第8話 【ルーク】世界の裏側


――――ミシェル・アンバー。

平民上がりの男爵令嬢が変わったのは、多分あの瞬間からだ。


平民上がりの男爵令嬢ミシェル・アンバーは貴族の礼儀のいろはも知らず、ホワイトベル公爵令嬢コーデリアを苦しめ、王太子や高位貴族令息たちを誘惑し、必ずやアクアマリン王国の脅威となろう。

それをホワイトベル公爵が熱弁したと言う。


「そんなこと、あり得るのか。ミシェル・アンバーは確かに平民上がりだが、あくまでも男爵家に属するだけの令嬢だ。コネもなく、そして力もない、ただの少女だろう」


「分からん」

目の前の男が溜め息を吐く。


「長年信頼してきた盟友だからこそ、思うのだ。近頃のホワイトベル公爵は、目に見えておかしな言動が増えてきた」

「……と、言うと?」

「娘のコーデリアを守るための手段を選ばない」


「アンタが危惧するのなら、多分ただの娘思いの父親と言うわけでもないのだろう」

「……それだけならどれだけ良かったか……だがそれも違う。何かの強迫観念にかられているように見える。そしてコーデリアのことを予言者だと信じている」

「予言者……だと?」


「去年の夏の災害を覚えているだろう?」

「あぁ……陛下が入念に堤防を造らせたアレか」


「あれはホワイトベル公爵の進言で、堤防工事が行われることになったのだ。陛下も水害対策に越したことはないし、公共事業として雇用を促進する面でもいいと判断して飲んだ」

「そのお陰で大規模な被害は免れたとして、陛下の株が上がったな」

「そうだな……だが、その災害を予期したのがコーデリア嬢だったとしたら、どうだ」


「……それならば、同じ年の冬の災害も予期できたはずでは?」

「それはな……どうしてか『知らなかった』らしい」

どこか気になる言い方だな。


「予期できることと、できないことがあるらしい。その中でもミシェル・アンバーの件は、ひとつひとつコーデリア嬢に降りかかる災難や、その解決方法すら事細かに予言したそうだ」

ひとつひとつ……?


