けなくなっていた。


 撮影が再開され、美玖と男性モデルが親しげに話しながら撮影に臨む。二人の距離感がどんどん縮まっていくのを見て、俺の中で何かが弾けた。


「俺、やっぱり……嫉妬してるのか?」


 自分でも驚くほどの感情が胸に渦巻いていた。付き合ってもいない子に何を嫉妬してるんだ。独占欲? どうしようもなく、自分が情けなく感じる。


 そんな時、ふと美玖がこちらに気づいた。驚いた表情を見せたかと思うと、ニヤリと笑い、俺の方へ駆け寄ってきた。


「ヒロっち! こんなところで何してるの?」


「あ、いや……たまたま通りかかっただけだよ」


 目を合わせる事ができず必死に取り繕う俺を、美玖はジッと見つめる。まるで俺の心を見透かすかのように、その目が細まり、口元に小悪魔的な笑みが浮かんだ。


「へぇ……たまたまね。ふーん、でもさ、知ってるんだぞ。さっきからずっと見てたでしょ?」


「え? あ、ああ、少しな。ちょっと前からだぞ」


「へぇ……ふぅん」


 隅から隅まで確認するかのように、俺の顔を見つめる美玖。


「ねえねえ、その顔、ヒロっち、もしかして……嫉妬してくれてる?」


 その一言に、俺は思わず言葉を詰まらせた。


「───!? そ、そんなことないって!」


 否定しようとするが、言葉に自信がないのが自分でも分かる。美玖は俺の反応を楽しむように、さらに追い打ちをかけてくる。


「その反応……ねぇ、ヒロっち、もしかして私が他の男の人と恋人みたいに仲良くしてるのが気になっちゃった?」


 俺はただ「そんなことはない」と返すしかなかった。でも、それすらも美玖には見透かされている。


「ふふっ、やっぱり嫉妬してるんだ! 嬉しいなぁ、私、ヒロっちにそんな風に思ってもらえてるなんて」


 そして、突然耳元で囁く


「安心してヒロっち。ただの仕事だよ。あの人には何の興味無いから」


 そう言って美玖は俺を見つめながら顔を近づけてくる。俺はその小悪魔的な挑発に耐えられず、思わずまた視線を逸らしてしまった。


「からかうなよ……」


「あはっ、顔真っ赤! でも、そういうヒロっちの反応が一番可愛いんだよね~」


 彼女は満足げに俺を見つめ、そのまま俺の手を軽く握った。その瞬間、俺の心臓はさらに激しく鼓動を打つ。


「でも、ありがとう。ヒロっちが嫉妬してくれるなんて、私、ちょっと嬉しいかも。あ、そうだ。撮影が終わるまで待っててくれる? もう少しだから。そしたら一緒に帰ろ!」


 そう言って、美玖は俺にウインクして見せた。その仕草が妙に可愛くて、俺はどう返していいか分からなくなる。


 撮影が再開され、小走りで現場に戻っていく美玖。


「あの人、美玖ちゃんの彼氏?」


「そうだったらいいなって人です!」


「おお、応援するよ!」


「タケルさんは彼女さんとはどうなんです?」


「よくぞ聞いてくれました。プロポーズに成功して、来年結婚式を挙げるよ!」


「きゃー! おめでとうございますッ!」


 一緒に撮影していた男性と、そんな会話が聞こえてきた。

 突然、胸のもやもやがスーッと晴れていく。


「たったこれだけの事で……」


 現金なものだな、と俺は独りちた。

 妻に浮気されても、さほど動くことも無くなってしまっていた40歳の俺の心。

 こんな気持ちが俺の中にまだ残っていたのか、心が体に引っ張られているのかは分からないが、心がコントロールできない。

 この瞬間、俺は確かに青春というもの感じていた。

 そして思い出した。


 恋とは、甘く切なく……


 そして苦い。



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 撮影が終わり、日が傾く頃、俺たちは並んで帰ることにした。


