第35話 打ち上げ花火

「燃え尽きたなー」


 自室でエアコンをガンガンかけながら、俺はベッドに横たわり、だらだらしていた。

 時刻は午後2時30分。

 全力でぶつかった全国大会が終わったばかりで、心身ともに疲れ切っていた。


「おにいちゃん! 美玖さんから電話だよ!」


「ああ、すぐ行く!」


 妹であるあかねの声で我に返り、ゆっくりと起き上がる。

 そう、この時代、中学生が携帯電話を持つことはほとんどなく、家の固定電話が主流だったのだ。


「はい、もしもし」


「ヒロっち? 今日は花火大会だけど、覚えてるよね?」


 美玖の明るい声が受話器越しに響く。忘れるはずがない。今日は地元の花火大会があるのだ。

 これに、俺と美玖、真奈美の3人で行くことになっている。


「もちろん覚えてるよ。時間は6時だったよね?」


「うん、6時に駅前で集合ね。真奈美ちゃんも一緒だから、楽しみだね!」


「ああ、そうだな」


「ヒロっちは何を着ていくの?」


「せっかくだから浴衣で行こうかと思ってる。美玖は?」


「にっしっしー! 私たちも浴衣でいくよん! 楽しみにしててね!」


「ああ、楽しみにしておく。それじゃあ、後でね」


 電話を切り、再び自室のベッドに倒れ込む。夏の終わりを感じさせる花火大会。今年の夏は部活に打ち込み過ぎてほとんど遊んでいない。楽しみだな……




 午後5時、俺は浴衣に着替え、鏡の前で身だしなみを整える。濃紺の地に白い縦縞が入った浴衣は、祖父から譲り受けたもの。帯は深緑色で、全体的に落ち着いた印象だ。浴衣なんて滅多に着ないから、少し違和感があるが、それもまた特別な感じがしていい。


「わお! おにいちゃん、似合ってるぅー! 馬子にも衣装ってやつ!?」


 妹がにやにやしながら言う。俺は照れくさくなりつつも、「ありがとう」と返事をする。

 でもあかね、『馬子にも衣装』は誉め言葉じゃないぞ。


 駅前に着くと、すでにたくさんの人で賑わっていた。色とりどりの浴衣姿の人々が行き交い、お祭りの雰囲気に包まれている。心が浮き立つのを感じる。


「ヒロっち、こっちこっち!」


 美玖の声に振り向くと、彼女と真奈美が手を振っている。二人とも浴衣姿で、それぞれが夏の華やかさを纏っている。


 美玖の浴衣は、淡い水色の地に白い桜の花びらが散りばめられたデザイン。帯は濃い青で、全体的に涼しげな印象だ。銀髪で、毛先に向かって青いグラデーションが入っているその独特な髪色が、浴衣の色合いと不思議とマッチしていて目を引く。


 一方、真奈美の浴衣は、深紅の地に金色の縁取りが施された菊の花模様が描かれている。帯は黒で、全体的に大人っぽい雰囲気だ。艶やかな黒髪を緩やかに結い上げ、かんざしで留めている姿は、まるで古典的な美人画から抜け出てきたかのようだ。


「美玖、真奈美、お待たせ。うん、二人とも、すごく似合ってるよ」


「ありがとう、ヒロっち! ヒロっちも素敵だよ」


 美玖が嬉しそうに微笑む。

 真奈美も、


「本当に似合ってる。素敵よ、宏樹」


 と少し照れた様子で言ってくれる。


「さて、それじゃ行こうか!」


 三人で連れ立って祭り会場を目指して歩く。歩き慣れていないせいかゆっくりだ。

 20分ほど歩くと徐々に祭りの賑わいが見えてきた。


「ねえねえ、さっそく屋台を見に行こうよ! 私こういうの久しぶりなんだー!」


 美玖の提案に賛成し、俺たちは屋台巡りを始める。たこ焼き、綿菓子、金魚すくい。どれも子供の頃から慣れ親しんだ光景だが、彼女たちと一緒だとまた一味違う。


「わあ、これ美味しそう!」


 美玖が目を輝かせて焼きそばの屋台に駆け寄る。俺と真奈美もそれに続き、それぞれが好きなものを選んでいく。何件かハシゴすると、なかなかの量の食べものが集まった。

 座れる場所を探して腰を下ろす。

 各々買ったものを食べていると、美玖がこちらを向いて言ってきた。

 

