第8話 北里真紀

 私の名前は北里真紀きたさとまき

 崎川市立東小学校の5年生だ。

 今まで気にしてこなかったけど、私は運動が嫌いな割には結構よく食べる。なので、他の子よりも体重がある…と思う。

 顔も、クラスのかわいい子たちよりも全然可愛くない。それくらい鏡を見ればわかる。だから、男の子たちからブスってバカにされるのもわかるんだ。

 そりゃ、やっぱり嫌だけど、自分が悪いって言うのもあるから。

 それに、女の子の友達は仲良くしてくれるし、笑っていれば男の子達もそのうち何もしてこなくなるんだ。

 だけど、やっぱり男の子たちは苦手。


 でも、そんな私には幼馴染の男の子がいる。

 西森宏樹くん。

 男の子だけど彼だけは特別。

 ずっと小さなころから斜め前の家に住んでいて、幼稚園も小学校も一緒だ。

 小学校はずっと一緒に通っているし、帰りも時間が合えば一緒。

 ご飯も一緒に食べる事も多かったし、両親の仕事の都合で一緒に過ごす事も多かった。

 もう兄妹みたいなものだ。


 そう思っていた。


 5年生のある日、宏樹くんは突然変わった。大人しくて静かで、人と関わることが苦手だった宏樹くん。

 ある日突然、髪型と一緒に話し方が変わった。寝癖でぼさぼさだったのに、なんだか急に整ったんだ。そして、気が付いたらクラスメイトと楽しそうにしゃべっていた。

 そうそう、私の事も「かわいい」って言ってくれたの。

 きっと本心じゃないと思うけど、全く顔にも出さずに、気を使ってそういう事が言えるってすごいと思った。

 みんなとドッジボールなんてしたこと無かったのに、いつの間にかみんなと一緒に遊んでいる。そればかりか、中心になって色々やっている。

 「根暗」「キモい」そんな事を言う人はもういない。

 私と田中君の他には誰も友達がいなかった宏樹くん。

 割と心配していたのに、こうやってみんなと一緒に遊んでいる姿を見ると、なんだかもやっとした。


 ある日、事件が起きた。

 被害者は私。

 その日は宏樹くんがドッジボールに行ったので、私は一人で帰っていた。

 いつもの帰り道、赤信号が変わるのを待っていた時だ。


 ドンッ!


 背中に衝撃が走る。


 「え?」


 私は突き飛ばされてしまった。

 その瞬間、私を呼ぶ声が聞こえた。強く足を引かれ、ちょっと膝を擦りむいたけど、歩道に引っ張られた。次の瞬間、私が倒れていたところをものすごいスピードでトラックが通って行った。

 倒れたままだったらどうなっていたんだろうか。

 一緒に先生もいて、よく嫌がらせをしてきた男の子が怒られている。

 けれど、私は何が何だか分からなくて、みんなが何を言っているのかも分からなかった。

 その後は、宏樹くんと家まで帰ったらしい。

 家に帰ると、お母さんが抱きしめてくれた。

 そこで初めて恐怖が襲ってきて、体が震えて涙が溢れた。

 そして、なぜか宏樹くんが倒れた。


 宏樹くんちに両親を呼びに行ったけど、いたのは妹のあかねちゃんだけ。まだお仕事に行っているみたい。

 家に帰ってお母さんにいうと、とりあえずそのままウチで寝かすことになった。たまにお泊りもしていたし、問題は無い。


 晩御飯を食べてお風呂に入って部屋に戻る。宏樹くんの顔を見ると、何故だか安心した。たまに一緒に寝ることもあったし、久々に一緒に寝ようとベットに入った。少ししたら宏樹くんが目を覚ました。


「知らない天井だ……」


 宏樹くんはよくわからない事を言っている。


「あ、起きた?」


「あれ? 真紀ちゃん?」


 よく分かってないみたいだから説明しなくちゃ。


「宏樹くん、ウチの玄関で倒れちゃって……

 宏樹くんち、誰もいなかったから、とりあえず私のベッドで寝かそうって事になって、宏樹くんちのお母さん帰ってきたんだけど、そのまま起きるまで寝かせておくことになって……」


「ごめんね、真紀ちゃん。迷惑かけて」


 なぜか謝ってくる宏樹くん。


「迷惑なんかじゃないよ!

