第20話 趣味のある暮らし

 由紀奈が大阪に行って4ヶ月が経った。


 その間色々あった。


 まず、亜里沙の彼氏の山口佑太君が挨拶に来た。

 正直、イケメンすぎて驚いた。玄関で彼を見た瞬間、まるで雑誌から抜け出してきたモデルのようだった。凛とした眉、澄んだ瞳、そして控えめな微笑み。これが娘の彼氏かと思うと、複雑な気分が胸の中でぐるぐると渦巻いた。

 それだけではなくて、常に学年トップというレベルで成績優秀、さらには品行方正、トドメにスポーツ万能。


 ……なぜウチの亜里沙が付き合えているのですか?

 是非ともそのまま仲良くしてやって欲しい。


 なんて感じのことを言ったら、亜里沙も成績は学年2位らしい。その言葉を聞いた時、驚きと誇らしさが同時に押し寄せてきた。娘の頑張りを知らなかった自分に少し後ろめたさを感じつつ、嬉しさで胸が熱くなった。


 そうか、お父さんのようにはなりたくないって言ってたもんな。


 もしかしたら学年1位の佑太君と、学年2位からいつか抜かしてやると追いかけてくる亜里沙の間で、ラブコメのような展開があったのかもしれないと、軽く聞いてみたら二人して顔を真っ赤にしてしまった。ズバリその通りだったらしい。亜里沙の耳まで赤くなり、佑太君は目を泳がせながら、まるで興味深い床の模様でも見つけたかのように下を向いていた。二人の反応を見て、思わず笑みがこぼれた。


 その後、亜里沙に聞いたのだが、今では秀才カップルという事で、カプ推しのファンクラブまであるのだとか。

 学校を二人で歩いているだけで「尊い」という声が聞こえてくるのだそうだ。

 亜里沙は迷惑だと言っていたが、その言葉とは裏腹に、少し誇らしげな表情を浮かべていた。

 実の娘なのに知らない事はたくさんある。その事実に、少し寂しさを感じた。


 それからちょくちょく佑太君は遊びに来るようになり……

 こっそり覗いたら勉強していたのだが、仲睦まじいようで何よりだ。二人で頭を寄せ合い、時折小さな笑い声を漏らしながら問題を解いている姿は、まるで絵に描いたような理想の学生カップルだった。


 その後、亜里沙と佑太君は同じ高校を受験し、無事に進学した。

 実は佑太君の家は裕福だが、ウチの家庭事情を鑑みて公立高校を受けようとしていたらしい。だが、ウチの資金事情が改善し、俺が『好きな所を受けろ』と言ったことで、有名私立に変更したのだ。

 偏差値70以上の、いわゆる難関有名私立だ。

 俺みたいなチートも無しでよく受かったな。

 娘が俺なんかより圧倒的に凄い件。


 春休みには亜里沙と佑太君を2泊3日の卒業旅行に行かせた。

 大阪のワールドスタジオジャパンだ。

 同時に由紀奈の所に挨拶に行く、という寸法だ。

 二人きりでのお泊りは、さすがにまだダメだろう。

 面倒をかけるし、今までの詫びの意味も込めて由紀奈に100万円を送金したら、由紀奈と亜里沙に怒られてしまった。非課税で収まる金額だし、ちょうどいいと思ったのだが。


 高校に入学した後も、亜里沙と佑太君は才色兼備の美男美女カップルとして早くも有名になっているようだ。

 父としては、複雑な気分だ。娘の成長を喜ぶ気持ちと、もう手の届かないところに行ってしまったような寂しさが入り混じる。


 さて、俺の方はというと、その間、仕事をしない代わりに趣味と学習に没頭した。

 主夫してないのかって?

