第5話 破滅系ヒロインの昼寝騎士


静かな怒りを目に写したエルドが剣を抜く。鋭く光る白い刃に、頭の中で底知れぬ警鐘が鳴る。あの刃に切り刻まれ、貫かれる痛みはどれだけだろう。私はどうしてかそれを、知っている気がした。


「さぁ、かかって来なさいよ!こんのクズ騎士がっ!」

大腕を広げ、騎士に向かい合う。恐怖で脚がすくんでも、震えても、恐くても、諦めちゃいけないものがあると、知ったから。


「こんの……っ、生意気な小娘がっ!」

あの時死んでおけばと後悔するだけだろうか。でも……何もせずに死ぬのなら、あの時助けられた命で、必死に抵抗するわよ!私は……卑怯なあなたたちには負けたくない!

騎士が咆哮を上げて迫る。脚が震える。涙が出そうで、瞼を閉じそうなほどに恐い……!けど……目を閉じたらダメだ。この膝を折ったらダメだ。

迫り来る凶刃が迫る……。


――――その時。


誰かの背中が私の目の前を遮る。

彼の背中ではない、別の……。


「やっぱりこんなの、間違っている……つま!」

「団長の息子か!お前は何をしているのか分かっているのか!」

エルドが叫ぶ。そう、この後ろ姿、赤髪……グレン・カーマインだ……!

エルドの上司である近衛騎士団長の息子のグレンが……何故。

そして強烈に脳内でフラッシュバックする光景は……原作で知った知識ではない。

むしろもつと昔の……私が、外に踏み出せなくなった……トラウマを思い起こさせる。けれどその全容は、水底に深く深くしまわれていて、掻き分けることができない。

だけど……。


「重々承知の上です!あなたは確かに素晴らしい功績を打ち立てた国の誇りだ!だが……武器も持たない女の子に斬りかかるなど、騎士としての矜持を瀆す行為だ!」

グレンのまっすぐな正義が、誠実な勇気が、私を前に進ませてくれる。グレンの後ろで、脅えてばかりいれば、私はまた……大切なものを喪ってしまうような気がしたから。


「その女が何をしたのか、分かっているのか!」

エルドが叫ぶ。


「彼女は何もしていない!」

この世界にもまだ、私の無実を信じてくれるひともいるのか。そうだ……私は、何もしていない。

ジョゼフィーナに虐められて泣き叫ぶしかなかった平民出のミシェルだ。

だけど……。


「どの口がそんなことを!ぼくはジョゼフィーナ王女殿下やコーデリア嬢からも聞いてるんだぞ!」

一体何を聞いたと言うのか。そもそも会ったこともないコーデリアから何が聞けるわけ……?

そしてその2人が話したミシェル・アンバーは本当に私かしら。

この世界で生まれ、生きる本物のミシェル・アンバーなの……?


「それは俺も聞きましたよ。けれど……今あなたに身ひとつで向かい合う彼女を見てそれが本当に真実なのか……俺には分からない。でも唯一はっきりしているのは……あなたが騎士として、武器も持たない少女に斬りかかる行為が、騎士として、ひととして、間違っていると言うことだ」

「生意気な!近衛騎士団長には恩がある!だが……だからこそ、そのご子息が非行を働こうとしているのなら、それを叱咤するのも我が務めである……!」

エルドが再びこちらに向かって来る。


「下がっていてください!」

グレンはそう叫ぶと、地面を蹴り、エルドの重たい剣を受け止めるが……。

「……っ」

グレンは苦しそうだ。グレンも鍛えているだろうが、体格も実力も違いすぎる……!学生騎士がかなう相手じゃないのだ。

そして幾度となく激しい剣戟がグレンを襲う……!


「うぐぁ……っ!!」

そして斧を振るうようにエルドにぶっ飛ばされたグレンが演習場の床の上に叩き付けられる。


「トドメだ!」

エルドがグレンに迫る。考える先に、震えていたはずの脚が颯爽と動いていた。


「やめなさい!」

咄嗟にグレンを庇うように前に出、腕を広げる。

私のために勇気を見せてくれたあなたを、ひとりでは戦わせないわ……!


