第19話 小さなお父さん

 三人は手を繋いだまま人の行き交う街の中を歩いていく。

 その姿はまるで初々しい家族のようで、若干意識してしまっていた優は横にいる和紗をチラチラと見ながら焦る心臓を必死に落ち着かせていた。


(落ち着け、俺。会長は荷物持ちとして菜乃果とのお出かけに着いてきてくれているだけだ。決してデートとかそういうわけじゃない。だから菜乃果を自分たちの子供に見立てて、あぁ会長と結婚したらこんな感じなのかな〜とか想像しちゃいけないんだ……!)


 言い聞かせれば言い聞かせるだけ、脳は反抗期かの如く和紗との想像を膨らませる。

 それはまさにカリギュラ効果で、今の優に言い聞かせる対処はむしろ逆効果だった。


「……お兄ちゃん、手あせすごいよ? だいじょうぶ?」

「へっ? あっ、うん。大丈夫大丈夫」


 優は菜乃果の手を離すと、自分の手をパーカーで拭いてから再度繋ぎ直す。

 しかし大丈夫じゃなさすぎて、笑おうにも顔を引き攣らせることしかできない。

 心配する菜乃果につられてか、和紗も心配そうに優を見た。


「顔も赤いし、熱でもあるんじゃない?」

「あ、いえ、そういうわけでは……」

「そういうおねえちゃんも手あせすごいよ?」

「へっ?」


 菜乃果に指摘されて急に顔を赤くする和紗。


「だいじょうぶ?」

「だ、大丈夫大丈夫。あはは……」


 ポケットからハンカチを取り出して自分の手汗を拭く和紗。

 どうやら緊張しているのは優だけではないようだ。

 例の如くラブコメ脳が暴走して、和紗も菜乃果の手を優と二人で繋いでいるこの状況が気になっているらしい。


 しかし優は和紗にラブコメ脳があるということを知らない。

 むしろ他人に干渉することを避けているということだけを知っているので、まさか和紗がこの状況を気にしているなんて露程も思っていなかった。


 和紗も優のことをただ純粋にいい人だとしか思っていないので、優が実は和紗のことが好きで、和紗とのあんなことやこんなことを考えているとは思わない。

 この「まさにラブコメ的展開」を楽しんでいるのは、妙に察しのいいおかげで手汗から二人の気持ちをなんとなく感じ取っている菜乃果だけだった。


「と、ところで、これからどうしようか?」


 これ以上自分を気にされたらマズイと感じたのか、和紗が話題を切り替える。

 菜乃果が指摘した和紗の異変も若干気になる優だったが、緊張でそこまで気にしていられる余裕はない。

 優としてもこの話題転換はいろんな意味で願ったり叶ったりなので、おとなしく話の流れについて行くことにした。


「時間も時間ですし、先にお昼にでもしましょうか?」

「そうだね。何か食べたいものでもある?」

「僕は食べられればなんでも。会長はどうですか?」

「私もなんでもいいよ。菜乃果ちゃんはどう?」

「なのかも、なんでもいい」

「そっか、困ったな……」


 いまいち決め手に欠け、顎に手をやりながら頭を悩ませる和紗。

 しかし優はこの状況を見兼ねると、静かに俯いている菜乃果にそっと顔を寄せて言った。


「菜乃果、本当に食べたいものないの?」

「えっ?」

「兄ちゃんも和紗お姉ちゃんも食べたいものがないから、菜乃果に何か食べたいものがあればそれに合わせようかなって思ってるんだけど……どう?」

「…………」


 菜乃果は優から視線を外してしばらく考え込むが、やがてぽつりとの言葉を漏らす。


「……お子さまランチ」

「ん?」

「なのか、お子さまランチ食べてみたい」

「分かった、じゃあファミレスにでも入ろうか。会長もそれでいいですか?」

「あ、うん」

「ほんとに? いいの?」


 不安げな表情で優を見上げる菜乃果。

 それに対して優は、菜乃果を安心させるように優しく微笑んだ。


「もちろん。前に住んでたところじゃ、お子さまランチを食べる機会もなかったもんな」


 優の言葉に菜乃果はぱぁっと表情を明るくすると、繋いだ手を離して優に抱き着いた。


「ありがとう、お兄ちゃん!」

「食べたいものがあったら、ちゃんと言うんだぞ? 言ってくれないと、兄ちゃん分からないから」

「うん、分かった!」


 優のお腹に顔を埋める菜乃果の頭を一頻り撫でた後、三人は再び手を繋いで歩を進め始める。

 すると一分と経たない内に優のスマホからメッセージアプリの通知音が鳴り響いた。

 ズボンのポケットからそれを取り出して確認してみると、すぐそばにいる和紗から一つのメッセージが届いていた。


『どうして菜乃果ちゃんに食べたいものがあるって分かったの?』


 直接聞いてこないのは、それが菜乃果の話題だからだろう。

 口に出せば、その話が自ずと菜乃果の耳にまで届いてしまう。

 もしそれを気にしているのなら、優としてはありがたい限りだった。


『分かってたわけじゃないんですけどね。菜乃果は人の顔を伺って思ったことを素直に言い出せないことがあるので、言い方に違和感を感じた時は逐一確認するように心がけてるんです』

『そうだったんだ』

『会長の方でも、もし余裕があれば気にしてやってくれませんか?』

『分かった、任せて』

『よろしくお願いします』


 これで話が一段落しただろうと思いスマホをポケットにしまおうとすると、不意にまた通知音が鳴り響く。


(あれ、話は終わったはずじゃ……?)


 怪訝に思った優はもう一度スマホを開いて、そこに映っていたメッセージに目を見開いた。


『そこまで菜乃果ちゃんのことを気にしてるなんて、佐伯くんはまるで小さなお父さんだね』


 弾かれるようにスマホから目を離し、和紗へと視線を向ける。

 和紗は優の視線に気がつくと、微笑ましそうに笑みを浮かべた。


「っ……!?」


 あまりに屈託のない笑顔だったために、優はまた弾かれるように和紗から目を逸らした。


(何も知らないからって、その笑顔は反則だろ……!)


 さっきまであんなことやこんなことを想像していた優にとって、和紗の「小さなお父さん」という言葉はあまりにもクリティカルだった。

 からかいで言っているならまだしも、あの笑顔を見るに本気でそう思っていそうだから尚更タチが悪い。


 それもそのはず、和紗は優と菜乃果の仲の良さに当てられてすっかり他人事と捉えていた。

 もはや和紗のラブコメ脳は働いておらず、今は優のお兄ちゃんっぷりを超すお父さんっぷりに微笑ましく思うだけだった。


「……またイチャイチャしてる」

「「し、してないからっ!」」


 菜乃果の言葉に優と和紗がツッコミを入れる。

 和紗のラブコメ脳は菜乃果の言葉によって元通りになったようだった。

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