第42話 はじまる日常

 次の日の朝、俺はいつものルーティンをこなしていた。

 ジョギングをするために外に出ると、そこにはたまに見たことがある、ニット帽にマスク姿のジャージの女性が立っていた。

 たまにジョギングですれ違う事があったが、あまり気にはしていなかったが……

 その女性が近づいてくる。


「ヒロ、おはよう!」


 ニット帽を外すと、中からぴょっこりと飛び出したポニーテール。

 マスクを外すと見慣れた顔。

 真紀だった。


「真…紀……?」


「ふふふ、私も走ってたんだよ、ずっとね」


「そうだったのか! 全然気づかなかったよ!」


「ヒロを驚かせたくて、バレないようにやってたんだよ」


「ところで、待ってたって事は……」


「うん、一緒にどうかなって」


「OK、それじゃ一緒に行こうか」


 こうして朝の日課だったジョギングも真紀と一緒に行う事になった……のだが。




「ひ、ヒロ、速すぎ……!」


「そ、そうか? かなり抑えてたつもりだったんだが……」


「もう、一緒に走ろうかと思ったのに、これじゃ迷惑だよね。ヒロ、先に行って。私、このペースじゃもたないから」


「わかった。そうさせてもらうよ」


「ちなみに、どこまで行くの?」


「そうだな、丘の上に神社があるだろ? そこの階段に行って、階段ダッシュと筋トレをやって戻ってくる感じかな」


「往復5km以上あるじゃない!?」


「まぁ、そうだな」


 そう、部活に入るのを止めたからと言って、体を鈍らせるわけにはいかないので、割とストイックなメニューになっていたのだ。女子にはきついだろう。


「うん、ヒロに合わせるのは無理ってわかった。お互いのペースで頑張りましょう」


「ああ、それじゃ、真紀も頑張って!」


 そう言うといつものペースで走り出す。


「速……!? あれで往復5kmも走れるの!?」


 別れ際の真紀の顔が、あきれたような微笑だったのは気のせいだろう。



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 トレーニングを終え、シャワーを浴びてクールダウンを済ませる。学校へ行く支度を済ませると、真紀を迎えに斜め前の北里家のチャイムを押した。朝日が柔らかく街路を照らし、新鮮な空気が肺に染み渡る。


 ピンポーンという澄んだ音が静かな朝の空気を切り裂き、「はーい」というかすかな声が聞こえた。

ガチャッという金属音と共に玄関のドアが開けられ、中から真紀の母の聖子さんが柔和な笑顔で顔を出す。


「あら宏樹くん、久しぶりね!」


  聖子さんの声には温かみがあふれている。


「お久しぶりです、聖子さん」


 俺は丁寧に挨拶を返す。


「あらあら、いい男になっちゃって~!」


 聖子さんは目を細めて、懐かしそうに俺を見上げる。


「そんなことは無いですよ。聖子さんもますますお綺麗になって」


 俺は照れくさそうに頭を掻きながら返す。


「まあ! そんなお世辞も言えるようになったのね」


 聖子さんは嬉しそうに微笑む。


 中身は40過ぎのオッサンですからね。

 でも、お世辞じゃないんだよな。人妻じゃ無ければ…なんて気持ちを抑え込む。

 ……それにしても立派なものをお持ちで。

 そしてそれは、しっかり真紀にも遺伝により引き継がれているようだ。


「小さい時はあんなに細かったのに、こんなに筋肉がついて……人は変われば変わるものねぇ」


「そんな、それなら真紀だってすごく変わりましたよ」


「あ、真紀ね! ほら、真紀急ぎなさい! 宏樹くん待ってるわよ!!」


 聖子さんが中に向かって大きな声を出す。その声には少しの焦りと、娘を気遣う優しさが混ざっている。

 少しすると、パタパタと急ぐ足音を立てて真紀が現れた。頬を紅潮させ、息を弾ませている。


「ごめんなさい、お待たせ!」


 真紀は申し訳なさそうに俺を見上げる。


「ああ、全然大丈夫だよ。それじゃ行こうか」


 俺は優しく微笑みかける。


「うん! お母さん、いってきます!」


「行ってきます」


「はい、二人とも行ってらっしゃい」


 聖子さんは温かい目で二人を見送った。


 こうして家を出た俺たちは、小学校の頃、一緒に通っていたのを思い出しながら懐かしい話をたくさんした。さすがに手は繋がなかった。昨日こそ、懐かしさのあまり勢いでやってしまったが、さすがに彼氏彼女でもないのに、毎日手を繋いで登校するのは違うだろう。それでも、時折どこかが触れあうたびに、心臓が小さく跳ねる。


