第32話 ディグノース
真奈美の父、征十郎に屋敷を追い出されてしまった。
「はぁ……正直な意見が聞きたいって言ったのはそっちだろうが」
この理不尽さ。これが会社のトップだと言うなら、やはり株式は早めに手放しておいた方が良いかもしれない。
豪邸を後にする俺の背中に、重い雨雲が垂れ込めていた。
月曜日。
今日から期末テストだ。
学校に行くと既にみんなが来ていた。
「真奈美、昨日はすまん」
「謝るのはこっちの方よ。お父様の方から正直な意見が聞きたいと言っておいて、正直に言ったら怒りだすなんてどうかしているわ。あんなことを会社でやっているなら、みんな委縮してしまって意見を言えなくなってしまう。そうなったら会社は終わりよ。そう言って私から怒っておいたわ」
「凄かったぜぇ。あの怖そうな親父さんが、真奈美が怒っている間は小さく見えたもんな!」
そう言って茶化したのは春樹。
「もう、言わないでよ!」
「でも、マナミンかっこよかったよー」
「あうぅぅ」
恥ずかしさからか顔を赤くする真奈美。
さて、いつまでも気にしていても仕方ない。
テストを頑張りますか。
3日間にわたるテストが終わり、みんなやりきった充実した顔をしている。
満足にできた者、とりあえず終わらせた者、ある意味終わっちゃった者。
俺はまた、『セーブ&ロード』を使わずにやったが、うっかりミスさえなければ全教科満点だろう。
そして次の週。
成績が貼り出されると、みんなで見に行った。
俺は満点。当然の学年一位だ。
「さすがだね」
「ありがとう」
「真奈美も二位じゃん」
「一位と二位の壁が凄いよ」
他の仲間たちも悲喜こもごも……ではなく、みんな喜びの笑顔だ。
「やった、私7位!」
美玖はさらに成績を伸ばした。
「マジかよ、俺が68位?」
春樹は150位からの大躍進だ。
「嘘……調子が良いとは思ってたけど、こんなの初めて……」
美結はなんと12位だった。
「ミユすっごい! 私も二学期は負けないからね!」
香苗は26位だ。
「俺は何位だ? 見当たらないんだが……」
「おいケンタ、お前マジか!?」
春樹が愕然としている。
「「「え!?」」」
どうりでなかなか名前を見つけられなかったわけだ。下から見ていたらなかなか見つからない。
56位 坂口健太
222位からの大躍進だ。勉強は普段からの積み重ねが大事だ。2日勉強しただけでこんなに早く身につくなんてすごすぎる。こういうのを天才って言うんだろうな。
俺は本気でそう思った。
期末試験も終わり、後は夏休みまで気楽な時間となる。
そんな折、夕方前、自宅に電話がかかってきた。
出ると真奈美だ。
「もしもし宏樹? 聞いて。お父様が謝罪したいそうよ。ウチで一緒に夕食をとりましょう? 突然で申し訳ないけど、今日この後時間はあるかしら」
母さんに夕食が要らない事を伝えると、俺は真奈美の家へと向かった。
到着すると、入り口で真奈美と征十郎が待っていた。
「西森君、先日は申し訳なかった」
征十郎が頭を下げる。
「あ、頭を上げてください! こちらこそ無礼な発言をして…」
「いや、正直な意見が欲しいと言ったのは私の方だ。にもかかわらず、否定的な事を言われたからといって怒ってしまったのは理不尽だった。
ところで、どうして不正会計を疑ったんだ? 具体的に理由を聞かせてくれないか」
「そうですね、決算の資料などがあれば説明しやすいのですが」
「ふむ、それでは用意させよう。その間に食事を済ませてしまおうか。ささ、入ってくれ」
執事の伊藤さんに征十郎さんがいくつかの指示を出した。
そして伊藤さんは俺にも聞いてくる。
「何か他に用意する資料はございますか?」
「ちょっと待ってください……
それではこれも。お願いできますか?」
そう言って伊藤さんにメモを渡す。
ちなみにメモはいつも持ち歩いているものだ。
緊急時以外は、セーブ前に状況をメモして残しておくためだ。
「承知いたしました」
伊藤さんが資料を集めに行くと、俺たちは食堂に向かった。
食事は豪華なもので、食堂自体の雰囲気とあいまって、高級レストランと言われても違和感がない程だった。
「君は食事のマナーも完璧だな。普段からこういった食事は食べ慣れているのかね?」
