百七日後

「……あっ、ハルちゃん。今日もお見舞いきてくれたん。ホンマありがとう」


 とある総合病院の個室、一条いちじょう白金しろがねを連れ立って、明奈あきなのお見舞いにきていた。


「いや、ええんよ。どうせウチ日中ヒマやし」

「それに、白金さんも、お忙しいでしょうに、本当に済みません」

「い、いえ、職務ですから」

「何が職務や関係あれへんやないか白金。そのセリフ言いたいだけやろ」

「や、やかましいわ」


 見舞った者たちと見舞われた女性、それぞれが思い思いの言葉をつむぐ。すっかり冬の空気に支配された外気が病室の窓に当たり、かすかに枠を揺らして音を鳴らした。


「何かね、ずうっと夢見てた」

「――せやね」

「意識はあって、記憶もあって――子供も産まれたけど――私が私じゃなかった気がする」

「――せやね」


 部屋の中に再び沈黙の鐘が鳴り響く。その余韻に浸るかのように、全員が窓の外に舞い散る枯葉を漠然と眺めていた。

 明奈が自分の明確な意識を取り戻したのはほんの数日前だった。あの家で散々な目にい、一条がすべてを解決した後、それまで意思の疎通そつうがまったく成り立っていなかった明奈の瞳に確たる光が戻ってきた。その時はすでに出産も終わっていた。今は小児科でケアされていて、生後四ヶ月が経っている。


 ――そして、明らかに避けている話題があった。

 誰もがその結末を知りながら、それぞれの思いと感情が複雑に絡み合い、それを言い出せる者は誰一人としていなかった。


「……なあ、アキちゃん。あの家はもう売っぱらったほうがええで」


 その一つを、一条が切り出した。明奈は窓の外を眺めたまま、感情を揺り動かすでもなく、彼女の言葉を受け止め、そして優しく返す。


「うん、そのつもりやよ。あそこには、いい思い出なんてなあんもないもん」

「運が悪かったと思って、また新しいトコで元気にやればええ。あんたの人生は――まだまだこれからなんやからな。産まれてきた子たちのためにも、元気出しい」

「そうやね。ホンマありがとう、ハルちゃん」


 そのやり取りを聞きながら、白金は一条が言及した〝あの家〟について、彼女が話しかけてきた内容を思い返していた。


『あんた、ホンマによかったな、何ごともなくて。あれ絶対発狂したやろと思たわ』

『気い失ったとこまでは覚えとるけどな……』

『もしかしたらあの神様が助けてくれたんかもしらんな』

『あの神様?』

『ああスマン、これはアカンやつやった。知らぬが仏、好奇心はあんたを殺すってヤツや』

『それ言われると急に興味が失せる体質になっちまったよ、俺』

『そのほうがええで……それにしても、あの家はホンマやばかったな。結界が二重に貼られた家なんぞそうそうお目にかかれんで……ま、閉じ込めとったモン考えると納得やけど』

『そう言われるとまた興味がでてくるんやがな』

『んで、白蛟しろみずちとこの神様がまたすごいねん。白蛟しろみずち白蛟しろみずちで結界を外そうと頑張っとったけど、中におった神様はもっとすごいで。結界を消そうとしとったんや。消すなんて普通はでけん。さすがはタ……あやうく口が滑るとこやったやんけ、白金エ!』

『何で俺にキレるんやそこで……自分のウッカリやんか』

『まあ、この消し方っちゅうんがまた、憎たらしいの何の。白蛟しろみずちがやろうとしたんは〝相剋そうこく〟ちゅう話は覚えとるよな?』

『ああ』

『この神様はな、〝相乗そうじょう〟で結界をかき消そうとしとったんや。これはな、五行ごぎょうの力をあえて一方的に〝強くする〟ことで相反する力を弱めて吹き飛ばそうちゅう、相剋そうこくなんかじゃ及ばんパワープレイもいいとこのゴリ押し技なんや。土から始まるんは一緒なんやけどな、そこから〝土虚木乗どきょもくじょう〟〝木虚金乗もくきょきんじょう〟〝金虚火乗きんきょかじょう〟〝火虚水乗かきょすいじょう〟〝水虚土乗すいきょどじょう〟と繋げていけば、全部力がかき消えて結界も吹き飛ぶっちゅう寸法や。いや、こらあホンマに人間やそこらの人外ジンガイじゃあ太刀打ちできん、隔絶かくぜつした差がないとでけんことやで。改めてホンマ、よう生きとったなあ、ウチら。ちゃんと見逃してもろて、万々歳や』

『おい、怖いこと言うな』

『まあ、もう大丈夫や、神様も白蛟しろみずちもいなくなったしの』

『ホンマかいな……』


「……あんたはこれからどうするん」


 自分の世界から戻った白金の耳に、穏やかな声で明奈に問いかける一条の声が届く。羽金は横で直立を崩さず、目を閉じて推移を見守っていた。


「……ん。近くでアパート探すよ。あの家には近づきたくない。ハルちゃんからも聞いたし、私もあそこの人たちはホンマ怖くて仕方ないから。それに人が死にすぎやよ、あそこは」

「そのほうがええ。あんたは十分頑張った。これからは心安らかに生きていくんやで」

「うん、ありがと」

「あっ、ハル姉ちゃんだ~! こんにちは~」

美桜みおちゃん、お邪魔しとるよ~。ママは今大事な時期やからね、困らせたらあかんで?」

「うん! あたし、お姉ちゃんになるんやもん。困らせんよ~」


 個室のドアを勢いよく開け、自分に向かって飛び込んできた美桜を一条は抱き止め、小さな頭をよしよしとでながら、後を追って部屋に入ってきた広瀬ひろせと名乗る刑事に会釈えしゃくを施す。

〝あの家〟での一件が落着した二日後、警察から連絡が入り、美桜が見つかった。


 ――彼女が保護されたのは、出雲大社いずもたいしゃ境内けいだいだった。何故そんな遠い所に彼女がいたのか、それは一人を除いて誰も分からない。身元の引き取りは管轄署の広瀬がになってくれた。


「広瀬さん、このたびは本当にお疲れ様です」

「ん、君もお疲れ。だいぶあの一条にこき使われとったようやな」

「少しお話したいこともあるので、ちょっと」


 白金は広瀬に頭を下げながら声をかけ、一条たちの邪魔にならないように彼を病室の外へと誘い出す。その意図を汲んだ広瀬がうなずき返して退室しようとして、一条が彼らを呼び止めた。


「あんたら待ちい。ちょっとウチ、用足してくる。その間この人たちのことみとってや」

「ん、あ、ああ、分かった」

「んじゃ、あとはよろしゅう頼むで」

「……? ああ、すぐ戻ってこいよ」


 そういって一条は席を立ち、部屋の扉をおもむろに開けて――


「……ほんじゃな」


 ――涼やかな音色で響き渡る柏手かしわでを一つ打ち、そのまま立ち去った。

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