七十七日後

 今日はたまたま非番ということもあり、白金しろがね一条いちじょうと一緒に――正確には無理やり引っ張り出されて――隣県まで足を運んでいた。あまり乗る暇がない軽自動車のエンジンに火を入れるちょうどいい機会と割り切って、白金は高速道路を走って目的地へと向かっていた。ちなみに翌日は本来出勤だったのだが、何があるか分からないと一条に言いくるめられて、有給休暇を入れさせられている。そして、彼が何故いきなり一緒にこいと言われたかというと、表向きは『ごえんが繋がった以上隔離かくりする意味ものうなった』からだと一条は言っていたが〝使えるものは何でも使って自分が楽をする〟が本音だろうと白金は考え、それは当たっていたのだった。


『ごえんが繋がった以上』――白金は先日、羽金の相談を通じてごえんが繋がった。その日の夜一条と三人で鳩首していた時、出水滋利いずみしげとし変死事件被疑者ひぎしゃとして留置所に勾留こうりゅうされていた一条の友人蛍乃香ほのか――本名蛍火玄香ほたるびはるかが怪死を遂げてしまった。その状況は検察庁へ飛び帰った羽金うこんがSNSを通じて――ここで白金と羽金に一条を加えたトークグループが作られている――逐一ちくいち報告してきていた。白金からしてみれば〝あの真面目一辺倒な羽金がよくここまで〟と思える変貌ぶりで、彼がいかに〝のろい・オカルト〟へ恐怖心を抱いているかの証左にもなっていた。ともかく、現時点でその羽金からもたらされている情報をまとめると次のようになる。


 ・ 蛍乃香の遺体の頭部はまだ未発見。

 ・ 遺体の切断面は鋭利な刃物にて斬られたとおぼしき形跡あり。

 ・ 事件発生後に蛍乃香のスマートフォン再確認、未読メッセージあり。

 ・ 未読メッセージの送信日時は蛍乃香の事件発生当日。

 ・ メッセージの内容は出水のスマートフォンにあったものと同一。


 他にもまだ未確認情報があるらしいが、この変死事件の話をマスコミが聞きつけたらしく、その対応も含めて管轄署と検察庁が上を下への大騒ぎになっていて、確認に手間取っていると羽金は言っていた。

 そして昨日になって一条から突然連絡があり『重要なことが分かったからその裏を取るため一緒にきてくれ』とのことだったので、今日久々に車を出すことと相成あいなった白金だった。ただその詳しい内容はまだ聞かせて貰っていない。一条はこれまでも〝報告ホウ連絡レン相談ソウ〟のうち報告ホウ連絡レン報告ホウ――要するに全部――を徹底しないので白金に意図や目的が伝わっていない場合がほとんどだった。一度彼女にその件について話してみたが『守秘義務シュヒギム』の一点張りで、結局意味がなかった。


「ちっ、まだつかんのかいな。こんな調子やと年明けてまうで。もっとアクセル踏みい」

「やかましい。大体俺は警察官やのに交通ルール破れなんてよう言えたモンやな。俺はむしろ取り締まるほうやで、そういうの」

「ホンマに肝の小さいやっちゃのお。そんなこまいこといちいち言うとったら、世渡りなんぞでけへんで。まあ、あんた出世できなさそうな顔しとるもんな」


 助手席で、ダッシュボードに両脚を放り投げた一条が悪態をついている。〝警察官として〟その姿勢を改めさせようとした白金だったが、一を言えば十どころか三十は返ってくる勢いでまくし立てられ、最後は折れてしまった。


「はあ……ホンマに何なんやこの人は。んで、今日はまだ車を出せとしか言われとらんけど、一体何の裏を取りにいくんや? というか重要なことが分かったって言うてたけど、その話も俺は何にも聞いとらへんのやけどな」

