第41話 ファミレス再び
彼女にして欲しい───
教室の窓から差し込む柔らかな春の日差しが、薫の艶やかな髪を優しく照らす。その瞳に映る期待と不安が交錯する表情に、俺は一瞬言葉を失った。
そう願う薫に俺が言えるのは、「急に言われても返事はできない」という事だけだった。
そして、薫は美玖、真奈美、真紀、クロエの四人に連れられてどこかへ行ってしまった。残された教室に、かすかに残る薫の香りと、俺の複雑な思いだけが漂っていた。
放課後、俺たちは再び昨日と同じファミレスに来ていた。
同じメンバーが同じ場所に座る。そしてドリンクやちょっとしたツマミを注文していく。窓の外では、夕暮れの街が徐々に色を変えていく。店内の温かな照明が、テーブルを囲む俺たちの顔を柔らかく照らしていた。
「さてと」
美玖が口を開く。
「まず、ヒロっちに聞きたいことがあるんだけど」
「はいっ」
俺は思わず姿勢を正し背筋を伸ばした。
「他にも命を救った女の子、いるの?」
その質問に、テーブルを囲む全員の息が一瞬止まったように感じた。
「……いや。というか、山下君については完全に男の子だと思っておりまして……な、真紀?」
俺は困惑した表情で真紀を見る。大きくうなずいた真紀もまた、戸惑いの表情を浮かべていた。
「そうね……これは完全に予想外だったわ」
「まさか、小学校の時に助けた男の子が、実は女の子で、しかもメジャーなアイドルになっているなんてな……」
俺の言葉に、みんなの表情がさらに複雑になる。
「まるでドラマね……」
真奈美は苦笑いだ。
そんな話をしていると、ファミレスのドアが開き、チャイムの音が流れる。全員の視線が一斉にその方向へ向けられた。
「す、すみません、お待たせしました」
そう言って俺たちの前に現れたのは、現役アイドルの『KAORU』だ。帽子とメガネで変装しているので、他の人からは分からないだろう。
「座って」
「はい……」
美玖に着席を促され、端に座る薫。その姿は少し緊張した様子で、テーブルの上で手をきつく握りしめていた。
「さて、まずはあなたに聞きたい事があるの」
美玖が薫を睨みつける。
「はい」
薫の声は小さく、少し震えていた。
「あなたアイドルなんでしょ? ヒロっちと付き合いたいっていうけど、恋愛なんてしたらマズいんじゃないの?」
美玖の言葉は鋭く、まるで刃物のように薫の心に突き刺さったかのようだった。
「そうよ、そうだわ!」
ハッとした表情で真奈美が声を上げる。その声には、驚きと共に、何かを思い出したような響きがあった。
「……やめます」
「はい?」
薫の言葉に、全員が驚きの表情を浮かべる。テーブルを囲む空気が、一瞬で凍りついたかのようだった。
「アイドルなんてやめます! ボク、アイドルになったのだって、西森先輩に見つけて欲しかったからなんです。アイドルになって、テレビに出て、そしたらボクに気づいてくれるかもって。あなたのおかげで元気でやっていますって伝えたかった。もしかしたら気づいて会いに来てくれるかもって思ったら、どんなことだって頑張れた」
薫の目にどんどん涙が溜まっていく。
「そして、先輩を見つけてしまった。会えてしまった。そしたら抑えていた感情に歯止めが効かなくなっちゃったんです」
えへへ、と泣いたまま薫は微笑む。
「そう……」
何か諦めた表情の美玖。
「それじゃ私たちの事情を話しましょうか」
そうして美玖たちは、それぞれの事情を薫に話した。窓の外では街の喧騒。俺たちの周りだけ異質な空気が流れているのを感じる。
「───だから、私たちは、1学期の間にライバルとしてヒロっちにアプローチをする。
そして、ヒロっちは1学期が終わるまでに答えを出す。そういう約束なの」
