第36話 晩夏の誕生日

 もうすぐ2学期を控えた8月30日。

 俺は、早朝から薄い青のTシャツを着て駅の前で人を待っていた。


「ヒロっちお待たせー!」


 俺を見つけると、笑顔で手を振ってきたのは美玖だ。

 先日購入した、澄みわたった空のような色合いのワンピースがとてもよく似合っていた。


「今来たところだよ。それにしても、やっぱり凄く似合ってるね」


「ヒロっちも似合ってるよ。それに……」


 にししと笑って腕を差し出してくる。

 俺も微笑み返して、横に腕を並べる。

 そこには、初デート記念で購入したシルバーチェーンのブレスレットがきらりと輝く。


「やっぱお揃いっていいね!」


 そう言うとそのまま互いに手を取って歩き出す。

 誰がどこからどう見たってカップルなのだが、彼らはそうでは無いという。


 今日は美玖の誕生日なのだ。それで、彼女のリクエストで東京デスティニーランドに行くことになった。東京と名に付くが、実は千葉県にある、日本最大級のテーマパークだ。

 もちろん真奈美には許可を取ってある。

 真奈美の誕生日には、彼女と二人きりでデートに行く予定だ。

 「キスはダメだからね」と念を押されたが、逆に意識してしまいそうだ。

 しかし……カツミの言った通り、とんだハーレム野郎だな、俺は………

 だが、中学生の内は誰とも付き合わないと決めているからな。

 高校に入ったらどうなるか分からないが……


 そんな事を考えていると電車は巻浜駅に到着した。

 ここから少し歩くといよいよ東京デスティニーランドだ。



 ついに東京デスティニーランドに到着した俺たち。あらかじめ購入しておいたチケットを取り出し、入場の列に並ぶ。


「さすが夏休み、凄い人だな」


「だね。見て見てヒロっち、やっぱりカップルが多いねえ!」


「だな」


「私たちもそういう風に見られてるのかな?」


「まあ、間違いなくそうだろうな」


 男女2人がこの暑いのにゼロ距離で手を繋いでいるのだ。


「にしし……やっぱ付き合っちゃう?」


「美玖はそればっかりだな。中学の内はねぇよ」


「それじゃ、高校までに私の事しか考えられないように頑張るから!」


「ったく」


 そうこうしているうちに俺たちの番が来た。

 入場ゲートをくぐると、そこには夢と魔法の王国が広がっていた。

 甘い匂いと、わくわくするような音楽が俺たちを出迎える。


「わぁ!すごい!」


 美玖が目を輝かせる。


「ヒロっち、見て見て!あのお城!」


 中央にそびえ立つクリスタルパレスは、朝日に照らされて輝いていた。青と白のグラデーションが美しい尖塔が空に向かって伸び、金色の装飾が眩しいほどだ。周りには色とりどりの花々が咲き誇り、甘い香りが漂う。赤やピンク、黄色の花々が、まるで虹のじゅうたんのように広がっている。園内は既に大勢の人で賑わっていた。


「もしかして美玖、初めてか?」


「そうだけど?」


「そうか、俺は家族と来たことが一度ある」


 元妻とも何度か来た事があったし、娘が小さい頃に何度か連れてきたこともある。

 そんなこと絶対に言えないけどな。


「それじゃ、エスコートはお願いね!」


「おう、任せろ! 美玖は行きたいところとか決めてきたか?」


「俺が尋ねると、美玖は地図を広げた。


「うーん、やっぱりまずはファンタジービレッジかな! ミッチーに会いたい!」


 ミッチーとは、このデスティニーランドの代表ともいえるキャラクターで、耳が大きいネズミの姿をしている。


 手を繋いで歩き始める。互いの手が少し汗ばんでいるのを感じる。夏の暑さによるものか、はたまた緊張しているのだろうか。


「ねえ、ヒロっち」


 美玖が俺を見上げ、微笑みながら言う。


「今日はありがとね。来れてホントに嬉しい」


「ああ、俺もだ」


 俺は微笑み返す。


「美玖の誕生日、一緒に祝えて良かった」


 美玖の頬が赤くなる。


「もう、照れるじゃん……でも、ホント嬉しい!」


 その笑顔に、思わず見とれてしまう。柔らかそうな唇が目に入り、ドキリとする。慌てて視線を逸らした。ヤバい。完全に思考が体に引っ張られている。


 道中、ミッチーやネズミーナの像、キャラクターをモチーフにした花壇など、写真スポットが至る所にあった。色鮮やかな花で作られたキャラクターの顔は、まるで生きているかのようだ。