 私の方こそ、助けてくれてありがとう。

 宏樹くんが居なかったら私死んじゃってたかも……」


 思い出すとまた恐怖が襲ってくる。

 ほんの少し遅かったら、きっと私は死んでいた。

 そう考えると震えが止まらなくなってしまう。


 その時、温かい何かが私を包んでくれた。

 

 宏樹くんだ。


 私の事を、抱きしめて背中をさすってくれている。

 その温かさにとても安心できたんだ。


「大丈夫、大丈夫だよ、真紀ちゃん」


 彼の優しい声。

 その温かさに、私の涙腺は我慢できなかった。


「ふえぇぇぇ……」


「怖かったよね、もう大丈夫だから」


 ひとしきり泣いた後、私は意識を手放した。



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「……おはよう」


「ん、おはよう」


 目覚ましが鳴って、私と宏樹くんは目を覚ました。

 見慣れているはずの彼の顔。

 なのに、なぜか私はドキドキが止まらなくなってしまう。

 顔が熱くなって、心臓がバクバクいっている。


 私、宏樹くんの事を好きになってしまった。

 ううん、前から好きだった。

 でも、この『好き』はいままでの『好き』とはきっと違う。


 どうしよう……


「昨日はありがとう、宏樹くん。本当にありがとう」


とりあえずもう一度お礼は言っておく。


「うん、さて、朝の支度をしちゃおうか!

 洗面所借りるね」


 宏樹くんは朝から元気だ。


「あ、私も行くよ」


 二人で顔を洗うと、宏樹くんのお母さんの美幸さんがいた。


どうやら宏樹くんの荷物や着替えを持ってきてくれたらしい。




 宏樹くんは洗面所に行って着替えるらしいので、私は自分の部屋に行って着替えと支度をする。

 玄関から


「あんたやるじゃない!

 真紀ちゃんのヒーローだね!」


 という美幸さんの声が聞こえた。


 そうなのだ。

 宏樹くんは私のヒーローだ。


 家を出て道路を見た瞬間、体がこわばる。

 宏樹くんの目を見て、つい私は言ってしまった


「宏樹くん、手を繋いでも良いかな……?」


「いいよ。落ち着くまではずっとこうしてよう?」


 彼は快くOKしてくれた。

 恥ずかしいとか思わなかったのかな。そうだったらいいな……


「うん、ありがとう」


 にっこり笑って手を繋いでくれた宏樹くんは、キラキラ輝いて見えて。

 恐怖は抑えられたけど、代わりにドキドキが止まらなくなってしまった。


 時々、宏樹くんが軽く手を握ってくる。私はそれに合わせて握り返す。そのたびに温かい気持ちでいっぱいになる。ああ、私はやっぱりこの人が好きだ。


 そんな事をしているうちに、学校に着いてしまう。靴を上履きに履き替え、教室に入る。

 しまったと思ったがもう遅かった。


「あー! 西森と北里が手を繋いでるー!」


 学校の中までは手を繋ぐ必要はなかったのに。

 私のバカバカバカ!

 

でも、宏樹くんは恥ずかしがったりすることも無く言った。


「あのなぁ、真紀ちゃんは昨日、帰り道ですごく怖い目にあったんだ。だから安心させるために手を繋いでるんだよ。茶化すな」


「ご、ごめん」


 謝るクラスメイト。

 なんだか宏樹くんが急に大人みたいに見えた。


「わかってくれたなら良いよ。多分先生からも話があると思うけどさ」


 その朝は臨時の朝礼が行われた。


 私の名前は伏せられたが、道路に突き飛ばすといういたずらをした子がいる事。いたずらでは済まされず、ヘタをすれば殺人事件になっていたであろうという事が告げられた。全校生徒に対して「絶対にするなよ」という校長先生の言葉は、とても恐ろしかった。


 その日、佐竹君はいなかった。



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 そして放課後、宏樹くんが手を繋いで帰ってくれた。

 温かい手。安心とドキドキが同時にくる不思議な感覚。


 家に着くと、私の家の前に親子連れが立っていた。


 誰だろう。


 ああ、佐竹君だ。隣はお父さんかな?

 佐竹君、顔が見事に腫れあがっている。打たれたのかな。ざまあみろとまでは思わないけど、仕方が無いとは思う。けど、やっぱり少し可哀そう……


 私達の姿を見つけるなり、佐竹君のお父さんが90度に腰を曲げて謝罪してきた。


「この度は息子がとんでもない事をしでかし、本当に申し訳なかった」


 私みたいな小学生に大人の人が謝ってきたのでとても驚いてしまった。

 隣の宏樹くんを見ると、こんな時でも落ち着いている。凄い。


「あの、わ、私は大丈夫ですから」


「本当に、ごめんなさい」


 佐竹君本人も謝ってきた。


「うん、分かったから」


 そんなやりとりの後、佐竹親子は帰って行った。


 家に入ろうと玄関のドアを開けたところで、お母さんが出てきた。


「真紀おかえり! 宏樹くんも、ありがとね!

