三十九日目・起

「――今日って、近所の神社で七五三しちごさんをやるんやろ? 私は家でのんびりと休んどるからさ、美桜みお玲央れお連れて一緒に行ってきなよ」


 明奈あきながベッドの上に寝転がって女性雑誌を読みながら話しかけてくる。本人は人混みの多い所が得意でなく、すぐに貧血で倒れてしまうのであまり行きたがらない。パートの仕事でも、会社に大きなトラブルが発生したらしくて、もしかしたら少しの間残業続きになるかも、とも言っていたが、あまり無理をしないで欲しい。

 一つだけよかったのは今日、昨日までのぐずついた天気がウソのように朝から雲一つない、晴れ渡った空と澄み切った空気を迎え、久しぶりに気持ちのいい一日を過ごせていることだ。そんな日にお祭りがあるというのだから、気分も少し上向いてくるというものだ。


「じゃあお言葉に甘えてそうさせて貰おうかな。来年は二人とも七五三しちごさんに出てみたいかい?」

「うん、あたしやってみたい~」

「おくもやる~」


 玲央も小さい体を精一杯に伸ばしてバンザイをしながら、懸命に主張している。その様子がたまらなく愛おしい瞬間だった。


「んじゃあ美桜は可愛い、玲央はかっこいい着物を探さないとな~」

「皆でゆっくり楽しんでおいでよ。今日は買い食いダメだなんてヤボも言わんから好きなだけ食べといで。でもホンマに珍しいよね、夜にやる七五三しちごさんなんて私聞いたことないわ」

「確かになあ。しかも普通の七五三しちごさんはまだまだ先だろ? だからこそ、どんなことをするのか本当に興味ある」


 この地域の七五三しちごさんは夜に開催され、その時期も普通と比べて早いという話は土田さんからも聞いた話にあった。彼から貰った書類にもそんなことを書いてあったが、自分で調べてみると色々と分かったこともあった。

 七五三しちごさんでは、まず三歳の男女、五歳の男子、七歳の女子のグループに分けられる。それぞれ神社の別の場所に集合し、年齢に応じて違った催しを行うのだそうだ。ただ、その内容までは調べても見つからず、これは自分の目で見てみたほうが早そうだ。


「じゃあ、そろそろ行こうか。二人とも準備はできたかい?」

「うん~、はやくいこ~。ママ~、いってくるね!」

「パパおんぶ~」


 とにもかくにも、今までの運勢が悪すぎたのかは分からないが、少しずつ上向いてきている気がしている。本当にこの生活が続いてくれたらどんなに幸せなことだろうか。


 ――俺は心の奥底から、そう願わずにはいられなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 神社の境内けいだいが夜にまぶしく輝いている。鳥居前通とりいまえどおりには様々な屋台が並んでいて、美味しそうな匂いやら楽しそうな声やらが空気を満たしていた。俺も童心に帰った気分になってしまって、思わず射的やスマートボールで遊びたくなるが、今日の主役は子供なので我慢だ。

 この神社は境内けいだいが広く、石造りのいち鳥居とりいを通って参道さんどうを抜け、朱塗りの鳥居とりいの後ろ、背後に山を背負うようにして本殿が鎮座ちんざましましている。そのほか稲荷社いなりしゃ祓戸社はらいどしゃ日吉社ひよししゃまつられているが、それらが摂社せっしゃなのか末社まっしゃなのかまでは残念ながら分からない。そこらへんを間違えたりしたら礼を失していることだけは分かるのだが。


「あら、貴方は――」


 屋台をゆっくり眺めていると、背後から女性の声に呼び止められた。振り返ると、そこには見覚えのある人がいる。派手さはないがいかにも中流階級の上層ですといったような雰囲気をかもし出した、細身の女性だ。化粧は薄くはないが、くどさは一切感じさせない。ワンピースにストールを巻き付け、シックなツートーンでまとめている。

