第29話 友情

 いつもの階段に連れてこられた俺。


「いたっ……痛いって、真奈美」


 俺は耳を引っ張られた痛みに顔をしかめながら、真奈美を見た。

 怒っている様な、悲しんでいる様な複雑な表情。涙を溜めた真奈美の瞳が、階段の薄明かりに揺れている。彼女の声は震えていた。


「ねえ宏樹、あんたこの前、東城さんとは付き合ってないって言ったわよね!?」


「怒鳴るなよ」


 俺は少し困惑しながら答えた。


「ああ、付き合ってはいないぜ」


「じゃあ何なのよ!?」


 真奈美の声が更に高くなる。


「付き合ってない男女が仲良く手を繋いで登校してくるなんて、そんな事あり得る!?」


 真奈美は涙を流しながら、悲壮感で押しつぶされそうな顔をしている。

 一昨日の事を全部言ってしまえば、理解もしてもらえるのかもしれないが……


「説明は……難しい」


 俺は目を逸らし、そう言うしかなかった。言葉の重みが、階段の冷たい空気に沈んでいく。


「難しい?」


 真奈美の声が冷たくなる。


「簡単じゃない! 嘘をついてました、付き合ってますって、それだけでしょう!?」


「いや……」


 言葉につまる俺。

 突然、新しい声が階段に響く。


「私から話すわ」


「美玖!?」


 真奈美の大きな声を聞き、急いで駆けつけたのだろう。

 少し息を切らせて美玖が現れた。

 彼女の表情には決意が見えた。


「ヒロっちは絶対本当のことは言えないでしょ。他人の秘密を絶対に漏らさない。そういう人だもの。

 でも、私は真奈美さんには言わなきゃって思ってた。長くなるから、放課後時間を作ってもらえないかしら?」


 真奈美は少し躊躇した後、答えた。


「今日は会議も無いし、生徒会室なら誰も来ないわ」


「OK、それじゃ放課後そこで。

 でも、話すにあたって一つだけ約束して。

 絶対に他人には漏らさないって」


「わかったわ」


 真奈美の声には、まだ不信感が残っていた。


「うん、あなたの事、好きじゃないけどそういう点では信頼してるから。

 それじゃ放課後。そうそう、ヒロっちとまだ付き合ってないのは本当だよ。『まだ』、ね」


 美玖の最後の言葉に、真奈美の表情が一瞬凍りついた。


 それから一日、真奈美は俺の方を振り返らなかった。






 昼休み。

 春樹が気を使ってくれ、一緒に昼食を食べた。


「ったく、ヒロは朝から修羅場かよ。大変だな」


 春樹は軽い調子で言ったが、その目には心配の色が見えた。


「うるせえ」


 俺は苦笑いしながら答えた。


「ちゃんとどっちにするのかハッキリしろよ?

