五十九日後

 今日も程よく残業を終えて退勤した後、飯を見繕みつくろって帰宅した白金しろがね。ここ最近降り続く雨を失念して傘を忘れた結果、両肩に染みをこさえて気分があまりすぐれなかった。

 部屋着に着替えてスーツを干し、洗濯機を回しながらシャワーを浴びて、その後は冷蔵庫で冷えた炭酸水にやしを求める。いつもならこれが平凡ながら満たされる彼の日常だったが、日下くさかに続いて出水いずみまで失踪しっそうしてしまってから早二週間が過ぎようとしていて、勤務先の署内は剣呑けんのんな空気が流れている。暴力組織の暗躍を含めた陰謀論いんぼうろんが真剣に囁かれる中、彼だけはこの話が〝オカルト方面〟が原因であることを知っていて、それを誰にも打ち明けられない。


 先日、一条いちじょうが血相を変えて突然白金の自宅を飛び出した一件については、その翌日に連絡があって、かいつまんで――いささかかいつまみすぎ――だったが説明を貰うことができた。


『自殺した依頼人から有力な手がかりが得られた』


 わたしは、いのちを、たてまつる。

 このくび、ゆわえて、つゆはらい。


 説明はその一言だけだったが、何が起きたのかは推して知るべしだった。さらに手がかりは不可解な文言もんごんで、どのあたりが一条のいう〝有力〟なのか、白金には理解できない。しかし、彼女がそういうのであれば有力なんだろうし、重要な話であればいずれ説明が貰えるだろう。白金はそう自分で結論づけ、それ以上の考察を放棄した。


 それにしても――と、白金は思う。

 出水の失踪しっそうが日下のそれと似ていると、一条は言っていた。もしかしたら出水も〝ごえん〟が繋がってしまったのかもしれない、とも。彼自身もその可能性は高いと思っている。では一体どこで出水がこの件に巻き込まれたのだろうか――白金はその点ばかりを考えていた。

 普通に考えるなら白金か日下のいずれかから、何かしらの情報を得たのだろう。以前一条に『日下に何を言われたのか』と彼自身も問いただされ、そこで話した情報から『まだ大丈夫』という結論になっていたから、出水に対しても同様のプロセスがあったとみて間違いない。

 じゃあ出水は〝誰から〟〝何を〟〝いつ〟言われたのかと問われれば、答えられない。


 解決しそうもない疑問を考えつつ、適当にネットを徘徊はいかいして疲労とストレスをリセットし、時間を潰しながら眠気を待って日が変わる頃合いに就寝――それが白金のルーチンだった。


 今日もその流れで一日を終え、明日に備えて英気を養う――


「……んっ、誰だこんな時間に――」


 ――そんな白金の思惑は、ものの見事に裏切られてしまった。


 それは、メッセージ受信ではなく通話だった。こんな夜更けでも構わず連絡をしてくるなど警察の業務連絡かよほど非常識な人間か。彼はとりあえず無視だけはできないとスマホを手に取り、画面を確認した。

 一瞬だけ、後者の非常識な人間――つまり、出水――であって欲しいと願った白金だった。だが、その思いも簡単に裏切られてしまう。


「えっ、一条……さん?」


 白金は慌てて画面をスライドさせる。その瞬間、彼女にしては珍しく、緊張をはらんだ声がスピーカーを通じて聞こえてきた。


「白金、ええか。落ち着いて聞けよ。今な、蛍乃香ほのかからウチに連絡があった」

「えっ、いきなりどうした――」

「ええから最後まで聞きや。蛍乃香がとんでもないモンを見つけよった。まだウチもきちんと話できとらんけど――」


 それに続きもたらされた情報で白金は衝撃という言葉を軽く飛び越したショックを受けた。


 ――出水滋利いずみしげとし、警部補、二十七歳。

 某ホテルに滞在中死亡。頸部けいぶ切断により即死。

 頭部が行方不明。

 第一発見者は交際相手の通称蛍乃香、接客業従事者、二十三歳。

 通報者は……まだいない。


「――少なくとも、出水に縁が繋がっとったのはもう確定や。あとは――」


 あまりの衝撃に何も言葉が浮かんでこなかった白金は、妙に淡々と報告を続ける一条の声を文字通り右から左へ聞き流してしまっていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 本来なら草木も眠る丑三うしみつ時、白金は自宅に再び一条を迎え入れている。通話を受けてからほんの二時間程度しか経っていないが、それ以前と現在とでは二人を取り巻く状況ががらっと変わってしまっていた。


