第43話 彼女たちの選択
週末、俺はとあるものを購入、そしてまだ自分ではできない契約をするため、父さんととある場所に来ていた。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「はい」
女性が中身を取り出し俺に確認させたのは最新モデルの携帯電話だ。
とても懐かしくなって笑みがこぼれる。間違いない、俺が初めて手にした携帯電話と同じ型だ。
あの頃は型落ちだったが、今は出たばかりの最新モデルだ。
使い方は……正直かなり忘れてしまっている。
仕方がない。スマホじゃなくて、いわゆるガラケーなのだ。
LIMEなどのSNSだってまだ存在しない。
連絡先を聞くのは、まだ電話番号とメアドの時代だ。
契約を済ませると、俺はメモを取り出し、書いてあった番号とアドレスを登録した。
早速メッセージを送る。
一分もしないうちに返事が来た。
『やっと買ったのね。
初メールは私なのかしら?』
真奈美だ。
『ああ、そうだよ。
これからもよろしくな』
俺はついに、念願の携帯電話を手に入れた。
ようやく一歩、便利だった元の生活水準に近づいたのだ。
すべて無くしてみて、その便利さがどれだけ凄かったか、身に染みて分かったのだ。
友達との待ち合わせで、時間になっても相手が来ないことがあった。そういう時の絶望感がものすごい。
スマホがある時代なら『今どこ?』とメッセージを送れば済む。
しばらくするとまたメールが届いた。
『私と宏樹だけこうやってやり取りできるって、なんだかうれしいな』
『直接繋がってるって、やっぱりいいよな』
こうして気軽にやり取りできるのは素晴らしい。
『直接繋がってるだなんて。
なんだかドキドキしてきちゃった』
訂正。思春期の女子高生とオッサンでは考え方が違ったようだ。
真奈美も喋っているのとメールではイメージが変わるんだな。面白い。
その晩、早速携帯に着信があった。
真奈美だ。
家族以外では真奈美しか登録されていない。
「宏樹? こんばんは」
受話器から聞こえる真奈美の声は、少し緊張しているようだ。
「どうした? 何かあったか?」
「ううん、特に何かってわけじゃないんだけど……
せっかく携帯電話を買ったんだし、通話して声が聴きたくなったっていうか、ねえ、もしかして通話も初?」
彼女の声には、少し照れくささが混じっている。
「ああ、初めて使うな。というか、家族以外じゃ真奈美しか登録されてないからな」
「そっか、そっかぁ……!」
俺の『初めて』を二つも奪えたことに、何か思うところがあったのだろう。その喜びが、声に滲み出ている。
「まあ、通話料の事もあるし、特に用事もないなら長話はやめておこうぜ」
この時代の携帯電話の通話料は、まだまだ恐ろしく高い。
気軽に毎日喋っていたら、あっという間に数万円に膨れ上がってしまうのだ。
「そうね。
うん、声が聞けただけで満足したかも」
「真奈美はもう寝るのか?」
「もう少ししたら寝るよ」
「それじゃ、俺も寝るかな。
真奈美」
「なあに?」
「おやすみ」
「!?
ちょ、ちょっと待って!」
バタバタと慌てた音がする。真奈美らしくない慌てぶりに、思わず笑みがこぼれる。
「お待たせ。
宏樹、さっきのもう一回お願いできる?」
「ん? ああ、おやすみって?」
「そうそう!」
「いいぜ。それじゃあ真奈美」
「うん」
「おやすみ」
「~~~~~~~~~~!!
これ幸せ……
毎日でもして欲しいかも」
「こんなんで良けりゃ別にいいが」
「
「ん、ああ?」
「宏樹……おやすみ」
あれ?
気軽に約束したのはマズかったか?
