第三章 中学生編

第14話 中学校への入学

 桜吹雪が舞う4月の朝。淡いピンク色の花びらが、新緑の若葉と共に春の訪れを告げていた。

 街路樹の枝々からこぼれ落ちる花びらは、まるで祝福の雨のように新入生たちの肩に静かに降り注いでいる。


 その中を、俺は新しい制服に身を包み、期待に胸を膨らませながら歩いていた。


 俺が選んだ学校は、名門私立である『慶鳳大学付属中学校』。

 都内のお坊ちゃんやお嬢様が集う、進学校だ。

 そこには政財界の著名人のご子息や、芸能界、スポーツ選手などのご子息、または本人が多数通っているという。

 校門をくぐると、広大な敷地に威厳のある校舎がそびえ立っていた。レンガ造りの古典的な建物と、ガラス張りの近代的な棟が調和し、伝統と革新の共存を象徴しているようだった。

 新入生たちが三々五々と集まってくる中、俺は深呼吸をして自分の選択を振り返った。


 ん?もっと偏差値の高い学校でも行けただろうって?


 そりゃあったさ。男子校ならね。

 でも俺は、偏差値だけを求めなかった。

 共学が良かったんだ。


 いや待て、何かエッチな目的と勘違いしていないか!? そうじゃない、そうじゃないぞ!

 これからの未来、女性が活躍する事も多い時代が待っているからな。コネクションは男女ともに多く作っていきたいと考えたんだ。それに、将来を考えれば、いわゆる『お嬢様』のお知り合いにもなれるだろうからな。様々な将来への投資、ということだよ。うん。

 投資と言えば、株式投資は順調だ。父さんと俺で、毎日あーだこーだと話しながら買ったり売ったりしている。俺の運用分の口座には8000万円弱、父さんの運用分はなんと1億円を突破していた。

 何しろ、2回ほどんだ。

 オヤジの野郎、夢を見たことを伝えたら、2回目はあれだけ俺には禁止していた信用取引で買いやがった。しかも信用全力と呼ばれる手法、つまり、限界までお金を借りてのギャンブルだ。トチ狂っているとしか思えない。

 これ以上は夢を見ないと決めた。分不相応な財は身を亡ぼすからな。


 そんなこんなで入学式だ。真新しい制服のネクタイを整え、光沢のある革靴で校舎の大理石の廊下を歩く。足音が響き渡り、その音色が俺の心臓の鼓動と重なる。

 もう、それだけでワクワクが止まらない。新生活に期待が膨らむ。

 しかし、エスカレーター式なだけあって慶鳳大学附属小学校からそのまま進学している者も多い。既に友人関係が確立されている中に入っていこうというのだ。廊下では、顔見知りの生徒たちが楽しそうに談笑している。その輪の中に入るには、一歩を踏み出す勇気が必要だ。


「まずは入学式でインパクトを出さないとな」


 緊張と期待が入り混じる気持ちで、俺は深呼吸をした。鏡に映る自分の姿を確認し、髪を整える。


 ───これが新しい人生の始まりだ。


 前の人生では味わえなかった学生生活を、今度こそ存分に楽しんでやる。

 そう心に誓いながら、俺は入学式の会場へと足を進めた。

 この先には、未知の可能性と新たな出会いが待っている。

 体育館の扉を、ゆっくりとくぐる。そこには、俺の新しい人生の幕開けが待っていた。



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 入学式は順調に進んでいき、司会の人がプログラムを読み上げる。


「続きまして、新入生挨拶。新入生代表、西森宏樹」


「はい!」


 大きな声を上げ、壇上に上がる。

 そう、俺が新入生の代表だ。

 全教科満点は伊達じゃないぜ。

 2回ほどロードしたけどな。


 キッチリと礼をし、原稿用紙を開くことなく読み上げる。


「皆さん、おはようございます。

 今日、私たちは新たな一歩を踏み出すためにここに集まりました。私は西森宏樹と申します。新入生代表として、この素晴らしい瞬間を皆さんと共有できることを大変誇りに思います。


