八十三日後・朝
ワイパーの音がリズムを刻み、雨粒のビートを拭き流していく。軽自動車は制限速度よりもやや速く高速道路を走っており、カーオーディオは昔に動画サイトで流行った人工合成音声の楽曲を流している。
「パンチって、昔からそれ好きよな。ずっと聞いとるやん」
「俺の青春といっても過言やないからなあ」
「じじくせえこと言うなアホ……それよりスピード出しすぎや。もう少し落とせ」
「そっちも昔から変わらんねえ――」
とりとめもない会話を交わし、ブツブツと文句を言いながらスマートフォンをいじる
白金は今日、病欠扱いで休暇を取っている。その理由は正体不明の送信元から送られてきた不幸のメッセージが届いたからだった。そしてそれは羽金も受けとっていた。
日付が〝
最初はメッセージを送った後削除したのかと思った二人だったが、その予想は外れていた。そこから一時間後の三時三分、再びそのメッセージウインドウにメッセージが届いたのだ――すでに存在しないアカウントから、次は〝もういきます〟と送られてきた。すでに存在しないアカウントから送られる死のカウントダウンメッセージ。こちらから返信することはできず、一条は〝こうなったら普通は絶対に助からんちゅうことなんやろな〟と
『――これ、時間と分が素数かもしれん』
三回目のメッセージが五時五分に送られてきた際に羽金がSNSで
『そこから計算すると、最後のメッセージがくるんは二十三時二十三分になるな。これまでの被害者の死亡推定時刻とも合致する。ビンゴちゃうか』
『逆に言やあ、二十三時二十三分に最後のメッセージが送られてくるまで異変は起きんやろ。今までのパターンからその時間までは大丈夫ちゃうかと思っとったが、これで確定やろな』
一条がいつもの態度でいつものように
そしてその際、一条が彼らに向けて放った言葉がある。
『こっちはこっちで決定的なネタ
ということで、今日一日の予定が慌ただしく組み立てられ、羽金が白金に頼んで車を出して貰っていた。羽金が何故検事として単独行動をしているのかは〝大人の事情〟が絡んでいる。
先日の
今回の一件で槍玉に挙がっているのは、被害者を留置していた管轄署が一番、次いで彼女を取り調べていた検察庁である。警察署や検察庁前には大量の報道陣が詰めかけ、往来の
不幸中の幸いなのは、
そんな状況であるため、現在公判進行中の事件を担当していない検察官は、マスコミからの追求と追跡を逃れるために特例として庁外捜査活動が奨励されていた。羽金と白金はこうして図らずももたらされた自由時間を
白金は彼が目的地で何をしようとしているのかをまだ聞いていない。聞こうとはしたのだがバタバタとしてタイミングを逃がしてしまった以上に『これから一緒に話を聞けば分かる』と羽金が一条のようなことを言って語ろうとしなかったのが大きかった。
「しかし……偶然なんか知らんけど――」
また訪れることになるとはね――
白金はハンドルを握りしめながら、言葉にならない
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
到着した神社は、前にも見たとおり結構広かった。
今日の目的は
「こんにちは、本日お伺いすると先だって連絡しておりました、◯◯地方検察庁刑事部の、羽金と申します」
「ああ――少々お待ちください」
「お待たせ致しました。私が
鈴の音もかくやと思わせる透き通った声で、お辞儀も姿勢も非の打ち所がない。目の覚めるような――一条のように派手な――
そして彼女の名前を初めて聞いた白金は内心驚きでいっぱいだった。〝蛍火〟という名前はそうそう聞くものではなく、明らかに彼女は蛍火玄香……つまり蛍乃香の関係者であることは疑いようがなかった。羽金はそんな白金の様子を気にかけることもなく、淡々と話を進める。
「失礼致しました。それで本日はどのようなご用件でしょうか」
「はい、蛍火玄香さんの件について確認させていただきたいことが数点あります。今お時間は大丈夫でしょうか」
「はい、少しでしたら」
「では早速なのですが――」
「あの、立ち話もなんですし、
「あ、これは失礼しました。蛍火さんが一番楽なようにお願いします」
そして二人は
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
聴取は羽金の主導で行われた。白金は彼の横に座って無言を貫く。対面の蛍火皓子は背筋をピンと伸ばし、視線をまっすぐ羽金に向け、堂々とした居住まいで応対していた。
「では改めまして、◯◯地方検察庁刑事部、
「蛍火玄香は私の妹です。血の繋がりはございません。義母の連れ子でした。彼女が独立して数年会っておりませんでしたが、例の事件を父から聞きまして、面会に行こうと思いまして、留置所にお邪魔したのが二週間前となります」