美玖の言葉に、薫は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに決意に満ちた眼差しに変わった。
「ボクも、参加させてください」
「今の話聞いてた? 言っちゃ悪いけどあなた不利よ? 繋がりだって薄いし、それにあなたは学校だって違うわ」
美玖の言葉は厳しかったが、その目には薫を思いやる優しさも垣間見えた。
「構いません」
薫の声には、揺るぎない決意が込められていた。
「そして何より、ヒロっちは中学生とは付き合えない。もし、そう言ってたヒロっちが、中学生のあなたを選ぶような事があれば、私は絶対にヒロっちを許さない」
燃えるような眼で俺を睨みつける美玖は真剣そのものだった。その眼差しに、俺は思わず身を縮める。
「そうね」
真奈美の目も、静かに決意をたたえている。その表情には、過去の思い出と現在の決意が交錯しているようだった。
それはそうだろう。『まだ中学生だから』というのを理由にして二人と付き合わなかった。二人を彼女にしなかった。だから彼女たちは高校入学を待った。その彼女らを差し置いて、中学生の子を選んだら、裏切りどころではない。
「それでも、構いません」
薫の声は小さいながらも、強い意志が感じられた。
「そう……なら私は構わないけど。みんなはどう?」
「私は構わないわ」
真奈美は賛同した。その声には、ライバルを認める覚悟が感じられた。
「私も……というか私も昨日参加させてもらったばかりだから……」
「私も同じです」
真紀とクロエは、自分たちが昨日参加させてもらったばかりなので、拒否する権利はないと思っているようだ。二人の表情には、複雑な感情が浮かんでいた。
「さて、ヒロっち。そういう事だから」
「はい」
俺は緊張した面持ちで美玖を見つめる。
「もう一度聞いておくけど、これ以上増えないわよね?」
美玖の眼差しは鋭く、まるで俺の心の奥底まで見通しているかのようだった。
「はい……そうだと思います」
「……思います?」
美玖の声が一段と厳しくなる。俺は慌てて言い直した。
「ふ、増えません!」
「よろしい」
美玖の表情が少し和らぐ。その瞬間、テーブルを囲む全員の緊張が少しほぐれたように感じた。
そうしてファミレスを出た俺たちは帰路に就いた。
駅まで方向が一緒だったため、俺と真紀は薫と一緒に話しながら帰った。夜の街は、昼間とは違う顔を見せていた。ネオンの明かりが路面を彩り、行き交う人々の姿が影絵のように浮かび上がる。
「山下……さん、でいいのかな?」
俺は少し戸惑いながら薫に声をかけた。
「あ、
薫の声には、嬉しさと少しの照れが混ざっていた。
「本当に驚いたよ。聞いて良いのか分からないけど、お母さんはどうなったんだ?」
俺の質問に、薫の表情が一瞬曇った。しかし、すぐに明るい表情に戻る。
「大丈夫ですよ。母は、いえ、元母は親権を放棄しました。でも、施設にも新しいお母さんがいるし、みんな優しい。だからボクは寂しくないですよ」
薫の言葉には、強がりではなく、本当の強さが混ざっているように感じられた。
「うん、良かった……心配してたのよ。警察や先生に聞いても、入院先の病院や、入居先の施設の名前や場所も教えてくれなかったし。無事にやれてるのかなって、ずっと思ってた」
真紀は涙目だ。その目には、長年の心配と安堵が混ざっていた。
「でも本当に無事でよかった。それにしてもアイドルか……こう言っちゃなんだが、俺たちの知っている『山下君』が芸能人だとは、さすがに現実とは思えないな」
俺はまじまじと薫を見た。
肩の少し先まで伸ばした艶やかな髪は、二つのおさげにしてシュシュで括っている。
今は変装のために度の入っていない太い黒縁のメガネをかけているが、くりくりっとした円らな瞳は昔のままだ。
