二十一日目

 仕事の遅れも取り戻し、新たな作業環境にも慣れてきた。明奈あきなはパートで終日家にいない。何か夕食を用意しておこうかと考えて、もう美桜みおを幼稚園へ迎えに行く時間なことに気づく。まだ幼い美桜を、特に引っ越してばかりで土地勘もない所を歩かせるのは色々不安で、当面の間は出迎えをしようと明奈と話し合って決めたのだった。

 俺は着替え、幼稚園にまだあげていない玲央れおを引き連れてだらしなくない格好で家を出た。幼稚園に子供を迎えにいくということは、そこにいる先生や〝ママ友〟に外見から何から色々チェックされるということなので、身だしなみは特に注意しなければならないのだ。


「パパ~、クロちゃんは元気~?」

「げんき~」

「玲央も元気やね~。帰ったら一緒におはぎ食べようね~」


 子供というのは呑気のんきなもので、顔を合わせた時の第一声も大体はねぎらいの言葉じゃない。そんなものだと分かってはいるので、先生に挨拶をしつつ、俺は美桜を引き取った。


「ただいま~! クロちゃ~ん、帰ってきたよ~!」


 家に帰るや美桜は靴とカバンを放り出し、玲央の手を引っ張って二階へ駆け上がっていく。その様子を見て俺は苦笑いし、リフォームされて上りやすくなっている階段にも感謝しつつ、そこら中に散らかった荷物を片付け、飲み物を取って二階へ向かった。


「……美桜、玲央と一緒にまた押入れに入ってるのか」

「えへへ、ここ、あたしたちとクロの秘密基地~」

「おえかきしゅるの~」


 二階では、美桜がクロを抱いてふすまの中に隠れ、玲央は一緒に押入れの中で床板にクレヨンを使って〝お絵かき〟をしていた。もはや止めようがないのでとりあえずクレヨンだけ預かり、玲央には他のオモチャを与えて気をそらす。そして美桜はよっぽどこの中が気に入ったのか、何度注意しても聞かない。まあ特に危なさそうなこともないかと諦めて、美桜の好きなようにさせようと自分の部屋に戻ったとき、インターホンが鳴った。宅配も使っていないし、速達が送られる予定もないが、一体誰だろうか。


「はい、どちら様でしょう」


 再び階下に降りてインターホンに応答する。カメラが門の前を映し出すと、そこには美桜と同年代くらいの女の子が一人で立っていた。内気な子なのだろうか、女の子は何も言わずに、ペコリとだけカメラに頭を下げた。


「美桜~、誰かお友だちが来たみたいだぞ?」

「あ~、そういえば今日遊びに来る言うてたんやった~!」


 美桜がドタドタと走りながら階段を降りてくる。そしてサンダルをつっかけて勢いよく外に出ると、玄関先で『ごめんね~、遊びにきてくれてありがと~!』と声をかけていた。


 そして、美桜に手を引かれるようにして女の子が家に入ってきた。背丈せたけは美桜より少しだけ高いものの、ひどく線が細い。言葉は悪いが、血色があまりよろしくなさそうな印象がある。家にあがるように美桜に急かされ、女の子は再びペコリとだけお辞儀をして、静かな足取りで二階へと上がっていった。何だろう、所作が日本人形のようだといったら変かもしれないが、物音を一切立てない動きが身についているような――そんな第一印象だった。


(美桜と変わらないくらいの年だろうに、よっぽど親御おやごさんにしつけられているのかな)


 俺はそんなことを考えつつ、娘たちの靴を揃え直し、お茶とお菓子を用意すべくキッチンへ足を運んだ。時季柄冷蔵庫におはぎが入っていたので、それと麦茶でいいか。


「お茶とお菓子、置いておくよ……って、珍しいもので遊んでるね」

「あっ、パパ~! ありがと~!」

「おはり~、おはり~」


 お盆に麦茶を三人分とおはぎを四人分乗せて美桜の部屋に入ると、美桜と女の子は向かい合うように座ってお手玉を遊んでいた。女の子が持ってきたのだろうか、ものすごく手慣れた手つきで、ポンポンといくつものお手玉を空中に飛ばして遊んでいる。玲央はお手玉がいくつも飛び上がる様子を、顔を上下させて眺めていた。


「へえ……ずいぶん上手だねえ。お母さんに習ったのかい?」


 お盆を静かに置きながら尋ねてみるがやはり返事はなく、頭を横に振るだけだった。そして美桜に耳打ちすると、それを聞いた美桜が代わりに答えてくれた。


「違うって~。いろんなお友だちに教えて貰ったんだって~」

「へぇ、そうなんだ。まあ今どきはお手玉を遊ぶ人は俺たちの世代でもいないだろうしなあ。ところでお嬢ちゃん、お名前は何ていうの? おうちは近くなのかい?」

「……」


 今度は黙ってうなずく。名前はともかく、家は近所ということなのだろう。そして今度は美桜がそのまま答えてくれた。女の子の名前は〝のあ〟というらしい。今どきの名前だな。


「あれ、そういえばクロは? 部屋に見当たらないね」

「クロちゃんね~、たぶん押入れの中で寝てるよ~」

「もしかしたら人見知りでもするのかな? まあそのうち出てくるだろ。皆でおはぎ食べて、仲良く遊ぶんだよ」

「「は~い」」


 その言葉に元気よく返事する二人の我が子と、静かにうなずくのあちゃん。美桜とのあちゃんで非常に対照的な二人だが、案外ウマが合うのかもな。俺はそれを見てうなずき返し、中断している仕事を片付けるべく自分の部屋に戻った。


