第3話 孤立波

 五月か六月、まだ梅雨入り前の晩春の頃であったと思う。その頃、週末の深夜にアニメ番組が3本まとめて放映されていた。それを見てから釣り場に出かけ、朝マズメ(日の出前後の時間帯)まで釣るのが僕の習慣となっていた。その日もアニメを見終わってから、いつもの臨海公園に出かけた。


 釣り場に着いたのは2時半ごろであったろうか、曇天で星は見えず、無風で、空気は妙に生暖かく湿っているように感じられた。その場所には、いつもなら深夜でも2~3人の釣り人がいるのだが、その時は先に釣っている人はいなかった。先行者がいない時は場所を選び放題なので、ラッキーと思いながら道具をセッティングして釣り場に向かった。だけど釣り場に着いてみると、潮が全く動いていない。会社勤めの僕は釣りに出かける日時を自由に選ぶことはできないので、あまり潮回りを気にせずに釣っているのだが、その日はどうやら小潮かつ潮止まりの時間帯であったようだ。


 とりあえずルアーを投げ始めたのだが、どうにも魚の気配がない。明かりの下に小魚もいないし、ボラのジャンプも全くない。ルアーを変え、場所も移動して、探っていくのだが、アタリもチェイスも全くない。これは今日も丸坊主かなと思いながら釣っているうちに、いつの間にか妙な事に臨海公園周辺の波が静まってきた。対岸の明かりが揺らがず真っすぐ映る程に海面が平らになっている。ルアーを投げると着水地点から同心円状に波が広がってゆくのがはっきりと見える。海なのにこんな事もあるのかと驚いた。ひょっとすると僕は異世界に迷い込んだのかも知れないなどと、あらぬ考えも浮かんできた。


 その時、不意に遠くの方からザーという音が近づいてきた。そちらを見ると埋立地の西側に開けた港湾部の方から、波が一つだけ、こちらに向かって進んでくるのが見えた。高さはせいぜい50センチほどで大波と言うほどではないのだが、港いっぱいに広がって、平坦に凪いだ海の上でくっきりと目立っている。波はどんどん近づいてきて、僕が釣っていた水路にも入ってきた。水路で幅が狭まったのでやや高さは増したようだが、それでも風の強い日に出る大波のような激しさはなく、滑らかに高まって静かに引いてゆくのだ。波はやがて僕の目の前を通過して、東の方に去っていった。その波が通り過ぎる時、僕は、なにか大きな存在が目の前を通っていったかのような荘厳な気持ちがした。


 その波が去った後、海面にはいつものように細かい波が立ち始めて見慣れた状態となり、潮もゆるく流れ始めた。と、そこで少し変わったものを発見した。何かの魚が横たわって浮いているのだ。クロダイやグレように体高のある魚で全長は50センチくらいか。かなり大きい。胸ビレが動いているように見えるので、死体ではなさそうだ。ゆるい流れに乗ってこちらに近づいて来ている。割と岸壁の近くなので、僕の持っている5メートル50センチのタモ網を伸ばせばすくえるかも知れない。掬って魚の種類を確かめよう。そう思ってタモ網を伸ばして、そっと魚の近くに投入する。届かない。僕はタモの一番端っこを持って、柵から身を乗りだして腕を伸ばした。もうちょっと、というところで網のフレームが魚に当たってしまった。魚は素早く身を起こすと、そそくさと海の中に消えていった。あたかも水面で気持ちよく眠っていたのを起こされたかのように見えた。結局、魚を掬うことはできず、魚の種類を確かめる事はできなかった。


 あの一つだけ通り過ぎていった波と、浮いていた魚に関係があったのかどうかはわからない。その後も、この釣り場で、何度も釣りをしているのだけど、孤立した波にも、横たわって浮いている魚にも、再会したことはない。

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釣り場で出会った奇妙な出来事 堂円高宣 @124737taka

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