六十五日後

 このご時世には珍しい〝喫煙可能な〟喫茶店の最奥、その四人席を占める男二人に女一人。彼らは全員腕を組んで、しかめっ面でテーブルの上に置かれたアイスコーヒーを眺めていた。男たちはブラックだが、女性はたっぷりのガムシロップとクリームを投入している。


 男のうち一人は白金和弘しろがねかずひろ、年齢は三十二、役職は警察官で階級は警部補、係長である。女は一条いちじょうとだけ名乗っており、年齢は不詳。接客業従事者ということになっているが、その傍らで〝特殊興信所とくしゅこうしんじょ〟と自称する仕事も請け負っている。そして、話を聞いた白金には意外なことに彼女はしっかりと管轄の公安に探偵業の届出を済ませていた。

 その一条を対面に、白金を右隣にはべらせて座っている男は白金の同期生であり同業者で――白金とは異なる道を歩んだ男。相貌そうぼうの第一印象は怜悧れいりな仕事人間。薄手の眼鏡をかけており、ポーカーフェイスを貫く彼は羽金伊知朗うこんいちろう。年齢は三十二、役職は検察官で、階級は検事。


 最初は一触即発だった。四角四面しかくしめんにスーツを着せたらこうなるという生きた見本の羽金と、自由奔放じゆうほんぽうが派手に着飾るとこうなるというお手本の一条は、白金が案ずるまでもなく水と油、犬と猿であり、やはり彼らは互いを〝クソマジメガネ〟〝ポンコツ探偵〟などとののしり合った。


「――パンチが困ったことになった、助けてくれ言うから忙しい中きたったのに、何でこないやかましい女の話聞かなあかんのや。パンチお前、昔からこういう奴らに絡まれるよな」

「いやいや伊知朗イチロー、頼むからもう少し落ち着いて話を聞いてくれんか」

「おい白金、こないなクソマジメガネ、ウチらの役に立つとは思われへん。時間の無駄やろ」

「何やとこのポンコツ探偵が――」


 ――と、一事が万事この調子なので、話を進めるのにも四苦八苦しくはっくする白金は、まごうことなき苦労性の貧乏くじ体質なのだった。

 それでも、現在検察に送致されて取り調べを受けている蛍乃香について、情報を持っている羽金の協力は不可欠だ――少なくとも一条からの無茶振りを受けている白金はそう判断する。当然〝法律がすべて〟〝六法全書ろっぽうぜんしょを枕に寝る〟などと言われる羽金を説得するのは並大抵ではないのだが、それでも白金が頼れるのは彼をおいて他にいないのだった。

 だから白金は、目の前の検事が大好きなデータを見せて、説得を試みた。一条が調べ上げた一連の事故の被害者リストとその事故の概要、さらに出水いずみの死亡日時とこれらの事故発生日にまたがる奇妙な関連性、白金が得た出水の死亡状況の特異とくい性と、検察内部で割れているであろう疑問点などを説明し、羽金の表情に〝傾聴けいちょうに値する〟の字を浮かび上がらせることに成功した白金は、満を持してとどめの一撃を繰り出した。


「――こえんのとおり……か」


 被害者の中で、最初期の上牧かんまき河合かわい、そして最後の被害者・筒井つついの周囲に残されていたこの一文と出水のスマホに残されていた――一条があえて残した――ものがおおむね一致していた事実。その他の一致点と合わせたこの情報は羽金を押し黙らせるのに十分な力を持っていた。


「せやからな伊知朗、今俺らが一番気にしとるのは今取り調べを受けとる蛍乃香ほのかさんの――」

「お前の頼みでも聞けんよ、パンチ。俺は検事や。誰かが犯罪をなしたんならその罪を白日の下に晒して裁きにかけるのが仕事や。情報を流すなんぞ天地がひっくり返ってもありえん」

「……しやから言うたやろ、こんな奴に情報なんぞくれても一文の得にも――」

「まして、オカルトなんぞはありえん。俺は詳らかにされた情報と証拠から、必ずこの真相を暴いてみせる。しかしその意味ではパンチ、それに一条――やったか。新たな情報の提供には感謝しておく。証拠にはならんが、状況を類推する材料にはなるやろう」

「伊知朗――」

「さて、色々と情報を入手したが、種々雑多しゅしゅざったすぎて理解が追いつかへんな――」


 半分以上自分の都合だけで会話を押し切った羽金は、スーツのポケットからやにわに手帳を取り出し、何かを書き留め始めた。スラスラ流れるペンを追いかけながら、白金は成り行きを見守っている。一方一条は憮然ぶぜんとした顔で足を組み、コーヒーを飲んでいた。


