二十六日後

 日下くさか失踪しっそうしてから二週間弱が過ぎてもなお、彼の足取りはまったくつかめなかった。結局、日下は特異とくい行方不明者として捜索の対象となった。家族からも行方不明者届が提出されたのでただちに捜査本部が設置されたが、状況はかんばしくないどころか何の成果も挙げられなかった。

 白金しろがねも参考人として情報を提供したが日下の消息や現在地などを示すような手がかりは何も持っていなかった。最後に送られてきたメールも文面を復元できるだけ復元したものをすべて提出したが、それが怪文書かいぶんしょである印象を捜査員たちに与えた以上の効果は皆無かいむだった。文書に書かれていた女についても根掘り葉掘り聞き出されたが、彼には何の心当たりもなかった。

 各地の防犯カメラや監視カメラ、交通カメラなどが調べられたが痕跡は見当たらなかった。とどのつまり――捜査本部は五里霧中ごりむちゅうの状態だった。


「白金先輩、お疲れ様っす。ほい、これ俺からのおごりで」


 喫煙ブースで休憩している白金の元に缶コーヒーを持った出水いずみが近づいてくる。彼はそれをありがたく受け取り、タブを引いて一気に飲み干した。


「……本当に日下さん、どこ行っちまったんすかねえ」

「俺が聞きたいわ。あんな不穏なモン送ってきて、頼むから無事でいとって欲しい……」

「まあまあ、先輩が落ち込んだ所で何も変わりゃしませんて。どうです先輩、今晩なら二人、都合つくんすよ。一緒に飲み行って気分転換しましょうや」

「お前なあ、こんな時によくそんな気分なれるな。ホンマうらやましい性格しとるで」

「オンオフはきっちり切り替えんともたん仕事っすからね。今回はかなりのべっぴんさんで、一人は何でも人気ナンバーワンのキャバでトップ張っとるらしいっすよ。行きますよね?」

「……わぁったよ。これ断ったらお前にこすられそうやからな、しゃーない」

「さっすがは先輩、話が分かりまんなあ! んじゃセットしときますんで、六時にここで」

「まんなあてお前……」


 呆れ顔の白金を置いて、出水は鼻歌交じりにスマホをいじりながら、署内へ戻っていった。よくも悪くもポジティブでムード作りの上手い出水を、白金は少しだけうらやんだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 出水が今回セッティングした店は、あらゆる意味で女性受けするだろう個室居酒屋だった。俗に言う〝SNS映えする〟メニューの名前やら盛り付けやらで、味の方は大丈夫だろうかと少し場違いな心配をしながら、白金は席についておしぼりを広げていた。


「さっき連絡があって、今向かってるそうなんで、もうちょいできますよ。とにかくかなりのべっぴんさんなんで、口ポカンだけはナシにしてくださいよ、ええですね先輩?」

「お前ね、一体俺を何だと思っとるんや……」


 そうぼやきつつも、合コンなんて久々なので、少しばかり緊張している白金だった。


「おっ、きたきた。二人ともお疲れちゃーん!」

「ごめんなさーい、ちょっと電車が遅れちゃって~」

「お待たせしました~! 今日はよろしくお願いしま~す」


 個室のふすまを開けて入ってきた二人の女性は、服装こそ今どきの派手なファッションだったが出水が何度も念押しをするだけあって確かにレベルの高い顔立ちをしていた。芸能界で立派にトップを張れるかどうかまでは自信がないがかなりの美人だ……と、白金は職業柄染み付いた目線で第一印象を定めた。

 ――いや、と彼は訂正する。今自分の真正面に座った女性は、その芸能界でも十分にやっていけるほどの美貌びぼうを備えている。髪の毛が綺麗きれいに色抜きされてブロンドになっているが、眉もまつ毛もしっかりと同じ色に揃えてあったりして、ここまで手入れをするのは並大抵の金ではできないだろうから、キャバでトップを張っているというのはこの子のことだろう。


