第4話 初登校

 翌朝、目覚ましの音で目を覚ますと、自分が小学生に戻っていることを再確認した。昨日の出来事は夢ではなかった。今日は新しい一日が始まる。


 まずは計画通り1日1回のセーブ。セーブポイントの数は分からないが、自分のやってきたゲームを思えば『限界が来たからこれ以上セーブできません』とはならないはずだ。


「よし、やってみよう」


 心の中で決意を固め、目を閉じて集中する。

 うん、今日の朝の時点でのセーブポイントが作られた。セーブをするにあたって、絶対に注意しなければならないことがある。それは、絶対に安全に戻れるセーブポイントを用意しておくことだ。無駄に細目にセーブして、どのセーブデータをロードしても死んでしまう、いわゆる『詰み』だけは絶対に避けなければならない。


 この能力を最大限に活用するためには、慎重さと戦略が必要だ。一瞬の判断ミスが取り返しのつかない結果を招くかもしれない。


 さあ、それじゃまずは朝の準備だ。洗面所で顔を洗い、歯を磨く。ふと鏡を見ると、髪が少し乱れていることに気づいた。子供の時は気にしたことはなかったが、社会人を経験し、余裕のある今は違う。父の整髪料を借りて、整えることにした。

 鏡を見ながら髪を整えると、意外としっくりきた。満足してリビングに戻ると、母が朝食を用意してくれていた。


「おはよう、母さん」


「おはよう、宏樹。あら、今日は髪を整えたの?」


「ああ、寝癖がひどかったからね。父さんの整髪料を借りたよ」


「今まで気にしたこともなかったのに。子供はいつの間にか成長しているものね……」


 母の言葉に、俺は複雑な気持ちになった。確かに自分は一晩で大人になったようなものだ。しかし、それを悟られてはいけない。




 朝食を済ませ、学校の準備を整える。ランドセルを背負い、家を出ようとすると、チャイムが鳴った。間髪入れずに玄関のドアの外から元気な声が聞こえる。


「ひーろーきーくーん、おはよう!」


「ほら、真紀ちゃん来たわよ! 早く行きなさい!」


「うん、行ってきます、母さん」


 外に出ると、幼馴染の北里真紀きたさとまきがにこにこと笑って立っていた。少しぽっちゃり……いや、正直かなりふっくらした体型をしているが、その笑顔は優しい。ポニーテールがトレードマークだ。真紀とは幼稚園からの付き合いで、家も近所同士。彼女は少しおっとりした性格で、何事にも動じない穏やかさを持っている。見た目はお世辞にも可愛いとは言えないため、クラスメイトからは時折ブスと陰口を言われることも知っているが、彼女は気にする素振りを見せたことがない。

 俺はそんな彼女と仲がいい。大切な友達だ。

 しかし、39歳の精神を持つ今の自分にとって、幼なじみとの関係性をどう維持すべきか、少し戸惑いを感じる。


「おはよう、真紀ちゃん」


 彼女と一緒に歩きながら、学校へ向かう。真紀との会話は自然にできた。昔の思い出話を交えながら楽しい時間を過ごした。道すがら、彼女の家族のことや最近の出来事について話を聞いた。彼女の声を聞くと、不思議と安心感が広がる。


「そう言えば宏樹くん、なんか今日の髪型、すごくかっこいいね!」


「ありがとう! 寝癖がひどかったから、父さんの整髪料を借りて、ちょっと整えてみたんだ」


「ふーん、そうなんだ。なんだか急に大人になったみたいだね!」


 この程度でバレてはいないはずだが、正直、ドキッとした。

 真紀の観察力の鋭さに、俺は内心冷や汗をかく。これからは、より慎重に振る舞わなければならないと痛感した。




 学校に到着し、教室に入ると、周囲の視線が一斉に俺に向けられた。髪型のせいだろうか。


「西森君どうしたの? 今日の髪型、なんか大人っぽいね」


 やっぱりか。クラスメイトの何人かが驚いた表情で声をかけてきた。本日二回目の髪型の話題に、俺は笑顔で答えた。


「ちょっと寝癖がひどくてね、整えてみたんだ」


「寝癖って……いつものことじゃん」


 教室に笑いが零れる。

 俺は軽く肩をすくめ、「まあね」と答えた。このような反応は予想していたが、実際に体験すると少し緊張する。


 しかし、次の瞬間、ある問題が発生した。そう、自分の席がどこにあるのか思い出せないのだ。30年近く前の小学校の席なんて、覚えているわけがない。早速大人の思考テクニックを使う時が来たようだ。