 私たちはそれぞれ異なる背景や経験を持ちながら、この慶鳳大学付属中学校という場所に、一つの目標を持って集まりました。新しい環境に足を踏み入れることは、時に不安や緊張を伴います。しかし、私たちには大きな力があると信じています。それは、『一緒にいる仲間』という存在です。

 私が皆さんに伝えたいことは一つ、『夢を持ち続けること』です。私たち一人ひとりが持つ夢や目標は、きっと違うでしょう。しかし、その夢を追い求めることで、私たちは強くなり、困難を乗り越える力を手に入れることができるのです。


 私自身、何もしなくても上手くいく、誰かが何とかしてくれる、そんな他人任せの『奇跡』なんてものは無いと思っています。しかし、私たちの過ごす一日一日が確かな『軌跡』となり、将来の私たちを作り上げるのだと確信しております。

 この3年間、互いに励まし合い、共に成長し、そして大きな夢を描き続けましょう。私たち一人ひとりが日々の努力を重ね、『軌跡』を作り上げることで、素晴らしい未来を築いていきましょう。


 ……と、こんな事を言ってたらめんどくせー奴だって思われて、友達ができないかも知れないから言っておく。この堅苦しい雰囲気は猫被ってるだけだ。

 俺のことは気軽にヒロって呼んでくれ!

 みんな! 仲良くしようぜ!


 ご清聴、ありがとうございました!

 新入生代表、西森宏樹」


 盛大な拍手が響き渡る。

 保護者席は少しざわついている。

「さすが主席って感じね…」

「あれがちょっと前までは小学生だったのか……」なんていう声も聞こえてくる。

 そうだろう、そうだろう!

 俺は元々39歳!

 二つ歳を取ったので、今では実質41歳なのだよ!

 そして、この挨拶の最後の部分以外を考えたのも俺ではない。

 感謝する、本当にありがとう、ChatGBT先生……



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 入学式が終わった後は、教室に移動し、教科書の配布やオリエンテーションが行われる。


 教室に入ると、めちゃくちゃ注目されているのがわかった。

 中学では陰キャでほぼほぼボッチだった前回の人生。

 真逆の生活というものはどういうものなんだろうか。楽しみだ。


 しばらくすると、教室に担任の先生が入ってきた。

 渡辺真司わたなべしんじという30代くらいの男性教諭だ。

 メガネをかけていて、割と身長は高い。体格は……少し細いか。

 理科を担当しているらしい。

 まあ、白衣を着ればそれっぽい感じになるような気がする。

 美人の若い女性じゃ無いのかって?

 何を期待してるのかは知らないが、中学1年の男子を性的な目で見るような教師がいたとしたら、恋に落ちるより警察に突き出した方が良い。


 オリエンテーションが進んで、例によって自己紹介をする事になった。前回の人生では「西森宏樹です」とぼそっと喋って座っただけだった気がする。

 俺はなんでそんなに人と話すのが嫌で恥ずかしかったんだろうか。

 その感覚が全く思い出せない。


 そして俺の番が来た。


「西森宏樹です!」


 練習したさわやかな笑顔で自己紹介を始める。


「代表挨拶をしたので、覚えてくれている人がいるかもしれません。

 崎川市立東小学校から来たので、友達と呼べる人がいません。

 『ヒロ』と気軽に声をかけてくれると嬉しいです。

 どうぞ、仲良くしてください!」


 一応家で爽やかな笑顔も練習してきた。

 及第点の挨拶ができたんじゃないだろうか。




 オリエンテーションも終わり、教室に残っていた喧騒も徐々に静まっていった。太陽は一日で一番高い所に来ているが、今日のところはこれで終わりだ。

 俺は帰宅しようと荷物をまとめていた。


 そんな時、突然、人の気配を感じた。顔を上げると、4人のクラスメートに囲まれていた。彼らの制服はピシッとアイロンがかかっていて、バッジの輝きが目に入る。明らかに良家の子女たちだ。