「ねえねえ、写真撮ろう!」


 美玖がバッグからインスタントカメラ、『撮るんです』を取り出す。


「はいはい」


 俺は笑顔で応じた。


 カシャッ。一枚目はミッチーの像の前で。二枚目はネズミーナの花壇の前で。三枚目は二人でピースサイン。写真を撮るたびに美玖の笑顔が増していく。撮った写真をその場で確認できないワクワクを楽しむ。この時代では当たり前だったことだ。


「ねえ、ヒロっち」


 美玖が俺の腕にしがみつく。


「腕組んでもいい?」


「言う前から組んでるだろ。俺汗かいてるぞ。それに、暑くないか?」


「うん、大丈夫」


 先ほどよりも美玖が近い。唇をじっと見つめてしまった。いかんいかん。目を下にそらすと、今度は年齢の割には豊かな双丘に目がいってしまった。


「もう、どこ見てるのー」


 俺は照れ笑いしながら、目的地を目指した。




 ファンタジービレッジに着くと、カラフルな建物群が目に飛び込んできた。まるで漫画やアニメの中に入り込んだかのような世界だ。赤や黄色、青などの原色が鮮やかに塗られた建物が、ゆがんだ形で立ち並び、まるで絵本から飛び出してきたような光景が広がっている。


「あ! ミッチーだ!」


 美玖が指さす先には、確かにミッチーがいた。

 コミカルな動きでみんなと写真を撮っている。

 写真を一緒に撮るには並ばないといけないが……


「どうする? 並んで写真を撮るか?」


「もっちろーん!」


 美玖は満面の笑顔で言った。

 二人で列に並び、ようやく順番が回ってきた。


「ハイ、チーズ!」


 カシャッ。ミッチーと一緒に撮った写真は、きっと一生の思い出になるだろう。

 しかし、この暑い中、着ぐるみで長時間活動するアクターの人は大変だな……

 いかん。本当に大人ってやつは余計な事を考えてしまうな。




 次に向かったのは、スターライトアドベンチャー。宇宙をイメージしたジェットコースターだ。真っ暗な空間に無数の星が輝き、未知の宇宙への冒険心をくすぐる。


 近づくにつれて聞こえてくる歓声と絶叫に、緊張が高まる。


「怖くない?」


 俺が尋ねると、美玖は強がって答えた。


「大丈夫だよ!」


 しかし、乗車中は俺の腕をギュッと掴んでいた。急降下や急カーブの度に「きゃー!」と悲鳴を上げる美玖。でも、降りた後の顔は満面の笑みだった。


「すっごく楽しかった!もう一回乗りたい!」


「おいおい、他のも回らないとな」


「えー、乗りたいよー……でも待ち時間が……うー」


 美玖が真剣に困った雰囲気を出している。

 その表情に少し笑ってしまいそうになりつつ、俺は冷静さを保つ。


「さ、次の場所に移動しようぜ!」


 その後、俺たちはハロウィンマンションとスプラッシュバレーを楽しんだ。


 アトラクションを降りた後、二人は少し離れた場所にあるベンチに座った。興奮冷めやらぬ美玖の頬は上気している。


「ねえ、ヒロっち」


 美玖が俺の肩に頭を乗せ、上目遣いで言う。


「私幸せ。それにすっごく楽しい」


「ああ」


「そっか、楽しんでくれてるんだ」


 悪戯な微笑みを見せる美玖。


「美玖と一緒だしな」


 俺たちの視線が絡む。美玖の唇が、妙に魅力的に見えてしまう。無意識に顔が近づいていく。


「あ、」二人同時に気づいて顔を背けた。


「ご、ごめん」


 俺が謝る。


「ううん、私も...」


 美玖も顔を真っ赤にしている。


 ついキスしてしまいそうになった。真奈美との約束を思い出す。

 しかし美玖……その上目遣いの表情は反則だ……




