第19話 救えない

 危なかった。脂汗が噴き出し、しばらく動けそうもない。

 ロードしたので肉体的には傷ついていないのだが、記憶に残る痛みとの間でものすごい違和感を感じる。

 身体をナイフでめった刺しにされるという、生まれて初めての体験。普通の人なら最初で最後の体験になった事だろう。


 もしも死んでいたらどうなっていたのか。

 普通に終わる?

 それともロードしてやり直せる?


 ……いや、死んだらロードだけは勘弁して欲しいな。

 俺はって事になってしまう。

 無限に人生をやり直すのはきっと地獄だ。

 終わらせたくても終わらせられないのは苦痛でしかない。


 それはともかく、俺は紛れもなく死にかけた。

 ちゃんと確認していなかった俺が悪いんだが、あの男が加藤大輔だ。

 間違いない。

 

 しかし、なぜバレた?

 マンションまで尾行されているとは思えない。

 探偵でも雇っていたのか?


 何か違和感がある。

 小骨がつっかえている様な……


 俺を見つけた時、アイツはなんて言った?


『声で分かったよぉ!』


 そうだ、声で分かったと言った!


 ……盗聴器だ!

 それにスマートタグ!

 2024年には悪用すればヤバい、超小型の電子機器が存在するじゃないか!

 ちょっと前まで小学生として過ごしていたせいか、小学校の時代基準で考えてしまっていた。


 もう一度話し合う前に、俺は必要なものを買いに行った。



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 由紀奈との話し合いも、これで4度目だ。

 なんとか死亡フラグをへし折ってやりたい。


 そのためには……


「お待たせしちゃってごめんなさい」


 由紀奈がまた遅れてやってくる。ちゃんと同じだ。

 俺は事前に自分のスマホで打っていたメッセージを見せる。


『喋らないで。いったん店の外に出よう。盗聴されているかもしれない』


 店を出た俺たちは噴水のある広場でLIMEによるメッセージで会話をした。

 周りを警戒しながら、スマホの画面を覗き込む二人。昔は恋人同士のように見えただろうが、今は陰謀論者のように見えるかもしれない。

 噴水の水音が、俺たちの緊張感を少し和らげる。


『金属探知機を買ってきた。服とカバンを調べさせてくれ』


『分かったわ』


 そう言うと、由紀奈は金属が使われているだろうものを鞄の中から出し、ベルトを外した。

 彼女の手が少し震えている。恐怖と不安が入り混じった表情を浮かべている。


 俺は金属探知機をマニュアル通りに操作していくと……


 反応があった。三か所だ。


 一つは服のポケットの内側に雑に縫い付けてあった。スマートタグだ。


 もう一つはカバンの内側に巧妙に隠されていた。これもまたスマートタグだ。


 そして最後の一個は携帯のストラップとして使っていた小さな熊のぬいぐるみ。


『これ、もしかして……』


『ええ、彼から貰ったものよ』


 盗聴器だ。

 小さなぬいぐるみの中に盗聴器が入っていた。

 スマートタグと盗聴器、これで場所も会話も丸裸になっていたわけだ。

 これらを踏みつけて壊し、噴水に投げ込んだ。

 ポチャンと音を立て、電子機器の最期を告げる。

 由紀奈の目に涙が浮かぶ。プライバシーを侵害された怒りと、信頼していた人物への裏切られた悲しみが混ざっているようだ。


 さてどうするか。


 この状況では、逆上して何をするか分からない状態になったかもしれない。

 俺は良い。

 顔も覚えられていないし、街中であっても何もないだろう。

 由紀奈も、大阪というのがバレているかもしれないが、例えば名古屋など、他に行き先を変更してもらえばまず大丈夫だろう。


 しかし、このままで一番危険なのが亜里沙だ。

 きっと学校もバレている。

 かといって転校はしたくないだろうし、すぐにできるものでもない。

 その間は危険が付きまとう。

 しかし、ストーカーの危険があるからと言って休ませることはできない。

 俺が毎日送り迎えをしてもいいが……


 そこまで考えて俺ははっとした。


 ここはやはり現行犯逮捕が一番だ。

 おあつらえ向きの状況があったじゃないか。


 そう考えた俺は、中途半端な状況になってしまったこの世界を諦め、ロードした。

 


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 5回目の同じ状況。

 ロードして、必要なものを揃え、とある状況を俺は忠実にトレースする。

 盗聴器やスマートタグは暴かない。

 そして、由紀奈に荷物をまとめさせ、俺の家に帰って一晩すごし、そして朝が来た。

 昨夜は緊張で眠れなかった。でも、これが最後の賭けだ。

 窓から差し込む朝日が、新たな一日の始まりを告げている。



 予定通り荷物をまとめ、前回よりも少し早い時間に出発する。

 コンシェルジュに挨拶をして、警備員を呼んだ。


「警備員さん! 見てください、あそこにちょっと小汚い感じの人がいるでしょ?