 柔和な笑顔を浮かべた男子が一歩前に出て、穏やかな声で話しかけてきた。


「やあ、西森君。ちょっと話がしたいと思って。いいかな?僕は渋谷春樹しぶやはるき、ハルキって呼んでくれ。君のこともヒロって呼んでいいかな」


 その隣にいた、がっしりとした体格の男子も自己紹介を始めた。


「俺は坂口健太さかぐちけんた。好きなように呼んでくれ。俺もヒロと呼ばせて貰っていいかな」 


 続いて、艶やかな黒髪を肩の先程のところで切り揃えた女子が、少し上品な口調で言った。


「あたしは西田香苗にしだかなえ。カナエって呼んでくれて良いわよ」 


 最後に、明るい笑顔の女子が元気よく言った。


斉藤美結さいとうみゆ。ミユって気軽に呼んでね~」


(ああ、こうやってカースト上位が集まっているのを、前の人生では『俺には関係ない』と横目に帰宅していたな。)


 記憶が走馬灯のように駆け巡る。灰色の会社員時代、同僚たちがグループを作って飲みに行く様子を、諦めの目で見ていた自分。しかし、今は違う。


(しかし……これってまさかのカースト最上位だよな、やっぱり。)


 心臓が高鳴るのを感じながら、俺は練習してきた愛想の良い笑顔を浮かべた。


「みんな、話しかけてくれてありがとう! ヒロで良いからね。ところで、みんなは小学校からの仲間なのかな?」


 春樹が答える。


「ああ、斉藤さん以外は皆付属小学校だ」


 美結が身を乗り出すように話に割って入る。


「ミユで良いってば。私は今朝、オロオロしてたのをカナちゃんに助けて貰ったんだ~」


 その言葉に、香苗の頬がほんのりピンクに染まるのが見えた。


「そっか、みんなよろしくね!」


 俺は元気よく返事をした。

 突然、健太が興奮した様子で言った。


「それにしても挨拶カッコよかったぜ!」


「ありがとう、ケンタ」


 香苗も目を輝かせながら言う。


 「そうそう、声も綺麗だったし、『奇跡』と『軌跡』を掛けた言い回しとかすごく良かった!」


 俺は照れ臭そうに返事をした。


「えーと、俺もカナちゃんって呼んでいいのかな。そう言って貰えるとすごく嬉しいよ。猫かぶるために必死で考えたかいがあったね」


 美結が両手を叩いて同意する。


「そうそれ! 最後の、突然親しみやすくなるギャップも凄かった! あれがなかったら、すっごく固い人なのかなって思って話しかけられなかったよ~」


「でしょ?自分でもヤバいって思ってアドリブで入れたんだよ」


 春樹が感心したように言う。


「ヒロって思ってた以上に親しみやすいな」


 健太も続けて言う。


「だな。これで首席合格だったんでしょ?」


 一瞬の葛藤の後、俺は謙遜しつつも自信を持った態度で答えた。


「みたいだね。それはまあ、正直めちゃくちゃ頑張ったから。無事に頑張った分の結果が出せて良かったよ」


 すいません、嘘です。ズルです。チートです。心の中で土下座しながら、表面上は涼しい顔を保つ。


 話題は通学方法に移り、電車で通学することになった俺は、翌日からみんなと一緒に登校することになった。部活の朝練が始まるまでの間だ。


 部活の話になると、それぞれの興味や特技が垣間見える。春樹のサッカー、俺のバスケ、美結の吹奏楽。香苗と健太はまだ決めかねているようだった。


 美結が吹奏楽に興味があると言ったとき、俺は素直な感想を口にした。


「うん、似合ってると思うよ」


「ぇえ……あ、ありがと……」


 美結の反応に、俺は戸惑いを覚えた。目を逸らし、耳がほんのり赤くなっている。


(えええ……これだけでちょっと好きになっちゃう感じなの!?)


 思春期ってのが完全に分からなくなっている。

 仕方ない、俺の中身は40歳を過ぎたおじさんなんだから。


 その後も会話は続き、他のクラスメートも加わって部活の話で盛り上がった。教室に残っていた夕陽も、いつの間にか燃えるような赤から柔らかなオレンジへと変化していた。


(これがカースト最上位の社交か。これはこれで意外と大変なんだな……)


 などと心の中で思いながら、俺は練習してきた笑顔を張りつけ続けるのであった。

 疲れた表情筋をほぐしたい衝動を必死に抑えつつ、新しい学校生活の幕開けを実感していた。

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