「どこに向かっとるんかも何の裏を取りにいくんかも、重要なことも全部、あっちにつきゃあ分かるからそう焦んな。ウチは無駄なことが大嫌いなんや」

「――――」


 有名カフェのアイスモカを下品な音を立てて吸い、座席を後ろに倒して後ろ手に組みながら今日の予定を伝える一条のある意味ざっくばらんに過ぎる態度に白金は呆れつつも、これこそ彼女のスタイルであり、これが崩れないかぎりは深刻な状況になっていないのだろうと、ある意味安全のバロメーターとして、少しだけ謎の安心感を覚えながらインターを降りていった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 到着した神社は思っていたより規模が大きかった。境内けいだいに設けられた駐車場に車を停めて、白金は辺りを見渡す。本殿までの参道さんどうには砂利が敷き詰められ、両脇に樹が植えられている。いち鳥居とりいをくぐって本殿まで歩くと、空気が張り詰めている感触が白金の肌を包む。とはいえそれは不快な緊張感ではなく、むしろ邪気を清め祓う類の神気しんきとしてそこにあるかのような、そんなイメージだった。途中にある手水舎ちょうずしゃで手口を清めた白金だったが、一条はお構いなしに先を歩いていっている。木造で古めかしい朱塗りの鳥居とりいをくぐった先に本殿が坐し、その後ろには低い山が神社全体を睥睨へいげいするように鎮座ちんざましましていた。

 修復されたばかりだろう、本殿は真新しい。稲荷社いなりしゃ祓戸社はらいどしゃなどもまつられており、いわゆる地域信仰を担った神社であることがうかがえる。本殿の裏に山の奥へ続く道があり、そこには白いしめ縄が張られている。一般人の立ち入りを禁じる結界であり、御神体ごしんたいの山を護る、あるいは山と現世とを切り離す境界線でもある。

 白金は本殿に参拝した後に境内けいだいを見て回った。その間、一条は直接社務所しゃむじょへ足を運び、中で奉仕をしていた権禰宜ごんねぎの女性と何やら会話を交わしている。

 白金にはこれまでに趣味らしい趣味はなかったのだが、社務所しゃむじょに飾られていた御朱印ごしゅいんを見て〝御朱印ごしゅいんとか護符など集めたらご利益あるかな〟などと考えつつ、一条に近づいた。


「一条さん、参拝とかはせんでええんか」

「ウチはそういうのはガラやないからあんたに任すわ。今ちょうど禰宜ねぎさんがご奉仕を終えて時間を取ってくれるっちゅうから、待っとるとこや」

 その言葉からそれほど時間を置かず、一人の男性が社務所しゃむじょの奥から姿を見せ、一条に笑顔で会釈えしゃくを返す。白金を紹介するといった親切心など一条は持ち合わせていないので、結局自分で名乗る白金なのだった。ちなみに一条はとある学術機関の民俗学部研究員、白金はその助手で話が通っていると〝土壇場で〟一条に聞かされ、そういう話は前もって言っておいて欲しいと不平を漏らしつつ、やはり〝報・連・相ホウレンソウ〟は重要なのだと痛感した。


「この度は貴重なお時間をいただきまして、本当に感謝申し上げます。先日ご連絡致しました一条と申します。本日はどうぞよろしくお願いします」


 一条の完璧な〝営業トーク&スマイル〟に内心で面食らった白金だが、そこは警察官として表情には一切出していない。


「これはご丁寧に。そうですね、私どもとしても当社の御由緒ゆいしょを正しくお学びいただくことは大変喜ばしく思いますので、ぜひ」


 挨拶もそこそこに、一条と白金は社務所しゃむじょの中に通される。権禰宜ごんねぎの若い女性がお茶を持ち、テーブルの上に置いて一礼した後は音も立てずに部屋を後にした。まるで日本人形のような、静かで無理のない、流れるような所作――白金はそう感じ、素直に感嘆した。


「それでは、本日は当社の由緒ゆいしょなどをご説明申し上げれば?」

「どうぞよろしくお願いします。あと貴社で催されています〝七五三しちごさんの儀〟につきましても、由緒ゆいしょ由来ゆらいなどお伺いできればと思います」

「承知致しました。それでは早速始めましょうか。少々長くなりますが、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です。どうかよろしくお願い申し上げます」


 一条と禰宜ねぎの間で勝手に話が進められる。そのやり取りを聞いた〝助手〟は軽く苦笑いし、この場は彼女に任せて話に集中することにした。一条はレコーダーを懐から出してスイッチを入れ、インタビューの体で禰宜ねぎの話を聞く。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~