「ヒロっち、この焼きそば美味しいよ! 一口どう?」


 美玖が焼きそばを箸で一口分取って差し出す。


「はい、あーん」


俺は「ありがとう」と言って一口食べる。


「うん、美味しいね!」


「でしょ? 屋台ってなぜか美味しく感じちゃうよね!」


「それな。マジで不思議だよな」


 ふと横からただならぬ気配を感じた。

 振り向くと、頬をぷくーっとふくらめた真奈美が「むむむ…」と唸るような音を出している。

 そして、急に対抗心を燃やしたように言った。


「宏樹、こっちのたこ焼きも食べてみて」


 真奈美がたこ焼きを俺の口元に運ぶ。


「あ、ああ、頂くよ」


 遠慮なく口に入れた瞬間、


「熱っ! ごほッ!!」


 思わず声が出てしまう。口の中が火傷しそうなほど熱い。


「ご、ごめんなさい! 大丈夫?」


 真奈美が慌てて謝る。美玖は少し困ったような、でも楽しそうな表情を浮かべている。


「アハハ! マナミンだめだよ、そういうのはふーふーしてあげないと」


「大丈夫、大丈夫。でも、すっごく美味しいよ」


 そう言うと、二人とも安心したように笑顔を見せた。


 食べ終わると、何か夜店で遊ぼうと美玖が言い出したので、再び俺たちは歩き出した。

 歩いていると、突然美玖が俺の腕に自分の腕を絡めてきた。


「ねえ、ヒロっち。あっちに射的あるよ! 行こう!」


 驚いて固まる俺。そして次の瞬間、反対側の腕に真奈美が絡まってきた。


「私、金魚すくいやってみたいなー」


 真奈美の声には少し照れくささが混じっている。俺は困惑しながらも、二人の間で歩を進める。


(しかし……これ、周りからはどう見えているんだろう……)


 美少女二人を侍らせて調子に乗っているハーレム野郎、そうとしか見えない。


 しかし、腕を組んでいるので、二人の柔らかさと温もりを感じる。

 美玖の方が柔らかさが勝っているが、そんな事を言ったらまた紅葉シーズン到来だ。


 その後も射的や金魚すくい、輪投げなど一通り楽しむ。



 しばらく歩いていると、美玖が急に立ち止まった。


「痛っ...」


「どうしたの?」


「下駄の鼻緒のところが……」


 美玖が足を見せると、確かに下駄の鼻緒に当たる箇所が赤く腫れていた。


「大丈夫か? ちょっと見せて」


 俺は美玖をベンチに座らせると、腰に付けていたポーチから絆創膏を取り出した。


「うん、ちょっと応急処置だけど、これで大丈夫だと思うよ」


「ヒロっち、ありがとう」


 俺が優しく絆創膏を貼ると、美玖は嬉しそうに微笑んだ。


「真奈美は平気か?」


「ええ、私は割と和装も慣れているから。それにしても宏樹、準備が良いのね」


「まあな、俺自身もこうなるかなって思って用意してたんだ。それじゃ行こっか」




 夜も更け、いよいよ花火が打ち上げられる時間が近づいてきた。人混みも徐々に増えてきて、お祭りの雰囲気がピークを迎えようとしている。


「そろそろ花火が始まるね。どこで見る?」


 真奈美の問いかけに、美玖が答えた。


「向こうの丘のところ、階段を上ると小さな神社があるんだけど、そこからの眺めがいいんだって。行ってみない?」


 俺と真奈美も同意し、三人で神社を目指した。途中、トイレがあったので、花火を見る前にトイレに行きたくなった俺は、トイレ休憩を提案する。「そうね、一度行っておきましょう」と真奈美も同意し、男女分かれてトイレに向かう。しかし、女性の方はずいぶん時間がかかりそうだ。