こうして俺たちは眠りについた。
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翌週、学校では一年生の部活動選びが本格化していた。クラスメイトたちがそれぞれ興味のある部活を見つけて入部を決めていく中、俺は帰宅部になる気でいた。
彼女たちに真剣に向き合いたかったからだ。しっかりと答えを出してから、部活の事は考えたかった。
そんな俺はともかく、みんなはどうするつもりなんだろうと思っていたところ、昼休みに美玖から話しかけられた。
「ねぇ、ヒロっち。部活もう決めた? やっぱりどこにも入らないの?」
明るい声で話しかけてくる美玖。しかし、その表情にはどこか迷いが浮かんでいるように見えた。
「ああ、とりあえずは帰宅部だよ。美玖はどうするんだ?」
俺が聞くと、美玖は少し困ったように眉を寄せた。
「私も部活には入らないことにしたんだ。最近、モデルの仕事が増えてきて、ちょっと忙しくなってきたから……それに、私も稼げるなら稼がないとね」
そう言って、美玖は少し寂しそうに笑った。その笑顔を見て、俺は胸の奥が少し痛んだ。
「そっか……お母さんだけを頑張らせるわけにはいかないからな」
「うん。いつまでも子供のままじゃいられないからね。でも、楽しいからいいんだけど。 でもやっぱり、ヒロっちと一緒に過ごせる時間が減っちゃうのは寂しいかな……」
美玖の言葉に、俺は少し驚いた。いつも明るくて自信満々な彼女が、こんな弱音を吐くなんて珍しい。
「無理はするなよ。でも、時間ができたらまた一緒に遊ぼうぜ」
そう言って俺は笑いかけると、美玖はホッとしたように微笑んだ。
「うん、ありがと。ヒロっちはやっぱり優しいね。でも、忙しくても私はヒロっちをちゃんと好きでい続けるから、安心してね」
ニヤリと小悪魔的な笑みを浮かべる美玖に、俺は思わず顔が熱くなる。彼女のその魅力にはいつも翻弄されてしまう。
放課後、俺は真紀に誘われて一緒に部活見学に行くことになった。真紀は料理が得意で、どうやら調理部に興味があるらしい。
「私、調理部に入ろうと思ってるんだ。お料理を作るの好きだし、それに……」
真紀は少し恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「それに?」
「その……ヒロのお弁当をこれからもずーっと作ってあげたいなって思って」
予想外の言葉に、俺は一瞬動揺した。真紀の料理は美味しい。俺は昔から真紀の母、聖子さんの料理が好きだった。実の母の料理よりも、だ。その聖子さんが教えているのだ。完璧に俺好みの味なのである。
それにしても、今日だけの特別かと思っていたが、これからもお弁当を作ってもらえるなんて思ってもみなかった。
そんなの、ラブコメでしか見たことが無い。
「そ、それは嬉しいけど、いいのか?」
俺が戸惑いながら聞くと、真紀は照れながらも力強く頷いた。
「うん! 私、もっと私も成長したんだって所をヒロに見てもらいたくて」
その言葉に、俺は真紀の純粋な気持ちが伝わってきて、胸が温かくなった。
「そうか。じゃあ、楽しみにしてるよ。真紀の手作り弁当、美味しいからな」
俺がそう言うと、真紀は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見ていると、俺も自然と笑みがこぼれてきた。
放課後、真紀は体験入部をした後、早速調理部に入部する手続きを済ませた。部室に案内された俺たちは、先輩たちの温かい歓迎を受けた。
「うわ~!! 北里さん、料理上手だね~!」
「デキるメンバーが増えて嬉しいよ!」
「西森君、良かったら君も一緒にどう?」
先輩たちの勧誘を受けたが、俺はやんわりと断った。俺は部活に入らないと決めていたし、何より女子高生ばかりの調理部は居心地がよくない。落ち着かないのだ。
帰り道、彼女は楽しそうに「明日もお弁当作るから楽しみにしててね!」と俺に言ってくれた。