「――ただいまー。突然雨が降ってきちゃって大変やったわ~」


 それから何時間かが経ち、明奈が帰ってきた。俺は仕事に段落をつけ、部屋で遊んでいるであろう美桜に声をかける。


「美桜、そろそろのあちゃんも――って、のあちゃんは?」

「ん~? もう帰っちゃったよ」

「えっ、いつの間に。というかそういう時はパパに声ぐらいかけなさい」

「のあちゃんがね、パパ邪魔しちゃいけないからって、パパにペコってだけして帰ったの」

「いや、だからってね……」


 何で美桜と同じ年頃の女の子にそこまで気を使われるのか分からない。ただ、良くも悪くも子供らしくない居住まいや振る舞いであったのは否めない。まあ、帰ってしまったのならもう仕方がない。今度遊びに来た時に挨拶だけはしっかりするよう言うくらいはできるだろう。

 皿とグラスを片付けて階下に降りると買い物袋をキッチンに置いて一息つきながらタオルで顔を拭っている明奈がいた。確かにさっきまで晴れていたのにいつの間にか雨が降っている。俺は抱き上げていた玲央を下ろし、キッチンの窓から雨雲におおわれた暗い空を見つめた。


「ごめんな~、すぐご飯用意するから待っとってな。今日は特売でうなぎが安かったんよ」

「うなぎなんて久しぶりだなあ。というか明奈、あまり好きじゃなかったんじゃ……」

「しやから特売で安かったいうたやん。半値以上引かれてたら流石さすがに買うよ」


 そんな会話を交わしながらも手際よく片付けと着替えを済ませた明奈が手早く夕食の支度に取り掛かる。


「ママ、おかえり~。あたしおなかすいた~」

「おかえり~、ごはんまだ~?」

「はいはい二人ともただいま~。すぐに作るから待っとってな~」

「ん、美桜。その手に握ってるのは一体何だ?」


 美桜が降りてきた時、俺は彼女の左手に何かが握りしめられているのに気づいて尋ねた。


「これ、貰ったの~。ずっと持っててって」


 それは彼女たちがさっきまで遊んでいたお手玉の一つだった。赤と黒の布で編まれており、ザラザラ音がしているので中身は小豆あずきだろう。しかし、何でそんなものをたった一個だけ――


「あら、それお手玉やんね。しかもそれきっとアタマや。ママも小さい時お婆ちゃんに遊び方教えて貰ったなあ、懐かしいわ」

「ん、明奈、アタマって?」

「それ説明すると長くなるんやけどさ、お手玉遊びをする時にな、一個だけ絶対に落としちゃダメというか、ずっと持ってなきゃアカンのがあるのよ。それをアタマとか親玉いうねんな。他のと区別するために大体は派手な布で作ってあるんやけどさ、美桜が持ってるやつがきっとそれちゃうかなって」


 説明を聞いてもピンと来なかったが、まあそういう遊びなのはさっきも見ていたし、確かにのあちゃんがやってた時に見た他のお手玉は真っ白だった。

 ……俺がさっき抱いた疑問が晴れることはなかったが、まあ子供はとかく自分が大事にするものを友だちに託したりして親愛の情を示すこともままある話だ。


「よし、じゃあもうちょっとしたら仕事も片付くから、ご飯が出来るまで二階にいるね」

「分かった。準備が済んだら呼ぶからね。美桜、ママちょっとお料理するから、その間玲央を見といてくれる?」

「は~い。玲央~、パパのおふとんいこ~」


 米を研ぎながら返事する明奈の言葉を背中で受け止めて、俺は自分の部屋に戻る。そこには今までどこにいたのか――恐らく押入れの中だろうが――クロが俺のワーキングチェアの上で寝そべっていた。俺はクロの頭を優しくでつつ抱きかかえ、かたわらに退かせてPC画面に目を移し、そのまま作業の続きに取り掛かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


『はい、テンドーチャンネルの〝テンドーダイレクト〟が始まりました~。もう皆さん知っていると思いますけれどね、霊能師れいのうしである私最上さいじょう問題のある場所にお邪魔しまして、解決に向けて色々やっちゃうぞ、という企画〝テンドーダイレクト〟、略して〝テンダイ〟。これも皆さん知ってると思いますけれど天台宗てんだいしゅうとは何の関係もないんで間違えないでね――』


 作業の休憩がてら、最近ちょっとだけ話題になっているスピリチュアル系の動画チャンネル〝テンドーチャンネル〟の動画を見ていた。一時期はテレビのひなだんにも出演していた彼は、一言でいえば〝胡散臭うさんくささマックス〟の自称霊能師れいのうしだった。衣装はゴテゴテでピカピカだったしとなえている文言もんごんもよく分からないものだったが、何故か一部でコアなファンを獲得している、人気の配信者だった。実際、動画の中には結構ガチめの怖い内容のものもあって、当の本人が泣きながら〝てっしゅ~てっしゅ~、命あっての物種!〟と叫んで走っているシーンなんかはネットミームになっていたりする。


 頭が疲れた時にはこういった系統の〝頭を空っぽにできる〟動画を観るのが大好きだった。繁華街の夜景を延々えんえんと映すだけの動画、宇宙ステーションが地球をぐるぐる回っているだけの動画、動物園の様子をただ垂れ流しているだけの動画をぼうっと観て緊張を解きほぐすのが、行き詰まった時のルーティンになっている。


『いや、今回はね、マジでビシビシきてますよ。スタンガンでも当てられてる感じがして、背中が痛いです。でも、私最上天道にかかれば――』


 俺は軽妙な語り口で深刻そうなことを深刻でなさそうに話す微妙な霊能師れいのうしの声をBGMに、俺は作業へ戻るのだった。やがて、うなぎをグリルで焼く香ばしい匂いが立ち上ってきた。

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