 別にあの二人じゃなくたって、ヒロなら選びたい放題だろうけどな」


「そんなんじゃねえよ」


 俺は少し困ったように髪をクシャッと握った。


「お前こそどうなんだ?」


 話題を変えようと、俺は春樹に切り返した。


「ウチはラブラブですぅー」


 春樹は得意げに胸を張る。


「見たぞ、この間橋の所でビンタされてただろ?」


「ちょ、おまっ! 見てたのか!?」


 春樹の顔が驚きと恥ずかしさで赤くなる。


「またデート中に別の女でも見てたか?」


「一発で原因当てるなよ!?」


「わかりやすすぎるんだよ。

 カナちゃん、もっと大切にしてやれよ」


「お前にだけは言われたくねえよ。この修羅場野郎」


「ま、それは今日中に何とかするさ」


 男同士で馬鹿な事を言い合ってるのは気が楽だ。

 友情ってありがたい。




 そして放課後。

 生徒会室に向かうと既に真奈美が待っていた。

 彼女の表情は硬く、緊張感が漂っている。


 コの字型のテーブルに、俺が正面、左に真奈美。そして、しばらくすると美玖が来て右に座った。部屋の空気が一気に緊張感で満たされる。


「遅れてごめんなさい」


 美玖は少し息を切らせながら言った。


「いいえ、時間通りよ」


 真奈美の声は冷たかった。


「それじゃ、言い訳を聞かせてくれる?」


「どこから話そうかな。

 体育祭の後の話は聞いてる?」


「あなたが宏樹に告白したって話なら聞いてるわ」


 真奈美の声にはまだ怒りの色が残っていた。


「その時振られた話は?」


「聞いたわ。今となっては信じてないけど」


 真奈美は皮肉っぽく言った。


「本当よ。中学生の間は誰とも付き合う気が無いって。今もそう言っているのだけど」


 美玖は真剣な目で真奈美を見つめた。


「何をいまさら」


 真奈美は不信感をあらわにする。


「それで、一昨日の事を話すわね。

 その前に、私が渋谷でスカウトされて、ドラマのオーディションに受かった話は知ってる?」


「ええ。おめでとう。地位も名誉も、素敵な彼氏も手に入れてさぞ人生バラ色でしょうね」


「真奈美ッ!」


 彼女に起きた事実を知れば最低となる皮肉に、俺は思わず声を上げた。


「ヒロっちは黙ってて。

 そうね、端から聞いたらそんな感じでしょうね。

 でも違った」


「何が」


「……ドラマの撮影なんて無かった」


 美玖の声が震えている。それは自虐に満ちているようにも思えた。


「え?」


 真奈美の表情が変わる。

 美玖は一つ、深呼吸をして話し始めた。


「私が行ったのは、ドラマ撮影のフリをした性犯罪者集団の巣だったの」


 部屋の空気が一瞬で凍りついた。真奈美は息を飲んで、美玖の言葉に耳を傾けた。

 

 美玖は震える声で話し続けた。


「最初はドラマのつもりで撮っていたわ。

 私はサスペンスドラマの殺される役って聞いていたから、ベッドで拘束されるのも違和感なく受け入れた。でも、本番スタートって声が聞こえてからは違った」


 美玖の目に涙が浮かぶ。真奈美は息を呑んで聞いている。


「男たちが私の身体をまさぐり始め、キスをされたり、顔を舐められたり、そのうちにそいつらは私の服を切り裂き、破き始めたの。私はずっとやめてって必死に叫んでた。でも、叫べば叫ぶほど彼らは盛り上がっていったわ。本当は理解してた。人生が終わったと思ったの」


 真奈美の表情が変わっていく。先ほどまでの怒りや不信感は消え、今は純粋な同情と恐怖の色に染まっていた。


「服をちぎられ、スカートも脱がされたわ。ブラをはぎとられて胸をまさぐられ、その時ドアを叩く音が聞こえたの」


「宏樹が?」


 真奈美が小さな声で尋ねた。


「いいえ、ヒロっちが警察を呼んでくれたの。でも、私は奥の部屋で口を押さえられてた。必死で叫ぼうとしたけど、男の人の力には勝てなかった。そのうち、なんだか警察はここに来ないんじゃないかって雰囲気になってきたのよ。警察も勝手には入れないから」


「そんなのって……」


 真奈美の声が震えている。


「そしたら、誰かが走る足音がして、ドアが開いたの。そして、すぐに『襲われてるぞー』って叫んでくれて。それがヒロっち。そうして、警察がバタバタって何人も来てくれて。そこで初めて、『助かったんだ』って。神様はいるんだって。っていうか、私にとっての神様がヒロっちだったの」


 美玖の言葉に、真奈美の目から涙があふれ出した。


「長い事情聴取を受けて、ヒロっちはたっぷり怒られて。それで、私を送ってくれた。震える私の手をずっと繋いでいてくれたの」


「うう、ううぅぅぅ……ごべんなざい………

 私あなたに酷い事………」


 真奈美は声を上げて泣き始めた。


「まだ続きがあるわ。聞いて。

 それで、私は母子家庭で、母は夜の仕事に行っているの。だから、家には誰もいない。一人でいることに耐えられそうもなかった私は、ヒロっちに一緒にいてってお願いをした。彼はそのやさしさで一緒にいてくれたわ」


 真奈美はずっと泣いている。俺は黙って二人の様子を見守っていた。


「それからシャワーを浴びて全身をこするように洗った。でも、何度洗っても気持ち悪さが取れなくて泣いてた。お風呂から出ると、ヒロっちに頭をなでてもらって。そうしたら少し落ち着いたの」


