第5話 優だけが知る和紗
「――やっと終わったぁーっ!」
任されていた業務を一通り終え、優は丸めていた背中を大きく仰け反らす。
時刻は午後五時半。
外はすっかり暗くなっており、唯一生徒会室の明かりだけが校舎から漏れ出ていた。
優の業務から解放された姿に、和紗が薄っすらと笑みを浮かべる。
「お疲れ様。佐伯くんたちのおかげで、溜まってた業務をだいぶ消化することができたよ」
「どれくらい消化できたんですか?」
優たちは昼休憩も入れて六時間ほど通しで作業をしていた。
これだけみっちり働いたのだから、少なく見積もっても五割は消化できただろう。
ワクワクしながら和紗の返答を待つ優だったが、彼女から返ってきたのはぎこちない笑みだった。
「えっと、それは……」
「……多く見積もったとしても、大体三割くらいだろうね」
言い辛そうにしていた和紗に代わって、香菜が渋々と言った様子で口を開く。
「…………」
自分が想像していた理想とは程遠い現実に、優の思考はシャットアウトする。
……そのまま一切動かなくなってしまった。
「だから言いたくなかったんだけど……」
「まぁでも、君たちのおかげで業務を消化しきる目途がついたし」
「まだ七割も残ってるのにですか⁉」
「……やっぱり慰めにしてはいささか厳しかったか」
図星を突かれて表情を硬くする香菜に、優は力なくテーブルに手をつく。
あれだけ頑張ったのにも関わらず、進捗は全体の約三割。
このまま頑張り続けたとしても、いつ終わるか分からない。
決して優しくない現実が優の背中に重くのしかかる。
その様子を目の当たりにした和紗は苦笑を浮かべた後、席から立ち上がって生徒会メンバー全員に視線を移しながら言った。
「とりあえず今日はもう遅いから、みんな帰ってゆっくり休んで。登校初日なのに、ここまで頑張ってくれてありがとう」
和紗の声掛けにより、今日は一旦お開きとなった。
「……本当に終わるんですか?」
「終わらせるのよ。そのために生徒会に入ったんでしょ」
「それはそうですけど……」
「人数が増えたとはいえ、まだまだ前途多難だね」
「は、はい。そうですね……」
雑談を繰り広げながら、各々が帰り支度をする。
優も例に漏れず筆記用具を鞄にしまっていたが、ふと視線を上げると席に座った和紗が机の上の書類とにらめっこをしている様子が目に入った。
(あれ、会長どうして……)
明らかに帰宅する流れだったのに、何故か和紗だけ未だに作業し続けている。
「んじゃ、お先に失礼するよ~」
「私も、失礼します」
「ぼ、僕も……」
困惑していると、香菜、池鶴、蒼真の三人は気にする素振りも見せずに帰ってしまった。
そうして残されたのは、優と和紗の二人だけ。
誰も和紗が作業し続けていることが気にならないのだろうか。
それとも、もうこの状況は日常茶飯事だから気にしても無駄だと思っているのか。
考えを上手くまとめきれなかった優は、とりあえず和紗に問いかけることにした。
「会長はまだ帰らないんですか?」
「もうちょっとしたら私も帰るよ。だから気にしないで」
こちらに目もくれず黙々と作業している和紗を見ながら、その言葉に優はどこか寂しい気持ちになる。
その中で、今まで感じていた違和感が解けたような気もした。
それを明らかにするべく、今日を振り返ってみる。
今日一日接してみて、優はなんとなく和紗の人となりが分かったような気がしていた。
真面目で、誠実で、思いやりがあって、まさに学園の先頭に立つにふさわしい人。
誰にでも分け隔てなく笑顔を振りまく人当たりの良さは、学園の顔としてもふさわしい。
それが優から見た、雨野和紗という人間の全てだ。
特に、優を生徒会に誘う時に和紗が言いかけた「勿論、無理にとは言わないよ。生徒会の仕事は激務だから、嫌なら断ってくれて――」という言葉。