「ねぇ、今日はどこか寄り道していかない?」


 美玖が俺の腕に絡みつき、上目遣いで見つめてくる。その瞳に俺は思わずドキリとさせられる。


「……いいけど、どこに行くんだ?」


「うーん、そうだね……じゃあ、こないだ見つけた公園に行こうよ! 夕焼けが綺麗な所見つけたんだ」


 俺たちは美玖が先日見つけたという公園に向かい、夕焼けを眺めながらベンチに座った。街を一望できる丘の上の公園だった。夕焼けと街並みのコントラストが美しい。

 美玖は俺の隣にぴったりとくっつき、俺の肩に頭を預ける。


「ヒロっち、今日はありがとね」


「何がだよ?」


「嫉妬してくれて……私、ちょっと安心したんだ。ヒロっちが私のこと、まだちゃんと見てくれてるんだなって。ヒロっちのことが好きだって子が突然3人も現れてさ、一気に取られちゃうんじゃないかって、不安で不安で仕方なかった。これなら、マナミンと3人で付き合っておけば良かったなーとか、変な事も考えたりしちゃってさ」


 その言葉に、俺は一瞬返事ができなかった。こんな風に素直に悩み事を言ってくる美玖は珍しい。俺は何も言わず、ただ彼女の手を握り返した。


「ねぇ、ヒロっち」


「ん?」


「もっと……こうやって一緒にいようね。私、これからもずっとヒロっちの隣にいたいんだ」


 美玖の言葉が胸に染み渡る。そのまま二人で夕焼けを見つめていると、俺は自然と彼女の髪を撫でていた。


「できれば、私を選んでくれると嬉しいんだけど」


「……ありがとな、美玖。俺も、ちゃんと一学期中に答えを出すから」


 その言葉に、美玖は顔を上げ、満面の笑顔で俺を見つめた。その笑顔があまりにも可愛くて、俺は思わず照れてしまった。


「自分で言った事だけど、やっぱ怖いなぁ……でも、この気持ちは変わらないから。えへへ、ヒロっち、大好き!」


 そう言って、美玖は俺に軽くキスをしてきた。その瞬間、俺は完全に動けなくなった。心臓の鼓動が激しくなり、頭が真っ白になる。


「……ったく、真奈美にまた怒られるぞ」


 なんとか言葉を絞り出す。


「もちろんナイショだよ。ふふっ、これからも、もっともっと甘えさせてね、ヒロっち」


 こうして俺たちは夕暮れの街を歩きながら帰った。その帰り道、俺は美玖の笑顔が頭から離れなくなった。


 彼女が俺をからかいながらも、心から俺のことを想ってくれているのが伝わってきて。


「美玖……」


 一学期の終わりまでに俺は誰か一人を選ぶ。

 それは同時に残りの四人と距離をとるという事だ。

 そのことを想うとズキンと胸が痛んだ。



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 その次の日曜日は薫に誘われ、音楽番組の収録を見にに来ていた。


 いつもサングラスを掛けている司会者のヤモリさんとの掛け合いを生で見れることに少し感動を覚えた。それにしてもヤモリさん、若いな。


 ビジュアル系バンドが終わって、次の話し相手はアイドルグループのベイビーフェイス、今日の曲はKAORUがセンターだ。


「こんばんは」


「こんばんはー!」


「君ら若いねぇ。高校生?」


「あ、メンバーの4人、LISA、YUMI、MAIとAYANEが高校生で、私と、MEGUが中学三年生です!」


「へぇ~! 中学生!?」


「そうなんですよー」


「中学生でアイドルやってて、好きな男の子とかいないの?」


 ヤモリさんのセリフに、聞いていた俺の心臓がドクンと跳ねる。


「今は歌とダンスが恋人みたいなものなので!」


 しっかりと用意された受け答えをする薫に頼もしさを覚えた。



 そんなやりとりをした後、ステージに移動するベイビーフェイス。

 アイドルと言えば口パクかと思ったが、予想に反して生歌だった。

 躍動感のあるキレキレのダンスに、運動量に負けない安定した声。呼吸だけでも大変だろうに、どれだけの努力でこれだけの技術を勝ち取ったのだろうか。

 ちょっと感動してしまった。

 今度、CDを買いに行こう。


 帰り、TV局の裏手で待っていると、黒縁のメガネをかけた少年が近づいてきた。

 見た事がある。

 これは山下君だ。


「お待たせしました、宏樹先輩!」


「すごい……近くに来ないと分からなかったよ」


「えへへ……あ、まだこの辺で名前を呼ばないで下さいね」


「ああ、それじゃ、行こうか山下君」


 2人で並んで歩く。


「……そろそろいいかな。先輩、実際生で見てどうでした?」


「正直、思っていたよりずっと凄かった。生で見たらこんなに迫力があるものなんだな」


「そう、そうなんですよ!」


 薫は、目を輝かせてずいッと俺の顔を覗き込んだ。


「小学生の頃、元気がなかったボクが興味を示したのが歌番組で、それで、誕生日に施設のお母さんがボクをライブに連れて行ってくれたんです。大きな所じゃなくて小さなライブハウスだったんですけど」


