第8話 待て、俺は至ってノーマルだ

(全然眠れなかった……)


 翌日、学園に登校してきた優は大きな欠伸をしながら生徒の行き交う廊下を歩いていく。

 和紗からのメッセージに胸を踊らせすぎたせいか、昨日はなかなか寝付けなかったのだ。


『お兄ちゃん、ねむたそうだけどだいじょうぶ?』


 今朝の菜乃果が発した怪訝な声を想像しただけで内なる睡魔が顔を出し、優はそれにつられてもう一つ大きな欠伸をする。


 菜乃果の声は、言わば小鳥のさえずりだ。

 そのあどけない声色とまだ若干舌足らずな言葉遣いについ気が抜けて、思い出すだけでも意識が飛びそうになる。

 寝不足時に聞けばまさに“弱り目に祟り目”で、優は菜乃果の声で強化された睡魔と悪戦苦闘していた。


 しかしそんな睡魔もある一言で一瞬にして吹き飛ぶことになる。


「佐伯優!」


 教室に入った瞬間、叫び声にも似た大声が優の名前を呼ぶ。

 その声にビクッと体を震わせながら声の元を辿れば、そこには計十数人にも及ぶ男子生徒の人だかりができており、中央には優を睨みつける真田弘毅の姿があった。


「な、何……?」


 戸惑っていると、弘毅は周りの男子生徒を引き連れてこちらに向かってくる。

 その鬼気迫る様子に「なになになに?」と混乱しながら気圧されていれば、あっと言う間に彼らに囲まれてしまった。


 そうして、弘毅が一言。


「お前、会長とはどうなったんだ?」

「へ……?」


 予想だにしていなかった問いかけに優の口から素っ頓狂な声が漏れる。

 するとその反応が頭に来たのか、周りの男子生徒が唾を飛ばす勢いで荒々しい声を上げた。


「しらばっくれるんじゃねー! お前、生徒会に入ったんだろ⁉ 会長に告白するって言ったじゃねぇか!」

「い、いやいや! 確かに会長に告白するとは言ったけど、まだそんな関係も築けてないのに言えるわけないだろ⁉」

「でも放課後呼び出されてたってことは、少なくとも会長とお近づきになったんだろ⁉」

「そ、それは……」


 真っ先に否定していれば疑いの目も晴れて、優の立場も少しかマシなものになったかもしれない。

 でもここで度々言及されてきた優の真っ直ぐな性格が災いし、嘘を吐くことが出来ずに口ごもってしまった。


「……優。正直に吐けば、少しか楽になると思うぞ」

「お前はどういうポジションなんだよ⁉」


 腕を組みながらやけに哀愁を漂わせる弘毅に、優は思わず鋭いツッコミを入れてしまう。


(クソ……弘毅、お前だけは俺の味方でいてくれると思ったのに……)


 入学式で知り合い、青鸞学園に来て初めて友達と呼べる存在になったはずだった弘毅。

 しかし昨日のいろいろなことを優しく教えてくれた友達の面影はもうなく、今はただ優を取り調べるベテランの警察官と成り果ててしまった。


 かくなる上は、もう昨日あった出来事を正直に話すしかない。


 幸いにも和紗のお腹の件を隠せば特にいかがわしいことは何もなかったはずだし、話すなと言われているのもその件だから隠すことに抵抗感はなかった。

 後は言及されそうな部分を避けて説明すれば、彼らも理解してくれるだろう。


 大きくため息を吐いて諦めの意志を見せた優は、両手を上にあげて話し始める。


「別にお前らが思ってるようなことは何もない。ただ生徒会加入についての書類を作って、そのあとは業務が立て込んでるからって生徒会の仕事を手伝っただけだ」

「そのあとは?」

「そのあとは解散になったよ。ほら、何もないだろ?」


 自分を取り囲む輩から視線を外し、優はそっぽを向く。

 和紗との間に起きた出来事を全て省いて説明したおかげか、それまで優を責め立てるような視線で見ていた男子生徒は徐々に困惑を見せ始めた。


「お、おい弘毅。これは……シロか?」

「いや、ちょっと待て。まだ確証が……」


 眼前に群がる輩が、段々と敵意を示さなくなってきている。

 このまま時間が立てば優に興味を示すことすらなくなるだろう。

 それを悟った優はようやく警戒態勢を解き、両手を下ろして大きく息をついた。


 ……その時だった。

 突如として廊下から一人の男子生徒が飛んでくる。

 ドア枠についた手を支えに教室前に立ち止まると、彼はこちら大勢に向かって言葉を放った。


「おい、もう一人の生徒会から言質取れたぞ! 佐伯優は会長に書類づくりを手伝ってもらった後、解散した後に二人きりで居残ってたって!」

「弘毅、これって……」

「あぁ……優の負けだ」

「そうまぁぁぁあ⁉」


 優は頭を掻きむしりながらたった今自分を裏切ったの名前を叫ぶ。


(というか、どうして蒼真が会長と居残ってたこと知ってるんだ⁉ あの時先輩たちと一緒に帰ったんじゃなかったのか⁉)