「ううぅぅぅ……」


 真奈美の泣き声が部屋に響く。


「それでね、私はヒロっちを利用した。彼に、キスをせがんだの。忘れさせて欲しかったのよ。そうして、彼の優しさに付け込んで半ば無理矢理キスをしたわ。そしたらね、あのどうしても取れなかった気持ち悪さが、まるで魔法みたいに綺麗さっぱりなくなったのよ。私は胸も触ってもらった。あんなに気持ち悪かったのに、それが全部消えたの」


「ううぅぅ……胸は、やり過ぎだよお……うう……」


 泣きながら、ささやかな抵抗を見せた真奈美。


「そして、次の日もヒロっちは一緒にいてくれた。ヒロっちのお母さんもお小遣いをくれて、これで忘れてきなさいって。一日デートしたの」


「もう平気……なの?」


 真奈美が涙ながらに尋ねた。


「うん、もうすっかり平気。嘘みたいでしょ?」


 美玖は少し笑顔を見せた。


「それでも、今日手を繋いでくれたのは、彼の優しさ。

 ヒロっちは、私の心が傷つかないように守ってくれただけ。

 悪い子の私はそれを利用したの。

 わかってもらえたかな?」


 ガタン、と真奈美は立ち上がって、泣きながら美玖に抱き着いた。


「うああああん、不安だったよね、怖かったよねえ!!

 私だったら絶対に耐えられないよ……

 美玖ちゃんはすごいよぉ……!!」


「ぐすん……ありがと真奈美さん」


 もらい泣きした美玖と真奈美が抱き合っている。

 ひとしきり泣いた後で真奈美が言った。涙で赤くなった目で、美玖をじっと見つめている。


「私、あなたと友達になりたい。

 美玖ちゃんって呼んでいい?」


「もうさっきそう呼んでたじゃん。いいよ。それじゃ私はマナミンって呼ぶね」


「え!? それは?」


 真奈美が俺の事をキッと睨む。


「俺は何も言ってねーぞ!?」


「ダメ?」


「だ、ダメじゃないけど……」


「良かったじゃねえか、あだ名で呼ばれたかったんだろ?」


「ちがっ」


「え、そうだったの!? マナミン!」


「あうっ」


 こんなやり込められている真奈美を初めて見たかもしれん。

 やはり美玖、恐ろしい子っ!!


「でもっ!」


「なんだ、真奈美」


「ズルいものはズルいです。

 なので、私もデートを所望します」


「ヒロっち、行ってあげて。

 私だって、同情で選ばれてもうれしくないから。

 マナミンとは正々堂々とヒロっちを奪い合いたいんだ。

 だからデートに行って来て。1回ならキスもしていいよ」


「ききききき、キスっ!?」


「あー、マナミンにはキャパオーバーな感じかー」


「ってか美玖。1回って……お前とは1回だけじゃないだろ?」


「あ、ば、ヒロっちのバカ!!」


 美玖が慌てて叫ぶ。


「え?

 1回だけじゃないの?

 あなた達、何回したの?」


「あ、あはは……3回かな?」


「4回じゃなかったか?」


「なっ!? 4回も!?

 それじゃ、私とも4回。いいわよね?」


「お、おう。

 なあ真奈美」


「なによ」


「胸も触った方がいいか?」


「ばっ!!!」


 ビッターン!!!

 俺の頬には真っ赤な紅葉。

 そっか~、もう紅葉のシーズンだったか~。

 頭の周りをヒヨコが飛んでいる。


「あーあ。ヒロっちって完璧だと思ってたけど、デリカシーは足りなかったみたいだね」


 そして三人で笑いあった。緊張感が一気に解けて、部屋に温かい空気が流れる。

 これから卒業まで、どのような学校生活が待っているのだろう。


 そう真面目に考えてしまった俺は、ぶるりと震えて考えるのを止めた。


 真奈美と美玖は友達になった。

 でも、おそらく違う。

 彼女たちは強敵ともになったのだ。


 そう、獲物は俺だ。


 俺は複雑な気持ちで二人を見つめた。そして願った。


 これからの日々が、平穏無事でありますように。

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