 昼食時、俺たちはジャズドリームレストランを選んだ。ニューオーリンズをテーマにした内装で、ジャズの生演奏も楽しめる。店内に響くサックスの音色が、大人の雰囲気を醸し出している。壁には古い楽器や写真が飾られ、天井からはシャンデリアが優雅に輝いている。美玖の誕生日ということで、予約してあったため、スムーズに入る事ができた。


「わぁ、おしゃれ!」


 美玖が感嘆の声を上げる。


「誕生日だし、少し奮発しようと思ってさ」


「ありがとう、ヒロっち」


 美玖が嬉しそうに微笑む。


「でも……ここ、カップルばっかりじゃない?」


 確かに周りを見回すと、恋人同士らしき人々が多い。俺は少し赤面しながら答える。


「気にするな。俺たちも......そう見えている」


 美玖はクレオールチキンを、俺はジャンバラヤを注文した。

 クレオールチキンは、アメリカ南部のクレオール料理の一つで、スパイスの効いたトマトソースで鶏肉を煮込んだ料理。

 ジャンバラヤは、アメリカ南部のケイジャン料理とクレオール料理の一つで、米をベースにした炊き込みご飯。鶏肉、ソーセージ、エビなどの肉や魚介類、そして玉ねぎ、ピーマン、セロリなどの野菜をトマトやスパイスと一緒に炊き込んだものだ。

 ともにスパイシーで風味豊かな味わいが特徴だ。

 香辛料の香りが食欲をそそる。食事をしながら、二人で今日の出来事を振り返る。


「スプラッシュバレーで、あんなに水がかかるとは思わなかったね」


「ヒロっちの悲鳴、面白かったよ」


「お前のが大きかっただろ」


「もう! そんなことないもん!」


 美玖が頬を膨らませる。


 そんな会話を楽しんでいると、突然、俺たちの周囲だけレストランの照明が暗くなった。


「え? 何?」


 美玖が驚いた様子で周りを見回す。


 そこへウェイターたちが、ミッチーと一緒にケーキを持って現れた。キャンドルの灯りが美玖の驚いた顔を照らす。


「Happy Birthday to you...」


 ウェイターたちが歌い始める。美玖の目が潤んでいく。


「ヒロっち……これって……」


 俺はにっこりと笑って頷いた。


「誕生日おめでとう、美玖」


 美玖の頬を涙が伝う。


「……ありがと、ヒロっち………」


 ケーキに立てられたキャンドルに火が灯ると、美玖は目を閉じて願い事をした。

 ふーっとキャンドルの火を吹き消すと、レストラン中から拍手が沸き起こった。

 ミッチーからバースデーの特別仕様のぬいぐるみを渡される。

 嬉し涙を流す美玖を見ていると、思わず抱きしめたくなる。でも、ここは公共の場だ。俺は深呼吸して気持ちを落ち着かせた。


「美玖が喜んでくれて嬉しいよ」


「もう、ズルいよ、ホント」


 優しく頭を撫でる。それだけで、美玖の頬が赤くなった。二人の視線が絡み、また唇を意識してしまう。美玖も同じことを考えているのか、うっとりとした視線で目を細めるが、はっとして目線を逸らした。



 それからいくつかのアトラクションを楽しむと、だんだんと陽が落ちていくのが分かった。


「ねえ、最後にあれに乗りたい!」


 美玖が指さしたのは、ドリームホイールいう観覧車だった。


「そうだな、丁度良い時間かもしれない」


 観覧車に乗り込むと、ゆっくりと上昇していく。頂点に近づくにつれ、パーク全体が見渡せるようになった。


「うわぁ、綺麗...」


夕陽に照らされたパークの景色は息を呑むほどだった。遊園地の色とりどりのライトが徐々に灯り始め、昼間とは違う幻想的な雰囲気が広がっていく。美玖の銀色の髪が夕陽で輝いている。


