第22話 ローヌ川の河川敷にて
今日は別行動。
父さんたちは昼前から移動して、大聖堂や美術館を見るツアーに参加するようだ。
俺はリュックサックに荷物を詰め込み、朝からローヌ川の河川敷を目指した。
ローヌ川の河川敷に到着すると、ひとまずセーブをした。
ローヌ川は昨日の雨の影響を受け、若干水かさは増しているが、日本の急流とは違って穏やかな流れだ。
あのおばあさんの娘さんに、一体何があったのだろうか。
そんな事を考えながら河川敷を何度も往復する。
コレージュ歩道橋から身を乗り出して落ちそうになっている少女が気になったりもしたが、特に何も起こらないまま昼になってしまった。
この辺りで一度別のポイントにセーブしてから、軽く昼食を済ませ、河川敷に戻った。
ローヌ川を見つめる。
あの時のおばあさんは何を思っていたのだろうか。
そして、特に何も起こらないまま夕方になってしまった。
すると、周囲がにわかに騒がしくなってきた。
遠くから救急車の音が近づいてくる。
気が付くと警察も来ていた。
話を聞いてみると、女の子の水死体が上がったとのことだ。
なんてこった。
おばあさんの記憶は間違ってなかったが、ここは遺体が上がった場所だった。
何かが起こったのはもっと上流だったんだ。
俺は昼食前の記録をロードした。
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俺は軽く昼食をとると、上流に向かって歩き出した。
日が暮れるまで辺りを注意しながら歩いたが、ここまでは何もなかった。
遠くで救急車の音が聞こえる。恐らく先ほどの場所でまた遺体が上がっているだろう。
となると、ここよりはもっと下流で何かが起こったんだ。
こうやって少しずつ、範囲を絞り込んでいくしかない。
そうやって俺は、何度もロードしながら範囲を絞り込んでいった。
そして7回目のロードをした時だ。
フェイシンヌ自然公園の川沿いの遊歩道で、少女の麦わら帽子が風に飛ばされてしまったのが遠くに見えた。プラチナブロンドの、透き通るような輝く髪が風になびいている。帽子は川縁の木の枝に引っ掛かっているようで、彼女は帽子を取るべく、ギリギリのところから手を伸ばしている。
「Arrête!(やめろッ!)」
走りながら叫んだが、まだ遠くて言葉が届かない。そうしているうちに、彼女は足を滑らせ、川に転落してしまった。川面に大きな水しぶきが上がり、少女の姿が消えた。
近くまで全力で走り、川を見る。水面下に沈んでいく金髪が見えた。頭を打って気絶したのか、ピクリとも動かない。
急いで俺は川に飛び込んだ。冷たい水が全身を包み込む。目を開けて水中を見渡すと、少女の姿が見えた。彼女に近づき、腕を掴んで水面に引き上げる。
岸に這い上がると、近くにいた人々が駆け寄ってきた。フランス語で「大丈夫か?」「救急車を呼んだぞ」という声が聞こえる。
少女を地面に寝かせ、呼吸を確かめる。呼吸はしていない。さっきまで感じていた脈も無くなってしまっている。水難事故は時間との勝負だ。
心臓マッサージと人工呼吸を始める。胸骨の上に重ねた手に力を込め、リズミカルに押す。30回押したら、顎を上げて気道を確保し、鼻をつまんで口から息を吹き込む。これを繰り返す。
「頑張れ、戻ってこい」と心の中で叫びながら、必死に蘇生を続ける。周りの人々も固唾を呑んで見守っている。
しばらく心臓マッサージと人工呼吸を繰り返していると、「けほっ」という反応と共に彼女の意識が戻ってきた。少女は激しく咳き込み、水を吐き出す。
「良かった、生き返った!」
安堵の声が上がり、周囲からも「C'est génial!」「Bien joué!」と称賛の声が聞こえる。
少女はゆっくりと目を開け、混乱した様子で周りを見回す。
「大丈夫? 意識はある?」
と俺は尋ねる。
「私……おぼれて……?」
彼女の声は弱々しいが、確かだった。
「ああ、君は風で飛ばされた帽子をとろうとして、川に落ちてしまったんだ」
少女は俺を見つめ、か細い声で言った。
「あなたが助けてくれたの?」
「うん、無事でよかった。服はびしょびしょで全然無事じゃないけどね」
と俺は軽く冗談を言って、彼女を安心させようとした。
「あの……私はクロエ。クロエ=ルクレール、です。あなたは?」
少女は少し顔を赤らめながら言った。
「俺? 俺はヒロキ。ヒロキ=ニシモリ。14歳。君の王子様だよ」
と軽い冗談を交えて答えた。
「イローキ? 同い年……?」
クロエは困惑した表情を浮かべた。
