三十三日目

 この一週間、気疲れすることばかりだった。今週になって夜な夜な家の庭を徘徊はいかいするような足音が聞こえ始めたのを皮切りに、自治会長の土田つちださんがやってきては変な質問をしてきた。


『何か変なものに遭遇しなかったか』

『皆の様子に変わった所はないか』

『家の内装をいじったり大幅に変えたりしたか』


 ――正直ここまで根掘り葉掘り質問される意味がまったく分からないし、そこまで自治会のお伺いを立てるような必要もないだろう。

 俺はそう伝えたのだが、まったく聞く耳を持ってくれなかった。

 相手方の質問にはプライバシーに関わるようなことも含まれていて、そこは回答をきっぱり断らせて貰ったが、それでも土田さんは納得していないようだった。最終的には諦めたように引き下がったが、『もっと理解のある人だと思っていたんやけれどねえ』などと捨て台詞せりふまで吐かれてしまっては、こちらとしても付き合い方を考え直さざるを得ないだろう。

 あとは、そんな状態を放置しておけば確実に明奈あきな、そして美桜みお玲央れおの子供たちの安全にも関わってくる重大ごとだった。


 そこで、家の壁の各所に監視カメラを設置した。周囲を歩き回るような物音が聞こえるので防犯上必要な措置だった。見守り活動が何の用もなしていない以上、自分の家は自分で守る。画面の録画や管理は自分のPCで行うが、あからさまに外壁に取り付けたりする所を向こうに見られでもしたらまた問題がありそうという明奈の提案を受け、窓の内側から、ガラス越しに要所を監視する形で小型カメラを据え付けた。

 カメラを取り付けたその晩、早速誰かが家の周りをキョロキョロと探っている姿が見えた。懐中電灯で足元を照らしながら、大きな音を立てないようにそろりそろりと歩いている様子が画面にはっきり映し出されていた。その映像を記録し、翌日弁護士に相談を持ちかけた。だが弁護士が言うには、現状では〝売買契約書〟にもしっかり記載されている〝石碑の維持管理を目的とした敷地進入への同意〟を盾にされると不利だとのことだった。何時から何時までの間敷地進入を認めると明言されていないのが災いして、家屋侵入の現行犯でもなければ契約書の合意に従って石碑の維持管理を行っていると逃げられる可能性がある――と。


 ――本当に面倒なことになってきた。これはとても厄介なことになりかねない。幸か不幸かこの不審人物――十中八九土田さん――が家に入ろうとする気配が今のところないので何とか事なきを得ている状態だが、当然明奈は気が気でない様子で、自治会に直談判じかだんぱんにいこうとまで言ってきている。俺もそうしたいのだけど、契約を持ち出されると本当にこっちが不利なので頭が痛い問題だ。

 この家に引っ越してきてから初めて、町内自治会への信頼が揺らいでしまった。土田さんがまったく姿を見せず、こちらから顔を出しても居留守を使われているのか、返事がなかった。本当に不在の可能性ももちろんあるけど、あんなことがあった後ではそう考えてしまうのだ。


 そして最近、水島みずしまさんが石碑の世話をしにこない。日程表を確認すると一回飛んでいるが、俺たちを避けているのか、それとも他に問題があるのか不明なまま、時間だけが過ぎている。

 今日もずっと雨模様で、明奈が精神的に疲れを見せてきている。低気圧の頭痛、主に洗濯がまともにできない苛立ち、家の周りをうろつく不審人物の影、何より自治会との軋轢あつれきからくるストレスで彼女は寝込んでしまっている。こんな生活が今後も続くようであれば本当に色々と考えなければ。とはいえここを出ていく選択肢は中々とりづらいのが悩ましい。


 美桜はつまらなさそうにクロノアの背中をで、玲央は寝転がりながら絵本を読んでいる。この二週間ほどは雨が途切れた試しがなく、かなり長い期間降り続けているので、どうしても鬱屈うっくつしてしまうのだろう。こういう時は俺が車を出してどこかドライブでも――と思いかけ、明奈も大変な状況にあることを思い出して断念した。


「……ねえ、こんなことになるなんて思ってなかったんやけど」


 リビングで思案にふけっていた俺に、ベッドから起き上がってきた明奈がぼやきながら水を取って近づいてくる。その顔には憔悴しょうすいが明らかに色濃く落ちていて、見ていて痛々しかった。きっと物理的にも、そして精神的にも頭痛に悩まされているはずだ。


「俺もまさかここまで話がややこしいことになるとは思っていなくて……見通しが甘かった」

「あなたのせいやないのは分かっとるよ。というかおかしいやん、あの自治会のやり方」

「うん、でももう今さらできることは――」

「分かっとるって! でもどうにかならんの? このままやと私たち、潰れてまうで?」


 どうにかできるなら俺だってどうにかしたい。石碑の世話についてはともかく、家のことに過干渉かかんしょうしてくるのは契約にないはずだし、そこはきっちりと話をしなければならないだろう。しかし当の土田さんと言い合って以降、土田さんがこちらとの接触を避けているフシがある。それをどうにかして直接面談しないと、進められるものも進められない。

