第16話 頼られる存在に

「――ち、ちょっと池鶴⁉」


 瞬間、和紗が慌てたように声を上げる。

 その声に池鶴が困惑するように眉をひそめた。


「な、なんですか? 佐伯に直接聞けって言ったのは会長じゃないですか」

「それは……!」

「ち、ちょっと待ってください! えっ、どうして池鶴先輩が出掛けることを……?」


 優、和紗、池鶴の三人がわちゃわちゃと慌てふためていている様子を、傍から涼花、香菜、蒼真の三人が何も言わずにただ見守っている。

 いや、後者の三人は優と同じく、突然知らない話題が降ってきたことに驚いて何も言えないと言った方がいいだろう。

 呆然と突っ立っているその姿は、さながらこけしのようだった。


「わ、私は『せっかくの休みだから、息抜きに午後から出かけませんか』って会長を誘ったんだけど、会長は優と出掛ける予定があるからって」

「えっ、そうなの? 優って大胆~」

「ややこしくなるから、香菜は口を挟まないで」


 香菜の茶々に、まるで威嚇をしているのかというほど睨む池鶴。

 その雰囲気に普通の人間なら怖気付くだろうが、香菜はもう慣れたのか「にひひ~」といやらしく笑みを浮かべていた。

 その傍らで頬を赤く染めていた優は咄嗟に口を開く。


「ち、違います! 確かに誘ったのは僕からですけど、今日は妹も一緒に居て……」

「妹って、佐伯くんの妹?」

「はい。あまり詳しくはお話しできませんけど……」

「なるほど、妹を出汁に和紗をデートに誘ったのか……」

「香菜!」


 涼花、香菜、池鶴が思い思いに言葉を発する。

 その脇で和紗が「で、でーと……⁉」と、か細く声を上げながら顔を真っ赤にしたが、この混乱の中で和紗に気づく人はいなかった。


「佐伯、妹がいるのは会長から聞いたから分かってる。私も一緒じゃダメ?」

「あ、えっと……あまり知らない人に合わせすぎると、妹が疲れちゃうので……」


 菜乃果は物事をよく観察して、他人に気を遣う癖がある。

 ゆえに知らない人に合わせるのは菜乃果の心労を招きかねなかった。

 和紗一人だけなら優が間に入ってカバーできるかもしれないが、二人ともなればそうはいかないだろう。

“一対一”と“一対二”の間には、それだけ精神的に大きな差がある。


「で、でも、私は……」


 しかし池鶴は諦めきれないようで、眉尻を下げながらも必死に食い下がろうとした。

 その瞬間、またも涼花が池鶴の首を脇に抱える。


「わぷっ⁉」

「会長は先約があるんだって。だから今日はもう帰るよ」

「で、でも……!」

「そんなに会長と出掛けたいならまた誘えばいいじゃん。ほら、今日のところは退散退散」

「ちょ、涼花~!」


 涼花が強引に池鶴を連れていく。

 和紗に手を伸ばしながらも為す術なく連れていかれる池鶴を抱えながら、涼花は去り際にこちらへ振り向くと軽くウィンクをした。


「和紗は人気だねぇ~……んじゃ、私たちもこれで。楽しんできてね~」


 そう言って手を振りながら香菜もこの場を後にする。

 蒼真は何やら慌てたようにこちらと向こうを交互に見た後、ペコッとお辞儀を残してから去るみんなの後を追って行った。


(涼花先輩と香菜先輩、絶対勘違いしてる……)


 いや、そういう気が全くない訳ではない。

 優も心のどこかで和紗と一緒に出掛けられることをデートだと思っている節はあるし、それを意識しているところもある。

 ただ今回はあくまで菜乃果とのお出掛けに付き添わせている体で和紗と接しようとしていた。


 和紗とは出会って二週間程度だが、その間に前よりも関係を進められたかと言えば否定せざるを得ない。

 和紗としてもそういう体で来られるのは迷惑だろうと、優は思っていた。


(だから意識しないようにしてたのに、あの人たちは……)


 どうしてくれるんだと渋々和紗に視線を移すと、そこでようやく優は和紗の顔が赤くなっていることに気がついた。


「だ、大丈夫ですか?」

「へっ? あっ、うん。大丈夫」

「すみません、騒がしくしちゃって」

「ううん、元はと言えば私が断りきれなかったのが悪いんだし」

「いえ、そんなことは……」


 お互いなんとかして自分を悪者にしようとするもなりきれず、気まずい空気が二人の間に流れる。

 どうやってこの状況を打開しようかと優が頭を悩ませていると、その隙に和紗が居たたまれなさそうな表情で口を開いた。


「……本当に一緒に行っていいの?」

「えっ?」

「気晴らしに出かけるんだったら、私なんか居ない方が妹さんにとっていいんじゃない?」


 一瞬和紗がなんのことを言っているか分からなかったが、少し経って菜乃果の疲れのことを気にしてくれているのだと気づく。


 確かに、ただ気晴らしに行くだけであれば和紗は着いてこない方がいいだろう。

 それがたとえ荷物持ちの役目を果たすためだとしても、菜乃果の負担になることに変わりはない。


 しかし、今日のお出掛けはただ気晴らしをするためだけではなかった。


「……菜乃果、最近学校であんまり上手くいってないみたいなんです」

「菜乃果ちゃんって、妹さん?」

「はい。友達と上手く馴染めないみたいで、昨日の朝『学校行きたくない』って」

「えっ」


 虐められている訳ではないらしい。

 しかし一人でいる時間が圧倒的に多く、家に帰って来ては度々泣き出してしまうこともあった。


「どうしたらいいか分からなくて……でも、何もしないままでいることも出来なくて。だから、会長と合わせて少しでも他人と関わる勇気を持ってもらいたいって……」

「……そっか」

「それに、菜乃果には僕以外の誰かを頼れるようにもなってほしいんです。だから……」


 こんなことを言ったら、和紗の負担になるかもしれない。

 それは嫌だと思いつつも、菜乃果のことを考えると頼らざるを得なくなっていた。


 何かが込み上げてくるのを堪えて俯いていた顔を上げると、目の前にあった優しい顔に優は目を見開く。

 そこには会長の役柄から来る正義とも、優の助けを見逃そうとした負い目から来る情けとも違う、ただ純粋な慈愛だけを顔に浮かべている和紗がいた。


「……佐伯くんの家、案内してくれる?」

「えっ?」

「私が菜乃果ちゃんにとっても、佐伯くんにとっても、気兼ねなく頼られる存在になるよ」


 そう宣言した和紗の姿は、太陽の光に照らされてとても頼もしそうに見えた。

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