第21話 再び中学生へ
大人の世界で40歳を迎えた俺は、再び中学校一年生のゴールデンウィークに戻ってきた。
かなり長い期間向こうで過ごしてきたせいか、懐かしい感じだ。桜が散って新緑のちらつく桜。そして校庭、制服を着た少年少女たちの笑い声。すべてが新鮮で、同時に懐かしい。
ところで俺は何歳なのだろうか。誕生日的には40だが、何度もロードしているせいで年齢が分からなくなっている。気にしても仕方の無い事だとは思いつつ、やはり気になってしまう。心は40歳、体は13歳。その狭間で揺れる違和感が、胸の奥でもやもやと渦巻いている。
ゴールデンウィークは部活三昧だった。ぶっ倒れて吐くまで体を追い込んだ。汗が滴る体育館の床、耳に響く靴のキュッキュッという音。男子たちの気合の入った声。どこか柔らかさを感じる女子たちの声。
ここまでストイックに自分を追い込む俺を見て、部員たちの反応は二種類に分かれる。
負けるかと歯を食いしばってついてこようとする者と、引いて一歩外から冷めた目で見る者だ。その視線の温度差を、背中で感じ取る。
カツミとマサオミは前者だ。
俺と一緒にぶっ倒れるまでやった。彼らの目には、競争心と尊敬の念が交錯している。
『負けるものか』
そういう意思が目に宿っている。
他にも三人、
中間試験、期末試験と、順調に学年一位を獲得し、夏休みを迎えた。
夏休みには部活でボロボロになりながらも、スイミングスクールに通った。来年リヨンに行くのを見越しての事だ。人並み以上に泳げなければ、水難事故から助けることが出来ない。同時に救急救命も学んだ。万が一への備えは忘れない。
『セーブ&ロード』で何度も繰り返すうちに、救急救命士の人が驚くほどの技術を身に付けた。
この頃には、かつて陰キャだった俺からは信じられないほどの体力がついていた。
体つきも全然違う。体脂肪率は一桁で、腹筋もバキバキに割れている。
身長もグングン伸びている。鏡に映る自分の姿が日に日に変わっていくのを、不思議な気持ちで眺める。正直楽しい。
運動、食事、そして謎の伸長マシーンの複合的な効果が出ているのだろうか。
秋が来ると、俺は試合で使ってもらえるようになった。
1年生で試合に出られるなんて思わなかったが、やはり驚異的なスリーポイントシュートの成功率が評価された形だ。体育館に響く歓声、緊張と興奮が入り混じる独特の空気。すべてが新鮮で、同時に懐かしい。
以前の人生では、俺はそういうのを遠目から見ていた。
自分には関係無いと思っていた。
今ならわかる。
関係を断っていたのは自分自身だ。
三年生が完全に引退すると、レギュラーになった。
強豪校の1年生レギュラー、そして驚異的なスリーポイントの成功率ということで、他校でもかなり話題になったらしい。
12月のある日、登校すると下駄箱に手紙が入っていた。
女の子の可愛らしい、しかしとても美しい字で、しっかりとした人柄が思い浮かぶようだった。
手紙には俺に対する思いが
東階段の方は、あまり使われていない教室が多く、人通りが少ない。
そこに呼び出されるということは十中八九告白だろう。実は、告白されるのは人生を通して初めてだ。手紙を握る手に、少し汗がにじむ。
しかし、俺がその告白を受けることはない。
会ったことは無いけど、付き合えない事だけは分かっている。
そもそも異性として見ることができないのだ。
中学生の女の子。
40過ぎのおじさんにとっては、子供としか認識できない。
こっちでもう少し長く過ごしたら、体の年齢に引っ張られて何か変わってくるのだろうか?