 では、始めてよろしゅうございますか。

 はい。よろしくお願い申し上げます。


 先ずは当社の由緒ゆいしょ由来ゆらいについてご説明申し上げます。

 創建そうけん天武天皇てんむてんのうの時代に遡ります。この一帯は沼地であった所、御神託ごしんたくを受けて一夜にして水が引き、陸地になったと伝えられております。故に当社は〝水の流れを司る〟社として長年五穀豊穣ごこくほうじょうをご祈願きがん申し上げております。また〝地固まりてなおかぶかたし〟との御言葉もあり、家内安全かないあんぜん交通安全こうつうあんぜん試験合格しけんごうかく学業成就がくぎょうじょうじゅ商売繁盛しょうばいはんじょう建築清祓けんちくせいばつなどもご祈願きがんいただけます。さらに水を司る所から身ごもるお母様の腹を安んじるということで身体健康しんたいけんこう安産あんざん初宮詣はつみやもうで七五三シチゴサンをご祈願きがん致しております。社格しゃかくは廃止されて久しいのですが当社は現在神社本庁により別表神社べっぴょうじんじゃとして定められております。

 主神しゅしん若宇加能売命わかうかのめのみことで、相殿あいどのとして櫛玉命くしたまのみこと穂雷命ほのいかづちのみことをおまつり申し上げております。その他に古来よりの和御魂にぎみたまとして、御白蛟様おしろみつちさま末社まっしゃにておまつり申し上げております。水を司る当社とは御縁が深く、御白蛟様おしろみつちさまもまた水の流れを司る神様として鎮座ちんざましましております。


 以上、当社の御由来ゆらいを概略でご説明申し上げました。


 それでは当社における七五三シチゴサン由来ゆらいなど。

 先にお断り申し上げておきます。これからご説明申し上げます七五三シチゴサンの儀の由来ゆらい由緒ゆいしょは、先の大東亜戦争だいとうあせんそうにおける空襲により文献ぶんけんが焼失しておりますことをまずご承知おきください。このことは口伝くでんにおいてのみ代々語り伝えられております。ただ、口伝くでんの内容を記した書面は残されておりますがこれも口伝くでんで語られる以上の内容ではないこと、あわせてご理解ください。


 興りは文政ぶんせいの時代と聞き及んでおります。情勢が不安定な時代だったと口伝くでんにはあります。この一帯でも凶作が続いていたようでして、土地を治める豪農による勧請かんじょうの話を受けて敷地に当社から氏神うじがみ様を寄せ、水害や干害を抑えようとしたそうです。その際氏神うじがみ様への感謝畏敬かんしゃいけいの念を表すために興ったのが七五三シチゴサンの儀です。こちらは旧暦の朔日さくじつり行われると定義され、各地で通常催されるものより数週間程度早いのが特徴の一つです。

 この土地では〝子は宝物、子は未来、子は希望〟とされておりまして、数え年で七つまでの子供は勧請かんじょうされた氏神うじがみ様の御子みことしてご加護を受け、飢えることも渇くこともなく、すこやかに育って次代のいしずえとなって欲しいという願いが、七五三シチゴサンの儀に込められております。

 当社から勧請かんじょうされたのは〝御白蛟様おしろみつちさま〟とされ、こちらは水の流れを司る氏神うじがみ様です。元々は一帯に水害をもたらした災厄さいやくだったのですが、人々から供物くもつまつたてまつられたことにより改心、以降は土地を水害から護る和御魂にぎみたまとして反転なされたそうです。

 御白蛟様おしろみつちさまおっしゃられた御言葉に〝てきろう、いしわう、にえは首をまつたてまつる〟とあります。荒御魂あらみたまであった時代の御白蛟様おしろみつちさまの側面を表した御言葉ですが、この御言葉が後に七五三シチゴサンの儀でみ上げる〝くろうて、ゆわえて、たてまつる〟に変じたと、口伝くでんにはあります。

 無論、そのままではめでたい儀にはふさわしくありませんので、三歳の時には飯を食らって飢えからの解放を願い、五歳の子供は体をゆわいて氏神うじがみ様のお力を宿し、七歳の女児は人の子に戻った感謝と氏神うじがみ様への変わらぬ尊敬の念を捧げたてまつる、という風に置き換わったそうです。