元は三人という少ない人数で生徒会を運営していた既存メンバーにとって、優は喉から手が出るほどに欲しい人材だったはずだ。
にも拘わらず和紗は早々と逃げ道を提示して、優に生徒会に入ることを強制しなかった。
和紗の人柄を象徴する言葉と言っても過言ではない。
まさに
しかし裏を返せば、それは他人に自分の弱さを見せていないということ。
だからこそ、他者と一線を引いたようなどこかよそよそしい雰囲気が目立つ。
生徒会会長として最小限に人と接しようとしている様子が気にかかる。
口調や素振りからは気づきにくい、消極的に人と関わろうとしている姿が目に付く。
もちろん、優にとって和紗が好きな人だからということもあるだろう。
しかしその気持ちを抜きにしても、優には和紗を放っておくことができなかった。
放っておいたら、ずっと独りのような気がしたから。
会長席に近づいて、机の上に置いてあった書類を半ば強引に手に取る。
「手伝いますよ」
「えっ?」
唐突な出来事に和紗が目を丸くするも、すぐにその顔は笑みで覆われた。
人前で度々見せた、薄っすらとした笑みだ。
「いいよ、佐伯くんだって疲れてるでしょ? 残るのはいつものことだし、私のことは気にしなくていいから帰っていいよ」
「でも、会長を一人にはできませんよ」
優にとっては、何気なく放ったその一言。
しかし和紗にとっては思うところがあるらしく、優の言葉に目を見開くとそのまま言葉を失ってしまった。
「……会長?」
その様子を怪訝に思った優が思わず和紗のことを呼ぶ。
和紗は優の声にハッとすると、まるでホッとしたかのような素振りで苦笑を浮かべた。
「そうだよね、君はそういう人だもんね」
「えっ?」
昔を懐かしむような遠い目で意味深なことを言う和紗に、優は素っ頓狂な声をあげて戸惑うことしか出来ない。
しかし和紗はまたも「なんでもない」と首を振るだけだった。
「じゃあ、少しだけ頼まれてくれるかな? これと、これをお願いしたいんだけど」
優にはまだ、和紗の意味深な発言たちが何を示しているのかは分からない。
追求したい気持ちも勿論あったが、とりあえず今は和紗が笑っているだけで十分だった。
「……はい、任せてください!」
「ありがとう」
和紗から書類を受け取り、優は意気揚々とソファに座って作業を始めようとする。
その瞬間、お腹の虫がなるような音が生徒会室に響き渡った。
(……ん?)
優はその音に違和感を覚える。
明らかに自分から鳴った音ではなかったからだ。
だとすれば、他にその音を鳴らせる人は一人しかいないわけで……。
「……会長?」
見れば、和紗が顔を真っ赤にしながら固まっていた。
「い、いや、これは、その、違くて……」
たどたどしく言葉を紡ぐことしか出来ない和紗。
しかし優はようやく和紗の欠点を見られたことが嬉しくて、思わず大声を上げて笑ってしまった。
「あっははは!」
「わ、笑ったぁ! 佐伯くんが私のことバカにしたぁ!」
「バカに、してるつもりは、あはははっ」
「バカにしてるじゃん! もう、笑わないで!」
珍しく取り乱す和紗。
席を立ち上がって怒るその姿は今までの取り繕った姿ではなく、紛れもないありのまま。
本当の雨野和紗だった。
(……嬉しい)
偶然とはいえ和紗のありのままを見られたことが、優は言いようもないほど嬉しかった。
「すみません。早くやること終わらせて、ご飯食べましょう」
「か、からかわないで!」
机を両手でバンッと叩きながら、恨めし気に優を見つめる和紗。
頭を掻きながら、だらしなく笑み崩れる優。
静まり返った校舎の中で、生徒会室から二人の楽しげな声が響くのだった。
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