八十三日後・朝

 ワイパーの音がリズムを刻み、雨粒のビートを拭き流していく。軽自動車は制限速度よりもやや速く高速道路を走っており、カーオーディオは昔に動画サイトで流行った人工合成音声の楽曲を流している。異国情緒いこくじょうちょあふれた曲から〝歌ってみろ〟と言わんばかりの高速詠唱えいしょう曲まで一世を風靡ふうびしたものは大体網羅もうらしてあり、今流れているのは社会現象を巻き起こして芸能界の大物演歌歌手までカバーした、超有名曲だった。


「パンチって、昔からそれ好きよな。ずっと聞いとるやん」

「俺の青春といっても過言やないからなあ」

「じじくせえこと言うなアホ……それよりスピード出しすぎや。もう少し落とせ」

「そっちも昔から変わらんねえ――」


 とりとめもない会話を交わし、ブツブツと文句を言いながらスマートフォンをいじる羽金うこんと空元気で張りのある声を響かせる白金しろがねは、大学時代から何だかんだ息のあったコンビだった。進路は異なったが、今でも互いを親友と思っていることは変わっていない。


 白金は今日、病欠扱いで休暇を取っている。その理由は正体不明の送信元から送られてきた不幸のメッセージが届いたからだった。そしてそれは羽金も受けとっていた。

 日付が〝仏滅ぶつめつ〟――つまり今日――に変わった後最初にメッセージが届いたのは二時二分。メッセージの内容は〝いまいきます〟だった。飛び起きた白金がSNSを確認した後、三人のトークグループに連絡をしたのと、羽金からも連絡が入ったのがほぼ同時の話だった。奇妙なことにメッセージを受信したのは〝すでに存在しないアカウント〟からだった。

 最初はメッセージを送った後削除したのかと思った二人だったが、その予想は外れていた。そこから一時間後の三時三分、再びそのメッセージウインドウにメッセージが届いたのだ――すでに存在しないアカウントから、次は〝もういきます〟と送られてきた。すでに存在しないアカウントから送られる死のカウントダウンメッセージ。こちらから返信することはできず、一条は〝こうなったら普通は絶対に助からんちゅうことなんやろな〟とつぶやいた。


『――これ、時間と分が素数かもしれん』


 三回目のメッセージが五時五分に送られてきた際に羽金がSNSでつぶやいた一言から、検証が始まった。予想が正しければ四回目のメッセージは七時七分に送られてくるはずであり、実際送られてきたのもその時間だったので、予想はほぼ確定となった。


『そこから計算すると、最後のメッセージがくるんは二十三時二十三分になるな。これまでの被害者の死亡推定時刻とも合致する。ビンゴちゃうか』


 一条いちじょうはこの言葉に続けてある推測を立てた――きっと間違いないという注釈をつけた上で。


『逆に言やあ、二十三時二十三分に最後のメッセージが送られてくるまで異変は起きんやろ。今までのパターンからその時間までは大丈夫ちゃうかと思っとったが、これで確定やろな』


 一条がいつもの態度でいつものようにしゃべり、いつものように行動しているうちは大丈夫――白金は先日からそう感じている。自分の身にここまで未知の危険が迫っているにも関わらず、冷静に考えて沈着に行動している自分を不思議に思わないでもなかったが、もしかしたら彼の中には一条に対する信頼が少しあるのかもしれない。白金自身は意識をしていないだろうが。そして羽金については単に〝恐怖メーターが振り切れたか、色々ありすぎてパンクしたか〟のどちらかだろう。


 そしてその際、一条が彼らに向けて放った言葉がある。


『こっちはこっちで決定的なネタつかんだで。今日はパンチもメガネも昼の三時までに合流や。そこから日が変わるまでウチと一緒に一歩も外へ出られへんから、そのつもりで準備せえよ。あと飯と酒はたっぷり用意しとけ。詳しい話は合流したら話す。ええか、昼の三時やからな』


 ということで、今日一日の予定が慌ただしく組み立てられ、羽金が白金に頼んで車を出して貰っていた。羽金が何故検事として単独行動をしているのかは〝大人の事情〟が絡んでいる。