「い、いえ、大人になった時に役に立てば、と勉強しておりました。こんなにも早く役に立つ日が来るとは思っていませんでしたが」
まさかクライアントとの会食で身につきました、などとは言えまい。
「本当に感心な若者だな、君は」
「言ってるでしょ? 宏樹はすごいんだから」
そんなやり取りをしていると、資料を持った伊藤さんが現れ、ファイルを全員に手渡した。
「お待たせ致しました」
「さて、それでは聞かせてもらおうか」
深呼吸をして、俺はプレゼンを始めた。
まずは決算書の不自然な点、業界全体が低迷しているのに1社だけが突出して利益が増加していること、利益は増加しているのに売上としてははやや落ちていること、そして利益に関しては、ある年を境に納得いく理由もなく突然上昇に転じている、そういった矛盾を指摘した。
征十郎は真剣な表情で聞き入っていた。
「なるほど……確かに業界他社と比較すると違和感を感じるな」
「はい。これは投資家の目線でないとなかなか気づけないかと思います。他社が持っていない革新的な特許などがあれば納得も行くのですが、この業界、似たような状況で1社だけの利益が改善している事にまず違和感を感じました。内部事情に関しては知る術がありませんので、はっきりとは分かりません。ただ、投資家としては不正会計の可能性がある、それだけでリスク回避をする理由としては十分なんです」
「ふむ……分かった。君の懸念が本当だとすれば、我が社は大変な危機に直面していることになる」
「お父様……」
真奈美が心配そうに父親を見つめる。
「よし、第三者委員会を立ち上げ、調査するとしよう」
「それが良いでしょう。一時的に株価は下がるかもしれませんが、自浄作用がある事を世間に示すことで、長期的にはより良い未来に繋がるかと。
それで、これは私の個人的な推測ですが、業界全体が低迷している中、厳しいノルマなどを課していませんか? もしそうであれば、そこから徐々に数字の水増しなどが膨らんでいった可能性があります」
「ふむ、確かに。そこは重点的に調査しよう。伊藤!」
征十郎さんは伊藤さんにいくつかの指示を出しているようだった。
行動力はさすがに大企業のトップだ。
「君の分析力と洞察力には感心させられたよ。本当に中学生なのかね。我が社の経営状況を外部から鋭く指摘し、さらには業界全体の動向まで把握している。
私も長年ビジネスの世界にいるが、君のような若者に出会ったのは初めてだ。これからの時代を担う若い世代の意見を軽視するのは、経営者として致命的な過ちだと気づいたよ。だからこそ、君の意見をもっと聞いてみたくなった。今度は絶対に怒ることは無いと誓おう。
我が社に何か言いたい事はあるかね。」
俺と真奈美は顔を見合わせた。
征十郎の態度が一変したことに少し戸惑いを感じたが、ここまで来たら言いたい事を言ってしまおうと思った。
「それでは言わせて頂きます。数年前に新規参入した記録媒体事業、液晶事業からは撤退した方が良いかと思います」
「それは何故?」
「まず、記録媒体は乱立して、技術革新の真っただ中です。この中で、主流となる媒体に上手く乗ることが出来ればいいのですが、トレンドに乗れない、それだけで大きな損失を出してしまうでしょう。そしてこれは液晶事業にも言えることなのですが、現在、韓国や中国の技術も向上していて、圧倒的に価格の面で強いです。日本は価格の面で圧倒的に不利です」
「しかし西森君。国産の信頼性を考えれば、多少高くてもそちらを選ばないかね?」
「征十郎さんは、テレビのニュースで中国産の不安をあおった後、次の日には中国産を避けるのに、しばらくするとすっかり忘れ、安いからと言ってまた中国産を購入する主婦層についてどう思われますか?」
「率直に言えば愚かしいとは思う。しかし、家計を支える立場に立てば分からない話でもない。なぜこのこの話を?」
「ですよね。でも、今後、携帯電話やPCの一般化が進めば、家計を握るその人たちこそが主な購買層になるんですよ」
「!?」
「とにかく安いものを選ぶ人たちが、国産の信頼性という言葉だけで買ってくれるでしょうか?
