三十一日後

 必死の捜索活動にも関わらず依然いぜんとして消息のつかめない日下くさかさんの一件が膠着こうちゃくしている以外何の変哲もない一日がいつものように過ぎ、いつものように日が落ちた。少しばかりの残業をこなして退勤した白金しろがねは、かねてから決めてあった待ち合わせ場所へと足を運ぶ。そこは人と連れ立って行くにはいささか雰囲気が雑然としすぎている、一軒の小さな立ち飲み屋だった。


「おう、あんた遅いで。ウチもそんなヒマやないんやからな、待たせんなや」


 暖簾のれんをくぐると待ち合わせ相手が先にカウンターに陣取って酒を飲んでいた。他に客はなくカウンターの奥には初老の夫婦が惣菜そうざいを仕込んだりおでんを温めたりしている。

 いい趣味をしている――と白金は言いかけて、それを押し留めた。そういった類の言葉は、店を切り盛りしている人に失礼な場合が多いからだ。ただ自分をここに呼びつけた相手がこの店を指定してきたことには意外さを禁じ得ない白金だった。もっと高級感にあふれた、豪華かつ瀟洒しょうしゃな店のほうがイメージに合っている、そんな印象を白金は持っていた。

 ちなみに、〝遅い〟とは言われたが、これでも約束の時間十分前には到着している。


「……今日は非番なんですか、一条いちじょうさん」


 白金はほんの少し彼我ひがの距離を保ちながら隣に立ち、一条の姿を一瞥いちべつして挨拶を交わす。

 ブリーチングで色を抜いた金髪に、眉毛もまつ毛も同じ色で、薄く化粧はしているものの、前回会った時ほど気合を入れている訳ではない。にも関わらず彼女のたたずまいには華があって、油断すれば見とれてしまうほどの顔立ちだった。今日は長髪を縛り上げてポニー風にしているおかげもあって、余計に色気がただよっている。

 ただし、豪奢ごうしゃなのは首から上の話で、身体はすっかりオフモードそのもの。真っ赤な上下のジャージに身を包み、これまた見事に鮮やかな赤のサンダルを履いているという、完璧なほどラフで下町の細い路地でよく見かけるような、気楽な格好だった。


「まあな。というかあんたのことがあったから無理くりシフトを組み替えたんや。ホンマなら今日は同伴どうはん入っとったんやけどな、残念ながらあんたのほうが優先ってわけ」

「はは……それはとんだご迷惑を」

「ホンマに迷惑やで。といっておぼれかけとるモンを見捨てるっちゅうのも寝覚めが悪い話や。しやから、ここの酒代で手を打つ。それくらいはええよな?」

「まあ……それくらいは」


 彼がこうして話すのは二回目だが、とにかく一条は物言いがストレートで一切遠慮がない。気持ちのいいくらいにスパっとした性格なのが容易にうかがい知れる。


「よっしゃ。んじゃ大将、二合、ひやで。あんたも何か飲みい。飲み屋にきて何も飲まんなんて野暮天ヤボテンなことこの上ないで」


 注文するヒマがどこにあったんだよなどと心の中でツッコんだ白金は、定番も定番のアレを頼んだ。突き出しに松前漬まつまえづけを出され、乾杯と同時に一口食べてあまりの旨さに目を見開く。


「ここはな、見てくれはショボいけど味は折り紙付きや。ハズレはないから何でも頼みい」

「おいおいショボいはないやろレイちゃん」

「ショボいモンをショボい言うて何が悪いねん。ほらほら手が止まっとる。さっさとだし巻き焼かんかいな」


 この場の酒代を払うのが白金なら、店を切り盛りして料理をきょうしているのは店の大将さん。それなのにタダ酒を飲んで食べている一条が一番偉そうに仕切っているのは一体何なのか……白金は半ば呆れ、半ば感心しながら冷たいビールを喉に流し込んだ。

 産地からわざわざ取り寄せたという希少な魚を焼いたものとか、自家製味噌を使った田楽、他にも色々と料理が出てきたが、それこそ失礼ながらこんな店で出てくるものとは思えない、どれも最高の味だった……白金は素直に感嘆し、行きつけリストに一行書き加えた。


「……あんたのおごりと聞いて調子のって食ってもうたせいで、本題忘れるトコやったわ」


 腹と喉がこなれてきた頃になって、ようやく一条が話を切り出してくる。もしかしたら実は飯をたかるのが本来の目的だったのではと、白金は内心不安になっていた矢先の話だった。


「あんた、あの日下って男とは実際どういう関係や」

「……もう自分が警察ってのはバレてるものとして話しますが――」

「ああ、鬱陶うっとうしいから敬語はやめえ。タメでええ」

「……元々あの人は俺の教練官きょうれんかんで――」

「まだるっこしい話もええから要点だけ話し。直近はどういう関係やった?」

「……課が違うから上下関係はないけど、時々色々相談したりされたりはしていた」

「ふむ。んじゃ最近、何か相談されたんやな?」

「せやな。はっきり言えば、先月あった単車の単独事故の件から色々と――」

「やっぱそうか。んなこったろうと思ったわ」


 酒をグイと飲み干して、おかわりを頼んだ一条が得心した顔でうなずく。白金は一条のペースに翻弄ほんろうされつつあったが、何とか踏みとどまって会話を続けた。


「んで? 何言われたんや」

「何、とは?」

「あんたはその日下を通じて、余計なモンと縁ができかかっとるっちゅうのは言うたはずや。つまり、日下からあんたに何かが伝わっとるはずや。それを思い出されへんのやったらちいとややこいけど、心当たりがあるならさっさと教えたほうがええで」