「そう言えば真紀って席どこだっけ?」


「え゛、宏樹くん、何言ってるの? 私の後ろじゃん」


「あ、そっか、何か変な夢見たからぼけてたわ」


 またも笑いが零れる。良かった。もっと手間がかかるかと思ったが一発ビンゴだった。


 サラリーマン時代、人の名前を覚えるのが苦手だった俺は、よく「あ、お久しぶりですー」とか「あ、先日はどうも!」などと誤魔化しつつ、特定できそうな話題を組み合わせてその人を思い出していたのだ。その経験が、思わぬところで役立った。


 真紀に教えられた通り、真紀の後ろの席に座り、ほっと一息ついた。しかし、周囲のクラスメイトは不思議そうな顔をしている。


「西森君、髪型だけじゃなくて、雰囲気も違うよね?」


 仲の良かった男友達の田中が声をかけてきた。彼とはたまに一緒に遊んでいたが、今日は少し距離を感じる。


「そう? ちょっと気分を変えたくてさ」


「なんか喋り方も違うし」


 そう、俺は小中高と12年間、陰キャだったのだ。さらに言えば高校では完全に陰キャボッチだった。大学で少し緩和され、社会に出てからは陰キャボッチが許される職場じゃなかったため、今では違うとハッキリ言えるが。

 しかし、39歳の精神を持つ俺が、10歳の子供たちの中で過ごすことに激しい違和感を覚える。会話や行動が自然と大人びてしまうが、それを隠すのは難しい。何とか合わせて行かなくては。


「これは意外としんどいぞ」


 心の中でつぶやきながら、俺は表情を整えた。案外、慎重さと適応力が必要なものだな。

 だがもう陰キャで通す必要はない。学校生活、ひいては社会生活において、わざわざ陰キャでいるメリットなどゼロだ。むしろマイナスと言っていい。陽キャまで行かなくとも、普通に過ごす精神は大人になってから身に着いている。


 このやり直しの人生で俺は人脈を作る。人脈は力だ。それこそ、勉強よりも大事だ。


 過去の経験を生かし、コミュニケーション能力を磨くことで、より充実した学校生活を送れるはずだ。そう決意を新たにした。




 授業が始まり、久しぶりに受ける学校の授業に懐かしさを感じる。さすがに小学生レベルの授業はほとんど覚えているが、改めて聞くと新鮮だ。たまに忘れていることもあるが、先生の説明を聞いているうちに、過去の記憶が次々と蘇ってくる。

 そしてこの記憶力。気持ちが良いほど物を覚えられる。これが若さか!と感動を覚えた。うん、受験のためにも早いうちから暗記科目はやってしまおう。

 この若さと記憶力を最大限に活用し、効率的な学習計画を立てよう。前回の人生では気づかなかった学習の重要性を、今なら十分に理解できる。



 昼休み、給食が配られる。懐かしい給食のメニューに心が弾む。


「懐かしいな、この味」


 今日の給食はいきなりだった。カレーライスを食べながら、昔の記憶が蘇る。友達と一緒に笑いながら食べる時間は、今の俺にとって宝物だ。班のみんなと一緒に給食を食べながら、最近の出来事や興味のある話題で盛り上がる。みんなの笑顔を見ると、なんだか温かな気持ちが溢れてくる。


「ねぇ宏樹君」


「真紀ちゃんどしたの?」


「なんだか、大人の人が子供を見てる時みたいな顔してるよ?」


 真紀の観察眼の鋭さに、また一度ヒヤリとする。しかし、同時に彼女の洞察力の高さに感心する。この能力は将来きっと彼女の強みになるだろう。


 午後の授業が終わり、放課後の自由時間が訪れる。真紀が話しかけてきた。


「宏樹くん、一緒に帰ろう!」


 俺は彼女の誘いもあり、真紀と一緒に帰ることにした。

 すると、廊下を歩いている時、隣のクラスの連中が茶化してきた。


「西森君は今日もブスな彼女と一緒にお帰りですか~!」


 昔の俺はどうしてたっけ?