ぷっくりとした桜色の唇、しゅっとあごは細く、鼻の形も良い。
非常に整った顔立ちはさすがに芸能人といった所か。
こんな子を男だと思っていたなんて申し訳なくなってくる
「はい……本当に運が良かったんです。それと、西森先輩。山下君はやめてください。ボクのことは薫って呼んでくださいね!」
そう言って薫はおどけてみせる。その仕草には、少し前まで見せていた真剣な表情からは想像できないような愛らしさがあった。
「ああ分かった、そう呼ばせてもらう。俺の方も宏樹でいいぞ」
「さすがに呼び捨てでは呼べないですよ。
宏樹先輩って呼ばせてもらいますね!」
「ああ」
俺は少し照れくさそうに頷いた。
「それじゃ、ボクの事を話しますね。
事件の後、病院を退院したボクは、別の街の施設に入ったんです。施設は良い人ばかりで、園長先生のも、みんなに『私の事はお母さんって呼びなさい』って言ってくれたりして。
そんな中、施設の先輩にダンスが得意な方がいて、その人が落ち込んでいた私にダンスを教えてくれたんです。あんなことがあったボクは、嫌な事を忘れるために一心不乱にダンスに取り組みました」
薫の声には懐かしさと感謝の気持ちが滲んでいた。街灯の明かりが彼女の横顔を優しく照らし、その瞳には遠い記憶が映っているようだった。
「そして、たまにテレビから聞こえてくる歌を口ずさんでいたら、『知り合いにプロのボーカルがいるから歌も習ってみる?』って言ってくれて。で、そうやって練習していたら、その人の知り合いの人が、中高生の女子を集めてアイドルグループを作るから、オーディションを受けてみないかって。自分でもびっくりしちゃうくらい、とんとん拍子に話が進んで。気が付いたらこうなっていました。えへへ……」
薫の口から語られた、にわかには信じられないサクセスストーリー。
それは、紛れもなく並々ならぬ本人の努力によって勝ち得たものであった。俺と真紀は、驚きと感動の入り混じった表情で薫の話に聞き入っていた。
「そっか、そうだったんだね。
ねえヒロ。あの時の願い、神様に届いてたよ」
「お、覚えてたのか」
真紀の言葉に、俺は少し驚いた様子で返事をする。
「何の話ですか?」
薫が好奇心に満ちた表情で尋ねる。
「うん、あの事件の後にね、空に向かってヒロが言ってたんだ。『お願いします、神様』って。あれは薫ちゃんの幸せをお願いしてたんだよね」
真紀の言葉に、薫の目が大きく見開かれた。その瞳に、感動の涙が浮かんでいるのが見て取れた。
「そうだったんですか……」
「真紀……よく覚えてるな」
俺は感心したように真紀を見る。その目には、昔の記憶が蘇ってきた様子が窺えた。
「忘れるわけないよ。小学生の私には強烈すぎる体験だったもの。それに、私も一緒に願ったから」
「あ、ありがとうございます」
薫の声は震えていた。感謝の気持ちが溢れ出ているようだった。
「でもさ、ホントによく頑張ったな。道はあったかもしれない。けど、それを掴み取ったのは紛れもなく薫自身の力だ」
俺の言葉に薫の目から涙が溢れてくる。街灯の光に照らされて、その涙が煌めいて見えた。
「はい、すごく……すごく頑張ったんですよ! あなたに会いたくて、ボク必死で頑張ったんです!」
気が付くと俺は薫の頭をなでていた。その仕草は自然に出てきたもので、薫の髪の柔らかさを感じながら、俺の胸に温かいものが広がっていった。
「うん、よく頑張りました」
その後はしばらく無言だった。
駅に到着すると、薫は別方向らしく、そこで別れることになった。
「また、昼休みに会いに行ってもいいですか?」
「いいぞ。俺たちは多分近くの空き教室に行ってるから。だけど、しっかり飯は食えよ」