 ……この方は、引っ越しの翌日の挨拶回りで話をした――


「こんばんは。お久しぶりです、火戸ひどさん」

「こんばんは。すっかりご無沙汰を致しまして」

夏美なつみさん、僕にも紹介してくれないかな。この方が……?」


 そして隣にはよわい五十代、ロマンスグレーの髪の毛を持ち、上品そうな装いに物静かな声色で夏美さんと呼ばれた女性に語りかける男がいる。考えるまでもなく、この方が火戸明信ひどあきのぶさん、自治会の役員として、そして石碑の世話役の一人として名前だけは聞いていた〝火戸医院ひどいいん〟の二代目院長先生だろう。身につけるアクセサリがいちいち高級志向で、さすがはお医者さんといった所だろうか。

 都会に長い間住んでいたらしい火戸さん御夫婦は、二人とも極めて洗練された出で立ちで、言葉は悪いが〝こんな片田舎には似つかわしくない〟とすら思えてくる。

 俺は火戸さんにも挨拶を交わし、お互いに名前を交換した。次いで、火戸さんの視線が俺の隣にちょこんと立った美桜と、その美桜に手を繋がれた玲央に向けられる。


「こんばんは、お嬢ちゃん、お坊ちゃん。初めましてだね」

「こんばんは、初めまして~、美桜です」

「れおです」

「うん、挨拶がきちんとできるのは素晴らしいことだね。最近の子供は話しかけても反応すら見せない子が多いですからねえ」

「まあ、そういうご時世になっていますからね。知らない人の挨拶に返事したらダメだとか、目を合わせたらダメだとか」

「僕としては、積極的に明るく大きな声で挨拶や声がけをしたほうがそういった不慮の事態を未然に防ぐ力になると思うんですけどねえ。中々難しい話ですねえ」


 といった会話を火戸さんと交わしつつ、開催の時間が迫ってきたので一礼して鳥居を潜り、すっかり祭り模様になっている境内けいだいを見渡す。見れば、同年代の子供たちが三つのグループに別れて立っており、それぞれに壮年の男性たちがついていた。恐らく見守りの護衛だろう。

 面白いのは、他の子たちが晴れ着やはかまなどを着ているのと比べて、一番大きな子供たち――七歳の女の子――のグループは体操着を着用していることだった。ショートパンツだったり、ジャージだったりと子供によって様々だが、体操着ということだけははっきりしている。

 ……ということは、美桜が来年この七五三しちごさんに参加するとして、晴れ着を着ずに体操着になる可能性があるってことなのだろうか……? 何かちょっとそれも風情がないような――

 さて、それはそれとして、境内けいだいは結構な人だかりになっていてまっすぐ歩くのも大変だな。どこに行けば催しを落ち着いて観られるかな。


「よろしかったら僕たちと一緒に見物しましょう。この儀式について、僕が知っていることを色々説明して差し上げますよ。無論、ご迷惑でなければですが」

「助かります。右も左も分からない状態で、誰かに頼れるといった状況でもないので――」

「……ふむ。その辺りの話も、後ほど。今はせっかくの楽しいお祭りなのですから、雰囲気を楽しもうではありませんか」


 何だか含みのある言い方をされてしまったが、祭りを楽しみたいという言葉に異論はない。俺は彼らご夫婦の先導に任せ、人でごった返す境内けいだいを奥へと歩いていった。美桜と玲央の手を引き、はぐれないように細心の注意を払う。


「さあさあ、こちらです。ここで一緒に見ましょう。結構迫力がありますよ」


 火戸さんに連れられた場所からだと、儀式全体がよく見える。見物客が結構多く、観光客とおぼしき人たちもそれなりにいるので界隈かいわいでは有名な催しだったりするのだろう。そんな中でも火戸さんに案内されたこの一角はそういった見物客たちで混雑することもなく、空いていた。いわゆる特等席というやつだが、実はVIP席だったりは――


 ドドオン、ドオン、ドオン、ドドオン。


「わあ、すっご~い! 音おっきい~」

「ろおん、ろろおん」


 ――などというどうでもいい考えは、空気を震わせる太鼓の音とそれに興奮した子供たちの歓声にかき消された。

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