二十日後

 少しずつ日中の気温も下がり始め、横面をでる風に涼気がただよい始めた初秋も終わりかけの午後の警察署。その脇の駐車場横には喫煙ブースが設けられていて、日々激務に追われている警察官たちのいこいの場となっている。

 だがここ数日は警察署の一部でちょっとした騒ぎが起きており、いつもより剣呑けんのんな雰囲気が周囲にただよっている。そんな中で白金しろがねは何とか気持ちを切り替えようと、煙草たばこの煙を吹き出して虚空こくうひとり言を撒き散らしながら、彼がしたう先輩の身を案じていた。


日下くさかさん、一体どこ行ったんや……」


 時間に厳しく無断欠勤どころか遅刻すらしたことのない日下がもう六日も署にきていない。それどころか、どうやら日下と最後に会っていたのは白金のようだった。居酒屋で飲んだあと白金と別れた日下は、そのまま家にも帰らず失踪しっそうしてしまったのだ。

 最初は課内の同僚が彼の自宅や携帯に連絡を試みていたが誰も消息をつかめていないようで、署の上長判断で行方不明届の提出可否を検討する段階になっていた。しかし、日下のケースが〝特異とくい行方不明者〟となるか否かについては、意見が割れてしまっている。その話とは別に、白金も携帯やメールなどで連絡を取ってみたが、返事はなかった。


「白金先輩、日下さんから何か連絡ありました~?」

「ああ、出水いずみか。いんや、何もないな」

「一体どうしはったんすかねえ。日下さんが六日も無断欠勤なんて考えられへんすよ」

「そりゃ署内の皆が思っとることやろ、多分」


 出水と呼ばれた男は、細い煙草たばこに火を付けながら白金に問いかける。しかし、それは問うた本人もまともな答えを期待していなかった。一体どこに行っちまったんすかねえなどとつぶやいて勢いよく煙を真上に吹き出す出水を横目に見ながら、白金は内心で薄気味悪い予感にとらわれ、表情をわずかに曇らせた。

 ――それは、人には言えない類の予感であり――ましてや現実的な証拠とデータを重んじる警察に属するものがそんなものを根拠に憶測するなど、笑いものになってしまうだろうことは白金自身がよく分かっていた。


「とりあえず先輩、今日は飲みキャンになりそうっすね。せっかく可愛い子と飲めるって楽しみにしとったんすけどねえ」

「それはお前だけやよ。どんな人連れて来んのか教えてくれへんやん、お前」

「へへっ、そらあ会ってのお楽しみってやつでんがな」

「でんがなてお前」

「ま、そんな感じなんで、キャンセル入れときますわ。また次の機会に飲みセットしますんで、そん時は予定空けてくださいよ。ほなら先輩、また後で」


 出水はそれだけいうとまだろくに吸ってもいない煙草たばこを捨て、署内へ戻っていった。きっとそれだけを白金へ伝えるためにここへ抜けてきたのだろう。もっとも、そのほうが今の彼にはありがたかった。日下の身に何があったのか、ひとりでじっくり考える時間が欲しかったのだ。


 恐らく、あの峠道で発生した不可解な単車事故が発端なのは間違いないと彼は思っている。それに先日居酒屋で聞いた、奇妙で不可解な共通点を持つ、関係者の事故――それだけでも、この事故の特異とくい性がよく分かる。

 しかし、白金はこの事実をまだ誰にも伝えていなかった。第一どう互いの関連性を伝えればいいのか、彼には分からない。確かに奇妙な繋がりを持っていそうではあるが、それだけだ。明確にこれらの事故が一本の線で繋がっているという物証は皆無かいむだった。単なる事故を事件にするには、相応の根拠と証拠が必要なのだ。事件性が〝ありそう〟では動かない。


「犯人も凶器も、動機すらも一切存在しない事件――そんなもん、どこにもありゃせんわ」


 しかし、それでも――

 白金は、これが単なる事故だと結論づけられずにいる。何かこう、裏にとてつもなく陰鬱いんうつ冷酷れいこく奇怪きかいな悪意が渦巻いている、そんな疑念がどうしても払拭ふっしょくできなかった。しかしそれを認めてしまうのは〝超自然的な何か〟が実在するという仮定を受け入れることと同義になり、警察に属していながらそんな仮定を受け入れるのは、彼にはやはり抵抗があった。


