五十五日目

 玲央れおの突然死から六日経ったが、いまだに心の整理がついていないどころか、玲央の死すら受け入れられていない。俺はこれまであまりにもやることが多すぎたのと、心の奥底で現実を直視できず――あるいは直視を拒否して、玲央のことを一切考えないようにしていた。明奈あきなは放心したように、冷蔵庫で出番を今かと待ち構えていた手作りのバースデーケーキをナイフで切り分け、美桜みおと一緒に黙々と食べていた。

 その姿があまりにも痛々しすぎて彼女たちに声の一つもかけられなかった俺は、ただ黙々と諸々の手続きを進めていった。


 死亡当日、言葉とおりに火戸ひどさんがすぐ戻り、冷静沈着に玲央の遺体をあらためて死亡診断書をいただいた。翌朝役場へ届け出る一方で葬儀の準備を進めたが、火戸さんの助言と口添えで、自治会としてり行うことになった。

 これまでは俺を避けている素振りを隠そうともしていなかった自治会長代理の水島みずしまさんも、このときばかりは葬儀に列席し神妙な面持ちで〝御花代おはなだい〟を包んできた。葬儀委員長を買って出てくれた火戸さんご夫妻も列席してくれたが、その他の自治会役員、特に役員だったはずの木下きのしたさんと金本かねもとさんはこなかった。

 俺は不躾千万ぶしつけせんばんながら、あの木下さんが葬儀に列席しなかったというのが意外だった。彼女は茶道さどう華道かどう、そして組紐くみひもなどをご近所の奥さんたちに教える教室を毎日のように開いていて、特に礼儀作法、エチケットやマナーといった方面には厳しくしっかりとしている印象だった。当然都合もあるだろうが、木下家から誰一人として列席いただけなかったというのは驚いた。


 通夜は自治会が動いて公民館を手配してくれた。家族葬でひっそりと済ませたかったのだが自治会として葬儀をり行わせて貰いたいと申し出があったのと、単純に費用が雲泥うんでいの差で、今の俺にしてみれば無視できない要素であったのも事実で、正直複雑な気持ちではあったが、自治会からの申し出に乗せて貰うことにした。

 その通夜で水島さんを始めとする自治会関係者の面々は、俺や明奈から距離を取っていた。自治会長代理として列席しない訳にはいかなかったことは分かるが、露骨に俺たちとの接触を避けようとする姿にはいささか鼻白はなじろむ思いだった。何かに恐怖を抱いているような雰囲気にも見えたが、正直いってよく分からない。


 そしてそんな雰囲気を察したかどうかまでは分からないが、通夜の最中に不可思議な現象がいくつか起こった。まず、玲央の遺影いえいがパタンと倒れた。アクリルのカバーが割れるといったことまでは起こらなかったが、何度立て直してもパタンと倒れてしまうのが薄気味悪かった。そして、会場の壁や天井がきしみ音を立てるのも不安をかきたてた。いわゆるラップ現象で、まるで焚き火のまきぜるような〝パチッ〟という音が時折鳴り響いた。

 さらには、焚きとおしのお線香が途中でよく折れた。最近は寝ずの番を立てて新しい線香をつけずに過ごせるよう長時間焚いていられる渦巻き状の線香が主流だが、気がついたら折れて消えていた。

 告別式のときにもラップ現象が見られ、不気味な思いを味わったが、火葬場で玲央を骨壺こつつぼに納めるときにじょうげきして号泣ごうきゅうしてしまったことで何も考えられなくなってしまい、覚えていた一切が漂白されてしまった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 玲央は今、俺たちの寝室に組み立てられたコーヒーテーブルの上で笑っている。もう二度と動かない、不朽ふきゅうの笑顔だ。淡いイエローグリーンのカバーに包まれた骨壺こつつぼと仏具が玲央の前に置かれ、今も白檀びゃくだんの薫りが部屋に立ち込めている。


「――玲央――」


 忌引きびきで今週いっぱい仕事を休んでいる明奈は、テーブルの前に座って動かない。これまで寝食もろくに取らず、思い出したように涙を流して嗚咽おえつを漏らしたかと思えばただただ呆然ぼうぜんと写真を見つめて時折ぽつりとつぶやくだけだったり、線香を焚いてりんを鳴らしてはまた顔をおおって泣き始めるといった状態で、思わず後ろから抱きしめてしまうくらい弱々しかった。


