第6話 あの子に似てる
「……まだ怒ってますか?」
「怒ってる」
「あはは、すみません」
帰り際、優が申し訳なさそうに問いかけてくると、和紗はそれに唇を尖らせながら返す。
あくまで不機嫌な素振りを見せる和紗だったが、実はもう既に怒ってなどいなかった。
ただそれをあらわにすると優はまた調子に乗ると思ったから、あえて不機嫌な振りをしているのだ。
それと同時に、その素振りは優への警戒も意味していた。
(今までは人前であんな姿を見せたことなかったのに、どうして佐伯くんの前では見せちゃったんだろう……あんなこと言われちゃったから、気が緩んじゃったのかな)
脳裏によぎるのは、先ほど優が発した言葉。
『でも、会長を一人にはできませんよ』
そしてそれにもう一つ、あの時の言葉が重なる。
“かずさちゃんをひとりにするわけにはいかないから”
(……似てるんだよなぁ)
例えば、真っ直ぐなところ。
例えば、他人を見捨てられないところ。
それは和紗が幼少期に出会って、唯一心を許したあの子にそっくりだった。
「……会長?」
「な、何?」
その声に思考の渦から引っ張り出された和紗は、自分の顔を覗き込んきている優の姿に驚いて目を瞬かせる。
「いや、何か考え込んでる様子だったからどうしたのかなって」
「なんでもないよ」
「そうですか?」
「うん」
この場合あの子は“なんでもなくないよね?”と強引に話を聞き出そうとしてきたが、優はそういうわけでもないようだ。
出会って間もないからということもあるだろうが、とりあえずそこだけはあの子と違ってくれてよかった、と内心でホッとする。
そこで和紗はあることを思いだした。
「あっ、ねぇ佐伯くん。連絡先交換しない?」
「れ、連絡先ですか?」
「うん。生徒会のグループチャットを作ろうと思って。ほら、友達登録しておかないとグループに招待できないでしょ?」
「あっ、そういうことですか……」
メッセージアプリを開きながら話していると、突然優がガックシと肩を落とす。
「ど、どうしたの?」
「いや、なんでもないです……」
落ち込む優を怪訝に思いつつも特に気にすることはなく、和紗は自分のアカウントのQRコードを画面に表示させて優に見せた。
「ほら、これ読み取って」
「あ、はい。ありがとうございます」
優は制服のズボンからスマホを取り出すと、和紗のそれを読み取るや否や顔に笑みを浮かべた。
それはどこかお菓子を貰って泣き止んだ子供のようで、和紗もつられて笑顔になる。
(表情がコロコロ変わるの可愛い……って、ダメダメ気を抜いたら)
あの子にそっくりだからか、少しでも気を抜けば優に心を許してしまいそうになる。
しかしそれだけは駄目だ。
自分はずっと一人でいなくてはいけない。
過去のある出来事をきっかけに、和紗はそう自分に枷をつけていた。
(でも……)
もう一度優を見る。
優は和紗と友達登録をしたLINEの画面を嬉しそうに眺めていた。
「やっぱり、似てるんだよなぁ……」
ふと、頬が緩む。
さっきまであれだけ優を警戒していたのに、あの子との共通点を見つけた途端にガードが緩くなってしまう和紗だった。
◇
「――ただいま」
自宅に帰ってきた優は、そう言いながら靴を脱いで廊下に上がる。
するとリビングの方から一人の少女が顔を出し、優に向かってぱあっと表情を明るくさせながらとてとてと廊下を走ってきた。
「おかえり、お兄ちゃんっ!」
そう言って優に抱き着く少女の名前は、佐伯
優の妹で、今年八歳になったばかりだった。
優は抱き着いてきた菜々香をしっかりと受け止めつつ、苦笑を浮かべる。
「ただいま、遅くなってごめんね」
「どうしておそくなったの?」
「少しやることがあって。ちゃんといい子でお留守番できた?」
「うん! なのか、いいこでおるすばんできたよ!」
「おっ、えらいなぁ」
「でしょ~」
ニンマリといった様子のドヤ顔を見せる菜乃果の頭を撫でる。
優と菜乃果は訳あって二人で暮らしていた。
と言っても親がいないわけではなく、父親も母親もちゃんと生きている。
二人暮しには余るくらい大きなマンションの一室に住んでいられるのは、稼ぎのいい親のおかげだった。
しかし、一緒に暮らしているわけではない。
なので優が家を空けている時、菜乃果は一人でいることになる。
事前に説明していたとはいえ、流石にまだ幼い妹を家に一人残すのは心細かった。
だから無事を確認できてよかったと、優は心の中でそっと胸を撫でおろす。
「でも、おるすばんは今日だけなんだよね?」
「うん、明日から『なかよし』に行くからね。学校終わったら兄ちゃんが迎えに行くから、それまでそこでお友達と一緒に遊んでて」
「うん、わかった!」
「なかよし」というのは、菜乃果が通う小学校に併設されている学童保育だ。
そこでは保護者が日中家にいない間、子供を預かってくれる。
もし優が部活などに加入したら長時間菜乃果を家に放っておくことになってしまうので、あらかじめ親と相談して菜乃果を預かってもらえるよう手配しておいたのだ。
(でもまさか部活じゃなくて生徒会に入るとは思わなかったけど)
和紗に誘われたときのことを思い返して苦笑しながら、優は菜乃果を抱き上げてリビングに向かう。
「お腹すいただろ。今日は頑張ってお留守番してくれたご褒美に、兄ちゃんが菜乃果の好きなものをなんでも作ってやるぞ」
「ほんと⁉ じゃあなのか、ハンバーグが食べたい!」
「ハンバーグか……」
優は以前菜乃果と買い物に行った際、そこで値引きされていた牛ひき肉を買っていたのを思い出す。
(もしかして、菜乃果はあの時のことを覚えてて……)
菜乃果は小学二年生ながら、物事をよく観察して他人に気を遣う癖がある。
自分に近しい間柄の人間に対しては尚更だ。
今回も家に牛ひき肉があるのを知っていたから、菜乃果は気を遣ってハンバーグを選んだのかもしれない。
そう危惧した優は、改めて菜乃果に聞き返した。
「本当にハンバーグでいいの? 他のやつも作ろうと思えば作れるけど……」
「ううん。なのか、ハンバーグでいい!」
菜乃果の言葉遣いが少し気にかかるが、そう念を押されてしまっては優も頷くことしか出来なかった。
「分かった。じゃあ今からハンバーグ作るから、その間いい子にして待ってて」
「やったぁ! ありがと、お兄ちゃん!」
しかし菜乃果の心から嬉しそうな様子を見ると、その心配も杞憂だったのかもしれないと思えてくる。
優は満面の笑みを浮かべる菜乃果につられて、思わず笑み崩れてしまうのだった。
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