第24話 揺れる心
目を開けると、目の前には最新のデスクトップPCと複数のディスプレイが見えた。ゲーミングチェアに寄りかかり、俺は大きく息を吐いた。
「はぁぁぁぁぁ……」
危なかった。
相手は中学生だぞ?
今の亜里沙……自分の娘よりも年下の娘にドキドキしたって言うのか。
謎の喉の渇きを感じてリビングを通ってキッチンに向かうと、亜里沙がテレビを見ていた。
「お父さん? なんかすごい顔してるけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
良かった。さすがに娘を見ても何とも思わない。
血縁は遺伝子が仕事をして何とも思わないようにできている、という説もあるからな。
父親が娘に「ションベンくせぇガキ」と言ったり、娘が父親の事をやたら臭く感じるのは、遺伝子が近親相姦が起きないように仕事をしているのだそうだ。
ということは、俺たちは自分の頭で考えている気になっているが、実は遺伝子というものの手のひらで踊らされているだけなのでは……
などと、わけの分からない事を考え冷静さを取り戻した俺は、冷蔵庫に入っていた冷たいお茶を一杯飲んで部屋に戻った。
それにしても何だったんだろうか。
確かに東城の見た目は他の子よりも大人っぽい。
それが原因か?
いや、それなら転校した初日に、俺の感情に何らかの変化があったはずだ。
結婚という言葉に反応した?
それとも、精神年齢が体の年齢に引っ張られている?
ともかく、落ち着いたからには彼女に返事を伝えないとな。
俺は再び中学校、正に告白を受けたシーンをロードした。
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目の前にいる東城は、潤んだ瞳で、けれど真剣な表情で俺を見ている。
強い鼓動は残っているが、冷静さは取り戻せている。
「東城」
「はい」
「すまない」
東城の目には徐々に涙が溜まっていった。
「やっぱり……真奈美さんと、付き合ってるんだよね?」
「いや違うぞ」
「……違うの?」
「ああ。
告白はされたけどな。
俺は中学校では誰とも付き合う気がない。
だから真奈美とも付き合っていないよ」
「そう……なんだ……
私の事が苦手とか、嫌いとかじゃ無いんだよね?」
「ああ」
「それじゃ、あきらめなくても良いんだよね?」
「それを俺に聞くのか」
苦笑いで俺は返す。
「そっか、それで真奈美さんも……」
何か納得しているようだが、何を思っているのだろうか。
「西森君。私と、これからも友達でいてくれる?」
「それはこちらからもお願いしたいな。
これで気まずくなったりするのは嫌だから」
「それじゃ、私の事、他の友達みたいに名前で呼んでくれないかな?
みんな名前呼びなのに、私だけ『東城』だと距離を感じちゃって……」
「そういうもんかな。
うん、わかったよ、美玖」
わかりやすい位に顔を綻ばせる美玖。
漫画なら背景に『パアァ!』とか描いていそうだ。
「それじゃ、これからもよろしくね、ヒロっち!」
「ひ、ヒロっち!?」
「あだ名だよ。これは私だけの特別な呼び方にしまーす」
「……好きにしてくれ」
こうして、少しドキドキするというトラブルもあったが、ぎくしゃくする事も無く、クラスメイトからの告白イベントを乗り切ったのだった。
そして翌日。
俺が教室に行くと、美玖が入り口付近で他の女子と談笑していた。
「おはよう、美玖」
「あ、おはよう、ヒロっち!」
一瞬静かになった教室。
お互いの顔が赤くなる。
これは断じて恋じゃないぞ?
あだ名が思っていた以上に恥ずかしかっただけだ!
美玖は先ほどの女子たちに「どういうこと?」とか聞かれている。
俺は席に荷物を置くと、真奈美に腕を掴まれて人気の無い階段の方へ連れていかれた。
「ちょっと、どういう事?
宏樹、誰とも付き合う気は無いって言ってたよね?
