第2話 事故

 その日は珍しくいつもより早く会社を出ることができた。

 それでも、時計を見ると夜の8時を過ぎたところだ。これで『早く』って、ブラック企業に脳までやられてるな。

 しかし、家族が起きている時間に家に帰りたくないという気持ちで足が重い。駅へ向かう帰り道、頭の中は明日の仕事のことでいっぱいだった。


「あー、そう言えば明日の会議の準備がまだ終わってない…

 朝一でやるか……」


 そんなことを考えながら、妙に明るい都会の曇天を見上げる。

 雲なのかスモッグなのか、溢れる都市の明かりを反射し、夜なのに空が明るいのだ。

 当然星など見えはしない。


 横断歩道に差しかかった。信号は青。

 俺を含め、横断歩道を渡っているのは数人。

 その時、音に違和感を覚え横を向く。

 視界の隅に動くものが映った。

 トラックだ。


 (信号は赤だぞ!?

  突っ込んでくる!?)


 前を見ると、横断歩道を渡ろうとしている女子高生がいた。スマホを見ながら歩いていて、周囲の状況に気付いていない様子だった。彼女の横から大型トラックが猛スピードで接近しているのが見えた。


 「危ない!」


 無意識のうちに体が反応し、全力で走り出した。女子高生を突き飛ばした瞬間、鋭いブレーキ音と共に強烈な衝撃が体を襲った。


 「ぐっ…」


 体が宙に浮き、アスファルトに叩きつけられる感覚。痛みが全身に広がり、視界が揺れた。周囲の音が遠のき、意識が薄れていく。


 「これで終わりか…

  いや、始まりなのか……」


 異世界転生。

 現実逃避のために読んでいたライトノベルや投稿小説で憧れていた。


 遠くで救急車のサイレンが聞こえ、誰かが叫んでいる声がかすかに耳に入った。


「あばよ、このクソみたいな世界」


 このシチュエーションならイケる。そう思って俺は意識を手放した。



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 目が覚めると、白い天井が見えた。


 「知らない天井だ……」


 ぼんやりとした意識の中で、自分が病院にいることに気づいた。全身が痛むが、なんとか体を起こそうとしたがうまく動かない。よく見ると、点滴やらなにやら体の複数個所に管が繋がれており、あちこちに包帯が巻かれていることに気づいた。


 「生きてる…のか?」


 手を見る。

 見慣れた俺の手だ。


 「転生してない……だと?」


 周囲を見渡すと、心配そうな顔をした両親がベッドの傍に立っていた。母が涙ぐんでいる。


 「宏樹、気が付いたのか?」


 父の声が聞こえた。彼の声には安堵の色が強かった。俺は微かに頷いた。


 「お医者様を呼んでくるわ!」


 母がそう言って病室を飛び出していく。しばらくして、医者と看護師が入ってきて、俺の状態を確認した。

 どうやら病院に運ばれた俺は、手術をされ、3日間目を覚まさなかったらしい。道理で体が重いわけだ。

 手足は無事だが、頭蓋骨にひびが入っているのと、肋骨が数本折れているのだとか。確かに、動くたびに痛い。


 「奇跡的に命に別状はありません。ただし、しばらくは安静にしてください。あと、頭蓋骨にひびが入るほどの衝撃を頭に受けていますから、もう何日か入院して様子を見てみましょう」


 医者の言葉に安堵すると同時に、そのままの世界に落胆した。結局、現実は変わらないままだ。

俺が欲しかった奇跡はこの世界で生き残る事じゃなく、異世界転生なのだから。


 夕方、妻と娘が見舞いに来た。めんどくさそうに。

 ぼそっと妻が呟いた「どうせなら死ねばよかったのに」というセリフを、俺は一生忘れないだろう。

 ワザと聞こえるように言ったのだろうか……





 翌日、病室でぼんやりと過ごしていると、ドアが開いて昨日助けた女子高生とその両親が現れた。彼女は心配そうな顔をしながら、お礼を言いに来た。


 「本当にありがとうございました。助けていただいて…」


 彼女は涙を浮かべながら感謝の言葉を述べた。俺は微笑んで答えた。


 「君が無事でよかったよ。それだけで十分だ」


 しかし、それ以上の特別な展開は何もなかった。

 連絡先を交換して、それがきっかけに真実の愛を───

 なんて、そんな展開は無い。

 40近いオッサンがJKに連絡先など聞けるものか。

 後日、お礼がしたいという事で、彼女の父親と連絡先は交換したが。


 彼女はお礼を言って去っていき、病室には再び静寂が戻った。俺は天井を見つめながら、なんとも言えない虚しさを感じた。


 職場からの連絡はあった。

 「入院してても出来ることはやれ」

 だそうだ。さすがブラック。

 リモート扱いになるだろうか?


 そして入院生活は過ぎていく。

 たまに来る両親。

 妻と娘は初日だけ。

 疎遠になった妹は来ない。

 職場からは仕事の連絡。

 友人の見舞いなど無い。いないから。


 ああ、昔に戻りてぇ。

 人生をやり直してぇ。



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 数日が経ち、退院を控えたその日、視界に突然見慣れない文字が浮かび上がった。


 「セーブ…? ロード…?」


 なんだこれ?

 頭の中で疑問が渦巻く。これが何を意味するのか、どうやって使うのか全く分からない。ただ一つ、これが俺の人生に何かしらの変化をもたらすものだという確信だけはあった。


 「試してみるしかないか…」


 とりあえずセーブを試みた。すると、頭の中に言葉が浮かぶ。


 『現在の時点をセーブしますか?』


 YESと念じると再び言葉が浮かぶ。


 『セーブポイント2にセーブしました』 


 次にロードを選んでみると、頭の中にセーブポイントが2つ表示された。

 下の方はたった今セーブしたものだ。日付と時間がそうなっている。

 そして、セーブポイント1の方は……

 これは、小学校5年生くらいの頃の日付?


 「小学校5年生…? 本当に戻れるのか?」


 半信半疑のまま、ロードを選んだ。次の瞬間、視界がぐるりと暗転し、気がつくと見覚えのある自宅の自室に座っていた。そこには、小学生の頃の俺が使っていた机や本棚があり、懐かしい風景が広がっていた。

 目の前には、俺の黒歴史である「アイデアノート」が広げてある。この頃の俺はゲームが作りたかった。そのアイデアを書き貯めていたのだ。

 本当の人生でもセーブやロードが出来たらなぁ……

 当時、本気で思っていたことを思い出した。

 ちゃんとできていたじゃないか、セーブ!!


 「本当に戻った……のか?」


 自分の手を見る。何度も握ったり閉じたりを繰り返す。どう見ても子供の手だ。

 俺は走って洗面所の鏡の前に立つ。

 そこにはまぎれもなく小学生の俺が立っていた。


 驚きとともに、ふと人生をやり直せるのでは、と胸が高鳴った。

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