三十七日後

「先輩~。飯いきましょ飯」


 昼飯時になり、自分の机の前で伸びを一つしていた白金しろがねに、軽妙な感じの声がかけられる。振り向けばご機嫌な顔をした出水いずみがポケットに手を突っ込んで立っていた。


「すまんけど今日はおごれへんで。先日ちょいと出費がかさんだんでな」

「またまた~。どうせ先輩のことやからパチで勝ったんでしょ」

「ちゃうわい。というか最近全然ホール行けてへんわ」

「まあいいっす。実はもう一人、飯に誘っとるんすよ。紹介したいから一緒に行きましょ」


 こいつが上機嫌でそんな誘い方をするってことは、また女か……これまでも何度かそういうことはあったので、白金はもはや慣れてきつつある自分に嫌気がさしていた。そうはいっても結局昼飯に付き合う、お人好しな彼であり――


(しかしこの男、自分が警察官という自覚はあるのか、問いただしたいな……)


 ――そんなことで思いわずらう程度には、後輩思いな男だった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 署を出る前に立てていた予想は問題なく当たった白金ではあったが。


「こんにちは~、この間はごちそうさまでした~」


 出水が連れてきたのは先日の飲みで一緒になった、一条の連れの女性だった。白金は予想が当たりつつもなお驚かされるという器用な経験をした。


「ああ、こないだはどうもお疲れ様でした。ええっと――」

蛍乃香ほのかです~。本名はナイショで!」

「俺は教えてもろてんけどね~」

しげちゃんなら教えるよ~」


 ……ああ、つまりこれはあれか、また俺はノロケを聞かされる流れなのか、しかも昼飯代をこっちが出して――そう考えて、白金は比喩ではなく頭が痛くなってきた。


 連れられた店はいかにも女子ウケが良さそうなイタリアンのレストランで、案の定周りには若い女性やカップルがひしめいている。ここのランチスペシャルのコスパが最高なんすよと、出水が満面の笑みでメニューを彼女と二人で覗き込みつつ、何にするかを話し合っていた。


(はあ……んじゃあ俺は俺で適当に)


 結局、無難にリガトーニ・ボロネーゼとシーザーサラダを注文した白金は、対面側に二人で座って楽しそうにはしゃいでいる二人を見ながら、レモン水をちびっとすするのだった。


「……いやあ、やっぱこの店うまいなあ。ええセンスしとるわ」

「そうかな? あたしも友だちに連れてきてもろて気に入っただけやよ~」

「気に入ったってことは味覚のセンスがええってことや。俺とも相性バッチリやな~」

「そんな風に言ってくれるなんてホンマ嬉しいわ~」

「……なあ、出水。今更だが確認させて貰えるかな。君たち、付き合っとんの?」


 ジェラートばりに甘い空気に耐えかねていてもたってもいおられず口を挟んだ白金。それを糸口にして、出水がこれでもかと言い訳がましいノロケ成分たっぷりの馴れ初めを語りだす。正直個人的な問題は好きにやってくれたらいいと思ったが、こうなっては止めようがないのを白金も知っているので、とにかく落ち着くまで好きなように語らせることにした。


「――という訳でしてん、あの飲みのあと、先輩かてあの一条さんとよろしかったんでしょ? 俺らは俺らで楽しくやらせて貰いましたよ」

「いや、俺は別に何も――」

「またまた~、一条さんがお店で言うてましたよ~、〝あの人、本当に気になる〟って」

「先輩もホンマ隅に置けまへんな~。あないなべっぴんはんのお眼鏡にかなうなんて、ホンマ。あっ、俺の最高はホノちゃんやからな~」

「ふふっ、分かってるって~」


 二人は間違いなく、一条が〝気になる〟と言った理由を思い違いしている。もちろんそんな事情を彼らに話す訳にもいかないし、別に思い違いで何か取り返しがつかない話になる訳でもないので、白金はそれ以上突っ込むのをやめた。


「あっ、そういえば先輩。今この動画がバズってるん知ってます?」


 二人きりの世界に浸っているとばかり思っていた出水から突然まったく違う話題を振られた白金は食べていたチョコレートのジェラートをこぼしかけてしまった。そんな彼の様子を見てニヤニヤしていた出水は、その顔のままで自分のスマートフォンを白金に預けてきた。画面を見ると、どうやら肝試し系の動画のようだ。


