七十八日目

 以前七五三しちごさんの儀を見にいった神社に問い合わせた所、除霊じょれいやおはらいの類は今やっていないと返答があり、俺は途方に暮れた。神社に人が参詣さんけいしておはらいを受けるのはできても、それでは意味がなかった。俺が頼みたかったのは〝今住んでいるこの家に対しての〟おはらいだった。

 それでも俺は諦めずに、八方手を尽くして除霊じょれいに強いお坊さんや霊能者れいのうしゃを探し回った結果、一人だけ相談に応じると返答があった人がいた。少し距離がある所からきて貰うので交通費はこちら持ち、状況に応じて日数がかかる場合もあるためその場合は追加で経費が発生しますと言われた俺は、それでもとりあえず一度きて欲しいとお願いした。


「どうも~、初めまして。こちら名刺です」


 電話での問い合わせから数日経った今朝、その人を最寄りの駅まで迎えにいくと、三十代の男が大きなスーツケースを引っ張ってやってきた。派手めの名刺には〝霊能師れいのうし最上天道さいじょうてんどう〟と書かれていて、裏返すとテレビ番組の出演歴から某動画配信サイトのチャンネル名まで経歴が細かく書き込まれていた。

 風体は普通の青年のように見えたが、ネックレスやブレスレットなどに翡翠ひすいを使っている。片耳ピアスは紫色なので、きっとこれはアメジストなのだろう。どちらも普通に〝魔除け〟や〝護符〟みたいなイメージが定着している。


「先生、どうかよろしくお願いします。では家まで案内しますので――」

「よろしく。それにしても軽自動車ですか。少し窮屈きゅうくつですが、まっ、いいでしょ」


 そう言って後部座席にスーツケースを積み込み、自分は助手席に勢いよく乗り込む。車体が大きく揺れた所で、俺はサイドブレーキを外して車を出した。


 依頼料は前金で三十万、除霊じょれい終了時に追加で二十万という約束になっている。前金は実際に家を見て判断してからとのことだったので、お金は家に置いてきてあるが、この依頼を出すにあたっては明奈あきなと少し揉めていた。

 いわく〝テレビにホイホイ出ているような人は何か怪しい〟とのことだったが、他に色よい返事を貰えた人もいないので、渋々同意した形になっている。


「いや~、それにしても何もないですね。確かここらへんは地域的にみても歴史的にみても大きな戦があった訳じゃないし、ただ土地が古くてそこら中に歴史的遺物が埋まっているってだけで大した霊などはいないはずなんですよね~」


 道中、周囲の景色をカメラで動画撮影しながら語りかけてくる彼の声はテレビ映えしそうな張りのある声だった。一応撮影中も声は出していいそうだが、自分のチャンネルで動画素材に使われると聞いて、俺はおいそれと声を出しにくい雰囲気になってしまっている。

 もちろん顔が映り込んだりした時はモザイクを入れるなどして配慮してくれるとのことで、美桜みおや明奈が映り込んでも一応は大丈夫なのだろうとは思うが、それでも万一のことを思うとあまり派手な動きもできないな。


 そんなこんなで自宅へ到着した訳だが、その時も最上さんは『へえ、なるほどね』くらいの軽いリアクションだったので、俺は少し拍子抜けした。


「それじゃあちょっと門から入るシーン撮りたいんで、車少し動かして貰っていいですか?」


 先生はスマホを片手にじっくりと歩み寄って門の中へ入り、家の全景を映している。そこで俺は石碑がある庭のほうで何かがかすかに動いたのを横目で捉えた。


「あっ」

「えっ、なになに、どうしたんです?」

「あ、いや、あの、あっちに実は昔から氏神うじがみ様をまつっているっていう石碑がありまして」

「へえ~。DMでご依頼をいただいた時には聞いてなかったなその話。興味ありますねそれ、撮影させて貰ってもいいですよね?」

「え、ええ。大丈夫だと思います」


 俺の許可を半分以上聞いていない雰囲気でつかつかと庭の奥へと入っていった最上さんが、石碑を見た時に『う~わ、こりゃあ雰囲気あるわ』と言いながら動画を撮っていたのを見て、本当にこの人で大丈夫なのだろうかと少し不安になってきた。


 さらに何本か動画や写真を撮影し終えた後、ようやく最上さんはスーツケースを引っ張って家の中に上がり込んだ。その時も『は~、なるほどなるほど~』と言ってはいたが、それほど切羽せっぱ詰まった反応を見せたようには見えない。

 ちなみに今も少しキッチンの床下から異臭がしているが、部屋をざっと見回った最上さんはそのことを指摘してこなかった。鼻が詰まっているのだろうか……?