「やめろ!逃げろ!」

グレンが叫ぶ。

ダメよ……ここで諦めたら……逃げたら……。私は絶対に後悔する……!


「それでも……騎士として、ひととして、正しいことをしたあなたを、このまま死なせるなんてできない……!」

「ミシェル・アンバー……」


「ならば小娘ごとたたっ斬ってくれよう!」

グレンの正しい騎士道を前にしてもそんなことが言えるだなんて、ほんとアンタは……最低なクズ騎士よ。


――――死を覚悟した。だけど、この場で唯一の、正しい騎士だけは、救わなければならないのだ。


だがその時、必死に立ち上がったグレンの腕が私を下がらせる。


「ダメよ……!」

このままじゃ、グレンが……。


しかしその時、私たちの目の前で、エルドの身体が剣ごと真横に吹っ飛んだのだ……!

一体何がと固まる私たちだが、その目の前に現れた背中に、ホッと息を吐く。


「おいコラ……!いい歳した大人が、ガキ相手に何してやがんだ!全く……っ!」

そう乱暴に吐き捨てながらも……。


「来てくれたのね、ルーク!」

「よう。昼寝してたら遅れちまった。悪ぃな、お嬢」

くるりと振り返り、ひとの悪い笑みを浮かべるルーク。

だが……。


「昼寝で決闘に遅刻とか正気!?バカ……っ!死ぬかと思ったじゃない!」

「あぁ……?死なせるわきゃぁねぇだろ?せっかく掬いあげた命。そうやすやすたぁ散らせやしねぇ」


「……ルーク」

あぁ……この騎士は……私を置いて逃げる騎士じゃない。騙す騎士じゃない。一瞬でもそう思ってしまった私が、腹立たしい。


しかしルークが次の瞬間再び背を向ける。

何かと思えば、ルークの視線の先で、エルドが苦しげに体勢を建て直していた。


「ぐぅ……っ、貴様ぁっ!」

エルドがルークに憎らしげな目を向けながら叫ぶ。


「さぁて……ちょうどいい。てめぇのような根性騎士道ひん曲がったクズ騎士に、本物の騎士道ってのを見せてやろうか!」

その口調はまるで騎士らしくないのだけど……それがルークらしいとも感じるのだ。

それが私の信じた騎士である。


「ぼくはクズなどではない!王国の、誇り高き近衛騎士だ!!」

エルドが叫ぶ。

「大の大人がガキども相手に剣を振り上げる誇りなんざぁいらねぇんだよ……!!」

しかしすかさずルークが一掃する。

そして素早く地を蹴ったルークの神速は、一瞬でエルドの懐に入り込み、気が付いた時にはエルドが膝をついていた。

すごい……っ、なにあれ……!


「ぐあぁぁぁぁっ!!」

一太刀である。

ルークは世にも美しい一太刀でクズ騎士をお見舞いしたのだ。

むしろあの一太刀しか……見えなかった。


「なんて剣捌きだ……」

グレンもまた、感嘆の声を漏らす。そしてそれは、この場にいた全てのものたちを魅了したのだろう。誰もが声を失っている。


まるで操り糸がプツンと切れたように、騎士がうつ伏せに倒れると、ルークがサッと身を翻す。


「なに、殺しちゃぁいねぇよ。この剣は陛下から賜りし剣。クズの血に捧げてやるにはもったいない」

「陛下からって……あなたはやっぱり貴族なのですか……?近衛騎士ではない……ですよね?」

グレンが問えば、ルークが見慣れたへらへらとした笑みを浮かべる。


「さぁて、どうだろうな?」

「またはぐらかして……」

「少しくらい秘密があった方が……ミステリアスで魅力的だろ?」

確かにそれはそうかもだけど……全くもう。

多分……いざとなれば誰よりも頼りになるのに、そんな掴めないところに、私は惚れたのかもしれない。

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