「うーん、そう言われても……ほんなら俺が日下さんから聞いた話を順に話す」

「それなごうなる? かいつまんで話しや? 酒代が高うなるで」


 白金はそのおどしに怖気おじけづいた訳でもないだろうが、最小限の要点だけを抜き出して、簡潔に説明を進めていった。単車事故の奇妙な点や関係者の事故の話とその共通点の話題については頬杖をつきながらつまらなさそうに聞いていた一条が強い反応を見せたのは、日下から受けたメールの話を繰り出したときだった。


「……何やて。そのメール、確かに文字化けしとったんやな。ほんで、それを自分が復元して内容を見た……間違いないな」

「あ、ああ。間違いない」

「分かった。んで、その文面に〝ごえん〟は含まれとらんな?」

「――確かになかった」

「それ以降、文字化けしたメールは?」

「きとらん」

「よし、あんたはまだ大丈夫や。今、まだそのメールはスマホに入っとるんか?」

「ああ」

「んじゃ、そのメール今すぐ消せ。スマホからも頭からもな」

「今すぐ? ここでか?」

「そうや、今ここで、ウチの前で消せ」


 白金は少しだけ逡巡しゅんじゅんしたが、データ――文面そのもの――はすでに捜査本部へ渡してある。自分が持っていなくても問題はないと判断し、言われるがままに画面を操作してそのメールをスマホから削除した。頭から完全に消し去るのは至難のわざだろうが、どのみち内容をいちいち覚えてもいなかったので、問題はないだろうと見切りをつけてもいる。


「よし、消したな。ひとまずはこれで安心や――といいたいトコやけど、もう一つやっとこ」


 そう言いながら、一条は自分のスマホを取り出す。今どきの子らしい派手でゴテゴテとしたデコレーションが施されているが、特に目を引くのが某キャラクターグッズを数多く手掛ける企業主催の人気投票でもう何年も連続でトップを取っている、ゆるふわキャラの人形だった。


「ウチとフレ登録しい。何かあったらいつでも構わん、連絡せえ。絶対五分以内に返事する」


 白金は前回一条と話をした際に〝絶対次に会うまでに入れとけ〟ときつく念押しされていたSNSを開け、一条とフレンド登録をさせられた。白金は宗教上の理由で件のSNSをやっていなかったが、一条に押し切られる形でなし崩し的に始めてしまったのだった。


「――今度こそこれでよし、と。んで、これは日下にも言うたことやけど……」


 スマホをカウンターテーブルの上に投げ置いて、今や脇においてある一升瓶から手酌で酒を注いでは飲んでいる一条が顔を近づける。その色香に一瞬とまどう白金だったが、それ以上に〝どれだけお酒を飲んでも顔にも息にも出てこない〟一条の酒豪っぷりに面食らっていた。


「忠告したる。知らぬが仏やで。ええか、好奇心はあんたを殺すからな……ああ、せや。あと今後日下から何かメールが送られても絶対に開けんなよ」

「え、どうして?」

「ええから言うとおりにしい。こっちにも守秘義務シュヒギムってもんがあるんや」


 それだけ言って一条は姿勢を元に戻し、また酒をいでは飲んでいる。その飲みっぷりにも呆れ驚く他ないが、それと同時に彼は彼女が今放った言葉の真意をはかりかねていた。


守秘義務シュヒギム……? もしかして彼女は日下さんについて、何か情報を持っているのでは――)


 白金はその疑問をそのまま口にはしてみたものの、彼女はぞんざいに返事を返すばかりで、結局何も情報は得られなかった。しかし、一つだけ、白金が思い知らされたことがあった――一条には絶対に、酒をおごると言ってはならない、ということを――


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 彼の財布はすっかりと軽くなってしまった。電車に乗り込んだ白金は、ドア近くの壁に背を預けて一条との会話を反芻はんすうしていた。彼女いわく、ひとまず危機は去ったとのことだったが、今後も注意が必要だろう。結局日下の安否は聞けずじまいだったが、それは今後改めて彼女に聞いていけばいいことだと思い直す。ただ、捜査本部に彼女の存在を伝えるべきかについては迷っていた。常識的に考えれば伝えないという選択肢はありえないが、白金がこれまで話した一条という存在は警察とは相容あいいれないというか、距離を保った協力関係に留めておいたほうがいいのかもしれない、という気持ちも存在する。いずれにせよ即決しなければならない話ではないので、家に持ち帰ってじっくりと考えよう――そう結論付け、外の景色に意識を向けた。


 そしてそのまま帰宅した彼は熱いシャワーを浴びて汗と酔いを洗い流し、冷やした炭酸水を飲んで喉をうるおして、いつものルーチンで就寝した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る