「一条さん。一体何があったんや。出水が遺体で発見されたのはもう聞いたが、蛍乃香さんはどうなって、現状は――」

「落ち着け、白金。ウチもまだ状況が整理できとらん。ただ、ホノには無茶を言ってこっちに協力してもろた。あんたら警察的にはまずいことやろけどな」

「お、おい。それはどういう」

「落ち着け言うたやろ。しやけど先に進む前にあんたへ警告したるわ。今回の一件じゃあまだウチも確認しとらんことがある。それを今ここで共有したってもええが、その話を聞いた時はあんたももう後戻りでけん。一蓮托生いちれんたくしょうや。それが嫌ならウチは今すぐ帰るが、どうする?」

「あ、後戻りでけん……? 一蓮托生いちれんたくしょうて一条さん、あんた何をしたんや……?」

「時間がない。進むか戻るか、どっちや?」


 白金は警察官として、一人の人間として天使と悪魔のささやきを聞いた気がした。しかし結局、彼は悪魔の主張を受け入れ、一条とともに進むことを決意した。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~


 ふん、話を聞いたあとで日和ひよるなよ? 警告はしたからな? んじゃ説明したる。


 先ず、ウチが蛍乃香から連絡を受けとった。仕事中やったがちょうど客もハケた頃やったしそのまま店を抜けたんや。蛍乃香は出水から助けてくれちゅうメッセージが入ったとかでな、指定されたホテルの部屋に駆けつけたそうや。鍵はかかっとらんかったと言っていた。

 蛍乃香はおそらくその現場を見て錯乱したやろうけど、そんなんはどうでもええわ。ウチに連絡をよこしたのも、あいつがその場に駆けつけた直後か、ナンボか時間が経っとったのかは分からん。しやけど大事なのはそこやない。

 どうにかこうにかして蛍乃香を落ち着かせて、聞けた情報は次のとおり。


 ・ 入室時点で出水の他に気配はなかった。浴室やトイレは見ていない。

 ・ ベッドの上で大の字に四肢を広げ、仰向けで倒れている出水がいた。

 ・ その時点で頭部は見当たらなかった。部屋にあったかどうかは未確認。

 ・ 出血量が異常なほど少なく、壁や天井にはかかっていなかった。

 ・ 部屋内に金品を物色された形跡はなかった。


 その後はウチから蛍乃香にいうて、警察へ通報させた。繁華街のホテルなんぞで歩いたら、そこら中にあるカメラに映っとらんほうが奇跡や、あんたもそう思うやろが? 第一発見者が真っ先に疑われるなんぞ当たり前の話なんやから、自分から通報しといたほうが有利になると伝えたら、そのとおりに動いたよ。

 んで、ここからが大事な話なんやけどな。蛍乃香には一つだけ、現場をいじってもろうた。いや、しやから最初に言うたやんか、聞いたら後戻りでけへんでって。今さらやいのやいのと騒ぎ立てんな、時間もないんや。

 何をしたかっちゅうと、出水のスマホを失敬してもろたんや。ウチもそのホテルは〝よく〟知っとるトコやったから、窓の外へと放っておいてもろて、警察が室内を探し回っとるスキにその携帯を借りたっちゅう寸法やな。

 アンロックコードはどないしよかな思ったけど、蛍乃香が知っとって助かったわ。あいつら付き合うとったみたいやしな。ま、そんなんはどうでもええ話や。


 ウチの予想じゃ、日下と出水のケースが似通っとるっちゅう話なら出水のスマホにも何かが残っとる……何でそんなことが言い切れるか? アホウ、守秘義務シュヒギム守秘義務シュヒギム。今はそないな話関係あれへんから黙って聞け。