次の日の昼休み。みんなの部活動選びが進む中、真奈美とクロエもそれぞれ入る部活を決めていた。
「私、文芸部に入ることにしたわ」
真奈美は静かにそう言いながら、いつもの落ち着いた表情で微笑んだ。
「文芸部か、真奈美らしい選択だな」
「そうでしょ? 本を読むのが好きだし、それに自分でも物語を書いてみたいって思ったのよ」
真奈美は少し照れくさそうに俯いた。その姿がなんだか可愛らしく見える。
「真奈美が書くなら、きっと素敵な物語になると思うよ」
俺がそう言うと、真奈美は目を輝かせてこちらを見た。
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ。でも……もし私が書く物語に、宏樹をモデルにしたキャラクターを書きたいって言ったらどうする?」
その言葉に、俺は少し戸惑った。真奈美の書く物語に自分が登場するなんて、ちょっと恥ずかしい。しかし、彼女がどんな話を書くのかも気になってしまう。
「そ、それは気になるけど……俺、変なキャラにされないよな?」
冗談交じりにそう言うと、真奈美はくすっと笑った。
「ふふ、どうかしらね。考えてることがあるの。まぁ、そのうち見せてあげるわ。楽しみにしていてね」
その言葉に、俺は少しドキドキしながら頷いた。真奈美がどんな物語を紡ぎ出すのか、俺も楽しみにしている。
そして、次はクロエの番だった。
「私は茶道部に入ります!」
クロエは元気よくそう宣言したが、意外な選択にみんな驚いた。
「えっ、クロエが茶道部に? また随分渋い選択だな」
俺が驚いて聞くと、クロエは少し得意げな表情を浮かべた。
「はい! 日本文化に興味があるので、茶道を学んでみたいと思ったんです。それに、茶道って日本の礼儀作法や精神を学べるんですよね? 着物だって着れるんですよ? それがとっても素敵だと思ったんです!」
クロエの目は真剣で、彼女が本当に日本文化を愛していることが伝わってくる。
「なるほど、確かにクロエなら茶道も似合いそうだな。でも、着物の着付けとか難しそうだよな」
俺がそう言うと、クロエはにっこりと笑った。
「大丈夫です! 着物もちゃんと着られるように頑張りますし、茶道部の先輩方がとても優しく教えてくれるんです。ヒロキも今度、お茶会に参加してみませんか?」
クロエは俺を誘うようにウインクする。その可愛らしい仕草に、思わずドキリとしてしまった。
「それは楽しそうだな。クロエが
「えへへ、ありがとうございます! その時は、私が心を込めてお茶を
クロエは嬉しそうに言って、さらに日本文化についての熱い思いを語り始めた。彼女がこれほどまでに日本を愛してくれているのは、なんだか誇らしい気持ちになる。
放課後、真奈美は文芸部、クロエは明日、茶道部の活動を見学に行くことになり、俺もついていくことになった。
文芸部の部室は、学校の端にある静かな一室。古い木製の机や、本棚にずらりと並んだ文学書の数々が独特の雰囲気を醸し出している。
「ようこそ文芸部へ。堀北さん……だったかな。新しい仲間が増えて嬉しいよ」
部長の優しそうな先輩が真奈美を迎える。真奈美は少し緊張しながらも、落ち着いた態度で挨拶を返した。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
部室の中では先輩たちがそれぞれ執筆活動や読書に没頭している。文芸部はかなり自由度が高く、自分のペースで活動できるのが特徴だ。
「真奈美、どんなジャンルの話を書きたいんだ?」
俺が興味津々に聞くと、真奈美は少し考えてから答えた。
「まだ決めてないけど……宏樹をモデルにした青春ラブストーリーとか、書いてみたいかも。それも、普通の学園物じゃなくて、特殊な能力を持った……そう、未来と現在を行ったり来たりできるみたいな?」
その言葉に、俺の心臓がドクンと大きく脈動するのがわかった。
「そ、そっか。それは楽しみだな……」