 ただ、その職業病のような観察眼で、彼は一つ気になる所を見つけてもいた。


「……あの、初めまして? 私、一条いちじょういいます。今日はよろしくお願いしますね」


 その女性から話しかけられていたことに気づくまで一瞬とちょっとの時間を要した白金は、隣の出水から〝言うたそばから口ポカンなってまっせ!〟と茶化ちゃかされ、少し赤面して自己紹介を済ませる。その後ドリンクとコース料理が運ばれ、元気に乾杯をして飲み会は始まった。

 そこから二時間弱、どんな話をして笑い、何をボケて何をツッコんだか分からないくらいに場は盛り上がった。というより、女性が話題を広げて盛り上げるのがうますぎた。


「――ええかホノちゃん、おっちゃんの話が長くて退屈なんやったら、頭ン中でこう考えりゃ楽しく過ごせるで~……そいつはな――」

「あ~、その話どこかで読んだことあるよ! 確か何やったっけな~、お前の話は長すぎる、一体どこを――」

「そ~そ~! それやで! 何やホノちゃんも知っとったんかいな――」


 出水は調子に乗って酒を浴びるように飲み、何だか分からない講釈を垂れながらゲラゲラと笑って自分の目の前の女性と楽しく語り合っている。白金はそんな彼らをうらやましく思いつつ、一条とゆっくり話をしていた。


「――あの、そういえば白金さんって、出水さんと同じ職業の方なんですか?」

「ん? 出水は君に仕事何してるて言うてますのん?」

「えっと、法律関係の仕事をしているとは聞いていますけど」

「じゃあ自分もそうですねえ」

「やっぱり! 何だか、色々と背負せおってそうに見えますもん!」

「いやいや、買いかぶりです。本当に自分なんぞ大したこともない……」


 そんなことを口走りながら、はにかんだように笑って煙草たばこを吸う日下の顔が脳内を過った。少しだけ罪悪感が鎌首をもたげ、視線にふと陰が落ちる。一条はニッコリうなずきながらグラスをカラカラと傾け、そんなことないですよと声をかける。


「ホノちゃん、謎掛けであそぼ! 整ったらお題だすから〝その心は~?〟ていうてな!」

「え、なになに? その心は~?」

「はやいて! はい、整いました~! んじゃいくで~! 浮気バレとかけまして……」


 今どき謎かけとは中々オツなことをやるもんだと白金は半ば感心、半ば呆れで聞きながら、俺はグラスをかたむける。目の前に座る一条さんはまぶしい笑顔を見せながら、隣に座る出水たちのやり取りを眺めていた。


「面白いですね、謎かけ。言葉一つ取っても、色々な意味や解釈があるんだなって思います。そんな意味があったのかとか、そういう風に繋がるのかって、思わされますよね」

「そうですねえ。大抵はダジャレみたいなもんやと思いますけど、人によって受け取り方とか読み方とか、そういうのが異なるというんは確かに面白いかもしれません」


 したり顔でそんなことを語ると、氷が崩れてカランと音がした。


「その心は~?」

「その心は、どんなに頑張っても完全に直せませ~ん!」

「何やのそれ意味分からん! おもろいけどいややわ~! あたしオバケだめやのん!」


 謎かけそのものは聞けなかったが、蛍乃香ほのかさんにはウケがよかったようだ。出水はこういう場面で本当に力を発揮するのが上手い。コミュ力オバケとでもいうべきだろうか。そんな俺の顔を少しだけ覗き込みながら微笑んでいた一条さんが、意を決したような仕草で口を開いた。