「ねえ、ヒロっち」


「ん?」


「今日は本当に楽しかった。こんな素敵な誕生日、初めて。

 ……ありがと」


 見つめ合う二人。美玖の瞳がかすかに潤んでいる。思わずゆっくりと顔が近づく。美玖も目を閉じかける。心臓の鼓動が耳に響く。


 しかし、ゴン、と観覧車が揺れて、二人は我に返った。


「あ、あはは……」


美玖が照れ笑いをする。


「ご、ごめん。き、きれいな景色だな!」


俺も慌てて謝る。


「そ、そうだね」


二人とも、赤面したまましばらく黙っていた。


 観覧車を降りた後、最後にクリスタルパレスの前で写真を撮った。ライトアップされた城は、昼間とは違う幻想的な美しさで輝いていた。


「はい、チーズ!」


カシャッ。夕陽を背に立つ二人の姿が、フィルムに焼き付けられた。


「さて、そろそろ帰ろうか」


「うん...」


 少し寂しそうな顔をする美玖。でも、すぐに笑顔に戻った。


「今日は本当にありがと、ヒロっち」


「ったく、何度言うんだよ」




 帰りの電車の中、美玖は俺の肩で眠ってしまった。その寝顔を見ながら、俺は今日一日を思い返す。


(俺は、この関係をどうしたいんだ……高校生になったら付き合う? 誰と?)


 答えの出ない問いが、頭の中でぐるぐると回る。


 しかし、複雑な思いを抱えながらも、美玖の寝顔を見ていると心が温かくなる。

 これは、40代のオッサンが少女を慈しむ気持ちではない。

 認めよう。


 これは、『恋』だ。




 美玖のアパートに着くと、名残惜しそうに俺の方を向いた。


「じゃあ、また。

 明後日、学校でね」


「ああ、それじゃ……」


「うん……」


 美玖は言葉を詰まらせた。抱きしめられそうな距離。

 俺は美玖の肩をポンとたたいた。


「バイバイ」


 そう言って、俺は軽く手を振り歩き始めた。しかし、数歩歩いたところで後ろから駆け寄る足音が聞こえた。


「ヒロっち!」


 振り返ると、その瞬間、美玖の唇が俺の唇に触れた。柔らかく、甘い香りのするキス。首に手を回してきた美玖をしっかりと抱きとめると、そのまま抱きしめた。二人の心臓の音が互いに響き合う。


「……ゴメン、やっぱ我慢できなかった」


「美玖……」


「大好き」


 そう言って、美玖は再び走り去っていった。その背中を見送りながら、俺は唇に残る温もりを感じていた。


(俺も、大好きだ)


 素直にそう思ってしまった。

 しかし、そう思いながらも、複雑な思いが胸に広がる。美玖との楽しかった一日。そして、真奈美との約束。


(俺は一体どうしたいんだろうな)


 美玖の柔らかな唇の感触が残る一方で、真奈美の優しい笑顔が頭に浮かぶ。二人の女の子の間で揺れる気持ち。

 美玖のことも大切だし、真奈美のことも大切だ。

 まったく、俺はどうしようもないクズ野郎だな。

 心だけ大人で、何をやってやがる……


 答えの出ない問いを抱えたまま家路につく。明後日からは学校という日常に戻る。しかし、今日という特別な一日は、きっと俺の心に深く刻まれることだろう。


「答えを……出さなきゃな」


 外では、夏の終わりを告げるような風が吹いていた。夏の夜の音に、秋の虫の音がかすかに混じる。


 中学最後の夏は、こうして終わりを告げたのだった。




※なお、本作品は当然フィクションです。

もしあなたが連想されたテーマパークに観覧車が無かったとしても、本作品には無関係でございます。

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