「ふふっ、期待しててね。でも、恥ずかしいからあんまり他の人には見せたくないかも」
真奈美は少し照れながらも、楽しそうに微笑んだ。
そして次の日。
クロエが入部を決めた茶道部は、学校内でも歴史ある部活の一つ。活動場所は和風の作りが特徴的な一室で、障子や畳が敷かれた部屋には静かな時間が流れている。
「クロエさんですね。ようこそ茶道部へ」
部長の女性先輩が、和やかな笑顔でクロエを迎え入れた。クロエも礼儀正しく頭を下げる。
「不束者ですが、末永くよろしくお願いします! 」
「そ、それは何か違うんじゃないか、クロエ……」
部員たちはすでに着物を着ていて、クロエも今日初めてのお点前に挑戦することになった。先輩が丁寧に教えながら、クロエは真剣な表情で動作を一つ一つ学んでいく。
「クロエ、すごく様になってるじゃん」
俺がそう声をかけると、クロエは少し恥ずかしそうに笑った。
「ありがとうございます。でも、まだまだ難しいですね……でも、ちゃんとおもてなしの心を込めてお茶を点てたいです」
クロエは一生懸命に作法を学んでいて、その姿勢はとても誠実で真剣だった。彼女がどれだけ日本文化を大切に思っているかが伝わってくる。
「ねぇ、ヒロキ。今度、私がちゃんとお茶を点てられるようになったら、一番に飲んでもらえる?」
「ああ、もちろん。楽しみにしてるよ」
俺の返事に、クロエは嬉しそうに微笑んだ。その微笑みには、彼女の誠実さと優しさが詰まっている。
しかし、問題は最後に起きた。
「それでは、今日はここまでにいたしましょうか」
「「「ありがとうございました」」」
皆が挨拶をして帰り支度を始める中、なかなかクロエが動かない。
「どうしたクロエ?」
「ヒロキ~、立てないのです~……」
「ああ、足がしびれたのか……」
正座になれていないクロエは、ずっと我慢しているうちに完璧に足がしびれていた。
「ほら、捕まって。立てるか?」
「無理です~~~」
「あなた達、鍵を閉めますよ」
部長さんの声。
「スミマセン、すぐに行きます!」
とりあえずここを出ないとマズいと思った俺は、荷物を背負ってクロエを抱きかかえた。いわゆるお姫様抱っこだ。
「はわわわわわ……」
クロエは顔を真っ赤にしているが、立てないのだから我慢してもらうしかない。
「あらあら!」
部長さんは驚いた顔をしているし、周りの部員は「キャー!」などと言っているが仕方ないのだ。
「すみません、クロエが慣れていなくて、足がしびれて立てなくなってしまったんです」
「まあ! それは気づかないで悪いことをしたわね。次からは痺れないような正座の仕方も指導しますね」
「お願いします」
こうして、みんなはそれぞれ自分に合った部活や生活スタイルを見つけ、少しずつ新しい活動に慣れていった。
美玖はモデル活動で忙しくなる一方、真奈美は文芸部で執筆に励み、クロエは茶道部で日本文化を学びながら頑張っている。真紀は調理部で料理を学びつつ、俺の弁当を毎日作ってくれている。薫は部活には入らず、相変わらずアイドルとして活躍中だ。
それは全て、自分のやりたい事というのもあるだろうが、それぞれの俺へのアプローチでもあるのだろう。
彼女たちの想いに真剣に向き合い、答えを出す。
これが、俺のしなければならない事だ。
しかし、その「答え」を出すことの重みを、俺は痛感していた。
40代の経験を持つ俺は、この選択が彼女たちの人生を大きく左右することを知っている。
それぞれの純粋な思いに応えたいという気持ちと、誰かを選ぶことで他の全員を傷つけてしまうという現実の間で、俺の心は揺れ動いていた。
温かな陽光が差し込む教室で、俺は窓の外を見つめながら深い溜息をついた。これからの高校生活、そしてその先の人生。俺は本当に正しい選択ができるのだろうか。その不安と期待が入り混じる中、心地よい春の風が、教室のカーテンを静かにはためかせていた。
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