 あの人、最近マンションの住人に声をかけていて、気味が悪いって噂になっているんですよ」


 全くの嘘だが。

 恐らくあいつが来たのは初めてだ。


 近くを女性が歩いていく。


「おはようございます」


 にこやかに朝の挨拶を交わす。


「おはようございます。あ、お姉さんも気を付けてくださいね」


「何がですか?」


「あそこに小汚い男性がいるでしょ?

 なんだか近くを通ると突然話しかけて来て、気持ち悪いって噂が流れてるんですよ。

 今のところは声をかける以外、何もしてこないみたいなのですが……」


「そうなんですね。ありがとう、気を付けるわ」


 そういうと女性はスタスタと歩いていく。


「それじゃ、俺も行きますんで。警備員さんも気にして見ておいてください。まあ気持ち悪いってだけじゃ何もできないと思いますが」


「いや、住人からクレームが出ていれば注意できるし、警察と連携だってできる。

 注意して見ておくよ」


「それでは、よろしくお願いします。

 コンシェルジュさんも、いってきます」


「行ってらっしゃいませ」


 マンションを出ると、女性が話しかけられていたが、前回よりもそっけない感じでスタスタと歩いていく。

 俺もそいつの横を通り過ぎる。

すると、前回と同じように話しかけてきた。


「ねえ、お兄さんこのマンションに住んでる人?」


 相変わらず距離が近い。嫌悪感を感じる距離だ。

 そして前回と同じように答える。


「そうですが、何か?」


「みぃつけた」


 そいつはにやりとした笑みを浮かべると、さらにすっと一歩近づいてきた。

 途端に腹部に痛みを感じる。


「ってぇ!?」


 刺された!?

 やはり同じところを刺してきた。


 そして俺を突き飛ばし、馬乗りになる。


「あれ、抜けない……」


 俺はすかさずポケットから秘密兵器を取り出す。

 スタンガンだ。

 登録すれば使用可能な護身用の武器だ。


 男に押し当て、スイッチを入れる。

 ジジジッと音を立てて電流が駆け抜ける。男が震え、ばたりと倒れた。


「痛ってぇ……」


 俺は腹に入れていた週刊誌を取り出す。少し刃が貫通してしまっていた。


「あ、お腹から血が出てら……」


 警備員が急いでやってくる。


「君、大丈夫かね!?」


「突然刺されましたよ。とっさに雑誌で防いだんですが、ちょっとケガしちゃいました」




 その後、警備員が拘束をし、警察が来て、加藤大輔は傷害の現行犯で逮捕されたらしい。

 捜査の結果によっては殺人未遂に切り替えてもらえるそうだ。

 『らしい』というのには訳がある。

 俺は救急車で病院に運ばれてしまったため、事の顛末を見ていないのだ。大丈夫だと言ったのに聞き入れてもらえなかった。自分としては、ほんのわずかな傷のつもりだったのだが。

 救急車の中では痛みよりも『こんな小さな傷で救急車を使ってしまって申し訳ない』という気持ちに耐えることになった。

 

 結局、『腹部の刺し傷』という事で病院に連れていかれ、二針縫った。

  