「まるでミシェル・アンバーがコーデリアの思うがままに動くかのような言い草だな」

「そうだ」


「さらには男爵令嬢とは……」

「そうだな……男爵令嬢は違うだろう?だが、ホワイトベル公爵家の周りでは、彼女は男爵令嬢なのだ。奇妙だろう?」


「確かに……」

「そして……彼女が男爵令嬢である前提物語が綴られる。その物語は、コーデリア嬢が学園で実際に巻き込まれ、必ず起こること……らしい。だが……」


「だが……?」

「コーデリア嬢は大事を取って、屋敷で休養させると申し出があった」

「貴族の子女は必ず通うのではなかったのか」


「稀有な予知の才を、ミシェル・アンバーから守るためだと、ホワイトベル公爵が特例として押しきったのだ」

「妙だな……だが、アンタは何故それを許容した」


「おかしいと思ったからさ。最近は息子や娘たちの様子も変だ。まるでコーデリアに狂っているかのように……」

「だからこそアンタは……」


「そうだ。本当に国の危機になるのだとしたら、その調査を頼みたい」

「……俺は昼寝だけして過ごしたいんだがな」

「調査に差し支えがないのなら、好きなだけして構わんよ」

「なら飲んだ」

そうしてこの任務を受けたと言うのに。

ミシェル・アンバーは、王女と言う大きな権力の前に怯え、泣き、毎朝毎夕登下校の際に、王女の命令で同じ学生たちから言われのない罪で暴行を受けていた。


その上寮では飯もまともに食べさせてもらえず、新しい服を買う金もなく、平民の質素な服を着回していたのだ。

彼女を引き取ったと言う男爵家は、彼女を学園に押し込んだだけで、あとは何も援助もしない。いや……できるはずもないか。

全てはコーデリアに狂ったホワイトベル公爵の企み通りか。


「任務だ」

部下たちの中から女学生でもおかしくない見た目のものたちを選ぶ。


「今日からの身分だ」

上司のコネで用意させた身分証を手渡せば、部下たちがこくんと頷く。


「重要な承認になる可能性もある。決して王女陣営に悟られず、そして死なせるな」

『は……っ!』

敬礼しま彼女たちは、早速下位貴族令嬢に偽装し、潜入していく。これで飯くらいは彼女たちが横流ししてくれるか。


それにしても国の脅威ねぇ……?王女の凶行に脅えて泣く、あの少女が……?あり得ない。むしろ脅威になり得るのは……ジョゼフィーナの方である。


あれが王女の立ち振舞いかねぇ……。間違いなくあれは、王女の器ではない。

そして国王陛下の安寧の治世の汚点となろう。そんなものを、これからも野放しに……?冗談ではない。


そして潜入させた彼女たちの活躍もあり、ミシェル・アンバーは食事くらいは口にできるようになったのだが……。


「あの……バカ……っ!」

ひとりふらふらと、人気のない場所に歩いていくミシェルを不審に思い、ついていけば。立ち入りの禁止されているエリアに訳入り、水底の深い池の中へと身を投げたのだ。


慌ててミシェルを引き上げ、安全な芝生の上に寝転がせる。

どうやらそんなに水は飲んでいないようだ。


泣き腫らした瞼は、水に濡れていても顕著で痛々しい。ジョゼフィーナもホワイトベル公爵も、過剰にこの少女を苛んで何がしたいのか。


彼女たちの行動はやけに奇妙だ。少女が目を覚ますであろう頃合いを見て、再び影に身を潜める。

そして再び目を覚ました彼女は、まるで人形のような生気のない目から、意思を込めた目を開いた。


「……ぃ、ちゃん」

一瞬……呼ばれた気がした。いや……そんなわけはない。


彼女はもう、ミシェルなのだ。

でももう、決して死なせはしない。やっと出会えたのだ。彼女を見付けられたのだ。


「大丈夫だ。何があっても俺が守ってやるから。だから、外に出ることを恐れるなよ」


そう声を掛ければ、朧気な意識の中で、ミシェルがホッと安堵したような気がした。


※※※


そして翌朝。いつもの異様な儀式の最中、ジョゼフィーナの頬を堂々とぶった彼女は……そうか。


「……あぁ言う目は、嫌いじゃない」

芯の通ったその目は、わりと好みだ。だからこそ、彼女が騎士を探しに来た時、彼女の思いを聞いて、それを引き受けた。彼女が逃げたいと言うのなら、手を貸してやらんこともなかったが、彼女は戦うことを選んだから。


――――そして俺はやっと……彼女を見付けたのだ。

だからもう二度と、喪うものか。


※※※


「俺も、おちおち昼寝してるわけにもいかないか」

彼女のあの目を思い出しながら、閑鉄格子を眺めていれば、やがてひとりの人影が姿を現す。


「出なさい、ルーク」

「もう少し昼寝してちゃダメ?」

そうおどけてみれば、薄暗がりの中から苦笑が漏れる。


「寝心地は?」

「いいわけないだろ」

「なら、彼女の元に帰るべきだ」

「……わぁったよ」

むくりとら身を起こし、開け放たれた牢から身を出せば、上司とは別に、同僚が姿を現した。


「面白いものが見られる。来るか」

俺たちは王族にも付くことがある。彼は……そのひとりか。

不意に上司を見やれば。


「行ってきなさい」

そう声をかけられ、頷く。さて……今度はどんな厄介事か。


そうして呼ばれて行ってみれば、そこにはジョゼフィーナと王太子がいたのだ。


「何なのよ!本当に……!ミシェル・アンバー何だかについたあの騎士を買収するのを失敗しなければ……今頃……!」

ジョゼフィーナが癇癪を起こしながら王太子を激しく叩く。

本当に……あんな堂々と金と権力を使ってくるとは思わなかった。だからこそ到着が遅れたのは腹立たしい。

しかしそこには確かに騎士がいたようで、俺がいない間、繋いでくれた。

もしも誰も名乗り出なかったとしたら、部下や同僚たちが出る騒ぎになっていただろう。

まだこの国の騎士も腐っていない。あの近衛騎士団長の騎士の志を継ぐものはいるのだから、安心できる。


「お兄さま!あのムカつく騎士をどうにかできないの!?」

「それが……その、近衛騎士は使えない。近衛騎士団長が激怒していて……総入れ換えになってしまった。彼らは父上の指示にしか従わない。私の言うことは聞かない」

当たり前だ。王太子と王女の凶行に荷担し、本物の騎士と、騎士の主たる資格を持つ彼女を牢屋にぶちこんだ。

……陛下は……多分俺を牢に入れたことを怒っているだろうがな。いずれにせよ、騎士でありながら、本物の騎士を貶める行為に走ったものを、あの近衛騎士団長が許すものか。

そして王女に荷担し、凶行の一翼を担ったエルド・ガイアは騎士の世界を永久追放された。利き手を潰された上での、国外追放だ。


「では影は……っ!アイツらを使えばいいでしょう!?暗殺だの諜報だの、専門なはずよ!」

「……誰も答えない」

答えるはずがない。

影は王に従うもの。そして王たる資格を持つものに従う。お前たちの声に答えないということは、そう言うことだ。


「どこまでも愚かだ」

「だからこそ、人間と言うのは愉快な代物だ」

闇の中から同僚がクツクツと嗤うのを聴きながら溜め息をつき、俺はその場を後にした。

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