 金はあるんだ。週に4回、家政婦に来てもらっている。これぞセレブの暮らし。

 30代の既婚女性で山岸美恵やまぎしみえさんという方だ。

 この人、職業家政婦なだけあってめちゃくちゃ家事能力が高く、収納術やらなにやら色々教えてもらった。

 おかげさまで俺の家事能力も圧倒的に向上。

 もともとがゼロに近かっただけなのではあるが……

 彼女がこない週3日の俺が担当する日も、そつなく短時間で終わらせることが出来るようになった。家事をこなす度に、少しずつ自信がついていくのを感じる。


 話を戻そう。

 色々な学習をするにあたり、語学は重点的に行った。英語はもちろん、フランス語にも手を出してみた。英語とフランス語で会話ができれば、世界の半分以上はどこに行っても話が通じると聞いたからだ。

 本当は海外に行って生活すればネイティブな会話ができるのだが、亜里沙の事を考えると長期で家を空けるわけにはいかないと考えてしまう。その葛藤が、時折胸をよぎる。


 そして、料理教室にも通った。もちろんこれは生活のためだ。

1人暮らしの経験もあるし、多少はできたのだが、美恵さんがいない時に俺が料理をすると、亜里沙の反応が『ザ・男の料理って感じだよね……』との事だったので、行くことに決めたのである。


 武術も学んだ。時間は馬鹿みたいにあるので、ボクシング、合気道、そして総合格闘技と呼ばれるものまで、技術を中心に多くを学んだ。体を動かすのは楽しいが、ジムには行っていない。そう、選択の基準はあくまでも中学校生活に戻っても役立つもの。筋トレはあっちの世界でしたいのだ。


 音楽はギターとピアノをやってみた。

 ボーカル教室にも通った。かなり歌が上手くなったのだが、披露する機会はあるのだろうか。

 それに、ブレス・ボイストレーニングなど、子供のころからやっておいた方が良い事も教わったので、これはあっちの世界でトレーニングに組み込もうと思う。

 これは歌唱以外にも生かせるはずだ。


 新しい事に挑戦するたび、新しい世界が広がっていく。

 俺の可能性ってこんなにあったんだな。

 それをちっぽけな思い込みで全部潰してきた。

 自分がつまらない人間だったのは、全部自分のせいなんだと、この時はっきりと自覚したんだ。その気づきは、苦いけれど同時に解放感をもたらした。

 

