第10話 初心な生徒会長

 それからというものの、優たちは手分けをして新入生歓迎会準備を進めていった。

 いざとなれば先輩と呼ばれる人たちも心強く、池鶴や香菜は涼花含めた後輩たちに的確な指示を送り、タスクを滞りなく消化していく。

 途中に挟まれる香菜のおふざけも、場の雰囲気を明るくしたため決して無駄ではなかった。


 かくして優たちは和紗が打ち合わせから戻ってくる前に、ほとんどの準備を終わらせたのだった。


「――ごめん遅くなった! 今どんな感じ?」


 時刻は午後五時、外はもう既に日が沈みかけている中。

 やるべき事が一段落つき、優たちがステージ前に並べたパイプ椅子に座って休憩していると、急いだ様子の和紗が体育館へとやってくる。


(会長だ……!)


 約一日振りに和紗に会えたことに心を踊らせる優。

 しかしチャットの件に後ろ髪を引かれ、それを表情や声に出すことは出来ない。


「会長だ……!」


 池鶴はその限りではないようだが。


「お疲れ。準備はもうほとんど終わったよ。後はステージに横断幕を下げて、明日のリハーサルをするくらいかな」

「ありがとう。じゃあ、横断幕は私が面倒見るよ。ステージに立って指示を出すから、誰か横断幕を操作してくれる?」

「それなら――」


 立候補すれば、和紗との接点が出来てくだんの事について何か話せるかもしれない。

 そう思い手を上げようとする優だったが……


「私が行きます!」


 それよりも早く池鶴が立ち上がって声を上げる。

 優は池鶴の声に気圧されて手を上げることすら出来なかった。


「じゃあ池鶴、よろしくね」

「はい!」


 和紗に指名されて元気よく頷いた池鶴はステージの舞台袖にある操作盤へと走る。

 しかし優の横を通り過ぎようとした時、足を止めて優の方にニンマリとしたいやらしい笑みを向けてから再度操作盤に向かって行った。


(池鶴先輩……俺が立候補しようとしたのを分かってて……)


 絵に書いたようなドヤ顔を見せつけられてイライラする優。


 だがよく考えてみれば、横断幕を動かす操作盤と和紗との距離はかなり離れている。

 内緒話は愚か、声を荒げないとまともに会話を交わすことさえ難しいだろう。

 そう考えると、むしろその役から外れてよかったとも言えるわけだ。


 しかし、それで池鶴に向けられたドヤ顔に対する怒りが消えるわけではない。


「……あんまり怒らないであげてね、佐伯くん」

「あ、はい」


 涼花にそう言われれば頭を冷やすしかなくなり、優は大人しく横断幕がステージに下げられる作業を見守ることにした。


「池鶴! もうちょっと下げられる!?」

「これくらいですか!?」

「もうちょっと!」


 和紗がステージの上に立ち、横断幕の様子を見ながら池鶴に指示を出す。

 それを優はすぐ後ろで見ながら、和紗の様子に唖然としていた。


「あんなに大声出してる会長初めて見た……」

「あはは、そうかもね。でも会長は凄いんだよ。大声を出さなきゃいけないところは、例えみんなの前だろうと自分の落ち着いたキャラを壊してまで大声を出すの。きっと自分より他人優先の人なんだろうね」


 まるで自分の事のように活き活きと話す涼花に、優は「見てて、そんな感じがします」と頷く。

 そのまま視線を再度和紗に戻した。


 普通の高校生なら、自分の性格や外部から見た自分のキャラクター性に見合った行動をするだろう。

 和紗に限ったとしても、他人との距離を保ちたいならその行動は悪手だ。

 それでも和紗は自分のキャラを壊してまで学校や生徒のために尽くす。

 それも和紗の性格だと言われればそれまでだが、それこそ和紗が会長たる所以なのだろう。


(……かっこいいな)