 それにしても佐竹さん、帰っていいよって言ったのに1時間も待ってたんだねぇ。

 全く、お父さんはあんなにしっかりしてるのに」


「宏樹くんありがとう。また明日、ね」


 宏樹くんにお礼を言ってお別れをした。

 少し胸がチクチクする。

 私が私の家に帰って、宏樹くんが宏樹くんの家に帰る。

 当たり前の事なのに、何故か寂しい。


 お母さんはまた私を抱きしめてくれた。



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 ある日の放課後、隣の教室を覗くと、エスカレートしたひどいいじめが行われているのを目撃した。数人のクラスメイトが佐竹君の机を囲み、落書きをし、彼のノートを破いたりしていた。


「お前、よく学校に来れるな」


「お前なんかいなくなればいいのに」


「死ねよばーか!」


 佐竹君は無言で耐えていたが、その目には涙が浮かんでいた。

 確かに佐竹君のしたことは酷いが、それにしてもこれは酷過ぎる。

 なんでこんなことが出来るんだろう。


 そう思っていると、宏樹くんが隣の教室に入っていった。助けるつもりだ。

 私は以前宏樹くんに聞かされていたことを思い出す。


『佐竹君、いじめられてるみたいなんだ。

 ひどい事をしたやつだけど、見てられない。

 助けてもいいかな。

 もしできるなら、真紀ちゃんにも協力して欲しい。

 ダメかな?』


 私はその時の宏樹くんの悲しそうな目が忘れられない。きっと、この人は本当の優しさを持ってる人なんだ。そう思った。

 だから私は、宏樹くんについて行った。


「やめろよ。佐竹が悪い事をしたのは事実だけど、いじめるのは違うだろ」


 宏樹くんがそういうと、隣のクラスの人たちは驚いた表情を見せたが、すぐに反論してきた。


「でも、あいつが真紀ちゃんを突き飛ばしたんだぞ」


「だからって、いじめていい理由にはならない」


 宏樹くんの言葉にみんな黙ってしまった。私も何か言わなきゃ、と思って必死に言葉を紡ぐ。


「みんな聞いて。

 佐竹くんは確かにひどいことをしたけど、私は彼を許すことにしたの。

 私はいじめられる悲しみを知ってる。

 もう誰にもこんな思いはして欲しくない。

 だから、もう佐竹君をいじめるのはやめてほしい、です」


 一杯一杯だったせいか、少し涙が出てしまった。

 それでも、みんな分かってくれたみたいで、戸惑いながらも少しずつ引き下がった。

 私の言った事がみんな届いて、本当に良かった。


「真紀ちゃんがそう言うなら…」


「ああ、分かったよ。

 もうやめようぜ」


 クラスメイトたちは次第にいじめをやめ、教室は静けさを取り戻した。佐竹君は涙を拭いながら、宏樹くんと私にお礼を言ってきた。


「ありがとう……本当にありがとう………そして本当にごめんなさい…………」


「いいよ。佐竹くん、もう二度とこんなことしないでね」


「うん……」



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 その日から、佐竹君は大きく変わったみたい。授業も真剣に取り組み、クラスメイトたちとも少しずつ話すようになった。聞いた話によると、かつてイジメていた全員に謝罪したらしい。


 さらに驚くことがあった。

 宏樹くんが、佐竹君を放課後のドッジボールに誘ったんだ。


「佐竹、今日は一緒にドッジボールやらないか?」


「え、本当に?」


「もちろんだよ。ところでさ、佐竹って名前何て言うの?」


「俺は義明。佐竹義明さたけよしあき


「それじゃヨッシーで良いか。ヨッシー、ドッジしようぜ!」


 佐竹君は驚きながらも嬉しそうに頷いた。クラスメイトたちも彼を受け入れ、みんなでドッジボールを楽しんでいた。


「男の子っていいなぁ」


 なぜかそう呟いてしまった私は、ずっと宏樹くんから目が離せないでいた。




 家に帰ると、お母さんの前に立った。

 お願いがあるんだ。


「お母さん!」


「どうしたの、真紀」


「私、可愛くなりたい。

 アイドルみたいになりたいなんて言わない。

 頑張ってもブスのままかもしれない。

 でも、頑張って出来るだけ可愛くなってみたいの!

 お母さん! 可愛くなる方法を教えて!」


 そう言うと、お母さんはまた抱きしめてくれた。


「宏樹くんに恋をしちゃったのね」


「……うん。そうだと思う」


「それじゃ、お母さんに任せなさい!」


 ここから私の恋の闘いが始まった。

 報われないかもしれない。

 今は傍にいてくれるかもしれないけど、それはただの優しさだ。

 誰か他の人に取られるかもしれない。宏樹くんはとても素敵な人だから。

 それでも、隣にいて恥ずかしくないくらいには可愛くなってやる。


 そう、私は誓った。

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