 そしてさらに数か月が経った。

 英語もフランス語もネイティブとまではいかないが、かなり喋れるようになった。

 街中で迷子のフランス人を案内したことがあったが、とても驚かれた。

 他人に褒められるのは、オッサンになってもシンプルにうれしい。その瞬間、胸が温かくなり、努力が報われた喜びを感じた。

 そうそう、三カ月前からさらにスペイン語も追加したんだ。

 これで、世界の6割くらいの国で言葉が通じるんじゃないだろうか。


 現在は夏休みだ。

 俺は意を決して亜里沙を呼び出した。リビングの窓から差し込む夏の陽光が、亜里沙の髪を輝かせている。


「話ってなあに、お父さん」


 亜里沙は少し不安そうな表情で俺を見つめた。


「なあ亜里沙。お父さんが語学の勉強をしているのを知っているだろう?」俺は少し緊張しながら切り出した。


「うん、頑張ってるよね」


 亜里沙の声には、少しの誇らしさが混じっているように感じた。


「それで、今度現地に行って、ネイティブな会話や勉強をしてこようと思ってる。だいたい10日間くらいになると思うけど、夏休みだし、亜里沙も一緒に行くか?」


「うーん、海外かあ………」


 亜里沙は少し考え込むような表情を見せた。


「行きたい気もするけど、私が行っても勉強の邪魔になるだろうしなあ。普通の旅行だったら行きたいけど」


「観光はあまりしないかもな」


 俺は正直に答えた。


「それじゃいいや」


 亜里沙はあっさりと断った後、急に目を輝かせて言った。


「そのかわりにさ、伊豆の別荘使わせてよ!」


 そう、俺は伊豆の海の近くに別荘を購入していたのだ。

 白い砂浜が綺麗なところだ。窓からは青い海が一望でき、波の音が心地よく響く。

 この別荘で、年に一回、由紀奈と亜里沙を呼んで交流しようという事になっている。


「佑太君も一緒か?」


「うん! 佑太だけじゃないけど。美雪とか梨々花も誘って、だいたい6人くらい?」


 亜里沙の声は弾んでいた。


「いいけど、全員の親御さんに確認とるんだぞ? 」


 俺は真剣な表情で言った。


「もし保護者が必要なら由紀奈に声をかけてみろ。あいつにも鍵は渡してあるからな」


「わかった! 早速連絡してくる!」


 亜里沙は嬉しそうに立ち上がった。


「あー、それと……」


 俺は少し気恥ずかしそうに付け加えた。


「渡してあるカードと亜里沙名義の預金は自由にしていいけど、派手に使い過ぎるなよ?」


「……お父さんがそれ言う?」


 亜里沙は呆れたような、でも少し愛情のこもった目で俺を見た。


「心配しなくても大丈夫だよ………」


 あきれられてしまった。解せぬ。俺は少し困惑しながらも、娘の成長を感じずにはいられなかった。

 しかし、やはり高校生にもなると父親と海外旅行より友達同士で遊ぶ方が楽しいよな。その事実に少しの寂しさを感じつつも、娘の喜ぶ顔を思い浮かべて満足した。


 そんなわけで、急遽海外へ行くことが決まった。

 『セーブ&ロード』を駆使して、現地で学びまくるぞ!



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 そして海外へ出発する日が来た。

 成田空港の出発ロビーは、様々な国の人々で賑わっていた。外国語が飛び交う中、俺は少し緊張しながらも、これから始まる冒険に胸を躍らせていた。


 既にセーブを済ませた俺にはいくつかの選択肢があった。

 そう、俺が用意したチケットは一つだけだは無いのだ。

 海外へ行くのは移動を含めて10日間。現地では1週間ほどの滞在予定だ。

 これでは語学研修と言ってもほとんど身に付かない。

 各国に最低でも数か月は滞在して、国中の色々な場所をまわる予定だ。


 ん?

 言っている意味が分からないって?


 計画はこうだ。

 

 まずここでのセーブポイントをセーブ1とする。

 セーブ1をロードする事で各国に渡る起点とする。

 そして、現地に行ったところで2番目のセーブを行う。

 2番目のセーブポイントを駆使して、その国の様々な場所に行くのだ。

 期限が来たら2番目のセーブポイントをロードして別の場所に行く。

 これを繰り返せば、色々な国の色々な場所へ行けるというわけだ。


 さあ、まずはアメリカだ!


 俺はニューヨーク行きのチケット以外をすべてキャンセルして、飛行機に乗った。機内に足を踏み入れた瞬間、これから始まる冒険への期待と不安が入り混じった感情が胸を満たした。






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「ふう、やっと帰ってきたって気がするな~!」


 成田空港を出た俺は、久々の日本の空気を懐かしむ。湿度の高い空気が肌に触れ、どこか懐かしい匂いが鼻をくすぐる。周りを歩く人々の穏やかな表情や、整然とした空港の雰囲気に、ホッとした安堵感が広がる。

 実質3年余りの、充実した外国語研修だった。

 最後の方はバックパッカーとして放浪してたしな。ヨーロッパの古い町並みや、南米の壮大な自然。それぞれの地域の独特な雰囲気が、まだ鮮明に記憶に残っている。

 二回ほど生命の危機を感じることがあったが、ロードで乗り切った。

 しかし、聞いてはいたが、海外での夜の一人歩きがこれほどまでに危険だったとは知らなかった。暗い路地裏で感じた緊張感や、見知らぬ人々の視線の重さが、今でも背筋をゾクッとさせる。