「承知しました。ここからは混同を避けるため、
そこで羽金がメモにサラサラと走り書きをしていく。なおも質問は続いた。
「では、次になんですけども、玄香さんと面会なさった際の会話の内容を覚えているかぎりで結構ですのでお聞かせいただけますか」
「それは面会の際にすべて記録されるものではないのですか?」
「されないんです。皓子さんも面会時に係官から注意を受けたと思いますが――」
ある人物が
羽金はそう説明した上でさらに続けた。
「――そして現在、この会話で交わされた内容が玄香さんの一件に関して鍵となる可能性が出てきておりまして、それでご協力をと」
「分かりました。特にこれといった話題は出ておりませんでしたけれど、玄香の様子がやはりストレスに曝されっぱなしのように見受けましたので、一緒に住んでいた頃のお話ですとか、緊張をほぐす方向で会話をしておりました」
話を聞きながら、この話はやはりあまり一般に知られていないことなのだと白金は思う。
「では一体どのような流れで本の差し入れを行うことになったのでしょう」
「はい、玄香と一緒に生活していた時、私は
「それは玄香さんから問われた、ということでお間違いないですね」
「はい」
羽金は何かを書き留め続け、さらに質問を続ける。
「玄香さんが
「いえ、特には……ただ――彼女は〝蛍火家はすべからく
「皓子さんの立場から見て、
「そうですね、この分野に強い興味をお持ちでないかぎりまず耳にする言葉ではありません。
『
「それで、あの本を差し入れしようと」
「はい。偶然にも私が今ご奉仕させていただいている当社でお
そこで、これまで動きっぱなしだったペンが止まった。羽金は机の上にそれを置いて表情を和らげ、フウと一息ついてぎこちない笑顔を浮かべた。
「ご協力ありがとうございます。そういえば、皓子さんは元々こちらが地元ですか」
「父と私は違いますが、義母と玄香がこの辺りに昔から住んでいたと記憶しています」
「なるほど。義母さんは今どちらに――」
「すでに亡くなっております」
「さようでしたか、それは失礼致しました。お悔やみ申し上げます。皓子さんは義母さんよりこの辺りの歴史や民俗について何かお聞きになったことはありますか」
「特には――」
雑談のつもりで軽い話題を振った羽金の質問を即座に否定しかけ、頬に手を添え首を
「――いえ、そういえば一つだけ聞いたことがあります」
「差し支えなければお伺いしても?」
「はい。この辺りは歴史的に後ろ暗い地域が点在しているので、下手に出歩いてはならない。特に川の近くの開けた所は近隣でもかなり閉鎖的で
その話はこの地域でよく聞く話だった。羽金はこれ以上の深堀りはリスクが高いと判断し、メモ帳をポケットにしまって聴取を切り上げた。
「……なるほど、承知致しました。お伺いしたかったことは以上です。ご協力に感謝します」
「こちらこそ、お役に立てましたら何よりです」
蛍火皓子は長時間の聴取にも疲れや嫌気を顔に出さず、おもむろに椅子を立ち上がって深々とお辞儀をした。その所作は最後の最後まで
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
復路の車内には相変わらず白金のお気に入りナンバーが流れている。助手席に座った羽金は聞き取りをしながら取ったメモを見て口の中でモゴモゴと
「何をブツブツ言っとんのや伊知朗」
「いや、何も。皓子さんの話にはどこもおかしいとこなかったし、違和感もなかったなと」
「俺も観察させて貰っとったが、特に怪しい動きはしとらんかったよ」
「ただ、玄香の方から
羽金はメモから目を離さず、頭をポリポリと掻いてブレインウォッシュを進めている。彼が考え事をすると無意識に思っていることが口をついて出てくるのが悪癖で、それは羽金本人も十分に理解している。しかしだからといって簡単に治る訳がないのも分かっている。だから、彼はいつも考え事をする時には周りに他人がいない所で行うことにしていた。だが白金はその制限の外にいる人物だった。
「ほんなら何で、玄香のスマホには
何時にもましてブツブツと
「俺の場合は名前だけやのうて、その意味っちゅうかな。お前から見せてもろたあのサイト、あれで
「――あっ、そうか。そういや俺もサイトを読んでいた時にメッセージがきたんやったな……ナイスやパンチ」
「いや、うん。ここまで材料が揃っとってそこに気づかんほうがレアやとは思うけどな」
額をペチンと叩きながら
『好奇心はあんたを殺すで』
白金は改めて、一条の言葉は色々な意味で深い所に繋がっていると思わされる――と同時にほんのわずかだけ、考えてしまう。
(一条さん……あんた、一体何をどこまで、いつから知っとったんや――)
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