 とりあえずウチも出水のスマホの中身はまだ見とらん。あんたにも深く関わっとる話やし、一応情報は共有しておかなあかんなと思ってやな。


 さてさて、どないな話が飛び出してくるんかいな……っと。

 …………

 すまん。あんたには見せられんわ、コレ。アカン奴やった。ウチもうっかりしとったわ。

 え、ここまできてそれはない? やかましいわ。見せられんもんは見せられん。

 って、あ、おい、何すんねん! 勝手にスマホ取んなや!


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――」

「……あーあ」


 一条の手からひったくったスマホの画面を見た白金は、内容を読んで絶句した――それは、スマホのメモ帳アプリに貼り付けられていたメッセージだった。


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 ………………

 くさかたよめ


 おまえしかも〓〓のめなくなつてしまつ〓

 しろか〓〓〓みんなにはひみつにしてほしい

 ろくしあのほてるにもつをもつてあつてほしい

 みつからな〓〓〓〓るんたくれくれもきをつけろ

 つかまつたらなにもかもておくれになるたのんた〓

 ちかくまてきたらおれにますめーるてれんらくをく〓

 さいあくおんなれんらくつけてたすけをよへにけられる

 まちかえたらせんふおわるからそのつもりて〓〓〓〓くれ


「一条さん、何やこれは。何で出水がこないなメッセージを日下さんから受けとったんや」

「そんなんウチに分かるかいな。あんたのほうが詳しいやろが、出水と日下の関係なんぞは。それよりそのスマホはよ返せ。じっくり見てええもんちゃうでそれ」


 一条が白金から再びスマホを引ったくり、画面を操作し始める。何をしているか覗き込んだ白金は、彼女がメモ帳を削除したと知って声を荒げた。


「おい! そいつはそもそも警察が捜査すべき証拠やぞ! 何をそんな勝手に削除して――」

「あんな、白金。あんた、ずいぶんとかるうく考えとるようやけれどもやな、こいつは読んだモンをもれなく引っ張り込む〝のろいのメール〟や。ただ見るだけならまだ大丈夫やけど――」


 そこまで言って口をつぐむ一条の態度にいぶかしんだ白金が続きをうながすが、彼女は空とぼけた。いくら聞いても何も答えようとしない彼女の行動に、白金の疑念はますますつのる。


「……ん。これは見しても大丈夫やな。おい白金、出水は他にも、中々おもろいメッセージを受けとっとったようやで」


 人が、しかも白金に近しい人が変死するという状況で、さらにいえば現場保全すべき証拠をくすねておいてからの非常識な発言を何度も繰り返す一条に強烈な違和感を覚えつつ、それをこらえる白金。彼女から突き出された出水のスマホを手にとって見ると、それは白金もつい最近始めさせられたSNSの画面だった。そこには誰かからのメッセージが連投されている。


 つきいきます

 うさぎによろしゅうな

 いまいきます

 もういきます

 いまつきます

 もうつきます

 いまそこてす

 もうそこてす

 いまきました

 もうきました

 いたたきます


「……何のことかまでは分からんが、出水が〝うさぎによろしゅうな〟と返しとる以外は全部無視しとるみたいやな。にしてもこれ、誰からのメッセージやろ……」

「ん~、これやと差出人が分からんな。〝メンバーがいません〟になっとる。これはつまり、アカを削除したってことや。最後にUnknownが退出したって書いとるし、間違いない」


 そのメッセージとは別の枠でもう一件、一条と白金が眉をひそめたものがあった。こちらも差出人不明――メンバーがいません――だった。


 こえんのとおりまつる


「これは――アレ以外にはないわな。しかも最後が〝まつる〟に変わっとる。こいつは大きな手がかりになるかもしれんぞ」

「…………」


 ポツリとつぶやかれた一条の言葉に、白金は何も返せずにいた。

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