「――ねえ、白金さん。出水さんは出水さんで蛍乃香と盛り上がってますし、私たちも少し、二人でお話しませんか?」

「えっ――いや、自分はそういうのは……」

「私が先にお化粧を直しに行きますから、ついてきてくれると嬉しいな。ダメ……ですか?」

「ううん……まぁ……話すくらいなら……?」

「えへっ、振られなくてよかった」


 答えに詰まった白金は、助けを求めるように隣の二人へと目配せをするが、当の本人たちは馬鹿騒ぎしまくっててめちゃくちゃ盛り上がってしまっている。


「ホノ、ちょっと私お化粧直してくるね」

「あ~い。そろそろここハケて次いこ次~。この人たちむっちゃおもろいわ~!」


 一条さんは蛍乃香さんに声をかけておもむろに立ち上がり、流れるような所作で出ていく。白金は出水の肩に手を置いて立ち上がり、トイレに行ってくるとだけ伝えて部屋を出た。彼は彼へ適当に返事をしながらも、意識を蛍乃香から離さなかった。部屋に残された二人はなおもゲラゲラ笑いながら盛り上がっている。このままだと彼らは意気投合して〝特別な二次会〟とシャレこむだろう。他人のプライベートには関わりたくない白金は、自分の立場だけは忘れてくれるなよと祈り、彼は騒々しい廊下を抜けてトイレへ向かった。


「ありがとう、きてくれて」


 トイレの前の待合で座っていた一条が、白金の姿を認めて歩み寄ってくる。廊下をすれ違う男が一条の顔を見て、二度見していた。俺でもそうするかもしれない――白金はそう思う。


「こんな所でゆっくりお話もでけんとは思いますが、一体何のお話を――」

「あんた、ホンマに色々背負しょっとんねえ」

「――えっ」


 自分の問いかけをさえぎるようにして突然語りかけてくる一条。しかも、明らかにこれまでとは違って関西弁のイントネーションで。そのギャップの激しさに、白金は一瞬面食らった。


背負しょっとんねって――さっきも言いましたけど単なる買いかぶりで」

「んじゃハッキリ分かるように伝えよか。今のままやとあんた、絶対に引っ張られるよ」

「え、引っ張……何をです?」

「あんた、ごえんができかかっとる。どこかで良くないモンと接触したか、あるいは――」


 次から次と繰り出される常軌じょうきいっした単語に、白金は今度こそ絶句した。一条という女……一体何を知っているのだろうか――彼は額に脂汗がにじむのを実感した。


 思い返せば、彼も一条に対して違和感を持っていた。職業柄、人間をつぶさに観察するのが彼の癖だったのだが、部屋に入ってきた時に一瞬だけ目を丸くして驚いた一条を、彼は見た。すぐにその表情はかき消えたが、それだけに余計に引っかかるものを感じていたのだ。


「すまんな、流石さすがにあの場じゃあこんな話もできんかったんや。ああ、後、ウチはこっちのがしゃべり方やから、気にせんといてな。ネコ被んのホンマ疲れんねん」

「いや、話しやすいように話してくれるほうがこっちも気が楽ですけど……それより何です、その縁とか引っ張られるとかって」

「……先週、ウチとこにとある男がきたんや。その男が背負しょわされとったモンと同じモンが、あんたの首にひっついとる。その男はもう手遅れやけど、あんたはまだ――」

「ちょ、ちょっと待ってください! そ、それはもしかして、日下という名前の男では――」


 意外な所で聞かされた意外な話。今の白金にとっては無視しえない単語が散りばめられて、薄気味悪い迫力を伴って彼の鼓膜と心臓と脳髄のうずいとを揺さぶった。

 そして問われたほうは『やっぱな』とだけつぶやき、白金の二の腕をポンポンと叩く。


「……せや、その日下ちゅう男や。知らぬが仏、好奇心はあんたを殺すて警告したったのに、対策も何もせんと首突っ込んで、文字通り首に死線をこしらえよった」


 その話を聞いて、白金の全身に稲妻が落ちた。


『――縁ができたら手遅れ。知らぬが仏、好奇心はあんたを殺す。警察に解決でけんことなぞ山のようにある――その女はそう言って、ドアを閉めたんや』


 いつぞやの喫煙ブースで、日下は確かに、そんなことを口走っていた。その〝女〟が自分の目の前にいる。これは果たして奇跡の助け舟か、あるいは悪辣あくらつな泥舟なのか――


 ――白金には、判断がつかなかった。

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