「何にせよ、日下さんは得体のしれない、そして恐ろしい何かに巻き込まれた……何かそんな予感しかせんのは、何故なんや」


 そうひとりごちたとき、ポケットの携帯が小刻みに震えた。画面を確認すると、メール着信の通知だった。自分の私用アドレスに送られてきたらしいそれの送信元は、彼を始め署の人間が探し回っている日下だった。


「く、日下さん――!?」


 白金は驚きのあまり煙草たばこを落としたのも構わず、画面のロックを外してメールを確認する。今一番行方を心配している相手から自分の私用アドレスにメールが届いた、その意味を考える余裕は、今の彼にはなかった。

 件名には〝縺上&縺九◆繧医a〟とあった。それだけでも意味がわからなかったが、それを一旦無視した白金が本文を開けると、不可解な文字列が飛び込んできた。


 縺上&縺九◆繧医a


 縺翫∪縺医↓縺イ縺ィ縺、縺。繧?≧縺薙¥縺励※縺翫¥繧医¥縺阪>縺ヲ縺上l

 縺励?繧峨¥縺ソ繧偵°縺上@繧医k縺?%縺上↑縺イ繧九≧縺薙¢縺ッ縺?>

 繧阪¥縺ヲ繧ゅ↑縺励%縺医s縺ュ繧峨▽縺ヲ繧九″繧偵▽縺代m縺溘?繧?縺

 縺ソ縺、縺九l縺ッ縺ゅi繧?k繧ゅ?縺九♀繧上k縺溘m縺?o縺吶l繧九↑

 縺、縺セ繧峨↑縺阪?縺ェ縺励↓縺ソ縺ソ縺九@縺ヲ繧ゅ※縺翫¥繧後↓縺ェ繧九◎

 縺。縺九↓縺ソ繧偵°縺上○縺ッ縺薙l縺ェ縺?°縺翫∪縺医b縺?%縺代↑縺

 縺輔>縺ゅ¥縺ゅ?縺翫s縺ェ縺ォ繧後s繧峨¥繧偵▽縺代※縺溘☆縺代h縺ク

 縺セ繧医¢縺溘>縺輔¥繧ゅ▽縺ヲ繧九h縺ク縺ッ縺上k縺九i縺ヲ繧薙o縺励m


「な、何やこれ――文字化け……か。今どき珍しい。一体何て書いてあるんやこれ」


 白金は急いでブラウザを開け、文字化けを修復するサイトを検索して開いた。テキスト入力ボックスに日下から送られてきた件名と本文をコピーペーストし、修復を実行する。


 くさかたよめ


 おまえにひとつち〓〓こくしておくよくきいてくれ

 し〓らくみをかくしよる〓〓くなひるうこけは〓〓

 ろくてもなしこえんねらつてるきをつけろた〓〓〓

 みつかれはあら〓〓も〓かおわるたろ〓〓すれるな

 つまらなき〓なしにみみかしてもておくれになるそ

 ちかにみをかくせはこれな〓〓おまえも〓〓けな〓

 さいあくあ〓おんなにれんらくをつけてたすけよへ

 まよけたいさくもつてるよへはくるからてんわしろ


「な、な――」


 所々修復しきれず読めない箇所かしょがあるが、内容は大体伝わる。伝わるだけに、その不吉さに思わず白金は息を飲んでしまった。


「お前に一つ、ち……忠告かっ!? 何やねんこれっ……!」


 しばらく身を隠すだとか、見つかれば終わるだとか手遅れだとか、何もかもが異常すぎた。しかし何より謎めいて、白金に得も言われぬ恐怖を与えたのが――


「最悪、あ、あ……女に連絡……助け呼べ……まよけたいさく??」


 白金には何のことなのか一切分からない。しかし、これは日下からもたらされた助言だ――白金はそう直感した。


「女、女――誰や、女ってのは? どうやって電話して呼ぶんや、そいつを……!」


 白金は必死に脳細胞をフル回転させたが、そこには何も記録されていなかった。

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