 男子の方も少し待ったが、それなりにすぐ終わったので女性陣を待つ。

 しかし遅い。

 もう10分位経っている気がする。

 気になった俺が女子トイレ側に行こうとすると、間の道で三玖と真奈美が、酔った様子の大学生風の男性グループに声をかけられていた。



「いーじゃん、固い事言わないでさあ! 俺たちと一緒に行こうぜ?」


「そうそう、屋台めぐりとかどうよ? 奢るからさ!」


「あの……私たち人を待たせてるので……」


「大丈夫だって! 中々来ないと分かったら勝手にどっか行くって!」


 困惑した様子の二人を見て、俺は咄嗟に二人の前に立ちはだかった。


「すみません。彼女たちは俺の連れなんです」


「は? なんだおめぇ?」


「ですから、彼女たちは俺の連れです。他を当たってもらえますか?」


「へえ、そうかい。でも、お前みたいなガキより、彼女たちも俺たちと一緒の方が楽しいだろ?」


 男性たちの息からは強いアルコールの匂いがする。俺は毅然とした態度を保った。

 俺からしたら大学生すら子供みたいなものだからな。


「それに、俺たちはまだ中学生なんです。先輩方には若すぎると思いますよ」


 その言葉を聞いて、グループの中のまともそうな一人が驚いた様子で言った。


「おい、マジで中学生か? 中坊はシャレになんねぇぞ。おい、行こうぜ」


「そ、そうか……すまんすまん。知らなかったよ。悪かった。じゃあ、中学生どうしで楽しんでくれ」


「……今の中学生は大人っぽいなー」「中坊はやべーよ」


 口々にそう言うと、男性グループは去っていった。


「ヒロっち……ありがとう」


 美玖が小さな声で言う。


「真奈美、大丈夫か?」


「宏樹ぃ……怖かったよぉ……」


怖がって震えている真奈美の肩を抱き、頭を撫でてやる。


「あ、ズルいぞマナミン!」


 少しの間撫で続けていると、真奈美は顔を上げた。


「うん……もう大丈夫」


 彼女の顔には微笑みが戻っていた。

 真奈美を開放し、再び歩き出す。


「でもさ」


「なあに、マナミン?」


「美玖ちゃんはこれよりもっと怖い思いもしたんだよね」


「そうだよー。あの時はマジで人生終わったって思ったから」


「やっぱり、そこから立ち直るってすごいや。私は今日だけでも男性不振になりそうだもの」


「そういう時は、ヒロっちを使えばいいんだよ」


「そうね、うふふ」「あはは!」


「お前らなぁ……せめて『使う』じゃなくて『頼る』って言ってくれ……」




 無事に神社に到着すると、そこからの眺めは最高だった。祭り会場となっている賑やかな街全体が見渡せ、空もしっかり見える。


「ここならよく見えるね」


「うん、いい場所だね」


境内で静かに花火を待つ三人。そして、ついに最初の花火が打ち上げられた。


 ぴゅーーーーー……ドォン!


 夜空に咲き誇る大きな光の花。

 一拍遅れて届く、腹の奥にズドンと響く空気の振動。

 

「綺麗……」


 真奈美が感嘆の声を漏らす。


 その横顔が花火の光に照らされ、一瞬輝いて見えた。


 美玖も「本当に綺麗...」と、キラキラした目で空を見上げている。

 彼女の銀髪が風に揺れ、花火の色を映して幻想的な輝きを放つ。


 俺もその光景に見入っていた。


 花火の美しさもさることながら、二人の魅力的な姿に心を奪われる。


 次々と打ち上げられる花火は、それぞれが違う形や色で夜空を彩っていく。赤、青、緑、黄色...色とりどりの光が夜空を舞台に、壮大なショーを繰り広げる。菊の花のように広がるもの、星のように散らばるもの、滝のように流れ落ちるもの。その度に観客から歓声が上がり、夜空に響く。


「ねえ、ヒロっち」


 美玖が俺に近づいてくる。


「さっきはありがとう。あなたが守ってくれて、本当に嬉しかった」


「もう怖くは無いか?」


「うん、もう大丈夫」


 真奈美も「宏樹、さっきは格好良かったよ」と微笑んでくれる。


「さっきだけかよ」


 俺はおちゃらけてみせる。


「もう……いつもだよ」


 真奈美が小さな声でつぶやいたが、丁度花火が途切れていたので聞こえてしまった。


 二人の言葉に、少し照れくさくなりながらも、胸が温かくなるのを感じる。同時に、この関係がいつまで続くのかという不安も心の片隅によぎる。


 花火は続き、夜空はまるでキャンバスのように様々な色で彩られていく。俺たち三人は、時折感想を言い合いながら、ほとんど無言で花火に見入っていた。この瞬間、この景色、この感覚。全てが特別で、心に深く刻まれていく。


「ヒロっち、今日は本当にありがとう。こんな素敵な夏の思い出、忘れないよ」


「俺もありがとう、二人とも。こんなに楽しい時間を過ごせて、本当に嬉しいよ」


 真奈美も「私も。ありがとう、美玖ちゃん、宏樹……」と微笑む。


 最後のスターマインによる光が夜空に広がり、音と一体となって心に刻まれる。その瞬間、俺たちは手を繋ぎ合い、花火の美しさと一緒に、この夏の終わりを感じていた。


 少しの間と共に、一斉に打ちあがる音がした。


 フィナーレだ。


 大きな音と共に夜空いっぱいに広がる大輪の花は、まるで俺たちの夏の思い出を全て包み込むかのようだった。




 花火大会が終わり、帰り道を歩く俺たち。夜風が少し肌寒く感じるが、それもまた心地よい。


「ねえ」


 美玖が突然立ち止まる。


「私、今日のこと、一生忘れないと思う」


 真奈美も頷いて


「うん、きっと私も」


 俺も同意して


「ああ、俺もだ」


 三人で顔を見合わせ、思わず笑いがこみ上げてくる。この瞬間、この感覚。すべてが大切な思い出になっていくんだろうな、と感じる。


「ヒロっち、来年は二人だけで来ようね」


「あら、美玖ちゃん、言うじゃない。その喧嘩、買うわよ」


 美玖と真奈美と一緒に過ごしたこの夏の夜は、俺にとって一生忘れられない思い出となった。

 来年はどうなるのだろうか。

 同じ場所で同じように笑い合えているだろうか。

 しかし、俺がどちらかを選ぶということは、同時にどちらかを選ばないということを意味している。

 そうなった時は、果たして……


 それぞれがそれぞれの理想の未来を思い描き、俺たちは家路についたのだった。

 

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