 通学の道中、俺は寄るところがあった。桜が色づいた街を歩きながら、春の香りが漂う中で俺は真紀に話しかけた。


「真紀、ちょっとコンビニ寄っていいか?」


「どうしたの? って、あー……」


 真紀は一瞬考え込むように目を細める。

 真紀には思い当たる節があったらしい。彼女の表情が理解に満ちて開いていく。


「もしかしてお弁当?」


 真紀の声には少しの期待が混ざっている。


「ああ、よく分かったな。母さんが今朝弁当を作り忘れてな……」


 俺は少し恥ずかしそうに説明する。


「それ、おばさんは悪くないの! 私が頼んだの!」


 真紀は急いで言い、頬を赤らめる。


「え?」


 俺は驚きで目を丸くする。


「そうだね、驚かせようと思ったけど、やっぱり途中で買っちゃうよねー……」


 真紀は少し残念そうに言う。


「もしかして」


「うん、今日は私がお弁当を作ってきたんだ」


 真紀は誇らしげに、でも少し恥ずかしそうに言う。


「マジで?」


  俺の声は喜びで弾む。


「マジだよ。お料理もお母さんに教わって一杯練習したから!」


「真紀の手作りか!」


「うん! ヒロに食べてもらいたくて」


 真紀の声から、確かな決意が感じられる。


「迷惑……かな?」


 真紀は少し困ったような顔をして、上目遣いで俺を見上げて言った。頬は薄く紅潮し、目には不安と期待が混ざっている。


「い、いや、そんなことは無いぞ。 どんな弁当か楽しみになってきた!」


 俺は急いで答え、真紀を安心させようとする。


「うん、だからね、今日は一緒に食べよう?」


 真紀の声には希望が溢れている。


「ああ」


 俺は優しく微笑みかける。


「やったあ!」


 真紀の笑顔が春の陽射しのように明るく輝く。




 そんな会話をしながら、俺たちは学校の教室に到着した。朝の光が窓から差し込み、教室を柔らかく照らしている。

 教室には先に美玖が来ていた。彼女は窓際の席に座り、外の景色を眺めていたが、俺たちが入ってくるのを見て、パッと顔を輝かせた。


「ヒロっちおはよー!」


 美玖の声は朝の静けさを破るほど元気だ。


「おう、おはよう、美玖」


 俺は少し照れくさそうに返す。


「マキっぺもおはよー!」


 美玖は真紀にも同じように明るく声をかける。


「ま、マキっぺ!?」


 真紀は驚いて目を丸くする。


「あ、私、仲良い人はあだ名で呼ぶことにしてるんだ!」


 美玖は得意げに説明する。


「そ、そうなのね。おはよう、美玖さん」


 真紀は少し戸惑いながらも丁寧に返す。


「さん付けなんていらないよー!」


 美玖は首を振りながら言う。


「それじゃ、美玖ちゃんにしとくね」


「うん!」


 美玖は満面の笑みで頷く。


 そんなやりとりをしているところに、真奈美も入ってくる。彼女の足音は静かで、優雅な雰囲気を纏っている。


「みんな、おはよう」


 真奈美の声は落ち着いていて、少し大人びている。


「おはよう、マナミン!」


「真奈美さんはマナミンなんだ……」


 真紀は少し驚いたように呟く。


「そうね、あまり気にしたら負けだと思ってる。どうせ真紀ちゃんも変なあだ名を付けられたんでしょう?」


