第5話 逆恨み

 翌朝、いつもより早くセットした目覚ましの音で目を覚ますと、いつものように顔を洗い、歯を磨き、Tシャツとジャージに着替えた。


 今日から体を鍛える。子供の頃はとにかく運動が嫌いだった。体育の授業も隙を見てはサボっていた。しかし、大学に入って運動量がガクッと下がると運動したくなってきて、ジョギングをしていた。俺はなんと天邪鬼なんだろうと思ったものだ。

 ブラック企業に入ってからは運動どころではなかったが。


 初日ということもあり、軽めのジョギングをこなし、さらに軽めの筋トレも行う。軽めとはいえ、今まで何もしてこなかった体にはキツイ。

 しっかりとストレッチをした後はシャワーを浴びる。


 風呂場から出ると母さんが起きて、驚いていた。


「宏樹? あんたおねしょでもしたの!?」


「ち、違うよ母さん! 早く起きてジョギングしてきたから、シャワーに入っただけだよ」


「は?」


 まぁ、そういう反応になるだろうな、とは思った。

 今まで引きこもりの陰キャオーラ全開だった息子が、突然陰キャをやめてジョギングを始めたのだ。驚くのも無理はない。


「強くなりたいんだ。それで、先生に相談したら朝ジョギングをするとよいよって教わったんだ」


「へぇ。いつまで続くのかねぇ」


「僕頑張るよ!」


「まぁ、やれるだけやってみなさい」




 朝食を食べた後は、再び洗面台に立つ。

 父さんの整髪料を少しだけ使って、今日も髪をきちんと整えた。鏡に映る自分に微笑む。

 ちょっと手入れしてない眉毛が気になる。夜にでも整えようと決めた。


「今日も頑張ろう。行ってきます!」


 ランドセルを背負って家を出ると、ちょうど真紀が家を出るところだった。


「おはよう、宏樹くん! 今日は早いね」


「おはよう、真紀ちゃん。早く支度が終わったから、俺が迎えに行こうかと思ったんだ。今日もよろしくね」


 二人で学校に向かう道すがら、真紀が聞いてきた。


「そう言えば宏樹くん、今朝早くに家の外に出てた? 起きてカーテンを開けたら、ちょうど走っていくのが見えた気がしたの」


「うん、今日からジョギングと筋トレを始めたんだ!」


「すごいね! どうして急に?」


「うーん、なんていうかなぁ…… 強くならなくっちゃって思ってさ」


「そうなんだ。宏樹くんはすごいね」


 そんなことを話していると、学校に到着した。

 校門をくぐると、いつもの朝の喧噪が聞こえてきた。子供たちの元気な声や笑い声が響き渡る中、俺と真紀は教室へと向かった。


 廊下を歩いていると、昨日の悪ガキがニヤニヤしながら近づいてくる。

 おっと、ガキって俺もガキなんだけどな。


 これは……アレだな、どーんって衝突してくるつもりだな。


「はぁ、めんどくさ」


 先生にちょっと怒られた程度では反省しない、それが悪ガキである。昨日の逆恨みだろう。

 衝突する寸前、俺はさっと身をずらして足だけを残す。その結果は……


 ずでん。


 悪ガキは足に引っ掛かって盛大に転んだ。


「ご、ごめんね! 避けたつもりだったけど避けきれなくて!」


 俺は白々しく手を差し出す。

 その手はたたかれてしまった。


「テメェわざとだろ!?」


「わざとじゃないよ! でも、君はなんで誰も歩いていないのに僕めがけて歩いてきたの?」


「そ、それは…… うるせぇ! 西森のくせに生意気だぞ!」


「何が? なんで? 僕はどうすればよかったの? 分からないから先生に聞いてみようかな」


「お前…… 覚えてろよ!?」


 悪ガキは舌打ちして教室に入っていった。


 ったく、これはまだ続くのかな。

 真紀が心配そうに見ている。


「大丈夫だよ、真紀ちゃん。いこっか!」


 俺たちも教室に向かった。


 教室に入ると、クラスメイトたちが三々五々と集まっていた。俺と真紀の姿を見て、何人かが声をかけてくれる。以前の俺なら、こんな朝の挨拶さえもおっくうに感じていたかもしれない。でも今は違う。笑顔で返事をしながら、席に向かった。