 ……御白蛟様おしろみつちさま勧請かんじょうされた豪農の地はどこか、と。

 最初に申し上げましたように、先の大東亜戦争だいとうあせんそう文献ぶんけんが焼失しておりますので、残念ながら詳細は確認できません。氏子衆うじこしゅうの中におられるかもしれませんが、おこりが二百年近くも前で、現存されているのかも含めて当社では把握致しかねております。私も当社に着任してからまだ数年でして……お役に立てずすみませんが、どうかご理解をいただければ幸いです。


 それでは次に、七五三シチゴサンの儀の式次第など。

 三歳の子は男女、五歳は男児、七歳は女児のみとなっておりまして――


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――ありがとうございました。大変貴重な学びと気付きを得られたお話でした」


 禰宜ねぎの話が終わり、一条は深々と頭を下げて謝した。白金もそれにならって頭を下げるが、正直情報量が多すぎて頭の中が混乱してしまっていた。


「それでは、長々とお邪魔致しましてすみませんでした」

「いやいや、お役に立てたのであれば幸甚こうじんです。お二人の御多幸ごたこうをお祈り申し上げますよ」

「ありがとうございます。それでは失礼致します」


 一条はおもむろに立ち上がり、再び頭を垂れて社務所しゃむじょを後にすると、柏手かしわでを一つ打った。

 その音は澄み切った空気を切り裂いて、本殿の後ろに坐す山に届いたかのようだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 帰路についたとき、すでに日は沈みきっていた。一条は相変わらず両脚をダッシュボードに放り投げ、シートを後ろに倒して寝そべっている。


「一条さん、今日の話には何ぞ収穫でもあったか?」

「寝ぼけとるんかパンチ。そらもうアリよりのアリって奴やで。逆にあんたあの話を聞いても何も気づかんかったんか」

「いや、特には――」

「あんた、耳も頭もよくないんやな。そんなんじゃ生きていくん苦労するやろ。同情すんで」


 今日一日パシリ同然にこき使われ、ガソリン代も食費も出して貰えず、あまつさえこうして馬鹿にされる始末の白金。彼はハンドルをしっかり握りしめながら、社会の理不尽さを嘆き、心の中で涙するのだった。そんな彼に同情した訳ではないだろうが、表情に影を落とす白金を見かねたのか、一条がため息をつきながら助け舟を出した。


「パンチ、あの禰宜ねぎさんが説明しとった白蛟しろみずちの言葉を思い返せ。〝てきろう、いしわう、にえは首をまつたてまつる〟。この言葉をじっくり考えてみい、何か気づかんか?」

「…………あ」

「ようやっと気づいたか。仏滅ぶつめつに発生した一連の事件事故の犠牲者がのこした言葉にあるやろ」


 このくび、、とがつぶし。

 このくび、、つゆはらい。

 このくび、、あまがえり。


「あ、ああ、事故死した人たちは食い散らかされたような痕跡があって――」

「自殺したウチの依頼人は首を〝ゆわう〟とか言うて死んでった。そうなると、出水いずみもホノも恐らく〝まつる〟に分類されるんやろ、この状況に当てはめるとな……つまりや、事故死した連中は白蛟しろみずちにとって敵、自殺したんは首を結いて、出水とホノは――生贄いけにえになったんや」

「偶然……とは、いいがたい状況やな、流石さすがに」

「こないな偶然あってたまるかいな。まあ、これで人外ジンガイの正体ははっきりした訳や。こいつの目的やら力の源やら、分からんことはぎょうさんあるが、まずは大きな前進やで。それにな、目的もなんとなあく察しがつきそうなところや。それが分かれば対処法も思いつくよ」

「ふむ。それは俺や伊知朗イチローが助かる、っちゅう話でええんか?」

「ああ、そういうことやな。まああんま時間なさそうやけど、やるだけやってみるわいな」

「おいおい、頼むで。俺はまだ死にたないからな」

「アホウ、ウチかて目の前で死なれるんは寝覚めが悪い。何とかするから待っとけ」


 そう言葉を締めながら『ただなあ……』とひとりごちているのを、白金は聞き逃さなかった。しかし一条と出会ってからここまでの間で、彼は彼女の性格をだいぶ把握できるようになり、今は何を聞いても答えないタイミングだということも分かっていた。

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