「飯を食えって……女の子に向かって言うセリフじゃ無いですよ、宏樹先輩。それじゃ、行きますね」
薫は少し寂しそうな、でも期待に満ちた表情で別れの言葉を告げた。
「ああ、また明日な」
「はい、また明日」
俺たちは手を振って別れ、薫の小さな背中が夜の闇に消えていくのを見送った。
電車の中でも俺たちは何となく無言だった。
電車を降りて真紀と二人で歩く。
夜の静けさの中、二人の足音だけが響いていた。
「ヒロ……昨日と今日、色々あったね」
「……あり過ぎだ」
俺の声には疲れと戸惑いが混ざっていた。
「ちょっといいかな」
人気の無い公園の前で真紀に止められる。
誰もいない公園の中に入ると、塗装のはがれたブランコの前で真紀が言った。ぼんやりと灯る街灯の明かりと、月明かりが二人の姿を柔らかく照らしている。
「やっぱり私も、自分の口から言っておきたくて」
「ああ」
真紀の声には緊張感が漂っていた。俺は息を呑んで彼女の言葉を待つ。
「私はヒロが好き。ずーっと好き。あんなにかわいい子ばかりで、私なんかじゃ相手にならないかもしれないけど、気持ちだけは負けないから!」
真紀の真剣な眼差し。その目には決意と不安が入り混じっていた。
「ありがとう。俺もまだ混乱してるし、取り決めの通りに1学期中には結論を出すつもりだ。それまで待っていて欲しい」
「うん、待ってる」
真紀の表情が少し和らぐ。
「やっと言えた」
真紀の表情が安堵に変わる。
「あー、それとだな」
自分の気持ちを、勇気をもって伝えてくれた真紀に、俺もこれだけは伝えておかなければいけないと思った。
「なに?」
「ま、真紀も十分可愛いから」
「え!?」
ボンッと音を立てて顔を真っ赤にする真紀。月明かりに照らされた彼女の赤面した顔が、とても愛らしく見えた。
「なあ真紀。久しぶりに手を繋いで帰らないか?」
そう言って俺は手を伸ばす。その仕草には、懐かしさと新しい何かへの期待が感じられた。
「……うんっ!」
真紀は驚いた顔の後、はじける様な笑顔で俺の手を取った。その笑顔は、まるで小学生の頃に戻ったかのように純粋で輝いていた。
「なんだか懐かしいな」
「ヒロの手、こんなに大きくなったんだね」
「昔は真紀の方が大きかったからな。今じゃ俺の方が包み込めるサイズだ」
「すっごく大きい……」
真紀の声には感慨深さが滲んでいた。
「バスケットをやってたからかな?」
俺自身、以前の人生よりも大きくなっているとすら思う。
「でも、昔と同じで温かい。ヒロの手だよ」
ニコニコと笑顔な真紀。
懐かしい空気を味わっているとすぐに家に着いてしまった。夜の静けさの中、二人の足音だけが響いていく。
「それじゃ、またね!」
「おう、またな!」
「あ、明日は一人で学校に行っちゃわないでよ!?」
真紀の声には少し不安が混ざっていた。
「ああ、忘れないよ。早いようだったら俺の方が迎えに行く」
俺の言葉に、真紀の表情が明るくなる。
「それじゃ、バイバイ」
「ああ、またな」
真紀の後姿を見送って、俺は家の中に入った。
揺れるポニーテールはあの頃を思い出させる。その姿に、懐かしさと新しい何かへの期待が胸の中で混ざり合っていた。
こうして、俺の激動の二日間は幕を下ろした。
真奈美と美玖、そして俺の三角関係だった中学校生活から一転。
真奈美、美玖、クロエ、真紀、薫、五人のヒロインによる俺の争奪戦が始まった。
青春をやり直すと誓った俺だが、正直意味が分からない。
これ、なんてラブコメ?
……ヒロイン、これ以上増えないよな?
明日からの高校生活、不安しかないんだが。
月を見上げ、一つ溜息を吐く。
月がニヤリと、笑ったように思えた。
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