 記憶を探る。

 思い出した。

 ああ、無言で彼女を置いて走り去ったのか。最低だな、俺。だが今は違う。


「真紀ちゃんはブスじゃないよ。それに大切な友達だ。君こそ、人を傷つけるような事は言わない方が良いよ。自分は最低な野郎ですって大声で言ってるようなものだからさ」


「なんだと、テメェ!?」


 そうか、昔はこんな連中が怖かったのか、俺は。39歳目線じゃ子供がオラついてて笑みすらこぼれそうだ。

 内心では笑いを堪えながらも、真剣な表情を崩さない。相手は子供だが、このような言動は絶対に許されるものではない。


 「お前たち何をやっている!!」


 大声で騒いだせいか、先生がやってきて、悪ガキは逃げ出した。


「西森、北里、何があった?」


「ああ、いま逃げた連中が北里さんをバカにしていたので、そんな事を言わない方が良いよって注意しただけです」


「そうか。あいつらは明日にでも注意しておく」


「心の傷は見えないし、治りにくいって知ってます? しっかり教育しておいてくださいね、先生」


「なんだか嫌な言い方だな……わかったよ、ちゃんと言っておく」


 先生の困惑した表情を見て、少し言い過ぎたかもしれないと反省する。大人の知識と子供の立場のバランスを取るのは、想像以上に難しい。



 学校を出て、しばらく真紀と無言で歩く。昔と変わらない風景だ。先に口を開いたのは真紀だった。


「ごめんね、宏樹君。私こんなだから」


「ん?

 なんで真紀ちゃんが謝ってるの?」


「え?」


「真紀ちゃん何も悪くないでしょ」


「でもブスだし……」


「えー!?真紀ちゃんブスじゃないよ? かわいいよ!?」


 そうなのだ。39歳目線では小学校5年生など、みんな可愛く見えるのだ。それこそ男女問わず。こればっかりは、大人にならないと分からない感覚かもしれない。しかし、彼女にとっては衝撃的な一言になる。


「~~~~~~!?

 あ、ありがと……

 ひ、宏樹くんもかっこよかったよ……」


 俺は、彼女が顔を真っ赤にしながら横を向いたことに気づいて、やってしまったことを反省するのだった。

 ただ、心の中で「しまった」と思いつつも、彼女の自尊心を少しでも高められたのなら、それはそれで良かったのかもしれない。そう思う事にした。




 15分ほど歩き、自宅の前まで来た。斜め前が真紀の家だ。


「真紀ちゃんバイバイ! 明日もよろしく!」


 真紀は照れくさそうに笑った。


「うん、また朝迎えに行くね!」


 真紀に別れを告げ、玄関を開けた。

 そしてまた一つ記憶を思い出す。こうやって一緒に帰っていたのを俺が終わらせたんだ。揶揄からかわれるのが嫌だ、恥ずかしいって。そうやって自己中な俺も真紀の心をえぐっていたんだな。

 それでも、思い返してみればずっと真紀は優しかったし、不登校になることもなかった。彼女は強い。


「俺も、真紀みたいに強く優しくありたいな……」


 そして、人生をやり直している今、絶対に真紀を傷つけない。本気でそう思った。前回の人生では別の高校に入って疎遠になり、何をしているのか分からなかった真紀。彼女は良い奴だ。幸せになってもらいたい。


 玄関に入りながら、俺は決意を新たにする。今度こそ、真紀との友情を大切にし、彼女の人生にも良い影響を与えられるような存在になろう。そして、自分自身も成長し、より良い人生を歩んでいこう。


 この二度目の人生を、悔いのないものにするために。

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