三十九日目・承

「これより、第百九十七回、七五三シチゴサンの儀をり行います。御子みこ様の安全幸福を祈念きねんし、先ずはご来場の皆様、拍手をお願い申し上げます」


 正装に身を包んだ巫女みこさんがヘッドセットのマイク越しに祭祀さいしの開会を宣言すると、次いで観客から盛大な拍手が沸き起こる。今どきの神社ってヘッドセットも普通に使いこなすのか。時代に合わせて色々とアップデートされているのはどの界隈かいわいでも一緒ということだな。

 その後三つのグループに分けられていた子供たちが本殿前に整列、神主かんぬしさんが朗々ろうろう祓詞はらえことばみ上げる。その間、子供たちはうつむき、微動だにしていなかった。


「らい~はい~」


 祓詞はらえことばが一旦途切れ、巫女みこさんの明朗な声がスピーカー越しに響き渡ると、本殿前に整列した子供たちがおもむろに二礼後お辞儀をしてその姿勢を保っていた。その後も神主かんぬしさんの祓詞はらえことば境内けいだいに設置されたスピーカーから反響して聞こえてくるが、方言か古語か、あるいは単に音が割れて聞き取りづらいのか、祓詞はらえことばの内容が難解で何をんでいるのか俺には分からなかった。

 やがて神主かんぬしさんが御幣ごへいおごそかに振り、周囲の空気が少しだけ引き締まった気がしたところで太鼓がドオンと三回音を立て、子供たちがゆっくりと起き上がった。今行っていたのはきっと修祓しゅうばつの儀だ。

 その後も儀は続いたが、流れがほとんど地鎮祭じちんさいのそれと同じだったことは少し意外だった。神主かんぬしさんが降神こうしんし、献饌けんせん祝詞奏上のりとそうじょうを経たあとに、子供たちの四隅を囲むように待機していた巫女みこさんが子供たちの周りへ塩や米、酒をきはじめる。恐らくこれが四方祓しほうはらいの儀だろう。ここから少し変わって、巫女みこさんが子供たちの間を練り歩いて塩を振りまきつつ回っていた。その間神楽笛かぐらぶえしょうそうされ、場の空気が一層引き締まる。そこからは再び地鎮祭じちんさいと同じ流れで進み、撤饌てっせんから昇神しょうしんの儀を経て、最後は再び巫女みこさんたちが子供たちの間を歩いて今度は酒を振りまく。

 地鎮祭じちんさいならここで直会なおらいとなった後に閉会なのだが、この地域の七五三しちごさんはまだ続きがあった。


「――さあ、ここからが見どころです」


 隣で観ていた火戸さんが少しだけ俺のほうに顔を寄せ、小声で教えてくれた。どうなるかと見守っていると、ここで始めて三つに分けられたグループが互いに距離を取り始め、それぞれ別の大人たち――きっと氏子うじこだろう――がグループに対して数人、これも子供たちを取り囲むようにして立っている。雰囲気的には引率っぽい。


「くろうて~、ゆわえて~、たてまつる~」

「「「くろうて~、ゆわえて~、たてまつる~」」」


 成り行きを見守っている所に、神主かんぬしさんがあげた言葉を子供たちが一斉に復唱し始め、再びその場で礼拝らいはいを始めた。今度はすぐに姿勢を直し、全員立った所で神主かんぬしさんが再び同じ言葉を発すると、子供たちもまたそれを復唱して、同じ動作を始めた。

 そこから三歳のグループはそれを合計三回、五歳のグループは五回、七歳のグループは七回繰り返した所で、神主かんぬしさんが三歳グループの子供たちに近づき、御幣ごへいを振る。


「ここから、子供たちを分けた意味が出てくるんですよ。まず三歳の子たちですが――」


 三歳の子供たちは巫女みこさんから握り飯を受け取り、それをその場で全部食べた。火戸さんの説明によれば、最初はおはぎだったそうだが、あんが苦手な子や糖分を心配する保護者の声を受けて、塩にぎりに改められたとのことだった。そして、握り飯のそれぞれは小さかったが、子供たちはそれを三個、つまり年の分だけ食べる必要があるという。何だか節分のようだな。火戸さんいわく〝すくすくと健康に大きく、まっすぐ育つように〟との意味があるそうだ。

 三歳のグループが一段落し、巫女みこさんや引率の氏子うじこたちに率いられて本殿前から退場する。神主かんぬしさんは次に五歳のグループへ近づくと、氏子うじこさんたちが細いしめ縄を取り出してきた。


「五歳の組は男児のみです。神様のお力を身に宿すという意味で重要な所です」


 じっと見守っていると、氏子うじこたちが子供をしめ縄で一人ずつ縛り上げている。両手を胴体に縛り付けるようにしてしめ縄を巻き付け、後で軽く縛っていた。その状態でさらに神主かんぬしさんの先導で子供たちが本殿の中へと上がり込んでいく。子供が全員入ったのを確認し、神主かんぬしさんが本殿の扉を閉め、そのまま七歳のグループへと近づいていった。