けど……東城さん大人っぽもんね。
昨日告白されたの? それで? 付き合う事にしたの?」
真奈美は目に涙を溜め、怒っている様子だった。
「いや誤解すんなよ。付き合ってないから」
「だって呼び方……
顔も赤くして……」
「昨日告白されたよ。
でもいつも通り断った。
それでも、友達のままでいたいって言うから、それはOKした。
お前もそうだっただろ?」
「……うん」
「それで、他の友達は名前で呼んでるのに、自分だけ名字で呼ばれるのは距離を感じるから嫌だって言うから、それで名前で呼ぶことにしたんだ」
「ヒロっちっていうのは?」
「正直そのセンスは俺にもわからん。
あだ名で呼びたいって言うから許可した。それだけだ。
ただ、いざ呼ばれてみると、あまりにも恥ずかしくて顔が赤くなっちまった」
「……わかった。
納得はしてないけど、これ以上は何も言わない」
「そうしてくれると助かる」
「ねえ、それじゃ私の事マナミンって呼んでくれる?」
「絶対に嫌だ」
「いけずーだよ!? 東城さんは良くて私じゃダメなんだ!?」
「そういう問題じゃねえだろ!?」
「いいもん、私はヒロキンって呼ぶことにするから!」
「なんだその絶望的なセンスの無さは!
有名Uチューバーでもあるまいし。絶対にダメだ!」
「むぅ」
そんなアホみたいなやり取りをしていると予鈴の音が響いた。
「やべ、教室に戻るぞ」
その日を境に、西森王朝では真奈美と美玖のどちらが俺の正妻になるのか、という話題が生徒の間で広がっていくことになる。殿、早くお世継ぎを、などとのたまった春樹にはチョップをくれてやった。
「勘弁してくれ……」
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体育祭が終わると、俺たちはテスト週間に突入した。
いわゆる中間テストが待っている。
実はテストも『セーブ&ロード』を使えば楽勝で満点をとれるのだが、長い事使っていない。
というのも、真面目に勉強しているので使う必要が無いのだ。
むしろ、普段の勉強に『セーブ&ロード』を活用している。
例えば、授業中分からない事があれば何度でもロードして聞き直すことができたり、どうしても眠い時は大人の世界をロードして、すっきりしてから授業に戻る事もできる。
普段も納得いくまで勉強ができたし、時間が足りないという事は無かった。
その結果、常に満点近い好成績を叩き出せていたのだ。
そして今回もまた、全教科ほぼ満点で学年一位という成績を叩き出したのである。
この当時はテスト結果は張り出されていたので見に行くと、先に同じクラスの女子の集団と一緒に美玖が来ていた。
髪色が特殊過ぎるので遠くからでもわかる。
「おー、ヒロっち! マジで学年一位なんだね!
この間も言ったけど凄すぎない? 家でどんな勉強をしてるの?」
「ありがとう。どんなっていうか、普通だよ。不器用な分、遊ばないで勉強してるだけだ」
「ゲームとかしないの? プレスタとか62とかさ」
「あー、ゲームは持って無いんだ」
「へー……真面目か」
流石に、これから発売されるゲームも含めて、殆どのゲームは既にクリア済みだからやる気が出ない、とは言えなかった。
それに、ゲームがしたかったら大人世界に行けば色々揃っているからやりたい放題なのだ。
「そう言えば美玖は何位だったんだ? 編入試験では優秀だったって聞いたぞ」
そう言って張り出された紙を見る。
「11位。自分でもびっくりだよ。前の学校じゃ私、真ん中くらいだったからねー。でも、ヒロっちに会いたくてがんばっちゃったんだ。 褒めて褒めて!」
言葉は軽くても、彼女の熱い想いは前回聞かされている。
「そっか。頑張ったんだな。偉いぞ」
なでなでなでなで。
つい、大人が出てしまい、彼女の頭をなでてしまった。
途端に顔が真っ赤になる彼女。
やってしまった事に気づいて俺の顔も真っ赤になる。
「何をこんなところでイチャついてるのよ」
振り返ると真奈美が仁王立ちしていた。
心なしか背景に般若の面が見える様な気がする。
美玖はすすーっと消えてしまった。
目立つ髪色なのに、うまく気配を消したものだ。
「会議があるから生徒会室へ行くわよ」
俺は耳を引っ張られて生徒会室に連行された。
「私も撫でてよ……」
彼女がボソッと呟いたのが聞こえた。仕方ない、生徒会室についたら撫でてやろう。
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6月下旬、今日の東京の蒸し暑さは格別だ。街を歩けば、高層ビルの谷間に湿気がこもり、息苦しさを感じる。教室の窓を開けても、むしろ蒸し暑さが入り込んでくるような感じだった。高校や中学校の教室にエアコンが導入されるのはもう少し後なのだ。何とか我慢しようと天井を仰ぎ見る。