 授業を受け放課後。


「西森くーん、ドッジボールしようぜ!」


 田中君が誘ってくれた。

 ドッジボールか、懐かしいな。かつての小学校時代、陰キャだったせいかほとんどやった記憶がない。


「うん、やろう!」


 俺は二つ返事でOKした。


「「「えっ?」」」


 クラスメイトが驚いている。


 そうか、俺は暗くて愛想が悪いと思われているんだ。もちろん、彼らの記憶では誘っても参加したことがないはずだ。


「ほらね、西森君はちょっと変わったんだよ!」


 なぜか田中君が得意そうだ。


「いままで断ってばかりでゴメンね、なかなか勇気が出なくてさ」


「いいよいいよ! グラウンドに行こうぜ!」


 クラスメイトとの関係も再構築していこう。


 その日は真紀ちゃんには先に帰ってもらい、夕方まで遊んで帰った。

 こうやって子供は体力をつけていくんだな、と程よい疲れを感じながら思うのであった。

 帰り道、夕日に照らされた街並みを眺めながら、俺は今日一日を振り返った。少しずつだが、確実に変化している自分を感じる。これからどんな未来が待っているのか、期待と不安が入り混じる気持ちで家路についた。



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 あれから数日が経った。学校生活にも少しずつ慣れてきた。朝のジョギングと筋トレも日課となり、体力も少しずつついてきたように感じる。朝、父さんの整髪料で髪を整え、清々しい気持ちで家を出るのが習慣になっていた。眉毛も整えた。もともと美形ではないが、顔の印象はそれなりに悪くないと思う。


 セーブポイントについてもわかったことがある。

 ・セーブポイントは最大10か所

 ・それ以上セーブしたいときは、どれかを上書きしなければならない

 ・上書きするセーブポイントは選べる

 始まりと終わり、つまり最初の5年生と39歳は固定として、残り8か所をどう使っていくか。これについてはもう少し考えてみようと思う。

 この能力を最大限に活用するには、慎重に計画を立てる必要がある。人生の重要な分岐点をしっかりと見極め、それぞれのポイントで適切にセーブしていくことが大切だ。


 支度が終わったところで家のチャイムが鳴る。


「おはよう、宏樹くん!」


「おはよう、真紀ちゃん。今日もよろしくね」


 二人で学校に向かう道すがら、彼女の笑顔に癒される。真紀との会話は相変わらず楽しく、彼女の無邪気な話に心が和む。

 通学路に咲く花々や、さえずる小鳥たちの声に耳を傾けながら、俺は自然と笑みがこぼれるのを感じた。こんな何気ない日常が、こんなにも幸せだったなんて。


 教室に入ると、クラスメイトたちと自然に挨拶を交わし、授業が始まる。今までの自分とは違う積極的な姿勢に、最初はクラスメイトたちも驚いていたが、今ではそれが普通になっている。子供の対応力はさすがだ。田中君とも以前よりも打ち解け、昼休みや放課後には一緒に遊ぶことが増えた。