「こ、子供たちを本殿の中に閉じ込めるんですか?」

「そうですね。そこで神様の加護を受け、お力を宿すとされているんですよ」

「だいたいどれくらいかかるんです?」

「そうですね、少なくとも七五三シチゴサンが終わる直前ぐらいまででしょうか。ただ中の子が一人でも泣きわめいたりすればその場で中断となります」

「なるほど――」


 そんなことを話している間にも、神主かんぬしさんと氏子うじこの人たちが準備を進めているようだった。小さな松明たいまつに火を灯し、〝やけどするから注意せえよ〟〝火事になっから落とすなよ〟などと声をかけながら、子供たちにそれを一本ずつ手渡している。


「ひ、火戸さん、あれは一体――」

「あれが今回の七五三シチゴサンのメインイベントです。七歳になった女の子は、あそこの――」


 そういって火戸さんは本殿の背後にある山を指差し、笑顔で言葉を継いだ。


「――山の上にある奥殿おくどのまで行って帰ってくるんですよ」

「えっ!? 夜の山を、ですか? しかしそれは危険じゃ……」


 火戸さんのその説明を聞いて、七歳の女の子グループが晴れ着ではなく体操着に身を包んだ理由が分かった。山の中を歩くのなら、晴れ着など着ていては色々まずいだろう……しかし、それにしたって夜中に、子供だけで、女の子が……?


「大丈夫です。道中はしっかり踏み固められた道ですし、子供たちに悟られないよう大人が脇に隠れて見守っておりますから」

「そ、そうは言っても、暗闇が怖くて泣き出す子もいるでしょう」

「もちろんいますし、そういう時はちゃんと大人が出て介抱します」

「な、なるほど……?」

「この儀式も当然意味がありまして、七つになった子は神の子から晴れて人の子として現世に戻ってくるのですから、今まで無事に育ててくれた感謝の気持ちと、今後も親としてうやまたてまつるという祈りを捧げるのが目的なのです」

「ああ、それってあの童謡みたいですね」

「通りゃんせですか。またそれともちょっと違うのですが、まあ似てなくはないですかねえ。ただ、この〝山還やまがえり〟は――」


 火戸さんは、まるで自分が経験してきたかのような口ぶりで楽しそうに語ってくれている。しかしこうして詳細を聞いてみると、なるほどこれは他の地域とは毛色が違うなと思った。


「その唄に出てくる内容がそのままイベントになっていたりして、それも特徴ですね」

「唄に出てくる内容……どこらへんですか?」

「いきはよいよい、かえりはこわい。奥殿おくどのにいった帰りに、ちょっとした仕掛けがあります」

「仕掛け……ですか」


 何か不吉な予感がしてきた。そして、美桜は来年これをやらなければいけないのか……?


「何、先程いった、脇に隠れている大人たちが、突然子供たちに声をかけるんですよ」


『おまえはどこの何モンや』

『行儀ようせんと帰さんで』

『わりい子は帰さんで』

『返事せん子は食うてまうで』


「――といった言葉を、ですね。細かいところはちょっとアドリブが入ったりもしますが」

「は、はあ……」

「そしてもう一つルールがあります」


 七つを迎えるまでは子供は神の子とされ、それまでは神と話ができるとされるが、七五三しちごさんの儀で神の子から人の子へと戻るということはこの神とも話せなくなるということだと。つまり奥殿おくどのへいった帰りにかけられる言葉を神の言葉と見たて、これに返事してはいけないのだと。

 なるほど、言いたいことは分からないでもないが、少々子供には刺激が強すぎる気がする。とはいえ、この行事ももう二百回近く催されているし、子供たちは子供たちでそういう情報を事前に聞いて知っているだろうから、そこまでパニックにはならないか――

 しかしそうなると、〝返事せん子は食うてまうで〟と矛盾むじゅんしている気がする。そこには何かいわくがあったりするのだろうが、新参者の俺にはさっぱり分からない。


「おんかみさまに~、たてまつる~。われらかみのこ、おやまのこ~。くろうて、ゆわえて、たてまつる~。われらこんにち、ひとのこに~。なりしあとにも、たてまつる~」


 神主かんぬしさんのみ上げを子供たちが復唱する。覚えるには少し長い文だが七歳ともなれば多分大丈夫なのだろう。問題は美桜がこれを全部覚えられるのか、だけど……今からそんなことを心配しても仕方がない。

 そうこう考えている間に、子供たちが一人、また一人と本殿横にあるしめ縄――これは山の結界だ――を潜って暗闇の林道へと姿を消していった。松明たいまつの灯りがしばらく見えていたが、それも漆黒しっこくに飲み込まれていく。


「ちなみに火戸さん、この〝山還やまがえり〟でしたっけ、時間はどれくらいかかるんですか?」

「年によってずれますけど、多分二時間もかかりませんよ。その間我々は屋台巡りをしたり、振る舞われる御神酒おみきを戴いたりして待つんですよ……というかベラベラと話して申し訳ない。何だかお子さんが退屈そうにしておりますが、大丈夫ですか?」