 その後、警察の事情聴取を終え、自宅に帰ってきたのは夜遅くのことだ。

 必要な事とはいえ、毎度その長さはにうんざりする。

 これを何度もやってる警察の人も大変だ。


 家に残った二人は、食事は適当に冷蔵庫のもので済ませているだろう。


 玄関のドアを開けると、リビングには明かりが灯っていて、「「おかえりなさい」」という二人の声に迎えられた。

 少し、ブラック企業からの帰宅時のことを思い出して泣きそうになった。

『おかえりなさい』っていいな。

 暖かい光に包まれたリビングの風景が、心を和ませる。


「お父さん大丈夫!?」


「あなた、腹部を刺されたって聞いたけど!?」


 二人の声には心配と安堵が入り混じっている。


「ああ、大丈夫だ。それにしても懐かしいな、『あなた』か」


「ご、ごめんなさい、つい拍子に出てしまって」


 由紀奈の頬が少し赤くなる。昔を思い出したのだろうか。


「いや、気にしないでくれ。

 二針のケガで済んだよ。とっさに雑誌で防いでな」


「雑誌?」


「雑誌が落ちていたからゴミ箱に捨ててやろうと拾っていたんだ。

 良い事はしておくもんだな」


「そうなんだ……でもよかったよ、お父さんが無事で!」


 亜里沙の目に涙が光る。安堵の表情が彼女の顔全体を覆っている。


「心配かけたな。大丈夫だ

 それに、加藤の件もかたが付いたぞ」


「え?」


「俺を刺してきたのがその加藤大輔だからな。

 恐らく殺人未遂で立件できるって。

 ちょっとやそっとじゃ出てこれないよ」


 部屋の空気が一瞬張り詰める。由紀奈の表情が硬くなり、亜里沙は不安そうに父親の顔を見つめる。


「なんでこの場所が……?」


 由紀奈の声は震えている。恐怖と困惑が入り混じっているのが分かる。


「由紀奈、荷物と服を見せてみろ。盗聴器やスマートタグが仕掛けられてないか?」


「え?」


「例えば、奴から何か貰ったりしてないか?」


 由紀奈の顔が青ざめる。何かを思い出したような表情だ。


「あ、この熊のストラップ……

 だけどこんな小さいものに……あっ、けど何か硬いものが入ってる!?」


 由紀奈の声が上ずる。手が震えている。


「後は服のポケットやカバンの中に縫い付けてあったり、財布の中にこっそり入れてあったりするらしいぞ」


「お父さん妙に詳しくない?」


 亜里沙が不思議そうな顔で俺を見る。その眼差しに、少し大人びた印象を感じる。


「AIに聞いたんだ。

 ChatGBT先生は良いぞ。なんでも教えてくれる。

 たまに嘘をつくがな」


「あはは、ホントにそう!

 私も数学の宿題AIにやってもらったら大間違いで恥かいたよ」


 亜里沙の明るい笑い声が、重苦しい空気を少し和らげる。


「宿題はちゃんとやりなさい!」


「はーい」


 父娘の軽い掛け合いに、由紀奈が小さく微笑む。


「あ、服のポケットになにかある!」


「え、お母さん本当!?」


「ほらここ」


「スマートタグだな。これで俺たちの場所も会話も筒抜けだったって事だ」


 由紀奈の顔が青ざめる。


「マジで気持ち悪いね、アイツ……」


 亜里沙の声には怒りと嫌悪感が混ざっている。


 部屋の空気が一瞬重くなる。プライバシーを侵害された事実に、三人とも言葉を失う。窓の外の夜景だけは相変わらず綺麗で、そのことが逆に状況の異常さを際立たせる。


「さて、由紀奈に大事な話がある」


「はい」


 由紀奈の表情が緊張する。俺は深呼吸して言葉を選ぶ。


「これで加藤大輔という危険な要素は無くなった。

 大阪行きはどうするんだ?」


 部屋の空気が一瞬凍りつく。亜里沙が驚いた表情で母親を見る。


「……行くわ」


「やっぱり行くか」


 俺は溜息を吐いた。


「ええ、この街にはよくない思い出が多すぎるもの。

 心機一転しないと、心がどんどん汚れていく感じがするの」


 由紀奈の目に決意の色が浮かぶ。その瞳に過去の影が見えた気がした。同時に、新しい未来への希望も感じられる。


「そう……だな。

 俺もその方が良いと思う」


 俺の声には、少しの寂しさと安堵が混ざっている。


「あなた…宏樹さんには感謝してるわ。

 ひどい妻だったでしょう?」


 由紀奈の声は震えている。目に涙が浮かんでいる。


「それはお互い様だ。俺も最低な夫だった。

 よく『生まれ変わってもまた…』、なんて言うけど、俺たちは生まれ変わったら間違えないようにしないとな。

 俺達はきっと、仲の良い友達くらいが丁度よかったんだ」


 俺の声には、苦笑いと共に、どこか懐かしさも混じっている。


「うふふ、そうね、そうかもしれないわね」


 二人の間に流れる空気が、以前よりも柔らかくなったのを感じる。過去の重荷が少し軽くなったようだ。


「えー、それじゃ私が生まれないじゃん!?」


 亜里沙の声に、場の空気が和む。彼女の素直な反応に、二人とも思わず笑みがこぼれる。


「大丈夫、そうなったら亜里沙も、きっとまたどこかで生まれるよ。

 その時はお父さんかお母さん、どっちかが違うかもしれないけどな」


「そっか。そうなのかな」


 亜里沙の表情が少し寂しそうになる。しかし、すぐに明るい笑顔に戻る。その強さに、俺は少し救われた気がした。




 そんな会話をして、数日間は一緒に過ごした。


 警察からの事情聴取が家族全員にあったからだ。

 結局、加藤の自宅からは、計画的であった様々な証拠が押収された。

 そして、最も驚いたのが、部屋に飾ってあったたくさんの写真だ。

 警察の話によると、由紀奈ではなく亜里沙の写真が壁中に貼ってあったそうだ。

 これは本人には伝えないように、俺と由紀奈から警察にお願いした。

 さらに、これは俺だけが聞いた話だが、加藤のPCとスマホには違法ないかがわしい動画、それもジャンルは『親子丼』と言われるものが大量に入っていたらしい。


「加藤、お前は救えない……」


 そんなもの、現実であるわけないじゃないか。

 そんなくだらない欲望のために、俺の家庭を巻き込んで無茶苦茶しやがって。

 怒りと嫌悪感が込み上げてくる。


 後日談ではあるのだが、加藤大輔は計画性と悪質性が認められ、ちゃんと殺人未遂罪で起訴されるらしい。7年、いや10年しっかり反省して欲しい。


 そして、約一週間後、由紀奈は一人大阪に旅立って行った。

 不思議とお互い悲しさはなかった。


 由紀奈も俺も、昔のように笑えていた。

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