 その日の昼休み、またあの悪ガキがこっちを見てニヤニヤしていた。

 ったく何なんだ、こいつは。


「西森くん、今日もドッジボールしようぜ!」


 田中君が嬉しそうに誘ってくれる。ドッジボールは数日おきに楽しんでいる。以前はこんな風にクラスメイトと遊ぶことがなかったので、今の状況がとても新鮮だ。


 ただ、ドッジボールをやる日は真紀と一緒に帰れない。まぁ、真紀とは単なる友達なので、真紀の方も気にしていないように見える。


「もちろん、やろう!」


「今日はドッジボールだね。それじゃ、宏樹くん、今日は先に帰るね」


 真紀がそう言って帰り支度をしているのを見て、なんとなく少し心配になったが、彼女に気をつけて帰るように言った。


「うん、真紀ちゃん。気をつけて帰ってね。また明日!」


 真紀の後ろ姿を見送りながら、俺は何か引っかかるものを感じた。でも、その違和感の正体がつかめないまま、クラスメイトたちと一緒にグラウンドへ向かった。


 クラスメイトたちと一緒にグラウンドへ向かう。


 その途中でまた悪ガキと目が合った。相変わらずニヤニヤしていて気持ちが悪い。


 その後は全力でドッジボールを楽しむ。走り回って汗をかき、笑い合う時間は本当に楽しい。昔の自分にはなかった、この充実感を噛みしめながら過ごしていた。




 その日の夕方、放課後のドッジボールが終わり、グラウンドを出る頃には日が傾いていた。

田中君と途中まで一緒に帰るが、田中君はすぐに別の道へと分かれる。

 一人の時は街を見ながら帰るが、これが意外と楽しい。子供目線なので見え方がまるで違うのだ。

夕暮れ時の街並みは、大人の目線では気づかなかった魅力に溢れている。道端の小さな花や、商店街のディスプレイ、そして遊び疲れた子供たちの笑い声。すべてが新鮮に感じられた。


 そんなこんなで帰宅すると、あたりはすっかり薄暗くなっていた。


「ただいまー!」


 元気よく玄関を開けると、母さんが悲壮な顔で待っていた。


「母さん、どうしたの?」


 母さんの表情に、ただならぬものを感じた。彼女の目には涙が浮かんでいる。


「宏樹、真紀ちゃんが……事故に遭ったの」


 その言葉に、俺は一瞬頭が真っ白になった。


「え? 事故って…… どういうこと?」


「真紀ちゃん、道路で突き飛ばされて…… 車にひかれてしまったの」


 その瞬間、胸が張り裂けるような痛みが走った。真紀が…あの優しい真紀が、そんなことになるなんて。


「真紀ちゃんは…… どうなったの?」


「すぐに病院に運ばれたけど、助からなかったって…… 手遅れだったって……」


 意味が分からなかった。涙が溢れ出し、言葉が出なかった。母さんも泣いている。どうしてこんなことが起こってしまったのか。そんな過去はなかったはずだ。真紀ちゃんは普通に一緒の公立中学に行き、その後は俺とは違う進学校の高校へ行ったはずだ。俺はいかなかったが、送られてきた同窓会の写真にも写っていた。


 記憶と現実のずれに、俺は混乱した。頭の中で様々な思いが渦巻く。なぜ、どうして、こんなことになってしまったのか。


 ……どうしてこうなった?


 俺だ。

 俺が原因だ。


 事象を改変すれば未来が書き変わる。当たり前じゃないか。


「同級生の佐竹君という子が、ぶつかってしまって、結果として道路に押し出してしまったらしいの。信じられないけど、警察がそう言ってたわ」


 その言葉を聞いて、怒りが込み上げてきた。

 ぶつかってしまった?

 そんなわけはない。間違いなく突き飛ばしたんだ。

 どうしてそんなことが許されるのか。真紀を守れなかった自分が、無力に感じられた。


「会いに行ける?」


 俺は声を絞り出した。


「大丈夫なら行きましょう……」


 母さんの声に頷きながら、俺は必死に涙をこらえた。真紀に会いに行く。そう決意した瞬間、俺の中で何かが変わった。

 

 これは、単なる悲しみで終わらせちゃいけない。

 これは、未来を変えるためのきっかけなんだ。



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 病室に入ると、真紀には白い布が被せられ、真紀の母親は泣き、父親は無表情で立ち尽くしていた。