 財布や荷物を何度も盗られた。

 そのたびにロードして事なきを得たのだが……

 日本はバカみたいに安全であると、強く認識させられた。

 それはもう、世界的にみたら頭がおかしいレベルで安全なのだ。深夜でも明るい街灯、礼儀正しい人々、整然とした街並み。当たり前に思っていたこれらの光景が、どれほど貴重なものか身に染みて分かった。


 アメリカでは調子に乗って死にかけた。

 三回目のロードでラスベガスに行ったのだ。ネオンに彩られた夜の街、カジノの喧騒、ショーの華やかさ。その全てが俺を魅了し、現実感を失わせた。

 そして、不思議な体験をしたんだ。

 結果を見てからロードして賭けているのに、なぜか結果が変わる。

 何度やっても同じ。

 少しイラついてしまった俺は、「イカサマだ! 間違いない!」と騒いでしまった。カジノ内に響き渡る自分の声に、一瞬にして周囲の視線が集まるのを感じた。

 にっこり笑っている店員さんに、「他のお客様の迷惑になりますので、こちらで話を聞かせて頂きます」と誘われ、ついて行ったのが大失敗。

 「困るのですよ、お客様」というセリフと共に向けられる拳銃。その瞬間、時間が止まったかのように感じた。


 俺はすぐさまロードして事なきを得た。心臓が激しく鼓動する中、冷や汗が背中を伝う感覚が鮮明に蘇る。

 銃のある国で調子に乗ってはいけない。その教訓は、骨身に染みついた。

 そんな事もあったが、約六カ月、俺はアメリカを満喫した。


 次に行ったのはフランスだ。

 フランスで一番印象的だったのは、リヨンでローヌ川をじっと眺めていたおばあちゃんだった。

 白髪交じりのプラチナブロンドで、なんとなく気品漂う佇まいが印象的だった。川面に反射する夕陽の光が、おばあちゃんの横顔を優しく照らしていた。

 話をしていると、俺と同じ年の娘さんがいたのだそうだ。

 俺で言う中学校二年生の夏、8月8日に、ここで不幸な水難事故があって亡くなってしまったらしい。おばあさんの目に浮かぶ悲しみの色が、胸に突き刺さるようだった。

 おばあさんは詳しく話してくれたので、俺は心のノートにそれを書き留めた。

 中学生に戻って、もし救えるなら救ってやりたい、なぜかそう思ったんだ。

 まあ、ただの俺のエゴだ。


 フランスには実質一年近くいた。

 もともとかなり勉強していた英語とフランス語は、ほぼネイティブといっても差し支えないレベルにまでなったと思う。カフェでのおしゃべりや、地元の人々との交流を通じて、言葉の微妙なニュアンスや文化的な背景まで理解できるようになった喜びは格別だった。


 次に行ったのはスペインだ。

 南米のブラジルやチリ、メキシコにも行ってみた。情熱的な音楽、鮮やかな色彩の街並み、香り高い料理。それぞれの国の独特な魅力に触れ、世界の多様性を肌で感じた。

 そして、言葉は全然学んでいないがイタリアやドイツにも行ってみた。

 世界の広さを感じた。古代ローマの遺跡や、中世の城壁に囲まれた街並み。それぞれの場所が持つ長い歴史と文化の重みが、俺の心に深く刻み込まれた。


 今まで俺の見てきた世界は、なんて小さな世界なのだろうと思い知った。


 マップアプリでタップするとみられる小さな世界。

 宇宙からの写真で見れる小さな家々。

 俺の中で、かつてはただの画像や記号だったそれら。


 しかし、その小さな家の一つ一つで確かに誰かが暮らしていて、そこに住む人々の人生があるのだ。


 その事実に気づいた瞬間、世界中の人々との繋がりを感じ、胸が熱くなった。


「いつか、世界中を旅して回りたいな」


 俺の中に、小さな夢ができた瞬間だった。



 ところで、俺は今何歳なんだろうな?

 ……まあ、考えても仕方が無いか。


 俺は深く考えない事にした。

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