 先日の蛍火玄香ほたるびはるか変死事件はマスコミを大いに騒がせ――または盛り上げた。久々の特ネタに報道機関はこぞって連日報道を重ね、数字を競ってヒートアップしている。メディアの暴力、いわゆるメディアスクラムの危険性と制限の必要性は長らく議論されているものの、こうした大事件が起こってしまうと批判などどこ吹く風で、各局ともスクープを追い求めて好き放題に取材攻勢をかける。ワイドショーでこの事件の話が取り上げられない日はなく、出水いずみの事件とあわせてお茶の間や居酒屋、あるいは美容室などあらゆるところを賑わせていた。しかし幸か不幸か、この二つの事件に関する〝オカルト要素〟は何一つとして伝わっていなかった。

 今回の一件で槍玉に挙がっているのは、被害者を留置していた管轄署が一番、次いで彼女を取り調べていた検察庁である。警察署や検察庁前には大量の報道陣が詰めかけ、往来のさまたげも意に介さず何台ものカメラが並んで彼らの動向を逐一ちくいち監視していた。

 不幸中の幸いなのは、出水滋利いずみしげとし変死事件の時に被疑者ひぎしゃとして逮捕された蛍火の個人情報が、マスコミに公表されなかったことだった。羽金が白金や一条へ漏らした話のとおり蛍火玄香を被告人として起訴するには致命的な矛盾むじゅんがあった。何より事件の特異とくい性があって彼女の存在は〝二十三歳女〟としか報道されていなかった。今回の変死事件においても検察庁は留置所内で死亡した女性の氏名を出しておらず、報道各社の強い圧力に沈黙を貫いているところだった。彼女の情報が公表されていれば、羽金と白金が今日向かっている目的地は潰れてしまっていた所だ。そうなっていれば確実に報道陣が詰めかけたであろう場所と相手から話を聞くために、白金は車を走らせている。


 そんな状況であるため、現在公判進行中の事件を担当していない検察官は、マスコミからの追求と追跡を逃れるために特例として庁外捜査活動が奨励されていた。羽金と白金はこうして図らずももたらされた自由時間を奇貨きかとして、自らの命を護るべく動いていたのだった。

 白金は彼が目的地で何をしようとしているのかをまだ聞いていない。聞こうとはしたのだがバタバタとしてタイミングを逃がしてしまった以上に『これから一緒に話を聞けば分かる』と羽金が一条のようなことを言って語ろうとしなかったのが大きかった。


「しかし……偶然なんか知らんけど――」


 また訪れることになるとはね――

 白金はハンドルを握りしめながら、言葉にならないつぶやきを虚空こくうに撒き散らし、一路目的地へアクセルを踏むのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 到着した神社は、前にも見たとおり結構広かった。境内けいだいに設けられた駐車場に車を停めて、白金は辺りを見渡す。本殿までの参道さんどうには砂利が敷き詰められ、両脇に樹が植えられている。いち鳥居とりいをくぐって本殿まで歩くと、空気が張り詰めている感触が白金の肌を包む。そして、白金がこれを味わうのは二回目だった。


 今日の目的は禰宜ねぎに神社の由来ゆらい由緒ゆいしょを聞くためではない。羽金が会おうとしているのは、若い権禰宜ごんねぎの女性のほうだった。


「こんにちは、本日お伺いすると先だって連絡しておりました、◯◯地方検察庁刑事部の、羽金と申します」

「ああ――少々お待ちください」


 社務所しゃむじょで挨拶すると、あまり歓迎されていないような表情と声で返答される。羽金も白金もその雰囲気には慣れているが、慣れていることと平気なことはまた別問題だ。数分待たされ、一人の女性が社務所しゃむじょの中から姿を現す。それは以前白金が一条と訪れた際に最初に応対した、若い女性の権禰宜ごんねぎだった。


「お待たせ致しました。私が蛍火皓子ほたるびひろこです。本日はどのような――あら、貴方は」


 鈴の音もかくやと思わせる透き通った声で、お辞儀も姿勢も非の打ち所がない。目の覚めるような――一条のように派手な――美貌びぼうではなかったが、清冽せいれつりんとしたたたずまいだ。そして、彼女が白金の姿を認めると一瞬だけ少し驚いたような顔をして軽く会釈えしゃくした。この神社は今もそれなりに参拝客さんぱいきゃくが訪れていて、そこまでさびれている感じはない。人の往来も少なくない中で袖触れ合う程度の関わりしか持たなかった白金のことを覚えているというのは、中々にすぐれた記憶力を持っているお方だ――白金は素直にそう評し、そして感嘆した。