「この度はご愁傷さまです……」


 母さんが小さく言う。


「美幸さん… それに宏樹くんも来てくれたのか……」


「真紀ちゃんは……」


「ごめんね、真紀はもう宏樹くんと遊べなくなっちゃったの…… うう…… うぅぅ………」


 真紀の母親はいまだ涙が尽きていない。


「最後に別れの挨拶をしてやってくれないか?」


 真紀の父親が辛さをかみしめて俺に頼んでくる。


「分かりました」


 俺は震える足で真紀のベッドに近づいた。白い布の下に横たわる小さな体。これが本当に真紀なのか、信じられない気持ちでいっぱいだった。


 俺はそう言って白い布を被った真紀のところへ行って、手を握る。

 冷たい。


「真紀ちゃん、しばらく会えないみたいだけど、待っててね。

また会えたら一緒に遊ぼう?」


「うう…… うわぁぁぁぁぁあ…………」


 俺がそういうと、真紀ちゃんの母親が号泣してしまった。


 その声を聞きながら、俺は心の中で誓った。必ず真紀を救う。この悲劇を繰り返さない。そのために、俺にはできることがあるはずだ。


 コンコン。


 部屋のドアがノックされる。


 入ってきたのは親子連れだ。

 入ってくるなり父親は90度に頭を下げる。そして連れ立った子供の頭も無理矢理下げさせる。


「この度は愚息が大変申し訳ない事を……!!」


「佐竹さん、ですね」


「はい! 大変申し訳ありません」


「帰ってください」


 真紀の父親がぴしゃりと言った。

 佐竹の父親は無言のまま土下座を始める。


「帰って下さい!!」


 真紀の父親が語気を強めると佐竹の父親は立ち上がってまた頭を下げた。


「………はい。本当に申し訳ありませんでした」


 そのまま後ろを向き、帰るところで俺は見てしまった。

 見たくはないが見てしまったのだ。

 そして口を開いてしまう。


「ねぇ、佐竹君はなんでニヤニヤしているの?」


「「え?」」


 その場が凍り付いた。

 そして俺はさらに口を開いてしまった。


「佐竹君、ぶつかったって嘘でしょ? 僕たちに嫌がらせを繰り返していたもんね? どうせふざけて突き飛ばしたんじゃないの?」 


「……本当………なのか?」


 佐竹の父親の問いに、佐竹は目を逸らした。それはYESの答えと同義だ。

 佐竹の父親が震えているのが見てわかる。


「佐竹さん!!」


 真紀の父親が気づいて声をかけるより早く、佐竹の父親は我が子をぶん殴っていた。

 吹き飛ぶ小学校五年生。これは本気の奴だ。教育ではない。

 追いかけて追い打ちでさらに殴る。

 殴る殴る殴る。

 周りの大人が押さえつけてなんとか止めた時、佐竹君の顔はボコボコで、小刻みに痙攣していた。周りには血や歯が飛び散っている。


 俺は目を背けたくなった。こんな暴力的な光景を見るのは生まれて初めてだった。大人になっても、こんな状況に直面したことはない。


 何なのだこれは。


 こんな誰も幸せにならない未来のために、人生をやり直しているんじゃないぞ。


「ロード…しなきゃ……」


 真紀を救うために、俺はロードを決意した。

 正直、ロードするのはなるべく避けたいと思っていた。回数が決まっていたりしないか? 寿命が減るとかペナルティがあるんじゃないか?

 そりゃ好き放題セーブ&ロードができれば最高だが、そんなうまい話はないのではないか?

 いざという時に使えなかったらどうするんだ?

 しかし、現状そんなことを言っている場合じゃない。


 これがいざという時じゃなかったら何なんだ。


 セーブポイントは今朝のものがある。もしそれでうまくいかなければ、もっと前に戻ってやり直すだけだ。


「よし、ロードだ」


 そう言って、視界の端にあるロードの文字を意識する。

 深呼吸して、今朝のセーブポイントを選んだ。次の瞬間、視界が一変し、再び朝の自分の部屋に戻ってきた。すぐに時計を確認し、朝のルーチンを繰り返す。


「行ってきます!」


 ランドセルを背負い、家を飛び出した。真紀の家のチャイムを鳴らす。

しばらくするとドアが開いた。


「おはよう、宏樹くん! 今日は宏樹くんの勝ちだね!」


 真紀の顔だ。

 そして、次の瞬間、俺は泣いていた。


「ちゃんと……いた………」


「宏樹くん、どうしたの?」


「目にゴミが入って……まつ毛かな」


「それは大変! 洗面所で目を洗っていく?」


「も、もう大丈夫みたい。行こう!」


「うん! でも、本当に大丈夫?」


「大丈夫。あはは……」


 心の中で安堵のため息をつく。真紀は無事だ。まだ間に合う。これから起こるはずの悲劇を、必ず防いでみせる。


 心の中で決意を新たにしながら、彼女を守るために全力を尽くすことを誓った。この新しいチャンスを無駄にしないために。


 佐竹。


 お前にはキッチリ更生してもらわないとな。

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