 こうして彼はクロノア用の部屋を臨時の〝楽屋〟としてスーツケースを広げ、除霊じょれいの準備をいそいそと進めていった。クロノアはキャリーごと俺たちの寝室に移動させ、美桜も俺たちと一緒に下で待機することになった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 そして日が落ちた。

 最上さんは神主かんぬしっぽいようで微妙に色彩と形状がずれている衣装を身に着けていた。生地も要所にラメが入っていたりしていて、有名な〝上様のサンバ〟まではいかないが結構派手だ。これでスパンコールまで散りばめられていたら目まいがしていたかもしれない。

 小さめの三脚の上にカメラを取り付け、動画撮影モードで様子を録画し始めた。定点なので俺たちがわざわざカメラの前に躍り出るなどしないかぎりは写り込まないだろう。

 本人との最終確認で『問題なく除霊じょれいはできます』と言っていたので、前金を茶封筒に入れて手渡す。しっかり領収書を出してくるあたりは〝さすが動画配信者だな〟と思う。ちなみに、このやり取りもしっかり撮影されてしまったが、本当に大丈夫かな。


「……なぁ進ちゃん、あの人ホンマに力あるんか? さっきもキッチンの異状について一言もいわんかったやんか」


 明奈が耳打ちしてくるので、俺は『まあ、依頼料は安くないけど唯一きてくれた人だし』と答えて彼女をなだめつつ、本当は自分が一番誰かからお墨付きを貰いたい気分だった。


「さて、お待たせ致しました。ただ今よりこの最上天道が、この家に巣食う悪い霊を退治して皆さんの安寧あんねいと平和を取り戻してしんぜましょう」


 明らかに動画映えを狙ったとしか思えないそのセリフ回しには少し鼻白はなじろんだが、ともかくも彼はリビングを片付けて出来上がったスペースに簡易の祭壇さいだんを組み立て、そこに立てた二本の蝋燭ろうそくに火を灯し、正面にある米、塩、水、そして御神酒おみきが入った徳利とっくりにそれぞれさかきを振って、厳かに何かをみ始めた。何を言っているのか分からないが、何かで聞いたことのある言葉がちょくちょく混じってくる。


 ――一時期大流行した、少年誌連載の〝オバケ対死神〟の漫画で、主人公たちが使う魔法の呪文によく似ているような――


「――!? な、なに、何なん、これ……!?」


 祝詞のりとのようで祝詞のりとでなさそうな得体のしれない文言もんごん羅列られつ詠唱えいしょうされて十数分が経った頃、祭壇さいだんの上で燃え盛る二本の蝋燭ろうそくがいきなり火の勢いを増し、火柱とでも言うべき熱量と光量を伴って最上さんの顔と部屋の壁を煌々こうこうと照らし始める。と同時に、床下から何ともいいがたい禍々まがまがしさをまとった気配が家中に立ち上る。もしそれが目に見えるのであれば、暗紫色あんししょく漆黒しっこく陽炎かげろう、あるいは冥界めいかい魔手ましゅのような何かが床からい出てきているような錯覚を、俺は何故か持ってしまった。

 そして明奈ですら総毛立つような感触に思わず周囲を見渡すほどの反応を見せているのに、祭壇さいだんで懸命に文言もんごんとなえている、このような現象にはこの中の誰よりも敏感であるはずの――あるべきはずの最上さんは何ごともないかのように、自分の世界に浸ってしまっていた。