 そして彼女の名前を初めて聞いた白金は内心驚きでいっぱいだった。〝蛍火〟という名前はそうそう聞くものではなく、明らかに彼女は蛍火玄香……つまり蛍乃香の関係者であることは疑いようがなかった。羽金はそんな白金の様子を気にかけることもなく、淡々と話を進める。


「失礼致しました。それで本日はどのようなご用件でしょうか」

「はい、蛍火玄香さんの件について確認させていただきたいことが数点あります。今お時間は大丈夫でしょうか」

「はい、少しでしたら」

「では早速なのですが――」

「あの、立ち話もなんですし、社務所しゃむじょでお伺いしてもよろしいですか?」

「あ、これは失礼しました。蛍火さんが一番楽なようにお願いします」


 そして二人は社務所しゃむじょの中に通される。ほどなくして蛍火がほうじ茶を持ってきて、そのまま羽金の正面に座った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 聴取は羽金の主導で行われた。白金は彼の横に座って無言を貫く。対面の蛍火皓子は背筋をピンと伸ばし、視線をまっすぐ羽金に向け、堂々とした居住まいで応対していた。


「では改めまして、◯◯地方検察庁刑事部、羽金伊知朗うこんいちろうと申します。こちら名刺になります。それでは早速なのですが、蛍火玄香さんとのご関係を確認させてください」

「蛍火玄香は私の妹です。血の繋がりはございません。義母の連れ子でした。彼女が独立して数年会っておりませんでしたが、例の事件を父から聞きまして、面会に行こうと思いまして、留置所にお邪魔したのが二週間前となります」

「承知しました。ここからは混同を避けるため、皓子ひろこさんと玄香はるかさんで呼び分け致しますのであらかじめご了承ください」


 そこで羽金がメモにサラサラと走り書きをしていく。なおも質問は続いた。


「では、次になんですけども、玄香さんと面会なさった際の会話の内容を覚えているかぎりで結構ですのでお聞かせいただけますか」

「それは面会の際にすべて記録されるものではないのですか?」

「されないんです。皓子さんも面会時に係官から注意を受けたと思いますが――」


 ある人物が被疑者ひぎしゃとして留置所勾留こうりゅうされており、その人物と面会を行う際、面会人は事件に直結する内容の会話や不穏当な単語などを含む会話はあらかじめ禁止される。破った場合には記録を取られ、面会の一時停止や中止を係官に命ぜられる場合もある。だがそれ以外の場合、たとえば世間話をした程度で詳細まで取られることはほとんどない――

 羽金はそう説明した上でさらに続けた。


「――そして現在、この会話で交わされた内容が玄香さんの一件に関して鍵となる可能性が出てきておりまして、それでご協力をと」

「分かりました。特にこれといった話題は出ておりませんでしたけれど、玄香の様子がやはりストレスに曝されっぱなしのように見受けましたので、一緒に住んでいた頃のお話ですとか、緊張をほぐす方向で会話をしておりました」


 話を聞きながら、この話はやはりあまり一般に知られていないことなのだと白金は思う。


「では一体どのような流れで本の差し入れを行うことになったのでしょう」

「はい、玄香と一緒に生活していた時、私は神道しんとう方面に進路を決めておりました。彼女もそのことは知っておりましたが、その後の会話の流れで御白蛟様おしろみつちさまを知っているかと聞かれまして」

「それは玄香さんから問われた、ということでお間違いないですね」

「はい」


 羽金は何かを書き留め続け、さらに質問を続ける。


「玄香さんが御白蛟様おしろみつちさまという言葉をご存知だった経緯や理由について皓子さんは何かお聞きになりましたか」

「いえ、特には……ただ――彼女は〝蛍火家はすべからく神道しんとうに身を捧ぐべし〟という父親の方針に反抗して家を出ていきましたので、その彼女から御白蛟様おしろみつちさまの名を聞くのは意外でした」

「皓子さんの立場から見て、御白蛟様おしろみつちさまという言葉を知っていることは珍しいことですか」

「そうですね、この分野に強い興味をお持ちでないかぎりまず耳にする言葉ではありません。七五三シチゴサンの儀の際に奏上する祝詞のりとに出てくる程度ですし、それも聞き慣れていなければそれとは分からないと思います」


七五三しちごさんの儀ですか。なるほど』とつぶやきながらさらにメモを重ねていく羽金の視線は鋭く、聴取というより尋問を行っている雰囲気がただよっている――白金は率直にそう感じていた。