「……状況はこんなところか。改めて情報の提供には感謝する。俺もヒマやないから、これで失礼させて貰うよ。パンチ、人付き合いはようよう考えたほうが身のためやで。んじゃな」


 自分のコーヒー代を文鎮ぶんちん代わりに、羽金は書き留めていたものを手帳から破ってテーブルの上に置いて喫茶店を後にする。白金がその紙を手にとってみると、その紙には蛍乃香に関する情報が箇条書きで列挙されていた。


「……フン、キザったらしいことしくさりよってからに。素直に話せっちゅうんや、なあ?」

「いや、これが伊知朗の最大限の譲歩やろ。あいつはポリシーを曲げてくれたよ」


 メモを一瞥いちべつしながらなおも不平を漏らす一条に、白金は擁護の弁を返した。メモに書かれた内容のほとんどは蛍乃香から聞いたものと大体一致していたが、二点ほどその話にないもの、そしてもう一点、白金が指摘、予想したとおりのことがあった。


「――遺体の切断面は、鋭利な刃物によって瞬時に斬られたとおぼしき形跡あり……これまでの事故死とはガラっと変わったな……」

「こっちのほうがウチには重要やな。出水の手首と足首に紐様のもので縛った痕跡あり、か。しかもその紐まで部屋ン中には見当たらんかったと」

「完全に事件の様相を呈しとるな。それでも蛍乃香さんの犯行とするには……」

「せやな。白金の言うたとおり、出血量があまりにも少のうて、ホノを被告人として立件するには疑義ぎぎがある……まあ、しやろな。やったのはホノちゃうし。出水を斬ったんがホノなら、あいつに返り血がかかっとらんのがまずありえへんやろし。ホノを犯人とする限り、こいつは〝不可能犯罪〟になる……そういうこっちゃ」


〝不可能犯罪〟かどうかはさておき、この状況は以前に日下さんが言っていた〝この一連の話を事件とするには致命的な矛盾むじゅんが存在する〟状態にかなり近いと白金は感じている。

 出血量が少ないのもそうだが、蛍乃香が殺人を実行したとして、手首と足首を縛って自由を奪った後に犯行に及んだのだとすれば、何故それをわざわざ外して証拠を隠滅いんめつしたか、行動に合理性が見られない。しかも警察の捜索の目を逃れて隠滅いんめつするなど普通できるものじゃない。他にも疑問点はあるが、特にこの二つだけでも蛍乃香とはまったく繋がってこないと、白金は思わされる。だからといって真相が分かる訳ではないのがなおもどかしい。


〝この一連の流れを蛍乃香の犯行と立証するには致命的な矛盾むじゅんが存在する〟


 これは、警察や検察には無視できない、無視してはならない重大な事柄だ――そんな思案にふける白金をよそに、一条は音を立ててアイスコーヒーを飲み干しながら二の句を継ぐ。


「あとあのクソマジメガネがここで言及しとらんちゅうことは、ホノには縁が繋がっとらんとみてええんかもしれんな。ちょっと安心したわ」

「……それをずっと気にしとったからな、一条さんは」

「ああ。出水から何ぞ聞かされたかとやきもきしとったで」


 一条は安堵あんどのため息を漏らしながら、アイスコーヒーの氷を噛み砕く。


「出水の死亡日時もしっかり仏滅ぶつめつやったし、この話はやっぱ繋がっとるんやろな」

「しやな。これはこれまでの事故と同じ人外ジンガイの仕業やろ。しやけど、目的がちゃう。こいつを読んだ時、そう直感したで」


 一条がつまんだ羽金のメモをひらひらと揺らしながら口元を吊り上げる。ではその目的とは何なのか、これまでと出水の一件がどう違うのかは、これからの調査で明らかになるやろ――彼女はそう言って、真面目な視線を白金に向けながら、一つの疑問を投げかけるのだった。


「んで、白金。あんた何で〝パンチ〟なんぞと呼ばれとったん?」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 独身には少々広い間取りで、豪勢ごうせいな調度品が並んだ一室。電気を消した部屋は、PC画面の明かりで淡く照らされている。その画面を見ているのは一人の男。かけた眼鏡に光が反射し、その奥の瞳には困惑とわずかな恐怖がにじんでいた。


「そ、そんな――オカルト、なんぞ――」


 ――ありえへん。

 その男はその言葉を飲み込み、送られてきたメールの内容を見て呆然ぼうぜんとするのだった。

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