 そしてその時、俺は見てしまった。勢いよく燃え立つ炎が作り出す何かの影がまるで人形のように炎の動きとは独立して、壁づたいに動いているのを。それが最上さんに近づいていく、その光景を。明奈は耳をおおってうずくまってしまったため、その光景を見ていない。美桜は俺の横でまるで何も見えていない、あるいは感じていないように無表情で、成り行きを見守っていた。


「み、美桜……? あ、あんまりマジマジと見たら――」


 俺はそんな美桜に少しだけ空恐ろしさを感じ、それを自ら打ち消すように言葉をかけた所でいきなりすべての電源が落ちた。ブレーカーが飛んだのだろう、玄関から〝バヂン〟と大きな音が聞こえてきて、それに明奈が『ヒッ』と鋭く反応していた。リビングはまるで護摩行ごまぎょうでも開いているかのような赤々しさで輝いており、最上さんは興奮したように声を張り上げて今も文言もんごんとなえている――ように今まで聞こえていたが――それはまるで、針の飛んだレコードのように一定の言葉を延々えんえんと繰り返しているだけに過ぎないと気付いた所で――


「う、うおあっ!?」


 突然、燃え盛っていた蝋燭ろうそくから一切の光と熱が消え失せ、部屋の中は漆黒しっこくに包まれた。俺は突如視界を塞がれ、最上さんの指示で締め切っていたシャッターのせいで外から光も入らず、何も見えなかった。床下から漏れるかすかな異臭は相変わらず残っていて、俺は何も解決などしていないと悟らされた。失望と怒りに似た感情を抱きつつあったその時、俺はある違和感に襲われた――最上さんの声の様子がおかしくなっている。というか、途中から明らかに最上さんの声ではなくなった。


「ゔあ゛……ゔゔ――あ゛……ぷ、ぷにょっ……こひっ――――ヨケイナ――――コトヲ」


 腹の底のさらに下から絞り出されたような、そしてどす黒い念のようなものが練り込まれた声が最上さんのほうから聞こえてくる。他に気配はなくその唸り声を発したのはどう考えても最上さんだった。俺の後ろでは明奈が嗚咽おえつを漏らしながらガタガタと震えていた。クロノアはキャリーの中で今も小さく丸まっているはずだ――


 ――そこで、またもや俺の脳髄に鉄槌を下すかのような違和感が襲ってきた。

 何故他に気配を感じない……?


「み――美桜はっ!? 美桜はいるかっ!?」

「え、えっ、み、美桜っ!?」


 反射的に大声で叫んだ瞬間、家の中に光が戻った。落ちたはずのブレーカーが何故か戻り、俺の視界は一瞬だけ白一色に漂白されたが、すぐに目が慣れた所で自分の周囲を見渡す。

 明奈は顔を持ち上げている。涙でくしゃくしゃになった顔が、彼女が抱いた恐怖心の深さを物語っている。だが――部屋の中に美桜はいなかった。


 最上さんはちょうど、玄関の所に突っ立っていた。まるで夢遊病むゆうびょう患者になったかのような、覚束ない足取りで、靴も履かず、服も着替えず、何も持たずに外へ出ようとしている。必死に呼び止めようと最上さんの肩をつかんで振り向かせると、その顔は異常者のそれだった。両目の焦点が互いにまったく違う方向に飛び、鼻水とよだれを垂らして、舌をだらしなく伸ばし……血のように赤い涙を流しながら力なく笑っている。


「ぎゃああああっ!?」


 俺は思わず飛び退すさって腰を抜かしてしまい、壁に頭を強打して悶絶する。その間最上さんは『ふ、ふへ、へへへああ……』とおよそこの世でない笑い声をあげながら、フラフラと玄関を出て、そのままどこかへ歩き去っていってしまった。本来なら追いかけなければいけないのに俺はそのまま失禁してしまったのと、体が思うように動かなかったのとで、結局彼を見失った。


「み、美桜おおおっ!? どこにいるのっ! ママがいるから出ていらっしゃああいっ!!」


 一階をくまなく探し回って見つからなかった美桜を求めて、明奈が二階で走り回っている。だが、何故か俺は、美桜がすでにこの家から姿を消していると確信めいた予感を抱いていた。


 ――そしてそれはちっとも嬉しくも誇らしくもないことに、当たっていた。

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