40歳の心と13歳の体。
その狭間で揺れる感情を、俺はまだどう処理すればいいのか分からないでいた。
放課後、その場所に向かうと、その女の子が待っていた。
優しそうな目。やや大きめの瞳は黒曜石のように深く輝き、その中には秘められた決意が宿っている。艶やかな黒髪のミディアムボブヘアーは綺麗に整えられ、揺れるたびに光を反射して美しい輝きを放つ。陶器のように滑らかな白い肌は、わずかに幼さを残していた。
彼女のきつく閉じられていた唇が開き、柔らかな声が聞こえてきた。窓から差し込む夕日が、彼女の横顔を優しく照らしている。
「突然呼び出してごめんなさい。
あの……その……」
緊張からか、なかなか次のセリフが出てこない。彼女の頬が、少しずつ赤くなっていく。
かわいい子だ。俺は率直にそう思った。
しかし、受けるつもりも無いのに待っているのも酷だ。
そう思った俺は、誠意をもって伝えた。胸の奥で、大人の自分と子供の自分が葛藤する。
「手紙、読ませてもらった。俺の事を好きになってくれてありがとう。でも君と付き合うわけにはいかない。
俺は中学三年間を、すべて自分を高めるためだけに使うと決めているんだ。
だから、ごめん」
「そう……ですか」
彼女の目に涙がにじむ。その透明な雫が、夕日に照らされて小さな虹を作る。
「でも……」
そして、一度唇をぎゅっと結ぶと、決意を持った目で俺の方を見た。
「私の事がタイプじゃないとか、他に好きな人がいるとかじゃないんですよね?」
「ああ、そういう事じゃない。ただ、中学三年間は誰とも付き合う気は無いんだ」
「あの! それじゃ、お友達になってくれませんか!?」
彼女の声に、希望と不安が混ざっている。その純粋さに、胸が締め付けられる。
「友達か。うん、それなら良いよ」
「私、
D組です!」
「俺は……って知ってるよね。
昼休みとか、いつでも遊びに来てよ。歓迎する」
「はいッ!」
彼女は、振られた割には笑顔で去っていった。その後ろ姿を見送りながら、複雑な気持ちが胸の中でぐるぐると渦巻く。
それから昼休みになると、彼女は毎日のように顔を見せるようになった。
なので、俺の周りにはいつもの四人、春樹、健太、香苗、美結の他に、真奈美が加わったのだった。
6人で遊ぶことも多く、初詣に行ったのは良い思い出だ。神社の境内に広がる凛とした空気、みんなで引いたおみくじの結果に一喜一憂する様子。13歳の体で感じる初詣の雰囲気は、大人の時とはまた違った新鮮さがあった。
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そんなこんなで季節は過ぎ、中学二年の夏が来た。
春のクラス替えで、6人のうち健太だけが違うクラスになってしまうというトラブルはあったが、休み時間になるたびに遊びに来ている。
しかし、春樹に『クラスに溶け込めなくなるぞ』と注意され、昼休みだけにしたようだった。健太の表情に、少しの寂しさが見て取れた。
部活の方は、俺はすっかりレギュラーだ。それと、急激に身長を伸ばしたマサオミもレギュラーに定着しつつある。中学2年で180cmを超える長身はなかなかのものだ。俺のアドバイス通り、筋トレとプロテイン、肉を増やした食事により、中学生とは思えない体つきになってきた。
カツミも出場機会が増えている。身長は伸び悩んでいるが、ドライブの鋭さ、そこから先の選択肢にかけては間違いなく部内でもトップだ。
そうやって全力で部活に取り組んでいたが、一つ、俺には絶対にやらなければならない事があった。
フランスへ行く事だ。
俺はあのリヨンのおばあさんの事が忘れられないでいた。
きっと世界では、毎日たくさんの人が理不尽な理由で死んでいる事だろう。
だから、きっとあのおばあさんのような人は、俺が知らないというだけで大勢いるのだと思う。
だけど、俺はあのおばあさんを助けたいと思ってしまった。