「え、あっ、玲央、どうしたんだ? 眠いのかい?」

「ちょっとねむい……」

「美桜はどうだ? 疲れたか?」

「ううん~、大丈夫やよ~」


 玲央は明らかに眠そうな声をしている。いつもこの時間からウトウトしだしているし無理もない。美桜は何だかつまらなさそうというか、少し心細そうな声と表情をしている。俺は一旦火戸さんと別れ、屋台を巡って美桜たちのご機嫌を直そうと考えた。

 火戸さんから『後でもう少しお話があります』と言われたので、自治会の天幕テントの所で後ほど落ち合うことになった――土田つちださんや水島みずしまさんたちがいれば、その時は俺から伺いたいこともあるから丁度いい。


「二人とも何か食べたいものはないか? 今日はママからも買い食いOKを貰っているから、綿あめでもフランクフルトでも何でも……」

「ううん、あたしなら大丈夫やよ。それよりね、この神社、ちょっとおっかないん。あたし、はよ帰りたいん」

「ん、そうなのか。あのお山に登るのが怖ったか?」

「ううん、ちゃうよ~。この神社のなかがね、さむいのん」

「ふむう……ちょっと薄着過ぎたかねえ」

「ぱぱ、れおねむい~」

「ああ、そうか。もう疲れちゃったか。じゃあおぶってあげる」


 玲央は俺の背中で早速船を漕ぎ始めている。あと数分もすればぐっすり寝てしまうだろう。とりあえず俺もお腹が空いてきたので屋台で唐揚げやポテト、焼き鳥といったものを買い――ついでに俺はビール、美桜はラムネを買い求め、空いていた休憩所に座って小腹を満たした。その後少しブラブラと境内けいだいを見回り、頃合いを見計らって火戸さんのいる天幕テントへ足を運ぶ。


「ああ、いらっしゃいましたね。お疲れ様です」


 火戸さんがヤカンに入った麦茶を湯呑にいで飲みつつ、扇子をあおいで祭りの模様をじっと見守っている。ざっと見た限り自治会の主だった役員は誰も見当たらない。会長の土田さんも水島さんも、それに木下きのしたさんも金本かねもとさんもだ。


「あの、今日は自治会の方々は誰もいらっしゃらないんですかね。実行委員会とかで様子を見回りにいっているんでしょうか――」

「……お話があるのは正にその件なのです。ここでは詳しい話はできませんので、近いうちにお宅へお邪魔させていただいてもよろしいでしょうかね」

「えっ……それは構いませんが……一体どのようなご用件で――」


 その問いに、火戸さんは数秒の沈黙と周辺への慎重な目配せで答えた。一体どうしたのか、俺は彼の言葉の続きを待つしかできなかった。


「概要だけお教えします。土田さんは先日、自宅でお亡くなりになりました。私が駆けつけて看取みとりましたので間違いありません。水島さんは葬儀委員長として、現在は土田さんの葬儀の準備を行っております。木下さんも金本さんもそちらを手伝っております」

「――えええっ……!?」

「さすがに自治会の役員が誰も七五三シチゴサンの儀を見ていないというのもまずいものですから、私が代表で顔を出させていただいているんですよ」


 土田さんが――亡くなった!?

 その言葉を聞いた時、俺は正しく青天せいてん霹靂へきれきという感覚を味わうことになった。

 ……数日前に見たあの映像は、まさか、本当にった出来事だったというのか……!?

 一体どういう原理であの映像が撮影されたのか、それがどうやって、設置した監視カメラの映像として俺のPCに送られてきたのか――一切が理解不能だった。


「ほっ、本当に土田さん……が……?」


 しかし、その映像のことは誰にも言えない。言えるはずがない。明奈ですら信じなかった、荒唐無稽こうとうむけいな話なのだ。今日会って話をしたばかりの火戸さんになど、言える訳がない。そして火戸さんは一層声を低くして、今の俺にさらなる一石を投じるのだった。


「はい、そこは間違いがありません。ですが問題はそこではなく……貴方がその話を知らず、葬式にも――その事実について、お話がしたいのです」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 俺たちは結局七五三しちごさんの儀を最後まで見終わることなく帰ってきた。美桜は相変わらず神社が怖いとつぶやいていたし、玲央はすっかり夢の国の住人となっていた。

 俺は俺で、火戸さんから聞かされた話の内容に、少なからぬ衝撃を受けていた。土田さんが先日亡くなっていたということももちろんだが、その映像らしきものを俺がここで観ていたことが何よりも不気味で、自治会の面々が参加予定の土田さんの葬式に俺たち家族が呼ばれていないどころか、土田さんの死去を聞かされてもいないことが不穏だった。

 明奈にその話をすると〝もう自治会の人たちは何も信用でけん〟といきどおっていたけど、今後の近所付き合いについても真剣に話し合わないといけないかもしれない。火戸さんは何やら俺に後日話があるそうだが、一体どうなることやら――

 俺は自分の部屋で仕事をこなしながらそんなことを考え、鬱々うつうつとしていた。

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