彼女の顔がみるみる赤くなっていくのがわかる。しかし、なぜ年齢まで言ってしまったのか。自分の軽率さに内心で頭を抱えた。
「ああ、日本人の名前だから難しいか。何か書くものは……」
と言いかけたその時、
「あの、これあなたの荷物ですよね?」
自転車に乗った青年が俺の放り投げたリュックサックを拾ってきてくれた。青年の親切な行動に、フランスの人々の温かさを感じた。
「ありがとうございます」と礼を言い、リュックから中に入っていたノートをちぎり、ペンを取り出した。そこに、
Hiroki Nishimori
ひろき にしもり
宏樹 西森
と書いて、クロエに渡した。
クロエは紙を受け取ると、じっと見つめた。
「日本人なの?」
と彼女は興味深そうに尋ねた。
「ああ、日本から旅行に来たんだ」
と答えると、クロエの目が輝いた。
「日本……イローキ……王子様……」
そう呟き、しばらくその紙と俺の顔を行ったり来たりさせながら、また少女の顔が徐々に赤くなっていく。フランス人の少女だからか、とても可愛らしい仕草だった。
そう言えば、どことなくあのおばあさんに似ている気もする。髪色なんてそっくりだ。ふと、この少女の未来が変わったことを実感し、胸が熱くなった。
「おばあさん、これで幸せになってくれよ。もうローヌ川をぼーっと見つめる必要なんて無いからな」
今日一の笑顔でそう呟くと、到着した救急隊にクロエが連れていかれるのを見送った。彼女は担架に乗せられながらも、最後まで俺の方を見ていた。
その後、びしょびしょになった俺を助けるため、近くの服屋のおじさんが乾いた服をくれたり、近所のおばさんがタオルを持ってきてくれたりした。周りの人々の温かさに触れ、人の優しさを肌で感じることができた。
何が日本は世界で一番優しい国だ。フランスだって十分温かい国じゃないか! むしろ東京よりも全然温かいぞ!? そう思いながら、この経験が自分の中で大切な思い出になることを確信した。
救急車が去り、周囲の人々も散っていく中、俺は川を見つめた。穏やかに流れるローヌ川。今日、ここで一つの命が救われ、未来が変わった。そう思うと、不思議な感動が込み上げてきた。
深呼吸をして、これからの旅行を楽しむ気持ちを新たにした俺は、ホテルへの帰路についた。今日の出来事を、どう家族に説明しようか、そんなことを考えながら歩を進めた。
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それから数日後。
俺達は予定通りフランス旅行を楽しんだ後、家に帰ってきた。
「お兄ちゃん……」
「なんだ?」
「楽しかった……ね……」
「そうだな」
「夢みたい……だったね」
「そうだな」
「でも……現実に帰って来ちゃったんだね……」
そう、これがキツいんだ。
海外旅行を経験した人たちならわかるはずだ。
家に帰ってきたときの現実感のヤバさ(語彙力)といったらもう!!
現実という名の絶望に押しつぶされそうになるのだ。
今まさに、あかねはその絶望感と戦っている。
海外が初めてのあかねは果たして抗うことが出来るのであろうか……
俺は慣れてるけどね。
「なあ、宏樹」
「なに、父さん」
「そろそろリヨンで何があったか教えてくれてもいいんじゃないか?」
「ああ、旅行の目的だったからね。
うん、もういいか。
……また夢を見たんだ」
俺は嘘を交えてストーリーを作っていった。
「いつもの明晰夢か」
「うん、場所も、時間も、何が起きるかもはっきりわかっていたよ。
ローヌ川で、少女が溺れて死ぬ夢。
そして、何十年後かは分からないけど、大人になった俺がローヌ川の河川敷でその子の母だったおばあさんと会話する夢。
おばあさんは悲しそうにローヌ川を見つめてた。それが印象的でさ。
夢を見たのは去年。だから必死でフランス語を勉強したんだ」
「お前の夢は予知夢みたいなものだからな」
「これで、救えたのに救わないでいたら、気持ち悪いと思ったんだ。
だからこれは俺のエゴ」
「エゴで良いじゃないか。何でもいい。その結果、一人の命が助かったんだろう?」
「うん……そうだね」
「で、その子の連絡先とかは聞いてきたのか?」
「いや、名前だけだな。連絡先とかは何も」
「なんだよ、国を超えたロマンスとかそういうのは無いのかよ」
「いや、中学生でフランスと遠距離恋愛とかするつもりないよ!?」
「もったいない! フランス人女性は良いぞ~!!」
「何が!?」
「へぇー、あなた、フランス人女性の方がお好きみたいですねぇ?