 だが、今はそんな理屈よりも、明奈に寄り添っておかないとまずい。気休め程度だろうが、言葉で気分を落ち着けてやるのも効果的だとは思う。


「……そうだね。俺だってできるなら自治会をどうにかしたいよ。抜けられるのならさっさと抜けたいけど、現実的には難しいと思う。だからどうにかして、自治会を中から変えていく、そういう風に行動していくのも大事になってくると思うんだ」

「いっそ自治会長に立候補してみるとか? 石碑の管理だか何だかしらんけど、やり方やってもっと今にふさわしい形にできるんやない?」

「それはまだまだ先の話だと思うから、まずは自治会の旧態依然きゅうたいいぜんとした価値観をどうにかして払拭ふっしょくしていくことを考えたほうがいいかもしれない」


 明奈はまだ何かを言いかけていたが、ことを荒立てたくない様子で、そのまま押し黙った。いきなり自治会長になろうとしたところで、長年ここらに住んでいる人たちの支持なんか到底得られるはずもないし、反発も相当なもののはずだ。


「とにかくあの人たち、特に土田さんには本当に困ったもんだ。どうにかしたいな……」


 そんなつぶやきが、リビングの天井に当たって跳ね返った。とにかく今俺がすべきことは明奈と美桜に玲央、そしてクロノアが住むこの家庭を俺なりに守ることだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 二人の子供がクロノアと一緒に寝静まっているのを見届けた俺は、動画サイトを見ていた。特に最近は嫌なこと、不安になることが連続していたので、好きなトランス・ミュージックを聴きながらぼうっと過ごしたいと思っていた。何も考えずにワーキングチェアに体重を預けて天井を眺めていると、色々と洗い流せる気がする。


 その時、デスクの上で充電していたスマホがポコンと鳴って何かのメッセージを着信した。確認してみるとたった一言だけ表示されていた。謎めいて不気味なスパムメッセージのようなよく分からないメッセージ――


 シチゴサン


 まるで意味をなしていない、たった五文字のこのメッセージが何を意味しているのか、俺は何も理解できないまま、音楽のそらへ身も心も預けてただよっていた。

 そして音楽を聴きながら順調に仕事をこなしていき、寝る時間が近づいてきた。そういえばそろそろ避妊をしてもいい頃合いかもしれない。動物病院に予約をいれて相談しにいこう――


「ん……? な、何だ、この映像は?」


 ――そんなことをとりとめもなく考えていた時、俺は画面の中に違和感を見つけた。

 自治会長の土田さんと一悶着ひともんちゃくあってから取り付けた監視カメラは現在も稼働中で、いつでも録画ができるように設定してある。画面はPCで確認できるようになっているが、いつもとは違う景色を映し出しているカメラが一つだけあった。画面に表示されるタイムスタンプもなく解像度もひどく粗い。色味いろみは白黒で変わらないのだけど……


「これ、どこかの家の中……だよな。一体何が起きて――」


 そうつぶやきながら画面を凝視していると、そのカメラに見覚えのある人物が入り込んできた。暗くてよく見えないが、その人物はどうやら土田さんのようだ。それに気づくと、この画面も引っ越した直後に土田さんや主だった面々が集まって話を聞いた、土田邸の応接室のようにも見えてくる……というか、記憶の中の印象と実際に映っているものが次々と一致した。


「……えっ、何がどうなってる? これ、土田さんの家……え、何で??」


 俺は予想だにしなかった出来事に唖然あぜんとして、思わず録画ボタンを押した。PC画面の中で土田さんは寝る前に電気を消して回っているようにも見える。

 突然、画面の中の土田さんが応接室でよろめいた。最初は何かにつまづいたかと思ったが、恐らく喉を両手で押さえ、苦しそうにもがく彼の様子が映し出されている。俺は突然の展開に言葉を失い、生唾を飲み込んで一部始終を見守っていた。

 時々ノイズが走り、カメラの映像がブレる。テレビの試験放送画面のような紋様もんようが一瞬だけ現れたり、かと思えばどこかの花畑のような光景が映ったり、無秩序なことこの上なかった。やがて画面いっぱいにホワイトノイズが走ったかと思うと、数秒後に映像が戻った。画面には俺の家の周囲が映し出されていた。


「……えっ、い、今のは――?」


 状況がつかめず、なおも茫然自失ぼうぜんじしつとしていた俺の耳におやすみ通知が鳴った。スマホを取ると時間は零時れいじちょうどだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 翌日、俺はありのままを明奈に話した。明奈は半信半疑はんしんはんぎどころか一信九疑いっしんきゅうぎの態度で話を聞き流していたが、俺があまりにも真剣に主張を続け、さらには〝映像も録画してある〟と伝えたことで、その映像を確認しようという話になった。

 俺は彼女を連れ立って自分のPCにあるはずの映像ファイルを探したがそこには何もなく、明奈の『最近ホンマ疲れとるみたいやから、寝落ちして変な夢でも見たんや』と、背中を軽く叩かれながら置いていかれた言葉を聞いて、自分の精神状態を疑うばかりだった。


 やっぱり、俺が、何か、おかしくなっているのか?

 それとも、何かに、俺が、おかしくさせられているのか?

 ――俺には分からなくなってきていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る