 真奈美は優しく微笑みながら言う。


「うん……マキっぺだって」


 真紀は少し恥ずかしそうに答える。


「そう、私は真紀ちゃんって呼ぶわね。私もさん付けはいらないわよ」


 真奈美は親しみを込めて言う。


「ありがとう、真奈美ちゃん」


 ガラッ


 ドアが開く音と共に、煌めくプラチナブロンドが入ってくる。クロエだ。彼女の姿は教室に一瞬の静寂をもたらす。


「Salut!(サリュ)」


 クロエの声は澄んでいて、少し異国情緒がある。


「クロエ、おはよう。ああ、みんな。Salut !(サリュ)っていうのはカジュアルなフランス語の挨拶なんだ」


 俺は少し得意げに説明する。


「へえ、そうなんだ」


 みんなが興味深そうに聞いている。


「Salut !(サリュ)クロちゃん!」


 美玖は即座に新しい挨拶を取り入れる。


「クロちゃん?」


 クロエは少し驚いた表情を見せる。


「ああ、クロエさん、美玖ちゃん変なあだ名をつけるのが趣味なだけだから、気にしなくていいわよ」


 真奈美が優しく説明する。


「そうなんですね。日本の文化、面白いです! 皆さんもクロエって呼んでくださいね。日本の敬称というのは難しいです」


 クロエは楽しそうに言う。


 朝から賑やかな俺の周りを、一部の生徒は冷たい目で見ている。その視線に気づき、俺は少し居心地悪さを感じる。

 美少女たちに囲まれてうらやましい、とか思っているのだろう。

 この先どうしたらよいのか分からないという苦悩は、伝わることは無いのだ。


 誰かを選ぶという事は、他の全員を選ばないという事だ。

 こんなに大切な仲間たちを、一人だけ選んで、あとは全員を悲しませるという事だ。

 その選択を、俺はしなければならない。


 そんな事を考えていると、予鈴が鳴り、ドアが開いてショーコ先生が入ってきた。彼女の足音は軽快で、教室に活気をもたらす。


「はーい、お前ら席に着けー。お、今日も西森は侍らせてんな」


 ショーコ先生がからかうように言った。

 クラスの中からもくすくすとした笑い声と、ぎぎぎという歯ぎしりの音が聞こえる。

 歯ぎしりは主に男子から。


「ショーコ先生、俺がいかがわしい事をしてるみたいに言わないでください」


 俺は少し赤面しながら抗議する。


「おー、悪かった悪かった。そんじゃ出席とるぞー」


 ショーコ先生は軽く手をヒラヒラさせながら言う。

 相変わらずサバサバした先生だ。


 それにしても、彼女たちは二日間で色々あったが、打ち解けたようで良かった。

 これでギスギスしていたら、俺は逃げ出していたかもしれない。



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 そして昼休み。教室には昼食を楽しみにする生徒たちの賑やかな声が響く。クロエは女子たちに学食を案内してもらうらしい。


「それじゃ、行ってきます。À tout à l'heure!(また後で!)」


「ああ、行っておいで」


 クロエが去った後、美玖と真奈美がやってきた。


「宏樹、お昼一緒に食べましょう?」


「わたしもわたしもー!」


「おう、真紀も一緒だけどいいか?」


(あ、やっぱりもう約束してたのね)

(さすが幼馴染、強敵だよ・・・)