「これ、長いんか? 俺らもうあんま時間ないで」

「大丈夫ですて先輩、ものの二分くらいですから。めっちゃおもろいですよソレ。ホンマよくできとるなって思いますもん」


 なおも勧められて動画を見てみる。十代から二十代前半の男女数人が廃墟はいきょになった一軒家に上がり込んでやいのやいのと騒ぎながら奥へ進んでいっている。しかし白金は冷静に考えて、本来こういうやからを取り締まるべき立場の自分たちがこんな動画を見て面白いと言って果たしていいのだろうか――と冷めた気持ちで動画を見続けていた。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~


『ちょ、何これっ!? 何か見たことあるで』

『えっ、待って待って、それ確か何やったっけな……カメラとかのアレちゃうの?』

『おいお前ら、あんま派手に騒ぐなよ。ケーサツきたら即撤収テッシューやからな』

『大丈夫やって、ここらへん周り近所ほぼ誰も住んどらん――』

『きゃあっ!』『うおっ!』

『えっ、何どしたん!?』

『お前今何か俺の耳元でしゃべったやろ!?』

『あっ、あーしもあーしも! 何か変な声がボソって聞こえよってん!』

『んなもんしゃべれる訳なかろうがや! 俺はこっちの部屋探検しとったんやぞ』

『てき』

『ほなら一体誰や、気味悪いこと言うたんは』

『え、リュー、びびっとんのか。何て言っとったんや』

『いや、よく聞こえんかったんやけどな、〝かえれ〟とか〝つぶす〟とか何とか――』

『おーい、リュー! おもろいモンみっけたで! こっちきてみい!』

『あん? 何やねん一体――って、おおお、そいつは珍しい蛇やな』

『せやろ? お前こういうん好きやったやんな?』

『くろう』

『いや、ホンマ立派な蛇やなあこいつ。ほうれ、お前はこんなトコで何しとんのかいなっと』


『『うごあああああああああっ!?』』

『なんやヤス、ノブ! でっかい声出すなゆうたやろ!』

『ま、待って、あのふすま、いきなりガタガタガタって――』


『『ぎゃあああああああああっ!?』』

『や、ヤバイではよ逃げよ!!』

『何でいきなりふすまがバタアンて開くんやっ!』

『そんなん知らんよお! もうやだ早く逃げよおよ!』

『つぶし』

『リュー、そんな蛇はよ置いていきいや! そんな薄気味悪いモン!』

『やばいやばいやばいやばいやばい!!』


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 今日も程よく残業を終えて退勤し、晩飯を見つくろって無事に帰宅した白金だったが、最近続く雨を失念して傘を忘れた結果、両肩に染みをこさえて気分があまりすぐれなかった。

 最近天気が崩れやすくなっているだの、台風が多いだのと同僚が話していたのを聞き流して公務に励んでいた彼にとっては、明日の雨模様よりも日下くさかの消息を突き止めるほうが何よりも大事なことだった。


 部屋着に着替えてスーツを干し、洗濯機を回しながらシャワーを浴びて、その後は冷蔵庫で冷えた炭酸水にやしを求める。平凡だが、これが白金の幸せだった。

 あとは適当にネットをうろつきまわって時間を潰しながら眠気を待ち、日が変わる頃合いで電気を消して就寝する……それが日常のルーチンとなっている。


 それにしても――と、炭酸水のボトルを置きながら天井を見つめて吐息を漏らしながら昼の動画でみた光景を思い返す。それと同時に、本当に出水は警察官として自覚を持っているのか彼は本気で心配になってきていた。


(確かによくできとった動画ではあった。雰囲気はあったし、作り物とは思えんリアリティがあったのは確かや。あれが偽物だとすりゃあ映像関係の仕事をしとる人が作ったんやろけど、もし本物やった場合――えらい不吉な動画やな)


 そんなことを考えつつ、気がつけば日が変わりそうな時間まで過ぎてしまっている。白金はエアコンとシーリングライトの電源を落とし、明日に備えて英気を養うのだった。

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