そう言えば5日目の晩、飲みに行くとか言って一人で出て行ったわよねぇ?
旅行中も楽しんだのかしらぁ?」
「いや、母さん、僕はちょっと息子をからかっただけで……」
「そのお話、こっちで聞かせてもらいますから。ちょっといらっしゃい」
父さんは母さんにドナドナされていった。
父さん……
強く生きろ………
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旅行から帰った後は、俺は部活に全力となる。そう、全国中学校バスケットボール大会、通称『全中』だ。
三年生の先輩たちには最後の大会となる。
中学に入ってから、俺は試合ではセーブとロードは封印している。
実は一度だけ使った事があるのだが、勝っても全然嬉しくない。
何となくだが、負けた気もした。
きっと、自分が全力で取り組んでいるからこそ、間違いなく不正と言える『セーブ&ロード』で試合結果を変えるのが嫌なんだ。
これも単なる俺のエゴ。
人生そのものは『セーブ&ロード』でバンバン変えてるからな。
だから、スリーポイントの成功率6割超えは俺の実力だ。
中学生では、普通は3割もあればすごい方らしい。
これが6割に達しているんだから、俺自身に対する注目度もすごいことになっていた。
その夏、俺たちは全国制覇を成し遂げた。先輩方は皆泣いていた。
その姿を見ていて、俺も少しもらい泣きしてしまった。
表彰式の後、バスケの専門雑誌のインタビューを受けた。
雑誌のインタビューを受けるのは初めてだったが、良い経験になった。
雑誌の表紙を飾る写真も貰って大満足だ。
家に帰ると誕生日のようなケーキでお祝いしてもらった。
雑誌が発売されると、ウチにも郵送で届いていた。
表紙はシュートしている俺だ。
こっぱずかしいにも程がある。
『驚異の精度!次世代スリーポイントキング西森宏樹!』
デカデカとこんなキャッチフレーズが書いてある。
俺は羞恥心でしばらく意識を失った。
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そして、季節は巡り、秋。
部活では3年生の先輩が引退し、俺たち2年生に主導権が渡る。
あの雑誌が発売された後は散々だった。
教室や部活でいじられ、職員室でも家でもいじられた。
さらには斜め前の家から雑誌をもって真紀が来た。
風邪をひいていたのか、大きなマスクが印象的だった。
久しぶりに会った彼女は、ぽっちゃり感はゼロで、綺麗になりそうな雰囲気のする少女に変貌していた。そのまま頑張ればきっとモテモテだぞ。がんばれ真紀!
告白も何回かあった。
全部お断りしたが、断る側もこんなにも辛かったんだと初めて知った。
バスケ部の方だが、部長は俺という声もあったが、カツミにお願いした。
ポイントガードとして日々チームをまとめるカツミなら適任だ。
俺は生徒会長を狙っていたので、兼任は避けた。
そして予定通り生徒会選挙を経て、俺は生徒会長になった。副会長はマナミ……堀北真奈美だ。去年の12月に俺に告白してきた女の子だ。
彼女は友人という関係をつづけながら、俺にふさわしい女性になろうと努力し、ときおりあわよくば関係を進めてやろうと画策している。
結構腹黒い。
生徒会選挙も完全に副会長狙いだったしな。
何しろ演説も、清々しいほどに俺のサポートがどれだけ得意かを熱弁していたからな。
一部の生徒は俺たちが付き合っているんじゃないかと噂をしていたが、それは無い。
精神が体の年齢や環境に引っ張られるというのは、なんとなく分かってきた。
影響があるのは確かだろう。
しかし、いかんせん中身が40過ぎのオッサンから見たら、中学二年生はまだ子供過ぎるのだ。
高校生くらいになったら、俺の意識も多少は変わるのだろうか。
今はまだ、その準備期間だ。
どんな青春を送ってやろうか。
俺は、空を見上げてにやりと笑った。
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