 美玖と真奈美の目に一瞬の落胆が浮かぶ。


「美玖? 真奈美?」


 俺は少し心配そうに二人を見る。


「「あ、何でもない」」


 二人は慌てて笑顔を作る。

 そこへ真紀がやってきた。彼女の手には大切そうに抱えた弁当箱がある。


「ヒロ、おまたせ! あ、やっぱり真奈美ちゃんと美玖ちゃんも一緒だったんだ」


 真紀の声には少しの驚きと喜びが混ざっている。


「ああ、今日は4人で食べようぜ。近くに空き教室があるからそこに行こう」


 そういって俺たちは移動した。廊下を歩きながら、四人の間に少し緊張した空気が流れる。


 人気の無い空き教室に入ると、窓から差し込む陽光が埃っぽい空気を柔らかく照らしている。机を並べてそれぞれ弁当を取り出す音が静かに響く。

 そこで真紀が俺に弁当を渡してくれた。


「はい、ヒロ」


「おう、サンキュ」


  俺は優しく微笑みながら弁当を受け取った。


「は?」「え?」


 俺が弁当を受け取ると、美玖と真奈美は何が起こったのか分からないという、驚きの表情をした。二人の目が大きく見開かれる。


「「ん?」」


 俺と真紀は同時に首を傾げる。


 美玖がガタッっと音を立てて立ち上がる。椅子が床を擦る音が静かな教室に響く。


「いやいやいやいや、ヒロっちそれ何よ!?」


 美玖の声は驚きと焦りで少し裏返っている。


「そうよ、真紀ちゃん! 何なのそれは!?」


 真奈美も普段の落ち着きを失い、声を上げる。


「え? 弁当だけど?」


「いやいやヒロっち、そうじゃなくて」


 美玖は焦った様子で言葉を続けられない。


「真紀ちゃんこれってひょっとして……」


「あ、手作りのお弁当……だよ?」


 真紀は少し恥ずかしそうに答える。


「なななな、なんですと!?

 ……クッ、予想以上に動きが早い………」


 美玖が歯を食いしばり、小さく呟く。


「や、やるわね……」


 真奈美も負けじと目を細める。

 そしてこそこそと小声で内緒話を始めた。


(わ、私たちも順番でお弁当を……)

(マナミン料理できるの?)

(少しなら……美玖ちゃんは?)

(私はムリ……)


 二人とも、キッっと悔しそうな表情で真紀を見つめる。

 どうやら負けを認めたようだ。

 それに気づいて、フフンとちょっと得意そうに鼻をふくらめる真紀の表情に、懐かしさを覚え、俺は笑ってしまった。


「アハハハ! 真紀のその表情、小学校の時から変わってないのな!」


 俺の声には温かい思い出が滲む。


「な、何よ突然」


 真紀は頬を赤らめて俺を見上げる。


「はー、ごめんごめん、ちょっと得意そうなその顔、ちょっと懐かしくてさ」


 俺は少し照れくさそうに頭を掻く。


「もう、ヒロったら笑わないでよ!」


 真紀が頬を膨らませて、ぷいっと視線をそらす。そんな彼女の表情に、またしても微笑みがこぼれる。


「ごめんって。でも本当に嬉しいよ。ありがとうな、真紀」


「……うん、どういたしまして」


 真紀は照れ隠しのように小さな声で返事をする。


 照れ隠しのように小さな声で返事をする真紀。そんな彼女を見て、美玖と真奈美も少し気まずそうにしている。二人の目には複雑な感情が浮かんでいる。


「さて、それじゃあ食べようか。真紀の手作り弁当、楽しみにしてたんだ」


 俺がそう言うと、真紀はパッと顔を明るくし、弁当のふたを開ける。蓋を開ける音と共に、美味しそうな匂いが教室に広がる。


「じゃーん! 見て見て、ちゃんと彩りも考えて詰めたんだよ!」


 真紀の声には自信と期待が溢れている。

 弁当箱の中には、色鮮やかな卵焼き、ウインナー、野菜の煮物、そしてハート型にしたミートボールがぎっしりと詰め込まれていた。それぞれの料理が丁寧に作られているのがわかる。


「おお、すごいな! 本当に美味しそうだ」


 俺は心から感動した声で言う。


「でしょ? 一生懸命作ったんだから!」


 そんな真紀の自慢気な声に、俺は一口卵焼きを口に運ぶ。柔らかな食感と優しい味が口の中に広がる。


「……うん、めっちゃ美味い!」


 俺は驚きと喜びを込めて言う。


「ほんと!? よかったぁ……」


 真紀がほっと安堵の息をついたその時、美玖と真奈美が黙って見ていることに気づいた。


「あ、あの……もしよかったら、みんなも一口食べる?」


 真紀が少しおずおずと問いかける。その声には少しの不安と、仲間を大切に思う気持ちが感じられる。

すると、二人は「いいの?」と目を輝かせる。その表情には驚きと期待が混ざっている。


「貰うだけじゃ悪いから、おかずを一品交換しましょう?」


 真奈美がおかずの交換を申し出た。


「私も!」 美玖も静かに、でも確かな声で同意する。


 三人でおかずの交換が始まる。お互いの弁当箱を覗き込み、どれを選ぼうか迷う姿が微笑ましい。美玖の弁当はシンプルなものだ。真奈美は料理番が作ったのだろうか、クォリティが違う。すると、どちらともなく自然に褒め言葉が飛び交う。