私にはそう思えないんです。
これからの時代、とにかく最高を求める人と、そこそこ使えればとにかく安い方が良い人という風に、二極化が進んでいきます。それに企業も対応していくべきだと考えます」
「ふむ……君のいうことには一理ある。社に持ち帰って検討するとしよう」
「ですが、即撤退、という風にしなくても良いとは思うんです。今あるラインナップを見直して、さっき言った通り二極化する。余計なものを全て削ぎ落とし、安さを追求した廉価版と、とにかく最新で最高のハイエンドモデルにラインナップを限定するというだけでも、コストを削減して、さらにはブランドイメージを作る事にも貢献できると思います」
「確かに、色々な業種で中間層をターゲットにした商品は苦戦している」
俺の話を聞きながら、征十郎はしきりに頷き、真奈美はキラキラした目で俺を見ていた。
「君と話せて楽しかったよ。全く、君は本当に中学生なのか? 嘘だと言ってすぐに我が社に入って欲しい位だよ」
はっはっはと笑いながら征十郎さんは冗談を言う。冗談だよな?
「またこうして時間を作ってもらってもいいかね?」
「はい、喜んで」
こうして緊張の会食は無事に終わった。「はい喜んで」なんて言ったが、二度とごめんだ……
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【真奈美始点】
宏樹を見送った後、私はそのままお父様に「話がある」と呼ばれた。
今日の宏樹は本当にすごかった。前からも宏樹はすごかったのだけれど、今日のは極め付きだ。いったいどういう頭をしているのだろう。天才なんてレベルじゃない。もし未来から来た未来人だと言っても信じられる、そんなレベルだ。
私は深呼吸をして、緊張を落ち着かせようとした。お父様の書斎のドアの前で立ち止まり、軽くノックをした。
「どうぞ」
お父様の低い声が聞こえ、私はゆっくりとドアを開けた。
「真奈美か、そこにかけてくれ」
「はい」
重厚な革張りの椅子に腰掛けると、お父様は真剣な表情で私を見つめた。
「お前は西森君についてどう思う?」
「ものすごく優秀な方だと思っております」
私は正直に答えた。しかし、お父様の表情が少し変わった。
「ああ、そうではない。異性としてどうか、と聞いている」
「!?」
思わず声が出そうになるのを必死で押さえ込む。まさか、お父様がそんなことを聞いてくるとは。
「彼の事を好ましく思っている、そうじゃないか?」
観念した私は、顔を真っ赤にしながらも答えた。
「はい。私は彼の事を…好き……なのだと思います」
お父様は満足そうに頷いた。
「うむ。俺はな、真奈美。娘を政略結婚に使ったり、会社の道具として使ったりすることは絶対に避けたいと思ってきたんだ。だが、今回はお前にお願いしたい。是非とも彼、西森君を手に入れろ。彼は百年に一度の逸材だ」
「手に入れるって……お、お父様に言われなくても頑張っていますから!」
思わず口走ってしまった私は、慌てて口を押さえた。お父様は大きな声で笑い出した。
「ハッハッハ! 話はそれだけだ。がんばれよ、真奈美。何ならディグノース全体で全面的にバックアップするからな。両親と話して縁談を持っていくのも良いかもな……彼にはその価値がある」
「もう! お父様ったら!」
顔を真っ赤にしながら抗議する私を見て、お父様はさらに笑みを深めた。
書斎を出た後、私は自分の部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。天井を見上げながら、今日のことを思い返す。宏樹の姿、お父様との会話、そして自分の気持ち。
「宏樹……」
その名前を呟きながら、私は決意を固めた。お父様の後押しは嬉しいけれど、自分の力で宏樹の心を掴みたい。明日からまた学校で会える。少しずつでも、宏樹との距離を縮めていけたらいいな。
そう決意して、私は目を閉じた。明日への期待で胸が高鳴り、なかなか寝付けそうにない夜だった。
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帰宅途中、7月だというのに、俺は得も言われぬ寒気を背中に感じていた。
「なんだこの寒気は。季節は夏のはずなんだがな……
はよ帰ってシャワーを浴びよう……」
夜だというのに歩いていると汗が噴き出す。
もうすぐ夏休みだ。
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