そんな蒸し暑い日々が続く中でも、美玖の周りだけは活気に満ちていた。
「ねえ、本当にスカウトされたの?」
「うわぁ、すごい! どんな役? ドラマ? 映画?」
クラスメイトたちの興奮した声が飛び交う。美玖は少し困ったような、でも嬉しそうな表情を浮かべていた。
「まだ詳しいことは言えないんだけど……」
美玖は少し言葉を濁した。
「オーディションも受けたんだ。結果はもうすぐ分かるはず」
俺は少し離れた場所からその様子を見ていた。美玖の夢が叶うなら素直に喜びたい。でも、どこか引っかかるものを感じていた。アイドルやモデルじゃあるまいし、女優を街中でスカウトってあり得るのだろうか。
数日後、美玖は輝くような笑顔で教室に飛び込んできた。
「ヒロっち! 聞いて! オーディション、合格したの!」
彼女の声には興奮が溢れていた。クラスメイトたちが一斉に振り返る。
「おお、すごいじゃないか」
俺は素直に祝福の言葉を口にした。
「どんな役なんだ?」
「サスペンスドラマなの。ちょっと怖いシーンもあるけど……」
美玖は少し言葉を詰まらせた。
「ベッドの上で……殺される役なんだ」
「へぇ……」
俺は言葉を濁した。なんというか、素直におめでとうとも言い辛い役回りだ。
「でも、良かったじゃないか。これをきっかけに色々仕事が回ってくるようになると良いな」
「そう、そうなのよ!」
しかし、美玖の喜びようを見ていると、そんな些細な違和感など吹き飛んでしまう。クラスメイトたちも彼女を取り囲み、祝福の言葉を投げかけていた。
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その翌週から、突然美玖が学校に来なくなった。
最初の数日は誰も気にしていなかった。撮影で忙しいのだろう、と。しかし、さらに一週間が経っても姿を見せない。担任の先生も心配し始めた。
「先生、東城さんはなんで休みなんですか?」
仲の良かった女生徒が先生に聞いてみた。
「東城さんの家に連絡を取ってみたんだが……」
担任は困惑した表情で言った。
「ご家族も詳しいことは話してくれないんだ。ただ、しばらく休ませてください、と言ってな。それも先週の話で、ついに連絡も取れなくなってしまってな。お前ら何か聞いてるやつはいないか?」
クラス中に不安が広がった。俺も何度か美玖に聞いていた電話番号で連絡を試みたが、電話に出ることはなかった。
ある日の放課後、真奈美が俺に話しかけてきた。
「宏樹……私、東城さんのこと心配だよ……」
彼女の目には不安が浮かんでいた。
「あんなに嬉しそうだったのに、急にいなくなるなんて。何かあったとしか思えないよ」
「ああ……」
俺も同じことを考えていた。
「最後に話した時の様子、何か変だったか?」
真奈美は首を横に振った。
「むしろ、すごく元気だった。だからこそ……何かあったんじゃないかって」
その夜、俺は美玖が話していた仕事のことを思い返していた。サスペンスドラマ。ベッドの上で殺される役。何かが引っかかる。
その日、学校が終わると俺は大人側の世界へをロードした。
何か情報が欲しい。
ネットで調べてみた。
美玖の情報はすぐに見つかった。モデルをやっていて、高校卒業後はモデルをやりながら女優を目指すも、日の目を見ずにそのうち消えてしまったようだ。
高校も慶鳳ではない。
俺というフラグが作用していない彼女の人生の一端がそこにあった。
俺が変わる事で、彼女の人生を変えたのだ。
次に探したのは美玖がオーディションを受けたというドラマだ。
そんなドラマの情報は見つからない。
「おかしい……そんなタイトルのドラマすら存在しないだと?」
俺は眉をひそめた。
いくらなんでも不自然だ。俺が存在することで、無かったドラマが生まれるなどとは考え辛い。
調べを進めていくと、別の物を見つけた。
「これは……ニュース?」
そのニュースを見て俺は絶句する。
そのニュースとは、ドラマの撮影と称して、女子高生や女子大生を拉致監禁、性的暴行を加えて動画の販売を行っていた犯罪者集団の摘発のニュースだった。
これだ。間違いない。
美玖は騙されて性犯罪の被害者になってしまったのだ。
「俺に出会ってしまったからか……」
固く拳を握りしめる。
「美玖。絶対に救ってやるからな」
俺が彼女の人生を変えた。
変えてしまった。
それで不幸が起きたとするなら、その人生を、俺がまた変えてやる。
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