「これ、本当に美味しいね! マキっぺ、料理上手なんだね!」


 美玖は目を輝かせながら言う。


「ほんと、すごいわね。自分だけでもこれだけ作れるんだ……」


 真奈美も感心したように頷く。

 そんな二人の言葉に、真紀は少し照れながらも嬉しそうに微笑んだ。頬が薄く赤くなっている。


「ありがとう。でも、まだまだお母さんには敵わないよ」


 真紀は謙遜しつつも、嬉しさを隠しきれない様子だ。


 その言葉に、俺もつい頷く。聖子さんの料理は昔から絶品だった。そんな話題で盛り上がるうちに、昼休みが過ぎていく。窓の外では春の風が木々を優しく揺らし、他に誰もいない空き教室には四人の笑い声が響いている。


 ──昼食が終わり、教室へ戻ると、再びクロエが合流してくる。彼女の顔には満足げな笑みが浮かんでいる。


「おかえり、クロエ。学食はどうだった?」


「とても美味しかったです! 日本の学校のランチも、こんなに美味しいのですね! でも、明日はお弁当を持ってくるので、一緒に食べましょう?」


 クロエが満面の笑みで答える。どうやら彼女も楽しい時間を過ごせたようだ。その笑顔に、教室全体が明るくなったように感じる。


 午後の授業が始まり、いつものように平穏な時間が過ぎていく。窓の外では春の陽光が校庭を優しく照らし、教室には先生の声と生徒たちのペンを走らせる音だけが響いている。



 放課後、帰宅前にトイレに行っておこうと教室を出た。廊下には放課後すぐの慌ただしさが溢れている。その時、懐かしい声が耳に入った。


「お、ヒロじゃん!」


 振り返ると、そこには中学のバスケ部仲間、カツミが立っていた。彼は驚いたように目を見開いて俺を見ている。その表情には懐かしさと喜びが混ざっている。


「おお、久しぶりだな、カツミ。元気そうだな」


 俺は嬉しそうに微笑む。


「お前こそだよ!なあ…… 噂で聞いたぜ。お前バスケ部には入らないんだって?」


 カツミの声には少しの困惑と心配が滲んでいる。

 その問いに、俺は少し笑って肩をすくめた。心の中では複雑な感情が渦巻いている。


「ああ。とりあえずな。まだ部活には入らないことにしたんだ」


  俺の声は静かだが、決意を込めて言った。


「どうした? お前、あんなにバスケ好きだったじゃねえか。ていうか、あれだけ一緒に練習してたのに、なんでだ?」


 カツミの声には驚きが感じられた。


 カツミの驚きは当然だ。俺自身、バスケはずっと続けてきたし、どこかでまたやりたい気持ちは残っている。でも、今は違う選択をしたかったんだ。俺は深呼吸をして、言葉を選びながら説明を始める。


「カツミ、俺はバスケが嫌いになったわけじゃないんだ。ただ、今は他に優先したいことがある。彼女たちに真剣に向き合って、関係をちゃんとして、部活はそれから考えたいと思っているんだ」


 カツミはしばらく黙って俺の顔を見つめていたが、やがて納得したように頷いた。彼の目には理解の色が浮かんでいる。


「なるほどな、お前らしい決断だ。けど、もしバスケがしたくなったらいつでもこいよ。お前のこと、待ってるからさ」


 その言葉に、胸が少し熱くなる。カツミたちと過ごした日々は、俺にとって大切な思い出だ。バスケを完全にやめるつもりはない。いつか、またコートに立つ日が来るかもしれない。それがいつかはわからないけど、そういう未来もあるんだろうなと心の中で思う。


「ありがとう、カツミ。その時は遠慮なく頼らせてもらうよ」


「おう、待ってるぜ!」


 ニカっと、カツミは力強く微笑む。


 俺たちは軽く拳をぶつけ合い、別れた。


 その瞬間、なぜか過去と未来が交差したような感覚がした。


 これから歩む道は違うかもしれないけど、仲間との絆は変わらない。

 彼女たちの想いに真剣に向き合うため、今はバスケを一旦置いておく。

 でも、また戻ってくるかもしれない。その時を楽しみに、俺は今の選択を大切にしていこう。


 廊下に残された俺は、窓から差し込む夕日を見つめながら、これからの日々に思いを馳せた。

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