二十七日目

 ここ最近ずっと雨に降られている。最近流行はやりの〝ゲリラ豪雨〟ではないものの、しとしと降りそそぐ水滴と、不快極まりない強烈な湿気が体にまとわりついては流れ落ちていく。長雨に打たれしょぼくれた草の生い茂る庭を見ながら、俺は先日の出来事を思い返していた。石碑の世話に水島みずしまさんがやってきた、やはり天気の崩れた週末の朝のことだった。


 わらぼうきで軽く石碑をささっと払い、枯れ葉や雑草を手早く摘み取ってきれいにしていく水島さんの手際には、長年この世話をやってきた経験がにじみ出ていた。やがて掃除も終わり、雨が降っているからか火は使わず、そのまま二礼二拍にれいにはくして水島さんが何かをみ上げ始める。これが明奈の言っていた〝祝詞のりと〟だ……何度聞いても難解な言葉で、日本語には聞こえない。


『あの、水島さん。この前に土田つちださんがみ上げはってた時も思ったんですけど、それは一体何て言うてらっしゃるんですか?』


 石碑に軽く一礼して立ち上がった水島さんに、俺の後ろで黙って見ていた明奈あきなが尋ねた。


『ん? ああ、それは土田さんに聞いてくれ。ウチらはただこれをみ上げるように言われているだけでな、あの人の許しなく勝手に教える訳にはいかんのや』


 ゴミ袋を拾い上げ、傘を持ち直して申し訳なさそうに答える水島さんだったが、その口調と裏腹に人の良さそうな笑顔がつねに貼り付いていた。しかし、何だろうか――今まであんまり考えてこなかったし感じることもなかったものが、今になって鎌首かまくびをもたげてくる。それは、〝よそ者に対する警戒心〟のような何かだった。


『すまん、これもウチらの決め事でなあ。なあに、知ってても知らんままでも、縁起悪いことなんぞ何一つないから、心配はせんで――』


 少しだけ不満をつのらせた空気を察したのか、水島さんは一層快活な声をあげ敷地を出ようと歩き始めた。しかしその刹那せつな、水島さんの表情が驚愕きょうがく狼狽ろうばいに凍りつき、声が止まる。視線は家の門のほうに釘付けとなっていて、その目は大きく見開かれていた。


『う、う、うわっ、うわああああああああっ!?』


 数瞬の後、絶叫したくても喉を締め付けられて声を絞り出せないかのような甲高いかすれ声で水島さんが悲鳴をあげた。手に持っていたゴミ袋と傘は地面に落ちて、彼自身は腰を抜かしたようにその場にへたりこんだ。


『あっ、あの、水島さん? 一体何が――』

『みみみ、見るなっ! ふ、振り向いたらアカン!』


 その言葉を聞くや聞かずやのタイミングで、俺と明奈は水島さんの視線の先を確認しようと振り向いたが、そこには驚き、おののくようなものはなかった。俺は明奈と顔を見合わせて、水島さんに向き直った。疑わしいというか怪訝けげんそうな目つきになっていただろうけど、それは状況から考えて仕方のないことだっただろう。


『ちょ、ちょ、ちょっと、申し訳ないが、きょ、今日はもう失礼するで』

『ま、待ってくださいよ水島さん! 一体何がどうしたっていうんですか! 私たちの前でそんな心配させるようなことをして、何も説明なしじゃあ流石さすがに――』

『そんなこと言うとる場合とちゃうんや! あんたらにはきっちり今日中に説明するわい! 先ずはちょっと行かせてくれ! ああ、はよ皆に知らせな――』


 引き留めようとした俺を強引に振り切り、水島さんは逃げ出すようにして家を出ていった。一体何が起きたのか、俺にも明奈にも分からなかったが、強烈に排他的はいたてき疎外感そがいかんを味わった、それだけは確実に言えた。

 そして結局、というか案の定――その日中に説明にくると言って帰っていった水島さんが、その約束を果たすことはなかった。


 ――そんなことを思い返しつつ、俺は寝室のき出し窓から庭を何とはなしに眺めている。雑草はあらかた取り除いたつもりだが、取っても取っても新しい草が生えてくるので、結局はいたちごっこになってしまっている感があり、最近は庭仕事をするのも億劫おっくうになっていた――お金に余裕があれば定期的に庭師を雇いたいと思うのは自然のことなのかもしれない――


「ん?」


 その時、石碑のほうで何か気配が動いた気がした。俺はまた猫が出たのか、それか他に何か動物が迷い込んできたかもしれないと思い、傘をさして庭の様子を確かめる。十分ほど探して何も見つからなかったが、確かに何かが動いた気がしたので、ひどく気になった。ここら辺は小動物や蛇なども多く、特にアオダイショウを見かけた時の明奈の反応が面白――ではなく、かなりパニックになっていたことがあって以降、俺も気をつけて見ている。同時に〝はたしてあれはアオダイショウのような感じだったか〟と疑問にも思った。そしてふと、ここで門扉もんぴのほうを見て腰を抜かした水島さんを思い出しながら、そっちに目を向けた。


 そういえば以前、不思議なことがあった。引っ越し当日の夜、家族で石碑の様子を見た際に門扉もんぴのほうで変な気配を感じたことがあったが、水島さんが今目を向けて恐れおののいたのも確かそっちのほうじゃなかったか。あと今はもう消しているが差出人不明で変なメッセージも受けとったことがあるし、『本当にここは大丈夫だよな』と、どうしても考えてしまう。


「――」


 そんなことを考えている所に、どこかから視線を感じる。誰だろうと辺りを見回してみるといつのまにか門扉もんぴの前に女の子が一人立っていた。


「あれ、君は確か……のあちゃんだったね」

「……」


 相変わらず無口な子だった。俺と目線が合うと静かにペコリと頭を下げてきた。彼女なりの挨拶なのだろうが、少しは声にだして意思表示してほしいなとも思う。でもそれを頭ごなしに注意するのは昨今むずかしいのだけど。


「あれ、今日幼稚園は? 美桜みおは今幼稚園に行ってるよ。のあちゃんは行かないの?」

「――――」


 俺の話を聞くと一瞬だけ首をかしげ、手のひらをパーに広げたポーズで右手を突き出したかと思うと、そのまま歩き去っていった。徹底して何も話さない子だが、どこに住んでいて、何をしているご家庭で幼稚園はどうしているのか、何もかも分からない状態のほうが心配になる。今度美桜に聞いてみようか――

 俺はそのまま自分が今まで何を探していたのかも忘れ、降り続く雨に少し身震いしながら、そそくさと家へ戻っていった。

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