 美桜は自分の部屋でクロノアと遊んでいる。幼い彼女にも玲央に何が起きたのかはうっすら分かり始めているようで、最初『ねえ、玲央は? どこいったん?』と聞いてきた美桜も今はただ黙って瞳に陰を落とし、膝の上のクロノアを優しくでるだけだった。


 俺も無言で自分の部屋のワーキングチェアに腰を下ろし、集中の切れた目線でPCの画面をただぼうっと眺めている。仕事の依頼が何件か届いていたが〝今はブッキングが一杯です〟とウソをついて断ってしまった。とてもまともに仕事がこなせそうな状態じゃなかった。正直に〝息子が亡くなりましたので、少しお休みさせてください〟と言えなかったのは単にその後の依頼に影響を及ぼしたくなかったからなのか、玲央の死を直視できなかったからなのか、俺は分からなかった。


 ――それにしても。

 葬式会場では色々あった。テレビやネットではよく〝葬式会場にはよくないモノもたくさん集まってくるから怪奇現象も起きやすい〟などと言われているが、実際に自分が体験するまで眉唾だと思っていた。だが、実際に経験してしまった以上、あの類の話には本当の話も一定数存在するということを実感した。

 それとも――俺の、いや、玲央のケースが特殊だったのだろうか――


 鉛が詰まったような重い頭で、晴れる訳もない疑問の霧を手で振り払うような思考に時間を費やしていると、階下でインターホンが来客を知らせた。明奈は俺にすら反応を示さないのでインターホンなど気にも留めないだろう。俺は階下に降り、インターホンのスイッチを押して誰がきたのか確かめた。するとそこにいたのは、美桜がしばらく見かけないとさびしがっていた無口な女の子、のあちゃんだった。一言二言かけても動く様子がないので、俺は門扉もんぴの所まで向かおうと、インターホンを一旦切った。


「美桜、あのお友だちがきてるぞ」

「え、ホント? わかった。ちょっと今みっともないから顔洗ってからいく」


 玄関を出ると、さっきまでどんより曇っていた空から雨がポツポツと降り始めている。傘を取り出して門の所までいくと少しだけ肩を濡らしたのあちゃんが無言、無表情で立っている。


「こんにちは、のあちゃん。ちょっと今ね、家もゴタゴタしちゃっててね……美桜ももうすぐくると思うんだけど――」


 今日はあまり遊べないと思う――という言葉を言い出す前に、のあちゃんが右手をまっすぐ突き出してきた。親指だけを折り曲げた数字の〝四〟のポーズを見せ、俺の目を見据みすえながら相変わらずの無表情で。まるで俺など眼中になく、背後に潜む何かを射抜くようなその視線に俺は思わずたじろいで、継ぐべき二の句がまったく出てこなかった。


「ごめん~、お待たせのあちゃ――って、あれ?」


 玄関から美桜の声がしたので俺が振り向くと、キョトンとした顔で美桜が首をかしげている。


「ん? 美桜、どうしたの」

「ねえパパ、のあちゃん、どこ?」

「え――あれ、確かに今ここに――」


 美桜の率直な質問に改めて振り向くと、そこには誰もいなかった。歩いていったのではなくそこからこつ然と姿を消した――それほど静かな、気配のゆらぎすら感じさせない――それは霧消むしょうといっても差し支えないほどの消えっぷりだった。


「パパ、ウソついちゃだめだよ~。罰としておんぶしてって~」

「……確かにいたんだけどな」


 美桜に後ろから全力で飛びかかられ、俺は情けなくも少しよろめいてしまった。というより美桜が順調に成長していっているということだろうか。


「――しんちゃん、ごめんな。私ももう少しシャンとせなあかんのに――」


 傘をたたんで玄関に入ると明奈が目の下にくまを作りながら立っていた。申し訳無さそうに謝ってくる彼女の肩にポンと手を置いてぎゅっと握り、大丈夫だよとだけつぶやいた俺には、一体誰が大丈夫だよと言ってくれるのだろうか。

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