 一つの疑問が頭の中で浮かび上がるが、今はそれに気を取られている場合ではない。

 ふと我に返って眼前に意識を向けてみれば、そこでは優を取り囲んでいた男子生徒が恨めしそうな視線で睨み、今にも襲いかかってきそうだった。

 和紗を狙っている輩のはずなのに、その前に自分が食い散らかされるかもしれないという恐怖すら覚えて、優は「ひぃ……!」とか細く悲鳴を上げる。


 その目はまるで獲物を狙っている野獣の目。

 色々な意味で野獣の目をしていた。


「ま、待て。俺は至ってノーマルだ」

「そんなつまらねぇこと言ってんじゃねぇっ!」


 場を和ませようとした渾身のギャグが失敗に終わり、目の前の男子生徒が一斉に襲い掛かってくる。


「うわぁぁぁあっ⁉」


 運よく彼らを搔い潜った優は、塞がれていない教室の前の方から脱出を図った。

 しかし教室を出たところで弘毅に後ろからタックルされるような形で押し倒され、そのまま両腕を背に拘束されてしまう。


「さぁ、どうやって料理してやろうか……」

「ま、待て、話せば分か――」


 優が必死に弁明の言葉を絞り出そうとしたその時、前方から「やめなさいっ!」と聞いたことのあるような甲高い声が響き渡った。

 優はその声にわずかな戦慄を覚え、そうであってほしくないと願いながら声の元を辿る。


 ……しかし優の願いも虚しく、そこに立っていたのは生徒会副会長の二ノ宮池鶴だった。


「アンタたち、そこで何を――」


 池鶴は男子生徒の群れに近づくと、その下で押さえつけられている優を発見して言葉を失う。

 その目は段々と光を失っていき、あっという間にゴミを見るような目へと変貌してしまった。


「佐伯……そこで何をしているの?」

「あぁ、いや、えっと、これは……」

「貴方、自分が生徒会の一員だっていう自覚はないわけ……?」


 丁寧な言葉遣いがより一層恐怖を掻き立てる。

 優のみならず、そこにいた誰もが池鶴のおぞましいオーラに怖気と震えを抑えずにはいられなかった。


「ゆ、許してくださいっ! もうこんなことはしません!」

「本当に……?」

「ほほ、本当です! こいつらにも、よく言って聞かせますので!」


 まるで組長の横暴に怯える若頭のような小物に成り下がる優。

 池鶴はをじっと睨み続けていたが、やがて大きくため息をつくと目に再び光を宿した。


 その瞬間、先ほどまでのおぞましいオーラが消える。


「……もう次はないから」

「あ、ありがとうございますぅ!」

「佐伯の周りにいるアンタたちもよ。青鸞生としての自覚を持って、これ以上ふざけるような真似はやめなさい」

「す、すみませんでしたぁ!」

「もうしません!」

「池鶴様バンザーイ!」


 自分のことを言及され顔を青ざめた男子生徒たちは、口々に謝罪の言葉を絞り出した。

 謝罪じゃない声が聞こえるのは、池鶴のあまりの怖さに錯乱している奴がいるからだろう。

 池鶴は全員がしっかりと反省したことだけを確認すると、踵を返してもと来た道を戻ろうとする。

 しかし何かを思い出したかのように「あっ、忘れるところだった」と声を上げると、振り返って優に視線を向けた。


「佐伯、今日の放課後も居残るわよね?」

「は、はい。元々そのつもりでしたけど……」

「今日は生徒会室じゃなくて体育館に集合だから」

「えっ、どうしてですか?」

「もうすぐホームルームが始まるから、私もすぐに戻らないといけないの。詳しいことは会長がグループLINEにあげているはずだから、後で確認しておきなさい」

「わ、分かりました」


 それだけ言うと、池鶴は歩いてその場を去っていった。

 脅威が過ぎ去ったことにホッと息をついた優は、未だに自分を押さえつけている弘毅やその他男子生徒に向けて言葉を漏らす。


「あんなに怖い人がそばにいるのに、それでも会長とお近づきになりたいとか思えるか?」

「「「お、思えねぇ……」」」

「だったら、もうこれ以上俺を責めるのはやめてくれ。俺だってあの人の脅威に晒されながら生徒会やってるんだ」


 優の訴えに、弘毅を含めた男子生徒たちはぐったりとした様子で優のそばから離れていく。

 中には「すまんかった」と優に謝る人まで出てきた。

 優はそれらに対応しながら何とかこの場を切り抜けられてよかったと思うと同時に、男子たちに責められたこと、そして池鶴に叱られたことに釈然とせずため息をつくのだった。

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