これは、ただの俺のエゴだ。
あの日、ローヌの川の流れを見つめながら、優しくも悲しい目をしていたおばあさんに、その子を助け、別の未来を届けたいのだ。記憶の中で、おばあさんの姿が鮮明に蘇る。
両親を説得する事が一番大変だった。
単身、フランスに中学二年生が行くとか正気じゃない。
結局、家族で旅行に行って、一日だけ自由行動をさせてもらうことで合意した。
「あんた本当に大丈夫なの?」
母の声には、心配と困惑が混ざっている。
「行けばわかると思うけど、俺フランス語は喋れるから。
むしろ父さんと母さんの方が心配だよ。フランスじゃ英語は通じないと思った方が良いからね?」
「そうなの?」
今でこそフランスでも英語である程度コミュニケーションが取れるが、2000年頃のフランスでは英語でのコミュニケーションは
フランスはシンプルな国だ。
フランスに来たならフランス語で喋れよ、ということなのだ。
郷に入れば郷に従え。俺たちの国でも常識だ。
「それじゃ僕たちもフランス語を学ばないとね」
父の声には、少し焦りが混ざっている。
「父さん…さすがに今からじゃ間に合わないと思うよ。
初日と二日目は俺が通訳やるけど、俺がいない三日目は通訳付きのツアーを申し込んだ方が良いかもね」
「そうね、考えておくわ。あかねもいる事だし」
「で、どうしても行きたいっていうリヨンでは、誰が待っているんだ?」
父の目に、好奇心と心配が混ざっている。
「ちょっとね。
会えるかどうかも分からないだけど。
どうしても行かなきゃいけないんだ」
「お前がそこまで言うんだ。
もし言えるようになったら言ってくれ」
「そうね。
どうしてもフランスのリヨンに、8月8日に行かなきゃいけないのよね?」
母の声には、諦めと受容が混ざっている。
「うん、まだそれしか言えない」
「わかった。
それじゃ、旅行の準備をしよう」
俺たち家族はフランスに行くために色々と準備をした。
7泊9日の日程だ。期待と不安が入り混じる家族の表情を見ながら、俺は心の中で決意を固めた。
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そして家族でフランスに行く日が来た。
約14時間かけてパリのシャルル・ド・ゴール空港に降り立った。
日本とはまるで違う匂いと景色。そして人々。
何もかもが懐かしい。空港の喧騒、コーヒーの香り、フランス語が飛び交う空間。すべてが鮮明に蘇ってくる。
「Ah, que de souvenirs...」(ああ、なんて懐かしい...)
思わず口から漏れた言葉に、自分でも驚く。懐かしさと感慨が胸に込み上げてくる。
「お兄ちゃん、何て言ったの?」
あかねの声には、好奇心と少しの驚きが混ざっている。
「ああ、き、気にしないでよ。さ、税関に行こうか!」
慌てて取り繕う俺の様子に、あかねは首をかしげる。
「変なお兄ちゃん」
懐かしさのあまりつい口走ってしまった。自分の失態に内心冷や汗をかく。
今日はとりあえずホテルにチェックインして、周辺の散策を軽く行って、あとはゆっくりと休む。
フランスと日本では時差が強烈だからな。
フランスに着いてからというもの、家族は驚きっぱなしだ。
それはそうだろう。自分の身内が、知らないうちにネイティブで外国語をしゃべり始めたら誰だって驚く。
二日目はパリ市内を観光した。かの有名なエッフェル塔、そして、母さんが目を輝かせていたのは有名ブランド品の本店だ。父さんと相談してサプライズでこの場所をセッティングした。
昔と違って金はあるはずだ。男を見せろよ、父さん!
俺もあかねに財布を買ってやる事にした。
「お兄ちゃんマジ? いいの?
もしかして私のこと狙ってる?」
あかねの目が輝き、声には冗談半分の期待が混ざっている。
「狙うかバカ。いらないなら先に外に出てるぞー」
「あ、嘘! 嘘だから!
お兄ちゃん大好き!!