 初めは、ただ可愛いと思った。

 そのクールな顔つきに見合わない笑顔のギャップが可愛らしいと思っていた。


 でも今優が見ている和紗はそれだけでは説明出来ないくらいに魅力的で、格好いい。


 ……また少し、和紗に惹かれたような気がした。


「これでどうですか!?」

「ちょっと待ってね!」


 池鶴に待ったをかけた和紗は、「う~ん……」と唸り声を上げながらジリジリと後ずさる。

 大方横断幕とステージのバランスを見て図っているのだろう。


 しかし数歩進んだところで和紗の後ろに足場はなくなってしまった。

 和紗はそれに気付かずに一歩足を踏み出して、後ろに大きく体勢を崩してしまう。


「うわっ!?」

「危ない!!」


 ステージ床から足裏が離れ、重力に従って落下する和紗。

 優は椅子から立ち上がって駆け寄ると、すんでのところで受け止める。

 和紗の上半身と下半身をそれぞれの腕で支え持ち、彼女の体重によろめきながらもなんとかゆっくりと自分の膝に置いた。


「危ない……会長、大丈夫ですか?」


 和紗を受け止められたことに肩の力を抜きつつ、優は腕の中にいる彼女に視線を移す。


 すると、呆然とこちらを見つめている和紗と目が合った。

 和紗は数回だけ目をぱちくりとさせながら黙り込むと、急に優の腕の中から抜け出してすっくと立ち上がり、振り返って薄っすらと笑みを浮かべる。


「助けてくれてありがとう。私、ちょっとトイレに行ってくるね」

「えっ? は、はい。ごゆっくり……」


 和紗の反応に意表を突かれ、咄嗟に返答しようとしてそんな違和感たっぷりな言葉を口走る優。

 そのまま安定した歩みで体育館を出て行く和紗を見送るが、それでも優は表情筋の繊維一本すら動かすことが出来ずにいた。


(え……え……? この反応って、やっぱりそうだよな? 明らかに昨日のあれを根に持ってる反応だよな……?)


 言葉や表情に出さずともわかる。

 いや、表情にはもう既に出ていたといっても過言ではない。

 顔に貼り付けた、明らかに本心からではない笑顔。

 このどこかよそよそしいオーラは、間違いなく心の扉を閉ざしたときの和紗だ。


「あ……あぁ……」


 やってしまった。

 床に手をついて項垂れていると、どこか居たたまれなさそうな様子の香菜が優に近づいて言う。


「……なんかよく分からないけど、どんまい」


その後和紗からの指示がなくなって怪訝に思った池鶴が舞台袖から出てきて、四つん這いになって落ち込む優とその背中を撫でる香菜という構図に若干引くのだった。



          ◇



「~~~~~っ!」


 第一体育館から第二体育館に続く廊下にある女子トイレの個室にて。

 便蓋も上げず、下着も下ろさずに便器に座っていた和紗は、声にならない声を上げて悶えていた。


(な、ななななんであんなラブコメみたいなことに〜!?)


 実は和紗は大のラブコメ好きで、それは有名な作品を網羅し、果てには素人がネットに投稿しているような超マイナー物までも読み漁ってるほどだった。


 なのにもかかわらずこの女、初心なのである。


 恋愛モノにありがちのちょっとした胸キュンシーンを目の当たりにしたときでさえ、周りに人がいなければ黄色い悲鳴を上げてのたうち回ってしまう。

 それでいて実際に自分がそのシーンに出くわしてしまったものだから、もはや気が気ではなかった。


 ちなみに周りに人がいる場合は全身に力を入れながら叫ぶのを我慢するので、それすらも隠し通したさっきはめちゃくちゃ頑張ったのである。


(お姫様抱っこ……お姫様抱っこされちゃった……!)


 その反動か脳が言うことを聞かず、和紗に頭の中で先ほどの出来事を再体験させる。


 ステージから落ちて怪我をしそうになったところを咄嗟に救ってくれた優。

 彼の自分を心配する表情はとても魅力的で、腕の中は暖かく強張っていた体を安心させてくれた。


 ……ダメだ、考えれば考えるだけ正気を失いそうになる。


(い、一旦冷静になろう。深呼吸、深呼吸……)


 両手で頬をパチンと打つと、和紗は鼻から大きく息を吸い、それを吐き出す。

 冷たい空気が体を冷やし、体の中にこもる浮ついた熱を排出することで、段々と脳は言う通りに動き、ぼやけていた視界は輪郭を取り戻していった。


(そうだよ、所詮は現実。さっきのは偶然で、ここからラブコメみたいな展開は起きないし、起こさせもしない)


 なぜなら自分は、一人でいなくてはならないから。


 自身に課した枷を思い出すと、下がりきらなかったテンションがスッと落ちていく。

 そのまま和紗は最後に大きく息をついた。


「……戻ろう。ここに長くいたら、みんなの帰りが遅くなる」


 立ち上がって個室の扉を開くと、和紗はもう一度頬を叩いて頭の中に残る邪念を飛ばしてから優たちの元へ戻るのだった。






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ちなみに優が座っていた椅子からステージまで約3mあります。

どんだけ早く走ったんだ優……。

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