「それで、あの本を差し入れしようと」

「はい。偶然にも私が今ご奉仕させていただいている当社でおまつり申し上げている御祭神ごさいじん様の一柱が御白蛟様おしろみつちさまでしたのでそれを伝えたところ、玄香が強い興味を示しましたので、それではということで、私が持っていた史書……というよりは風俗民俗のムック本ですけれど、それを送ってあげると約束致しました」


 そこで、これまで動きっぱなしだったペンが止まった。羽金は机の上にそれを置いて表情を和らげ、フウと一息ついてぎこちない笑顔を浮かべた。


「ご協力ありがとうございます。そういえば、皓子さんは元々こちらが地元ですか」

「父と私は違いますが、義母と玄香がこの辺りに昔から住んでいたと記憶しています」

「なるほど。義母さんは今どちらに――」

「すでに亡くなっております」

「さようでしたか、それは失礼致しました。お悔やみ申し上げます。皓子さんは義母さんよりこの辺りの歴史や民俗について何かお聞きになったことはありますか」

「特には――」


 雑談のつもりで軽い話題を振った羽金の質問を即座に否定しかけ、頬に手を添え首をかしげる彼女の顔が一瞬だけ過去を思い返し、そして何かを思い出して前言を翻した。


「――いえ、そういえば一つだけ聞いたことがあります」

「差し支えなければお伺いしても?」

「はい。この辺りは歴史的に後ろ暗い地域が点在しているので、下手に出歩いてはならない。特に川の近くの開けた所は近隣でもかなり閉鎖的で排他的はいたてきだから気をつけるように――と」


 その話はこの地域でよく聞く話だった。羽金はこれ以上の深堀りはリスクが高いと判断し、メモ帳をポケットにしまって聴取を切り上げた。


「……なるほど、承知致しました。お伺いしたかったことは以上です。ご協力に感謝します」

「こちらこそ、お役に立てましたら何よりです」


 蛍火皓子は長時間の聴取にも疲れや嫌気を顔に出さず、おもむろに椅子を立ち上がって深々とお辞儀をした。その所作は最後の最後までりんとして堂々たるものだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 復路の車内には相変わらず白金のお気に入りナンバーが流れている。助手席に座った羽金は聞き取りをしながら取ったメモを見て口の中でモゴモゴとつぶやいていた。


「何をブツブツ言っとんのや伊知朗」

「いや、何も。皓子さんの話にはどこもおかしいとこなかったし、違和感もなかったなと」

「俺も観察させて貰っとったが、特に怪しい動きはしとらんかったよ」

「ただ、玄香の方から白蛟しろみずちについて聞いとったってことは、やっぱり彼女は出水からその話を聞いていた可能性が高い訳や」


 羽金はメモから目を離さず、頭をポリポリと掻いてブレインウォッシュを進めている。彼が考え事をすると無意識に思っていることが口をついて出てくるのが悪癖で、それは羽金本人も十分に理解している。しかしだからといって簡単に治る訳がないのも分かっている。だから、彼はいつも考え事をする時には周りに他人がいない所で行うことにしていた。だが白金はその制限の外にいる人物だった。


「ほんなら何で、玄香のスマホには白蛟しろみずちからのメッセージがなかった……? 名前を知っとるだけやと〝ごえん〟ができたことにはならへんのか――」


 何時にもましてブツブツとつぶやき続ける羽金だったが、それを聞いた白金は一つ思い当たる節があったので、それと音にして彼の脳内へインプットした。


「俺の場合は名前だけやのうて、その意味っちゅうかな。お前から見せてもろたあのサイト、あれで由来ゆらいだか何だかを読んだ時にメッセージきたように思えるけどな」

「――あっ、そうか。そういや俺もサイトを読んでいた時にメッセージがきたんやったな……ナイスやパンチ」

「いや、うん。ここまで材料が揃っとってそこに気づかんほうがレアやとは思うけどな」


 額をペチンと叩きながらうなずいて気づきを得た羽金を茶化ちゃかしながら、白金もまた思い出した。一条が前に言っていた言葉、あれはこのことを指していたのではなかろうか――と。


『好奇心はあんたを殺すで』


 白金は改めて、一条の言葉は色々な意味で深い所に繋がっていると思わされる――と同時にほんのわずかだけ、考えてしまう。


(一条さん……あんた、一体何をどこまで、知っとったんや――)

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