 懐かしそうに語る薫の顔は、キラキラと輝いている。


「それでもう、ボク、ライブの迫力に心を撃ち抜かれちゃって。ドラムの激しいビート、空気を振るわせるベースの音、それに乗せたギターやキーボード。それに合わせて必死で歌って踊る、けど楽しそうなアイドルの人たち。こんな素敵な世界があったのかって。ボクもいつかそこに立ちたいって、そう思ったんです。それと同時に、もう連絡も取れない先輩たちに、こうなれたなら気づいてもらえるかもって」


 話し終わると、薫は満面の笑みで俺を見た。


「そうか、それで必死に頑張ったんだな」


「はい。それはもう必死にやりました」


「で、何でこの学校だったんだ?」


「それは、これです」


 そう言って薫が取り出したのは、いつかの俺が表紙のバスケットボール雑誌だ。


「お前も持ってたのか……」


「本屋さんで見つけた時は心臓が爆発するかと思いました。それに、ボクこの本を本屋さんで見つけて泣いちゃったんです。恥ずかしい思い出です」


「それで、受験をしたと」


「はいっ! でも、めちゃくちゃ大変でしたよ。お金はアイドルになれたからなんとかなりましたけど、偏差値高すぎですよ。勉強のし過ぎでダンスレッスン十分にできなくて、迷惑かけたこともあります!」


 ふんす、と小さな胸を逸らしてふんぞり返る薫。


「そこは自慢するとこじゃないだろ」


 冷静に突っ込む俺。


「それで、編入の手続きと説明を聞きに行ったあの日、あのファミレスで偶然先輩を見つけたんです」


「で、いてもたってもいられず、次の日高校に来てしまった、と」


「はい!」


「なあ薫、気を付けろよ? 高校生じゃ何人も携帯電話やカメラを持ってる。アイドルのスキャンダルは金になるんだ。シャレにならないぞ」


「だから、もうそこは言ったじゃないですか。何かあったらやめるつもりだって」


「薫。やめるなんて簡単に言うな」


「え?」


「そこまでたどり着いたお前自身は納得いってるのか? いや、冷静になったら納得なんてできる訳ないんだ。だから、万が一そうなったら俺がまた助ける。何とかしてみせるさ。だから安心してアイドルは続けろ」


 任せてくれ。なにかあれば、俺が無かったことにしてやるから。


 ジワリと薫の目に涙が溜まる。


「もう……なんで先輩はそうカッコいいんですか。ますます好きになっちゃうじゃないですか」



 そうこうしているうちにもうすぐ駅というところまで来た。行く方向が反対だったので、駅で別れることにした。

 時間を見ようと俺は携帯を取り出す。


「先輩、携帯持ってるんですか!?」


「ああ、ついこの間契約したばっかりだよ」


「私も持ってるんですよ! 事務所に持たされてるんですけど。連絡先交換しませんか!?」


「おう、いいぜ」


 そう言うと俺たちは連絡先を交換した。


「あ、一応言っておきますけど、ボクの番号、誰にも教えないで下さいね」


「当たり前だろ?」


 ふと思う。この時代はまだそう言った意識が弱かったかもしれないな。

 個人情報を誰にも教えない、そんな常識が常識になったのはいつ頃のことだったろうか。


 ところで……よく考えたらトップアイドルの連絡先を知ってしまったのか。


「それじゃ、先輩! 今日は見に来てくれてありがとうございました!」


「ああ、こちらこそ貴重な経験をさせてもらった。ありがとう。それじゃ、バイバイ」


 振り返っては手を振る薫が見えなくなるまで、俺は微笑んでいた。

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