私の方が狙ってる感じで良いから!」
あかねの声には、焦りと甘えが混ざっている。
「何も良くねぇよ!
……で、どれが良いんだ?」
「んとねー、ちょっと待ってよー……むぅ」
あかねは真剣な表情で財布を選び始める。その姿に、少し微笑ましさを感じる。
「値段見て遠慮なんてすんなよ。父さんと一緒に株やってるのは知ってるだろ。
お兄ちゃん、こう見えてもけっこうリッチなんだぜ」
「やばい、お兄ちゃんが優良物件過ぎて妹辞めたくなってきたよ……
結婚して!」
あかねの声には、冗談と本気が混ざっている。その純粋さに、少し困惑する。
「何言ってんだ。彼女なんて結局赤の他人だし、結婚したって離婚するかもしれないだろ?
その点、妹はずっと妹だぞ」
縁を切るってのもあるけどな、とは言わない。心の中で、大人の自分が苦笑する。
「そうか……私、お兄ちゃんの妹でよかった!」
真剣な顔で言うあかね。
単純だなあ。そこがあかねの良い所なんだが。
そうして30分ほど悩み、あかねの決めた財布を購入して渡す。
「ありがとうお兄ちゃん!
一生大切にするね!!」
あかねの声には、純粋な喜びが溢れている。
「いや壊れたら買い替えろよ」
父さんと母さんもバッグを購入し、満面の笑顔で店を出てきた。
自然に手を繋いでいるが何も言うまい。
と、思ったらあかねがニヤニヤして何か言おうとしていたので口をふさいだ。
「むが、むががが……」
夕方にはTGVと呼ばれる新幹線のような高速鉄道に乗り、リヨンに移動した。
約二時間。
最初は窓の外を眺めて、「全てが全然違う景色だねー」と目を輝かせていたあかねだが、今はすやすや眠っている。フランスのどこまでも続く田園風景が窓の外を流れていく。
リヨンにつくと、予約していたホテルに行ってチェックインを行う。
ディナーはちょっと贅沢をした。
星が付く感じのレストランだ。
あかねだけじゃなく、父さんも母さんも緊張してガチガチである。高級レストランの厳かな雰囲気が、家族を緊張させている。
ドレスコードに厳しい店なので、俺と父さんはスーツ、母さんとあかねはレンタルしたドレスだ。
家族のなれないドレス姿は、綺麗や可愛いというより面白かった。
俺はと言うと、ワインを飲みたい気持ちを抑え込むのに苦戦していた。
だってワインリストに、未来ではほとんど出回っていないものが書いてあるんだぜ!?
「星付きのレストランでワインが飲めないだと!? クッ…殺せ」という、心の中の謎の女騎士を何とか抑え込むのに必死だったのだ。
その後はレストランでサーヴィスの人と談笑しながら会話し、皆に料理の説明などの通訳をしているとみんなポカーンとした顔で見てくる。
「ねえお兄ちゃん。
これってちょっと勉強したってレベルじゃないと思うんだけど。
マジでどうしちゃったのさ?」
あかねの声には、好奇心と少しの疑念が混ざっている。
「本とかCDで勉強したんだよ。
あー……実を言うと、知り合いになった駅前留学の講師のお兄さんにこっそり教わってた事もあるんだけどね」
嘘をつく自分に、少し罪悪感を覚える。
「そっかー。それでも凄いや。私も英語以外にも外国語勉強しようかな……」
「語学はやっておいた方が良いぞ、あかね。
どんな仕事についてても、絶対に役に立つから。
日本語だけじゃダメな未来が、絶対来るから」
40歳の自分の経験が、言葉に滲み出る。
「お兄ちゃんが言うと説得力があるなぁ……」
あかねの目に、尊敬の念が浮かぶ。
こうして楽しいディナーの後は、ホテルに行って休んだ。
窓の外に広がるリヨンの夜景を眺めながら俺は呟いた。
「さあ、いよいよ明日が本番だ」
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